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ばあちゃんのポテトサラダ

掲載日:2026/10/18

 みんなの好きな食べ物は何だろう? オレは色々ある。からあげ、ひじきの煮物、豚の角煮。挙げればキリがないほどだ。


 では、思い出に残る料理って言われたら何を挙げる?


 オレは間違いなくポテトサラダを挙げる。


◆◆◆


「ばあちゃーん、腹減った」


 オレは小学校から帰ると、いつも腹をすかせていた。学校で走り回ったせいか、給食が足りなかったのか。理由はわからないが、夕飯前には決まって何かをせびっていた。


「はいはい、ケン坊は仕方ないなぁ……ポテトサラダ食べるで?」


 ばあちゃんはしわに埋もれた目を細めながら、ガラスボウルを持ってやってきた。


 ほくほくと湯気が上がる、出来立てのポテトサラダ。


「またポテトサラダ? 毎日じゃん」


 オレは口を尖らせた。だが、目はポテトサラダの入ったボウルに釘付けだった。


「またって、ケン坊は好きやろ? ポテトサラダ」


 ばあちゃんはボウルをちゃぶ台の上に置くと、食器棚からオレのスプーンと浅い器を取り出した。


「別に……嫌いじゃないけど」


 オレはちゃぶ台の前の座布団に座り、ボウルを手前に引き寄せた。


 ポテトサラダにはまだ熱が残り、湯気が立っていた。ジャガイモの素朴な匂いとマヨネーズの甘い香りが混ざり、鼻の奥をくすぐった。


 匂いを嗅いでいると、ますます腹が減ってきた。


「ケン坊。好きなだけ食べるんよ」


 オレはスプーンでポテトサラダをすくい、器に小さな丘のように盛った。


 じっと見つめ、匂いを嗅いだ。炒めた玉ねぎとベーコンの香ばしい匂いがした。


 オレはさらにスプーンをボウルに差し入れ、小さな丘を山にした


 ばあちゃんの視線を感じたが、無視してポテトサラダを口に運んだ。


 丁寧につぶされて滑らかになったジャガイモが、舌に触れて心地よかった。


 無言で噛み締め、飲み込む。


 一口、また一口と口に運んだ。


 口に広がるジャガイモと玉ねぎの甘み、マヨネーズのほのかな酸味、シャキシャキとしたキュウリの食感、最後に来るベーコンの旨味。


 気づけば平らげていた。


「ケン坊はポテトサラダがほんまに好きやねぇ」


 ばあちゃんの目が、深くなったしわに隠れた。でも、どんな気持ちなのかはよくわかった。


「ばあちゃんのがおいしいからだよ」


 オレは食器とスプーンを手に取り、台所に向かった。


「あらあら、ほんまぁ。嬉しいわぁ」


 ばあちゃんの少し高く、柔らかくなった声が後ろから聞こえた。


 ばあちゃんは少し離れた家から、毎日ご飯を作りに来てくれていた。そのポテトサラダを、オレは何度も食べた。


 小学校高学年の頃のポテトサラダは、とにかくおいしくて、あたたかかった。


◆◆◆


 中学生になり、部活を始めた。弓道部だった。


 朝練が早く、親も仕事で忙しかったので、二年生の頃には自分で弁当を作るようになった。


 その生活が二週間くらい続いたある日、弁当箱に入った卵焼きを箸でつつきながら、物足りなさに気づいた。


(ポテトサラダ食いてぇ……)


 最近、ばあちゃんは忙しいのか家に来なくなった。ポテトサラダもしばらく食べていなかった。


 オレは黙々と弁当を食べ終えると、弓道場の横の芝生に寝そべった。


 視界を遮るものはなく、青空が広がっていた。


(週末、ばあちゃんのとこに行こう)


 オレはその土曜日に、ばあちゃんの家に行った。家から自転車で十分ほど、坂を二つ越えたところにあった。


 チャイムを鳴らすと「はーい」という声が聞こえ、ばあちゃんが腰をかがめてやってきた。


(少しやせた……?)


「ケン坊、めずらしいなぁ。どうしたん?」


 ばあちゃんはオレに気づくと、手をエプロンで拭きながら、目を細めてオレの顔をまじまじと見つめた。


「別に、近く通ったから、たまにはと思って」


 オレは目をそらして口を尖らせた。


「ほんまぁ。でも、ありがとうなぁ。ちょうどポテトサラダ作ってたところなんよ」


 ばあちゃんは頬を緩ませ、目尻を下げると、家の奥に入っていった。


 オレはばあちゃんの後に続き、家に入った。


 台所には、皮をむいたジャガイモが五個ほど置かれ、ニンジン、キュウリ、玉ねぎ、切ったベーコンが並んでいた。


「ケン坊、座ってまっとり。今作るけんな」


 ばあちゃんは袖をまくると、手を洗い始めた。


「ばあちゃん、オレも手伝うよ」


 オレはばあちゃんの隣に立つと、袖をまくり、手を洗った。


「ケン坊、料理できるん?」


 ばあちゃんは目を見開き、ぽかんと口を開けてオレを見上げた。


「毎日弁当作ってるよ。親父も母さんも朝早いから」


 オレは包丁を握り、キュウリを手に取った。


「これ、輪切り、薄めでいい?」


 キュウリのヘタを切り落とした。


 ばあちゃんはオレの手元を確認して、小さくうなずいた。


「ほうやな。輪切りにして、玉ねぎは薄めにスライスしてくれる? ばあちゃんはニンジン切るわ」


 ばあちゃんはオレの隣で、ニンジンの皮をむき始めた。


 オレはキュウリを薄い輪切りにしていった。

 

 しゃっしゃっしゃっという音と、トントントントンという音が重なって響いた。


「ケン坊、包丁うまいなぁ」


 ばあちゃんはニンジンをトントントントンと、いちょう切りにしていった。


「毎日弁当作ってるから」


 オレは同じ言葉を繰り返しながら、玉ねぎに手を伸ばした。上下を切り落とし、バリバリと皮をむいた。


 軽く水洗いして半分に切ると、芯を取り除き、薄くスライスしていった。


 トントントントントントントン。


 二人の包丁の音が重なった。


「ジャガイモとニンジンに火を通すわな」


 ばあちゃんが皿に、切ったジャガイモとニンジンを並べていった。


 ラップをかけて電子レンジに入れ、ボタンを押した。


「ばあちゃん、茹でないの?」


「ほうよ。ばあちゃんは鍋を火にかけたまま、よう忘れてしまうけん。最近は電子レンジでチンしよるんよ」


 ばあちゃんはフライパンを手に取り、油を引いて火にかけた。


 温まったところで、スライスした玉ねぎとベーコンを入れた。


「玉ねぎは焦がさんように、ゆっくり炒めると甘みが出ておいしいんよ」


 ばあちゃんは木べらでジュウジュウと炒めながら、ゆっくりと火を通していった。


 玉ねぎの焼ける甘い匂いと、ベーコンの焼ける香ばしい匂いが広がっていった。


 火を止めてしばらく待つと、電子音が鳴った。


 ばあちゃんは皿を取り出し、ジャガイモに串を刺した。


「ちょうどよさそうやなぁ。味付けしていこうか」


 ばあちゃんは大きなすり鉢を取り出すと、ジャガイモを中に入れ、すりこぎを握った。


「こうやってすりつぶすと食感が滑らかになるんよ。覚えときな」


 ばあちゃんはジャガイモをグニグニ、グリグリとつぶしていった。


「ばあちゃん、代わるよ? 力いるだろ?」


 オレはばあちゃんの肩に手を添えた。


「いいの? 助かるわぁ。ばあちゃん最近、力弱くなったからなぁ」


 オレはばあちゃんと代わって、ジャガイモの形がなくなるまですりつぶした。


 ばあちゃんが準備したガラスボウルにジャガイモを移すと、ニンジンやキュウリ、炒めた玉ねぎとベーコンを入れ、木べらで混ぜ合わせた。


 ばあちゃんがそこに塩、酢、マヨネーズを加え、オレが混ぜてなじませた。


 ふんわりとポテトサラダの香りが広がった。


 指に付いたジャガイモを少しなめてみた。いつものばあちゃんの味とは違った。


「これ、マヨネーズ足りてない?」


 オレは手を止めて、ばあちゃんを見下ろした。


「仕上げの隠し味があるんよ」


 ばあちゃんは砂糖を取り出すと、軽く振りかけた。


 オレはもう一度混ぜ、スプーンで一口食べてみた。いつもの味だった。


「ばあちゃん、これなら作れそう」


 オレは目を輝かせた。


「ほうかぁ。よかったなぁ。今日は一緒に食べような」


 ばあちゃんが食器棚から、スプーンと底の深い器を取り出した。


 オレは器に山盛りにして、ポテトサラダを食べた。


 中学二年生のポテトサラダには、誇らしさが混ざっていた。


◆◆◆


 それからオレは、週に三回はポテトサラダを作った。忙しい朝に作るのは大変だったが、それでも作った。


 ばあちゃんのところには、あの日以来、行っていなかった。


◆◆◆


 高校生になった。二年の夏。弓道場で練習していると、校内放送が聞こえた。


「鈴木健一さん、保護者の方から電話がかかっています。至急、職員室に来てください」


(保護者から? なんだろう)


 オレが職員室に入ると、電話のそばで先生が神妙な面持ちで待っていた。


 先生は無言でオレに受話器を渡した。


「オレだけど」


 電話の向こうは母親だった。ばあちゃんが亡くなったという。


 母親は、ばあちゃんの家に来いと言った。


 受話器を握ったまま、何も言えなかった。


 先生が後ろから何か声をかけたが、聞こえなかった。


 町中を歩き回った。なぜかはわからないが、ばあちゃんの家には行きたくなかった。


 スーパーに立ち寄って、ポテトサラダの材料を買った。


 自宅に帰ると台所に向かい、ポテトサラダを作り始めた。


 しゃっしゃっしゃという、ニンジンの皮をむく音。


 トントントントンという包丁の音。


 バリバリという、玉ねぎの皮をむく音。


 ジュウジュウという、ベーコンの焼ける音。


 ジャガイモの加熱が終わったことを知らせる電子音。


 すべての音が、頭の中に響いた。


 ジャガイモをすり鉢でつぶし、具材を加え、マヨネーズ、塩、酢で味を調えた。


 隠し味の砂糖を入れて、全部を混ぜ合わせた。


 出来上がったポテトサラダをタッパーに詰め、スプーンを持って、オレはばあちゃんのところに向かった。


◆◆◆


 ばあちゃんの家に着いた。


 母親が何かを話しかけてきたが、よく覚えていない。


 ばあちゃんの顔には白い布がかけられていた。布をどけると、穏やかな顔だった。


 オレはばあちゃんの横に座り、ポテトサラダの入ったタッパーを開けた。


「ばあちゃん、ポテトサラダうまくなったよ」


 オレはばあちゃんの横で一口食べた。味がしなかった。


「健一、ポテトサラダ作れるの?」


 母親がオレの背中に手を添えた。


「作れるよ。食べる? ばあちゃんの味」


 オレが差し出したスプーンを、母親は受け取り、一口食べた。


 母親は無言で噛み締め、そのまま涙を流した。


 高校二年生のポテトサラダの味は覚えていない。

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