婚約破棄された監査官は、王国の終わりを記録する
王都の大広間は、祝宴の装いに満ちていた。
煌びやかなシャンデリア、貴族たちの笑い声、そして中央に立つ王太子。
その隣に、私は立っていた。
「本日をもって、エレノア・グランディスとの婚約を破棄する!」
場が凍りついた。
だが、私は驚かなかった。
予想していたからだ。
「理由は明白だ。彼女は王家に相応しからぬ“金勘定の女”であり、王国の威厳を損なう存在だからだ!」
くすくすと笑いが漏れる。
そうだろう。私は華やかな令嬢ではない。
王国財務監査局――その筆頭監査官。
貴族の不正を洗い、税収の流れを管理し、国家の金の流れを守る役職。
王太子の婚約者としては、あまりに地味で、そして都合が悪い。
「……以上ですか、殿下」
私は静かに問うた。
「まだあるのか?」
「いえ。確認です。では、正式に婚約は破棄ということで」
「ああ。その通りだ」
彼は満足げに頷いた。
その隣には、新たな婚約者――公爵令嬢リリアナが寄り添っている。
華やかで、愛らしく、誰からも好かれる女性。
そして――私がこれまで何度も「不正の疑いあり」と報告していた家の娘。
「では、私は職務規定に従い、王都を離れます」
「好きにしろ。地方の帳簿でも眺めていればいい」
嘲笑が広がる。
私は一礼し、背を向けた。
――これでいい。
私は、ようやく“自由”になったのだから。
◆
王都を出て三日後。
私は馬車の中で、分厚い書類の束をめくっていた。
内容は単純だ。
・貴族の横領
・軍需費の不自然な増加
・税収と支出の乖離
・そして、王太子直属の予算枠の急拡大
すべて、私がこれまで報告してきたものだ。
だが、そのほとんどが「保留」あるいは「却下」とされた。
理由は簡単。
「王太子の意向に反するから」
私は監査官として優秀だった。
だからこそ、王太子にとって“邪魔”だった。
婚約は、元々政略だ。
私の父は元財務大臣。
その実績を買われ、私は王家の金を守る“盾”として婚約者に選ばれた。
だが、父が病で倒れ、後ろ盾を失った時点で――私の価値は変わった。
「……いえ、違いますね」
私は小さく呟く。
価値がなくなったのではない。
“価値がありすぎた”のだ。
◆
一ヶ月後。
地方都市アルヴェル。
私はここで、地方監査官として再任された。
名目上は降格。
だが実態は――中央からの排除。
「お嬢様、本当にこれでよろしかったのですか?」
付き従う侍女が心配そうに言う。
「ええ。むしろ好都合よ」
私は窓の外を見た。
穏やかな街並み。
だが、その裏では――すでに歪みが始まっている。
「中央の監査が止まれば、どうなると思う?」
「……不正が、増えます」
「いいえ。“表に出る”の」
不正は、もともと存在していた。
私はそれを抑え込んでいただけ。
それを止めれば――どうなるか。
◆
半年後。
王都から報せが届いた。
――国庫金の不足。
最初は小さな問題だった。
だが、次第に規模は拡大していく。
・軍への支払い遅延
・地方への補助金停止
・市場での信用低下
私は淡々と記録した。
「やはり、こうなりましたか」
◆
さらに三ヶ月後。
――反乱発生。
地方貴族が、中央の統治能力低下を理由に独立を宣言。
軍は動けない。
金がないからだ。
私は報告書を閉じた。
「遅すぎましたね」
◆
その頃、王都では。
「なぜだ!なぜこんなことになっている!」
王太子が叫んでいた。
「殿下、財務管理が崩壊しております!帳簿が合わず、支出の追跡も不可能で――」
「そんなはずはない!前任の監査官は何をしていた!」
沈黙。
誰もが分かっていた。
その“前任”を追放したのは――あなた自身だと。
◆
一年後。
王国は事実上、分裂した。
中央政府は機能停止。
各地で独立政権が誕生し、王都の権威は失われた。
私は地方の一室で、静かに紅茶を飲んでいた。
「お嬢様……これで、本当によかったのですか?」
侍女が問う。
私は少し考え、答えた。
「私は、ただ職務を果たしていただけよ」
守るべきものを守り、
警告すべきことを警告し、
そして――排除された。
それだけの話だ。
「ただ一つ言えることがあるとすれば」
私は窓の外を見た。
穏やかな街。
人々の生活。
ここにはまだ、秩序がある。
「国は、剣や王冠で支えられているのではない」
静かに、言葉を紡ぐ。
「“信頼”で支えられているの」
それを壊した瞬間、
どれほどの力を持っていようと――崩れる。
◆
後に歴史家は、この一連の出来事をこう記した。
――「一人の監査官を失ったことで、王国は崩壊した」と。
だが、私はそうは思わない。
崩壊は、もっと前から始まっていた。
ただ、
それを止める最後の歯車が――外れただけだ。
(了)




