ばあちゃんのポテトサラダ
みんなの好きな食べ物は何だろう? オレは色々ある。からあげ、ひじきの煮物、豚の角煮。挙げればキリがないほどだ。
では、思い出に残る料理って言われたら何を挙げる?
オレは間違いなくポテトサラダを挙げる。
◆◆◆
「ばあちゃーん、腹減った」
オレは小学校から帰ると、いつも腹をすかせていた。学校で走り回ったせいか、給食が足りなかったのか。理由はわからないが、夕飯前には決まって何かをせびっていた。
「はいはい、ケン坊は仕方ないなぁ……ポテトサラダ食べるで?」
ばあちゃんはしわに埋もれた目を細めながら、ガラスボウルを持ってやってきた。
ほくほくと湯気が上がる、出来立てのポテトサラダ。
「またポテトサラダ? 毎日じゃん」
オレは口を尖らせた。だが、目はポテトサラダの入ったボウルに釘付けだった。
「またって、ケン坊は好きやろ? ポテトサラダ」
ばあちゃんはボウルをちゃぶ台の上に置くと、食器棚からオレのスプーンと浅い器を取り出した。
「別に……嫌いじゃないけど」
オレはちゃぶ台の前の座布団に座り、ボウルを手前に引き寄せた。
ポテトサラダにはまだ熱が残り、湯気が立っていた。ジャガイモの素朴な匂いとマヨネーズの甘い香りが混ざり、鼻の奥をくすぐった。
匂いを嗅いでいると、ますます腹が減ってきた。
「ケン坊。好きなだけ食べるんよ」
オレはスプーンでポテトサラダをすくい、器に小さな丘のように盛った。
じっと見つめ、匂いを嗅いだ。炒めた玉ねぎとベーコンの香ばしい匂いがした。
オレはさらにスプーンをボウルに差し入れ、小さな丘を山にした
ばあちゃんの視線を感じたが、無視してポテトサラダを口に運んだ。
丁寧につぶされて滑らかになったジャガイモが、舌に触れて心地よかった。
無言で噛み締め、飲み込む。
一口、また一口と口に運んだ。
口に広がるジャガイモと玉ねぎの甘み、マヨネーズのほのかな酸味、シャキシャキとしたキュウリの食感、最後に来るベーコンの旨味。
気づけば平らげていた。
「ケン坊はポテトサラダがほんまに好きやねぇ」
ばあちゃんの目が、深くなったしわに隠れた。でも、どんな気持ちなのかはよくわかった。
「ばあちゃんのがおいしいからだよ」
オレは食器とスプーンを手に取り、台所に向かった。
「あらあら、ほんまぁ。嬉しいわぁ」
ばあちゃんの少し高く、柔らかくなった声が後ろから聞こえた。
ばあちゃんは少し離れた家から、毎日ご飯を作りに来てくれていた。そのポテトサラダを、オレは何度も食べた。
小学校高学年の頃のポテトサラダは、とにかくおいしくて、あたたかかった。
◆◆◆
中学生になり、部活を始めた。弓道部だった。
朝練が早く、親も仕事で忙しかったので、二年生の頃には自分で弁当を作るようになった。
その生活が二週間くらい続いたある日、弁当箱に入った卵焼きを箸でつつきながら、物足りなさに気づいた。
(ポテトサラダ食いてぇ……)
最近、ばあちゃんは忙しいのか家に来なくなった。ポテトサラダもしばらく食べていなかった。
オレは黙々と弁当を食べ終えると、弓道場の横の芝生に寝そべった。
視界を遮るものはなく、青空が広がっていた。
(週末、ばあちゃんのとこに行こう)
オレはその土曜日に、ばあちゃんの家に行った。家から自転車で十分ほど、坂を二つ越えたところにあった。
チャイムを鳴らすと「はーい」という声が聞こえ、ばあちゃんが腰をかがめてやってきた。
(少しやせた……?)
「ケン坊、めずらしいなぁ。どうしたん?」
ばあちゃんはオレに気づくと、手をエプロンで拭きながら、目を細めてオレの顔をまじまじと見つめた。
「別に、近く通ったから、たまにはと思って」
オレは目をそらして口を尖らせた。
「ほんまぁ。でも、ありがとうなぁ。ちょうどポテトサラダ作ってたところなんよ」
ばあちゃんは頬を緩ませ、目尻を下げると、家の奥に入っていった。
オレはばあちゃんの後に続き、家に入った。
台所には、皮をむいたジャガイモが五個ほど置かれ、ニンジン、キュウリ、玉ねぎ、切ったベーコンが並んでいた。
「ケン坊、座ってまっとり。今作るけんな」
ばあちゃんは袖をまくると、手を洗い始めた。
「ばあちゃん、オレも手伝うよ」
オレはばあちゃんの隣に立つと、袖をまくり、手を洗った。
「ケン坊、料理できるん?」
ばあちゃんは目を見開き、ぽかんと口を開けてオレを見上げた。
「毎日弁当作ってるよ。親父も母さんも朝早いから」
オレは包丁を握り、キュウリを手に取った。
「これ、輪切り、薄めでいい?」
キュウリのヘタを切り落とした。
ばあちゃんはオレの手元を確認して、小さくうなずいた。
「ほうやな。輪切りにして、玉ねぎは薄めにスライスしてくれる? ばあちゃんはニンジン切るわ」
ばあちゃんはオレの隣で、ニンジンの皮をむき始めた。
オレはキュウリを薄い輪切りにしていった。
しゃっしゃっしゃっという音と、トントントントンという音が重なって響いた。
「ケン坊、包丁うまいなぁ」
ばあちゃんはニンジンをトントントントンと、いちょう切りにしていった。
「毎日弁当作ってるから」
オレは同じ言葉を繰り返しながら、玉ねぎに手を伸ばした。上下を切り落とし、バリバリと皮をむいた。
軽く水洗いして半分に切ると、芯を取り除き、薄くスライスしていった。
トントントントントントントン。
二人の包丁の音が重なった。
「ジャガイモとニンジンに火を通すわな」
ばあちゃんが皿に、切ったジャガイモとニンジンを並べていった。
ラップをかけて電子レンジに入れ、ボタンを押した。
「ばあちゃん、茹でないの?」
「ほうよ。ばあちゃんは鍋を火にかけたまま、よう忘れてしまうけん。最近は電子レンジでチンしよるんよ」
ばあちゃんはフライパンを手に取り、油を引いて火にかけた。
温まったところで、スライスした玉ねぎとベーコンを入れた。
「玉ねぎは焦がさんように、ゆっくり炒めると甘みが出ておいしいんよ」
ばあちゃんは木べらでジュウジュウと炒めながら、ゆっくりと火を通していった。
玉ねぎの焼ける甘い匂いと、ベーコンの焼ける香ばしい匂いが広がっていった。
火を止めてしばらく待つと、電子音が鳴った。
ばあちゃんは皿を取り出し、ジャガイモに串を刺した。
「ちょうどよさそうやなぁ。味付けしていこうか」
ばあちゃんは大きなすり鉢を取り出すと、ジャガイモを中に入れ、すりこぎを握った。
「こうやってすりつぶすと食感が滑らかになるんよ。覚えときな」
ばあちゃんはジャガイモをグニグニ、グリグリとつぶしていった。
「ばあちゃん、代わるよ? 力いるだろ?」
オレはばあちゃんの肩に手を添えた。
「いいの? 助かるわぁ。ばあちゃん最近、力弱くなったからなぁ」
オレはばあちゃんと代わって、ジャガイモの形がなくなるまですりつぶした。
ばあちゃんが準備したガラスボウルにジャガイモを移すと、ニンジンやキュウリ、炒めた玉ねぎとベーコンを入れ、木べらで混ぜ合わせた。
ばあちゃんがそこに塩、酢、マヨネーズを加え、オレが混ぜてなじませた。
ふんわりとポテトサラダの香りが広がった。
指に付いたジャガイモを少しなめてみた。いつものばあちゃんの味とは違った。
「これ、マヨネーズ足りてない?」
オレは手を止めて、ばあちゃんを見下ろした。
「仕上げの隠し味があるんよ」
ばあちゃんは砂糖を取り出すと、軽く振りかけた。
オレはもう一度混ぜ、スプーンで一口食べてみた。いつもの味だった。
「ばあちゃん、これなら作れそう」
オレは目を輝かせた。
「ほうかぁ。よかったなぁ。今日は一緒に食べような」
ばあちゃんが食器棚から、スプーンと底の深い器を取り出した。
オレは器に山盛りにして、ポテトサラダを食べた。
中学二年生のポテトサラダには、誇らしさが混ざっていた。
◆◆◆
それからオレは、週に三回はポテトサラダを作った。忙しい朝に作るのは大変だったが、それでも作った。
ばあちゃんのところには、あの日以来、行っていなかった。
◆◆◆
高校生になった。二年の夏。弓道場で練習していると、校内放送が聞こえた。
「鈴木健一さん、保護者の方から電話がかかっています。至急、職員室に来てください」
(保護者から? なんだろう)
オレが職員室に入ると、電話のそばで先生が神妙な面持ちで待っていた。
先生は無言でオレに受話器を渡した。
「オレだけど」
電話の向こうは母親だった。ばあちゃんが亡くなったという。
母親は、ばあちゃんの家に来いと言った。
受話器を握ったまま、何も言えなかった。
先生が後ろから何か声をかけたが、聞こえなかった。
町中を歩き回った。なぜかはわからないが、ばあちゃんの家には行きたくなかった。
スーパーに立ち寄って、ポテトサラダの材料を買った。
自宅に帰ると台所に向かい、ポテトサラダを作り始めた。
しゃっしゃっしゃという、ニンジンの皮をむく音。
トントントントンという包丁の音。
バリバリという、玉ねぎの皮をむく音。
ジュウジュウという、ベーコンの焼ける音。
ジャガイモの加熱が終わったことを知らせる電子音。
すべての音が、頭の中に響いた。
ジャガイモをすり鉢でつぶし、具材を加え、マヨネーズ、塩、酢で味を調えた。
隠し味の砂糖を入れて、全部を混ぜ合わせた。
出来上がったポテトサラダをタッパーに詰め、スプーンを持って、オレはばあちゃんのところに向かった。
◆◆◆
ばあちゃんの家に着いた。
母親が何かを話しかけてきたが、よく覚えていない。
ばあちゃんの顔には白い布がかけられていた。布をどけると、穏やかな顔だった。
オレはばあちゃんの横に座り、ポテトサラダの入ったタッパーを開けた。
「ばあちゃん、ポテトサラダうまくなったよ」
オレはばあちゃんの横で一口食べた。味がしなかった。
「健一、ポテトサラダ作れるの?」
母親がオレの背中に手を添えた。
「作れるよ。食べる? ばあちゃんの味」
オレが差し出したスプーンを、母親は受け取り、一口食べた。
母親は無言で噛み締め、そのまま涙を流した。
高校二年生のポテトサラダの味は覚えていない。




