花火
短編3000文字シリーズ3作目です。
蝶が飛んだ。その身に光を浴びて輝きながら、僕の目の前をかすめるように。
僕がそう言うと彼女はいつもからかうけど、あの日僕には間違いなくそう見えたんだ。
太陽がじりじりとアスファルトを焦がすなか、夏祭り実行委員の僕は、当日打ち上げる花火の打ち合わせの為、隣町の煙火工場に来ていた。
「七夕祭りねぇ、懐かしいなぁ。何年ぶりだい?」
花火職人とは思えないほどの柔和な顔をさらに崩して、轟煙火工場の親方はポットからお茶を注いで僕の前に出した。
「十二年ぶりです。当時は轟さんが花火の打ち上げを担当されていたんですよね」
「ああ、そんなになるかい。そうだよ。資金繰りの問題とかで祭りが出来なくなるまで二十三年。七夕祭りと言えば、うちの花火が名物だったんだ」
親方は当時を懐かしむように遠くを見るようにして、当時は良かったねぇと詠嘆口調で呟いた。
「それにしても、どうしてまた祭りを再開することになったんだい?」
「地域活性と観光客誘致の為です」
「こりゃまた、お役所さんの見本みてぇな答えで」
僕が観光課のマニュアル通りに答えると、親方は皮肉を隠そうともせずに豪快に笑った。それがまるで夏の暑さを吹き飛ばすような爽快な笑いだったので僕は思わず「ホントは」と口走っていた。
「ホントは、忘れられない思い出があるんです」
あれは小学5年生の夏祭り。仲の良い友達と祭りに来ていた僕は、人ごみに流され、友達とはぐれてしまい途方に暮れていた。時刻は夕暮れ、もうじき花火が始まるという頃、一人の女の子に出逢った。大きな丸い瞳が特徴的な髪の長い子だった。
聞けばその子も僕と同じように友達とはぐれてしまい、探している最中だということだったので、一人よりは二人、というか僕も一人で心細かったので一緒に探すことにした。
『ねぇ、今度こそはぐれないように手を繋がない?』と彼女が手を差し出すのを見て、僕は内心破裂しそうな心臓を必死に抑えながら手を取った。
『君、名前は?』
『あたしは――だよ。君は?』
「へぇ、そりゃあんた、初恋ってやつかい?いいねぇ俺ぁそういうロマンチックな話が大好きだよ」
僕の突飛な話を親方は疑うことなく、感心した面持ちで聞いていた。
「ええ、まさしくそうだったんだと思います。彼女の手の温もりは未だに忘れられません」
左手を見る。あの時の手の感触を思い出す様に、何度か閉じてみるが、手のひらに爪が食い込むだけだった。
「それで、どうなったんだい?友達は見つかったのかい?」
親方がお茶を啜りながら続きを促す。一旦話し出した手前断るわけにもいかず、僕はもう一度記憶を遡る。
『ねぇ、君の友達、いた?』
人ごみの中を掻きわけながら辺りに目を凝らしていた彼女が落胆気味に訊ねる。
『いや、見つからないよ』僕はこの人ごみの中から見つかるわけがないと、早々に諦めかけていた。
『もう花火はじまっちゃうね。・・・ねぇ、どうせなら一緒に見ようか?』
彼女はそう言って神社の境内へと続く階段の方へと走り出した。思いがけず手を引かれた僕は足をもつれさせながらも必死に後を追う。
『この先に花火が良く見える場所があるんだ。あたししか知らない場所なの』
境内に入ると、祭りの実行委員のテントが並んでいて、見物客の姿はあまりなかった。
『せっかくだからさ、これ食べようか』と彼女が指差したのは飴細工を売る的屋だった。
『う、うん。じゃあ僕が払うよ』
色々な動物の形を模した飴の中から、猫の形の飴と、蝶の形の飴を買い、彼女に手渡す。
『どっちでも好きな方選んでいいよ』
『じゃあ、あたしはちょうちょの方ね』
彼女は蝶の形の飴細工を受け取り、微笑んだ。大きなまんまるの瞳が三角に細くなり、僕は思わず息をのんだ。
『こっちだよ』と僕の手を引く彼女から目が離せなかった。
彼女の教えてくれた場所は、遠目ながらも花火全体を見渡せる絶好のポイントだったのだが、僕はと言えば花火に見とれる彼女の横顔ばかりが気になってそれどころじゃなかった。夜空を明るくする色とりどりの花火に照らされた彼女と蝶の飴細工だけが鮮明に脳裏に焼き付いている。
『キレイだったね。花火』
花火が終わった後の雲一つない星空を名残惜しそうに眺めながら彼女が呟く。
『そうだね。キレイだった』
しんと静まり返った夜空に遠くのセミの声が浸みわたっていた。
『ねぇ・・・』僕は勇気を出して口を開いた『来年も、また一緒に見ない?』
ほんの少しの沈黙の後、出逢ったばかりの友達でも何でもない僕の提案に、彼女は目を三角に細めて『いいよ』と言った。
『じゃあ、来年もここで会おう』
そうしてお互いに指切りをして別れた。しかし次の年には資金繰りがうまくいかず、祭りはそれ以降開かれることはなかった。僕達に来年は来なかった。
「で?その初恋の彼女に会いたくて祭りを再開したってのかい?やるねぇ兄ちゃん」
「いや、そう言うわけじゃないんです。僕の力で祭りが復活したわけでもないし、ただ、せっかく再開するんだから、僕なりに忘れられない祭りを盛り上げたくて、頑張ってるんですよ」
「そういうことなら、俺が最高の花火を打ち上げてやるよ。期待しててくれぃ」
では、当日はよろしくお願いします。と挨拶をして僕は煙火工場を後にした。
そして夏祭り当日―
「大盛況だね。再開一回目としては大成功だよ」
境内から階段下の通りを埋め尽くすお客さんを眺めながら、主任は感嘆の声を上げた。通りの両側には的屋の行列が並び、思い思いの浴衣を着た人たちは皆一様に笑顔に溢れていた。
「後は花火を残すのみか、ここは良いから休憩してきなさい。今日は一日働き詰めだろう?君も祭りを楽しむといい」
「はい。ありがとうございます」
僕が休憩に入ると同時に、花火の最初の一発が大きな音と共に夜空に大輪の花を咲かせた。
僕はあの場所へ行ってみることにした。子供の頃の淡い初恋の思い出をなぞる事に気恥ずかしさはあったものの、親方に話をしたあの日以降、僕の頭からはあの時の約束が離れることは無かった。
記憶を頼りに歩いて行くと、徐々に少なくなる人波の中、見覚えのある的屋を見つけた。作りもまさしく、あの時の飴細工の的屋だった。
「いらっしゃい。飴細工はいかがですか?」
頭にタオルを巻いた初老の男性が器用に水飴を伸ばして動物の形を作っている。僕は財布を取り出して、猫の形の飴細工を一つお願いした。
「お、実行委員の兄ちゃんかい。祭りを復活させてくれてありがとよ」
「子供の頃この飴細工、買った事ありますよ。懐かしいです」
飴細工を受け取り、300円を支払う。値段も当時のままだった事が僕の懐かしさをさらに煽った。
猫の飴細工を片手に道を進んでいくと、十二年前の頼りない記憶の為か、知らない道に迷い込んだような感覚に陥る。細く心細い道を恐る恐る進む間にも、満天の星空に次々と花火が舞い、時間は刻一刻と過ぎて行く。
ようやく記憶にある場所にたどり着いた頃には、花火は最後のスターマインを告げる一尺玉が上がっていた。
ひと際大きい夜空の花に照らされて、大きく伸びた影と共に人影のシルエットが浮かぶ。
『君、名前は?』
『あたしは――』
「・・・まさみちゃん?」
僕の呼びかけに、ゆっくりと振り向いた彼女は、大きな瞳を一瞬丸くして、すぐに三角に細めて微笑んだ。
「たかしくん、だよね。久しぶり」
彼女の持つ蝶の飴細工が最後のスターマインの光を浴びてキラキラと輝いて、はばたいたように見えた。
子供の頃の一ページを書こうと思ったら、先の読める展開になってしまいましたね
ただ・・・私も親方と同じく、こういうロマンチックな話、大好きです
usk