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《アルマ》─観測者が見る夢─  作者: 無欄句カルタ
天命

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第四節 ダニの死骸の匂い


 温かい日差しが指揮し、木々が踊り風が歌う。

まるで世界が、優しさの集合体だと錯覚してしまう──

だからこそ、ふとした冷たさに心が割れそうになる。

黒い外套が腰を下ろしてから、半刻はんときほど。

男は自身の《ペナテス》と会話を続けている。

まるでこの森が、息を呑み、彼女の静けさを見守ってくれているかのように──男は、干渉してこない。

遠くから聞こえる声もほとんど消えた。


「あの……」


 ルナシアはようやく──と言うには短すぎる時間だったが、それでも、か細い声を絞り出した。その声は草木の歌に紛れそうなほど儚い。


「早かったな。あまり無理はするな、退屈はしていない」


 消え入りそうな声を、確かに受け取った外套は優しさをもって返す。低く凪いだ、温かい声。


「大丈夫。さっきは、その……ありがとう」

「気にするな。私としては良い縁に出会えて幸運だった。昨今、声に出して感謝を述べれる若者は少ないからな。君は立派だ」


 ルナシアとしては酷く文句を言われこそすれ、褒められるとは思っていなかったため、少し照れ臭かった。

「軽度の心拍の上昇を確認。無理はしない方がいい、ルナシア」


 この半刻ほど、ルナシアの隣でジッと空を眺め続けていたオルドが久しぶりの声を発する。褒められた喜びと、くすぐったいような照れで跳ねた鼓動を、オルドはまだ区別できない。


「ふっ、それはな、《ペナテス》。喜びや気恥ずかしさ、というものだ。人は負の感情だけではなく、正の感情でもまた心を踊らすものだ」


 外套の男は肩で軽く笑いつつも、まだ振り向きはしない。

決して自分からは相手の領域に侵入しない、温かな距離。この世界の太陽と同じ温度を、背中から感じる。

自身の心境を見抜かれ、ルナシアはまた少し熱くなる。先程まではなかった血の温かみを感じた。


「あ、えっと……ルナシア、です」


 誤魔化すように名を明かす。途切れ途切れではあるが、一生懸命に言葉を紡ぐ。彼の優しさに応えるように。

垂れ下がっていた尻尾も、いつの間にかふたたび風に乗って揺れていた。


「ロギアだ。敬語は必要ない」


 この世界では自身の視界に他の人物の名前は表示されない。先程のキノコ頭もそうだが、互いが名乗らない限り、相手の名を知る術はない。この世界の友好もまた、名乗ることから始まる。

ルナシアの名乗りを以て問題ないと判断したのか、ロギアと名乗った男性は姿勢を正し振り返る。体の向きを変えただけで、距離は変えない。

淡い水色の髪の毛が、風に揺れた。


「あの、えっと……」


言葉が、出てこない。圧倒的なまでの対人関係における経験値不足。


「お、お仕事は、何を……」


 世の中の初対面の人たちは一体何を話しているのだろうか。脳に膨大な知識が詰まっているであろうオルドは会話に入ってこない。視界の端で捉えたオルドは、「正の感情……」と言葉を反復している。


「フッ、無理をするな。慣れていないんだろう? 質問に答える形になるが、これでも教職に就いている。君のような生徒も見てきた。ゆっくり、一つずつ、だ」


 そう言うロギアの言葉も、ゆっくりだった。緊張するルナシアを導くように。


「《綴枝つづりえだいおり》に行くんだろう?」


 こくり、と頷く。それが背伸びをしない、ルナシアの精一杯。


「他のプレイヤーは近くにいるか?」


 今度はふるふると首を横に振る。


「よし、ではそこまで一緒に行こう。まだ怖いだろう。まずはそこまで、一緒に行く。それが私と君の一つ目だ」


 道中を、二人で歩く。ロギアの《ペナテス》は、今はオルドの肩に乗っている。

葉擦はずれの音が心地良かった。互いの間に言葉こそないが、それが苦にならない。

太陽が指揮する自然の讃美歌。その先に、二人も加わったような、それが当たり前であるような感覚。


「獣人系の種族は、他の種族より感覚機能が優れているとコギト、私の《ペナテス》が言っていた。君のは生来の感覚もあるのだろうが、この距離で他のプレイヤーの有無が把握できるのは流石だな」


 ロギアは並んで歩くというよりも、ほんの僅かに離れた距離にいる。自身の安全が確保された絶妙な距離感が、ルナシアを安心させる。


「良いことばかりじゃ、ない、けどね……」


 会話はまだぎこちないが、それをうまくロギアが導いていた。教職故、だろうか。物理的にもそうだが、精神的な距離感が巧みに思える。


「そうだな。君の感性はおそらく私が今まで出会った誰よりも鋭く見える。うまく付き合っていくのは、非常に難しいだろう」


 出会った大人は皆、口を揃えて言う。

それは君の武器なんだ。

上手く付き合っていくしかない。

みんな折り合いをつけているんだ。


「香りを持ち歩くといい。香水やアロマの人工的な香りはきついだろうから、何か部屋にあるハンカチなどで十分だろう。嗅覚は脳の感情を司る部位に直接的に影響されるそうだ。馴染んだ香りが、君を現実に繋ぎ止めてくれる」


ロギアは、抽象的な言葉でルナシアをなだめようとはしなかった。無責任な言葉でルナシアを刺してこない。


 少し間を置いてから、再び声が落ちてきた。


「無理に人を頼らなくても構わない。頼れる人がいるに越したことはないけどね。今はネットで誰でも簡単に情報を得られる。散在する文字列は苦手だろうが、無理に人と関わるよりは、な」


 風の歌に混ざる彼の声は、不思議と心に落ちた。刺さりもしない、裂きもしない。ただ、心に落ちて留まる。


「昔の教え子が、いつもハンカチを持っていてね。よくその匂いを嗅いでいたよ。思えばあの子も、君と同じだった」


 ()()()()()

私と同じだったその子は、世界と打ち解けられただろうか。それとも──。


「世界は、怖いかい?」


 投げ掛ける言葉に、意図的に問い掛けを混ぜる。ルナシアに、言葉の経験値を与える。


「怖かった、と思う。でも、綺麗なものも、あったよ。……たとえば、干した毛布の匂い。ずっと『死んだダニの死骸の匂い』って言われてたけど、私は……それが好きだった」


 ロギアがそこで立ち止まる。自分の返答が、何か彼の不興を買ったかと心配になり振り返る。足元に、一匹の────リス。

そのリスの下顎を、愛おしそうに指で撫でる。慈しむように、小さなリスを愛撫する。この世界の風が、彼女の髪を撫でるように。草花が彼女を包んだように。リスも気持ちよさそうに身を委ねている。


「好きなの? リス」


 ルナシアが声を掛けると、リスは木々の隙間へと消えてしまう。なんだか申し訳なく、思ってしまった。

「いや、初めて見たな、と。すまない、足を止めてしまったな。死んだダニの死骸の匂い、か。私もその話を聞いて少し落ち込んでしまったな」


 そう笑って立ち上がったロギアと二人、また森を歩く。

《サルタス・ウェニア》第一層、西の果て。

草木の葉が折り重なり、まだ誰の足跡もついていない石畳を抜けた先。小高い丘のくぼ地に、ぽつりと建っていた。


 《綴枝つづりえだいおり》。

曲がった枝を綴るようにして組まれた、低く素朴な庵。屋根には苔が茂り、外壁を伝うように淡い藤の花が揺れていた。

感覚として把握できていたが、そこに他のプレイヤーがいないことを自身の視覚で改めて確認して胸を撫でる。


「他に人はいないようだな。さあ、今のうちに」


 促されるまま、ルナシアは藤の花で囲まれた庵に近づく。見えてきた内装は至ってシンプルで、壁に多様な武器たちが飾られている。中央には棚が置かれているが、そこには何もない。あのキノコ頭が持っていた大剣も、その中にはあった。


「ふむ、ここで間違いないようだな」


 壁の武器を確認してロギアが呟く。

その言葉が、彼の独り言か自分に向けられたものか、判断出来ないルナシアの代わりに《ペナテス》たちが返事をした。


「是。ここが《綴枝の庵》だ」

「武器は象徴だ。あのキノコ頭みてーに見栄張って選ばず、自分の“魂”に従って選ぶことを勧めするぜ」

「魂って……」


 そんなことを言われても、ルナシアに分かるはずがない。そう思った時、どこからか懐かしい感覚がした。


「死んだ、ダニの死骸の匂い……?」


 大好きだった、干したての毛布の匂い。使い古して毛羽立っていて、間抜けな顔の犬柄の毛布。


「落ち込んだ後に、自分で調べてみてね」


 一緒に庵に入っていたロギアは、いつの間にか刀身の細い直剣を手に持っていた。


「どうやら死んだダニの死骸の匂いというのは正確ではなく、本当は日の光に当たった香り成分が変化した匂いなんだそうだよ」


 その細剣に決めたのか、ロギアはそのまま腰に携える。


「探してごらん。その匂いは、どこからする?」


心に留まる不思議な声色が、ルナシアを導く。何もない木の棚。ルナシアの嗅覚は、確かにそこから匂いを感じていた。


「何も、ないけど……」


 どれだけ見つめても、そこには何もない。ただの、木の棚。あの安心は、ここにあるのに。


「思い出してルナシア。その香りを、もっと鮮明に」


 いつの間にか隣にいたオルドが、ルナシアの手を何もない虚空へと導く。


「その香りは、君に何を与えてくれた?」


 嫌なことがあった日も、雷の大きな音が怖かった日も、あの毛布に包まっていると不思議と眠りに落ちていくことが出来た、安心の匂い。いつも学校に行っている間、両親が干していてくれた。そういえばもう、暫く会っていない。

学校が休みの日は、意味もなくベランダに毛布と並び空を見ていた。どんなに眩しくても、目に突き刺さる光が、それでも綺麗だった。

朝露の瑞々しい香りが、鼻腔をくすぐっていた。風が、鳥が、歌を歌っていた。


「みっちゃん、元気かな」


ベランダの向こう側から、お母さんに連れられアイスを買いに行くんだと嬉しそうに報告してくれた同級生。讃美歌などなくても、許されるまでもなく、ただそこに在ることを許されていた頃。

世界は間違いなく────美しかった。

虚空にあったはずの手が、何かを掴む。

それは温かな、あの頃感じていた感覚。


「引き抜いて、それは君の敵じゃないはずだ」


 大好きだったお日様の匂いが、一段と深くなる。ダニの死骸なんかじゃない、本物の太陽の香り。

歳を重ね、現実とすれ違い、擦れ合い、痛みが増した。けれどあの日々は────。


「あの日々は、私の味方だった」


 ルナシアの手が、光を掴む。掴んだ瞬間、掌が震えた。

木綿もめんの感触も、日差しの温度も、そのままに────。

あの毛布が、刃になったのだと、ルナシアは思った。


「おめでとうルナシア。君は今確かに、現実に刃を突き立てた。それはその、第一歩だよ」


 海の奥の幾何学模様が、深淵を覗き込むようにルナシアを見つめる。それは機械的ではあったが、今までで一番温かい眼差しだった。

手にした刀につばはなく、さやは飾り気のない白鞘しらさや。そこから仄かに太陽が香る。


「頑張ったじゃないか。ここで君と知り合った者として、私は君を誇りに思うよ」


 ロギアは優しく笑っていた。相変わらず一定の距離を保ってはいるが、出会ってから一番近くにいるような気がする。

ルナシアもぎこちない笑みを溢し、お互いそれ以降、言葉もなく、少し時間を置いてから庵を出る。


「あの、ありがとう。着いてきてくれて……きちんと、私を見てくれて……」

「袖振り合うも、だ」


 そう言ってロギアは少し体を伸ばす。やはり、無理をさせてしまっただろうかと顔を曇らせたルナシアにロギアが提案する。

「フレンドにならないか」と。


「コギトによると、《ペナテス》を通してフレンド登録が出来るらしい。何かあった時、連絡が取れたら便利だろう」


 それは、初めてロギアが踏み込んだ瞬間だった。一歩。とても大きな、一歩。


「難しく考える必要はない。君の気が向いた時、困った時、知らせてくれれば、それでいいんだ。何かあった時、頼れる人間がいるに越したことはない」


 私はその選択肢の一つだ、とロギアは続けた。


「よろしくお願いします」


 ルナシアの言葉も、滑るように出た。そのことに、ルナシア自身が一番驚いている。


「コギト、頼む」


 あいよう、と肩から降りた小さな狼が軽快に返事をする。灰白の狼は、静かに姿を変える。

オルドより少し大きく、ルナシアと同じくらいの目線の高さ。口調から離れた可憐な風貌。


「オルド、だったか? やり方は分かんだろ?」


 長い灰白の髪は風に舞い、カカっと八重歯を出して軽快に笑う。腕を組み自信たっぷりに張った胸に微かな膨らみがある。オルドと違い、明確な性別があるらしい。


「是。No.1001《オルド》が《友好の契り》の申請を行う」

「No.331《コギト》が申請を許諾するぜぃ」


 申請と許諾。この二つが終わるが、特に実感するような変化はない。


「ま、形式上必要ってだけで特別体感するようなことはねえよ。オレたちを通じてメッセージのやり取りが出来るくらいさ」


 カカッとまた軽快に笑い、次の瞬間には小さな狼の姿に戻る。


「最初に言ったな、一つずつだと。だが君は、ここに来るだけでなく、見知らぬ他人と会話し、友達を一人作った。三つ同時にやり遂げたんだ。だから、私は君を誇ろう。例え君が自分を誇れなくとも」


 そう言ってロギアは背を向けて歩き始める。


「私は……! 私は、一緒だから来れたよ。だから、私は、私をここまで連れてきてくれた貴方こそを誇りに思う、ロギア」


 その声は決して大きくはないけれど。今まで彼が聞いた彼女の声の中で一番大きく、力強い言葉。

振り返ったロギアの顔は少し驚きの表情を浮かべていた。


「ありがとう、ルナシア。もし君が今夜、夢を見るのなら。それは温かで太陽の匂いに包まれた夢でありますように」


 それはダニが死んだ匂いなんかではなく。確かな温かい香り。

その僅かな残滓が、ルナシアの手に握られていた

前話で出てきたキノコ頭は私がゲームで出会った実在する人をモデルにしています。

この世界と違いアバターと性別は必ずしも一致しないのに、本当にいるんですよねこういう人。

トラック運転手だから会いに行けるよとしつこく住所を聞かれて、誤魔化していると気づけば私はオランダに住んでいることになってました。

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