第二章 二月十四日 咲視点
今日は二月十四日のバレンタインデーだ。昨日のうちに必要な物を買ってきて柘榴恐妖に渡す物を準備していた。
私は家を出る前に靴箱の上に置いてある写真立てを見た。そこに写っているのは、私と大事な大事な親友だ。今はどこにもいなくて、もう会うことができない大事な大事な親友。写真立てを手に取って表面を愛しく撫でて、ほんの少し顔を歪める。写真立てをそっと靴箱の上に置いた。
両頬を両手でパン、と叩いて気を引き締める。……痛いよ。やるんじゃなかった。
家を出ると、学校への通学路を歩いた。
☆☆
日差しが通学路を照らす中で、歩いていると私が通う滅火高等学校が見えてきた。私はいつかこの学校が火によって滅びるのではないかと冷や冷やしている。だって、名前がね。滅ぶに火と書くし。心配で心配で夜も眠れません。……いや、まあ、ぐっすり寝てるんだけどね。無意味な嘘をついてごめんなさい。……って私は誰に言ってるんだろうか?
校門を通り抜けると、女子と男子が数人近づいてきた。……ふう、またか。小学生の時も中学生の時もこの日と同じ状況にあっている。いい加減にしてほしい。まあ、別にいいんだけどね。
「咲さん。今年は誰にあげるの? よければでいいんだけど、私にくれないかな?」
「えっと、その私も欲しいです。咲さんの」
「私も欲しいな」
女子たちが頬を赤らめて、そんなことを言った。
「ください咲さん」
「さ、咲さん! どうかこの僕にください」
「いや、俺に恵んでくれ。たった一人の男を助けると思えば軽いもんだろう? 咲さん」
男子が両目をつぶりながら、言った。まるで自分のセリフに酔いしれたかのように。まったくもって酔いしれるようなセリフじゃないと思うんだけどね。
それと軽くないよ。逆に重いからね。その重さを受け止める自身が私には万に一つも存在しないんだよ。そこの男子。
「ごめん。一個しかないんだ。本当ごめんね」
本当はもう一個あるんだけれど。それを合わせたとしてもたったの二個。足りない。一個だろうと二個だろうと結果は同じ。奪い合いになるだけ。
『……一個』
ギラリ、と女子と男子の目が光ったような気がした。太陽の光が目に当たって反射し、そう見えたのだろうか。
「その一個を私にください」
「私にください」
「いや、私にください」
「僕にください」
「いや、僕にください」
「いや、俺に恵んでくれ」
女子と男子が手を出しながら、言った。何とも滑稽な光景である。
「…………」
えっと、何これ。私はどうすればいいの? 何が正解なの? 思わず頭を抱えそうになった時、
「そこまでにしときなよ。困っているじゃないか」
と、救世主が現れた。
私はゆっくりと救世主の方を見た。
「あなたは紫暗さん」
「やあ、咲さん」
救世主の名は液晶紫暗。前生徒会長だ。今はどの役職にもついていない。ちなみに私は副会長だ。一年の時は書記を務めていた。
黒髪で右目が前髪で覆い隠されている。目に刺さったりしないのか? といつも不思議に思っている。そして、私の秘密を知っている人物である。恐妖と黄砂せんせーも知らない秘密を……。それを餌にして脅迫しないところが、今のように困っている時に助けてくれるところが私の紫暗さんの好きな部分である。
女子と男子たちは紫暗さんを見て僅かに顔を歪めて、
『あ……ご、ごめん紫暗さん』
と、同時に謝った。
それを受けた紫暗さんは手を口元にやり、苦笑した。
「謝る相手を間違えているよ、君たち」
紫暗さんはチラリ、と私に視線を向けた。その表情はまるでわが子を見守る強き母親のようだった。まあ、紫暗さんは疑う余地が微塵もないほどにれっきとした男子だけどね。
『咲さん……! ごめんなさい!』
女子と男子たちは私に身体を向けると、頭を下げて謝ってきた。
「別にいいよ。気にしないで」
私は女子と男子たちを見回すと、笑顔でそう言った。
女子と男子たちはホッとしたように、足並みを揃えて校舎に向かった。……足並みを揃えて校舎に向かう理由が分からない。
私は紫暗さんの元に行き、頭を両手で掴むと、自分の胸元に引き寄せた。二分ほどそうしてから離した。
「……咲……さん?」
戸惑いを隠せない(隠す必要はないが)といった表情で紫暗さんは私を見つめる。
「さっき助けてくれたお礼です」
私は紫暗さんの透き通った瞳を見つめながら言った。
「ありがとう……でいいのかな?」
紫暗さんは微笑んでいた。
「いいんじゃないですか」
私も同じく微笑んでいた。
「それと紫暗さん」
私は通学鞄の中から、バレンタインチョコを取り出した。
「これを差し上げます」
紫暗さんはバレンタインチョコを受け取った。
「ありがとう。……早速食べるけど、いいかい?」
「はい、どうぞ食べてください」
紫暗さんは包装を破いてバレンタインチョコを食べた。
「うん。美味しいよ、咲さん」
「良かったです」
紫暗さんは校舎へと歩を進めた。私はその隣に並んで歩く。身体が触れるか触れないかのぎりぎりのラインまで寄せて。
私は紫暗さんになら、めちゃくちゃにされてもいいと思っている。秘密を知っているどうこうは抜きにして。他にも何人かそう思える相手はいる。
校舎にたどり着いた。
「あの……紫暗さん。今日、一緒に帰りませんか?」
「ああ、いいよ咲さん」
私と紫暗さんは家の方向が一緒だ。それはつまり紫暗さんが歩いた軌跡を踏みしめているということだ。そう思うとなんだか胸がドキドキする。私はこの人に恋をしているんだとあらためて思う。……中学校の時から。
「校門のところで待ち合わせをしようか。どっちが早く終わるか分からないからね」
私と紫暗さんはクラスが違う。そのことが私は悲しい。授業を受けている時でも、紫暗さんと一緒の空間にいたい。同じ空気を吸いたい。視界に姿が映っていないといやだ。このことについては恐妖と黄砂せんせーにも言えることだ。いずれは紫暗さんに嫁に貰ってもらおうと思っている所存である。
校舎に入り、階段を上がったところで、紫暗さんと別れた。
☆☆
教室に入室して、自分の席に座る。大まかに今日の段取りを考える。昼休みに恐妖がいる教室に行って用意した物を渡す。そこで、黄砂せんせーもいたら一緒に雑談をする。放課後は紫暗さんと一緒に帰る。もう一度頭の中で復唱する。
教室の前の引き戸が開く音がして、せんせーが入ってきた。
「HRを始める」
せんせーは簡単に連絡事項をして、出席簿を取った。
「今から話すのは授業とは一切関連性のない内容だが、聞いてくれ」
何で? 関連性がないんでしょ。聞く必要ないと思うんだけどね。
「昨日の夜のことだ。腹が減ったからコンビニに買い物に行った。腹が減っては戦はできぬと言うしな。戦をする気など毛頭ないが」
私はせんせーの頭を見た。
「……なぜ、そこで頭を見る。確かに毛がなくはげているがそれは俺のせいではない。それはさておき、話を進める。弁当を買って家に帰ってな。弁当を温めて、お茶を淹れたんだ」
人の買い物に行った話なんてつまらないよ。
「弁当に入っているごはんとおかずを食べた。まずくもなければ美味しくもない、何とも中途半端な味だった。それから、お茶を飲んで噴き出してしまった」
お茶を噴き出すなんて汚いな。
「それはお茶ではなく、何とうどんの出汁だったのだ。これで俺の失敗談は以上だ」
うん。だから、何?
「何が言いたいのかというとだな。よく見てそれが何かを判断するように」
私はせんせーのようにバカじゃないから、そんな失敗はしないよ。
「さて、授業を始めるとするか」
無駄話を聞かされた後に授業ってやる気がうせる。
「前にしたところからの続きだ。教科書を開いて。忘れてきた人は脳内の教科書を開け」
脳内に教科書が備え付けられてないんだけど。内容とか暗記していないし。まあ、私は教科書を持ってきているから、まったく問題ないんだけどね。
私は通学鞄の中から、教科書を取り出して机の上に置く。筆箱とノートも取り出して机の上に置く。
教科書を開いた。ノートも開いて教科書の右ページの上に重ねる。
せんせーは黒板に字を書き始める。私はそれをノートに書き写した。せんせーは時々解説をしていたが、私はそれを聞き流した。興味がない話を聞いても仕方ないし。
時間が経過し、チャイムが鳴り、一時間目が終了する。
「一時間目終わりだ。礼」
みんな着席したまま礼をする。
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