打ち付ける
ーーもう限界だ。
誰も私を助けてくれない。
誰も頼りにならない。
ーーどうして私がこんな目に。
私は生きていちゃいけないのか。
ただ存在しているだけで好奇の目で見られ言い寄られる。
怖い。怖い。怖い。
いまや近づくもの全てが恐怖の対象になってしまった。
もう疲れた。
この世界に人間がいる限り、私はこんな思いをし続けなければならない。
ならいっそ……。
ーー許さない。許さない。
一生恨み続けてやる。
お前が来れない場所で、近づけない場所で、ずっとずっとお前を苦しめ続けてやる。
人を殺す勇気のない私の、臆病で弱い私の、これが最大限の復讐だ。
ーー地獄へ落ちろ。
*
「気味悪いよ、もう帰ろうよ」
「いいじゃんたまには非日常を楽しもうぜ」
孝之のこういう所が嫌いだった。自分の感覚が全てと言わんばかりに人の気持ちを考えずに自分のやりたいことに巻き込む。私が明らかに嫌がっていても孝之には伝わらない。うんざりしている私の顔も、彼のフィルターでは大はしゃぎしているようにしか映っていない。
どうしてこんな奴と。
そう思いながらもう一年も付き合って別れられない自分も嫌になる。空気の読めない自己中男の何がいいのか。嫌いなところは山ほどあるのに、とにかくどタイプの顔面と時折見せる優しさというまるで釣り合っていない飴と鞭だけで続いている関係だった。
「ここさ、マジで出るんだって。マジの幽霊見たいだろ?」
「見たくないよそんなの」
「またまたぁー。本当はそういうの好きなんだろ? 見てりゃ分かるって」
一体彼は私の何を見ているのか。散々ホラーは嫌いだし苦手だと言ってるのにいまだにホラー映画の道連れにされる。彼の目と耳は正常なのだろうか。脳の決めつけというだけでここまで人の情報を遮断し制限してしまえるものなのだろうか。毎度呆れながらも感心する。
「首吊り自殺があったらしくてさ、いかにもって感じだろ」
「どこでそんな話聞いたのよ」
「ネットに決まってるだろ。メジャーな心霊スポットはどこも遠いからさ、近場でないかなって調べたら出てきたんだよ。まぁかなり口コミも情報も少ないんだけど」
何が決まっているのかは知らないが、それを聞いて少しほっとした。有名な心スポと違ってかなり信頼も信憑性も薄いのであればガセネタの可能性の方が高い。むしろその程度の情報でよく飛びついたものだ。とはいえ、木々が並ぶ暗い場所を進むのは単純に気味が悪いので早く帰りたいことに変わりはない。
「あ、信じてねぇだろ? 言っとくけど首吊り自体はマジだからな。さすがに俺もそこは調べたから。じゃなきゃ来ねぇって。信用できないなら調べてくれ」
「いいよ。知りたくない」
「映画のオチは知りたくないってタイプか。やっぱり楽しんでるじゃん」
どうしてそんな解釈になるのか全く意味が分からない。ただひとつ、首吊り自殺が本当にあったということについてはかなり私の恐怖心を増幅させた。残念な彼ではあるが嘘はつかないというのが数少ない彼の良いところだ。それがこんなところで効いてくるのはとんだ皮肉だが。
「ん?」
ふいに孝之が立ち止まった。
「何か、聞こえねぇか?」
「え、やめてよ」
「いやマジだって。あっちの方」
「何にも聞こえないよやめなよ」
私の制止を当然聞かず、孝之は音がするという方向に向かって歩き始めた。
木々のざわめき以外で言えば、確かに何か断続的な音が聞こえないこともないが私にはよく分からないしそんなものどうでもいい。
ーー早く帰りたい。
そう思いながら私は免許を持っていない。近場とはいえここから家に帰るには彼の車で一時間はかかる。帰るには彼も一緒でないといけない。
ーー別れた方がいいよなぁ……。
何度も浮かんでは消えた問答がまた私の頭に浮かび上がっていた。
*
「理香子、理香子」
鬱蒼とした暗い木々の中、僕は彼女の名を呼びながら何度も何度も打ち付けた。
「そうだ。僕達はずっとーー」
何度も何度も。その度僕の中の身体中の血液と感情が大きく揺さぶられ昂った。
「逃がさない。逃がさないからね」
湧き上がり寄せては返す熱情の波に僕は身を委ねる。
ーー終わらせないよ。僕達は永遠だ。
そして今日もまた僕は打ち付け続ける。
彼女を逃がさない為に。
*
「多分このあたりだと思うんだけどなぁ」
木々に囲まれながらゆっくりと音の出どころを探る孝之に、もはや私は黙ってついていくしかなかった。いくら止めても無駄だ。さっさと納得して飽きてもらうしかない。そうやってしばらく探索を続けていると、孝之が一つの木の前で止まった。
「うわ、やば」
言いながら彼は口を手で押さえた。ホラー映画でまったく怖がることのない彼が、珍しく本当に何かに恐怖を感じているようだった。
見ない方がいい。そう言ってくれれば良かったのに、彼が黙ったままのせいで私は興味本位でついその木を見てしまった。
その木は他と違って無数の傷が付けられていた。しかしよく見るとその傷全てが刻みつけられた文字だった。
【死ね】
【気持ち悪い】
【ストーカー】
【キモイ】
【地獄へ落ちろ】
シンプルで分かりやすいものから読み取れない文字まで、溢れんばかりの蓄積された呪いの言葉が刻み込まれていた。
「なんだこれ」
孝之がさらに木の方へと近づいた。そして少し腰を屈め、とある一点を見つめる。嫌だと思いながら磁力に引き寄せられるように私も木に近寄った。
孝之の見ている先にあったのは荒々しく掘られた小さな穴だった。指が二、三本入る程度の穴を孝之は凝視している。見ると穴からは何か液体らしきものが垂れているのが見えた。
「なに、どうしたーー」
私が言いかけたところで急に孝之が無言で来た道を走り出した。
逃げた。一つ遅れてその事に気づき、全力疾走で逃げる孝之の背を必死で追いかけた。
そして走りながら、私は固く決心した。
ーーやっぱ別れよ。
躊躇なく彼女を置いて逃げる男にもう用はない。
*
走り去っていく男女を見送り僕はほっと一息ついた。
危ないところだった。見つかっていたら何をされるか分からない。警察なんて呼ばれたらおしまいだ。
理香子に通報され、接近禁止命令を出されても僕は彼女から離れなかった。
当たり前だ。心から愛し求めているのに何故引き剥がされなければならないのか。
しかし、結果として僕は彼女に受け入れられなかった。逃げることに疲れ絶望した彼女は、木にくくったロープで首を吊って死んだ。
どう見ても自殺だったが、直前まで残されていた着信履歴と彼女への前科もあって僕は彼女が死んだ場所に連れてこられた。
彼女が最後の場所として選んだ木には、彼女の心からの気持ちがびっしりと刻み込まれていた。
ーーこんなにも僕のことを。
好き。嫌い。愛、憎い。
感情の形はなんでもいい。とにかく彼女が僕に対して強い気持ちを向けてくれていることに心と下腹部が熱くなるのを感じた。
ただ一つ、彼女が死を選んだことだけは許せなかった。
あまりに安直で狡くて卑怯だ。僕の触れられない場所から僕を恨み呪うだなんてフェアじゃない。僕は君に一生触れられなかったとしても、絶望することなく追いかけ続けた。簡単に死という逃げ道を選んだことだけにはひどくがっかりした。
僕は追いかける相手を失った。燃え尽き症候群のような無力感に苛まれながら、それでも僕には彼女しかいなかった。
何故彼女なのか。街で一目見た時に一瞬で心を奪われた。ただそれだけだ。だからこそだった。今まで誰かを好きになったり恋をしたりなんてまるでなかった人生において、まさにそれは雷が直撃したぐらいの衝撃だった。
恋や愛に理由はいらない。ただ想うだけだ。
その想いは消えずに残り続けた。そして自分の傷を癒すかのように僕は彼女が死んだ木を訪れた。そこには彼女が刻んだ僕へのメッセージが残されたままだった。
それを見て僕は泣いた。
彼女はいないが彼女の想いにはここに来れば触れられる。そして僕は毎日のように彼女のもとへ通い続けた。そこで僕は信じられないものを見た。
彼女の顔が木の幹に浮かび上がっていた。
今まで気付かなかったが、木の肌に不自然なほど彼女の人相がまるで彫ったかのように現れていたのだ。その形相は鬼のように激しく僕の顔を睨みつけていた。
失われたと思っていた激情が一気に押し寄せてきた。
比喩ではなく、本当に身体が破裂し爆散しかねない程の感情の爆発だった。
理香子が欲しい。
理香子が欲しい。
理香子が欲しい。
理香子が欲しい。
生前触れることのできなかった彼女が、今目の前にいる。
気付けば僕は地面を漁り、尖った石を見つけ木に向かって振りかぶった。打ち付ける度にごずごずと木の幹が崩れ無我夢中で先端をぶつけながら木を抉り続けた。やがてそこに小さな穴が空いた。
「理香子」
乱れた息を吐きながら、僕は自分のベルトに手をかけた。




