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《アルマ》─観測者が見る夢─  作者: 無欄句カルタ
疾走

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第二十六節 芽が土を割る音

「待って、ここから先十メートルくらい? にデカいのがいる。多分あいつだと思う」


 沼地エリアまで再び歩みを進めたルナシアが、ドルスを制止した。ドルスの背には瞳を開けたまま微動だにしないオルド。その瞳から幾何学模様は消え、深い海の色だけが残されている。静寂の底に沈めたような、深い青。


「オルド、起きないね」

「雑魚は戦闘のうちに入らんってことやろな」


 ここまでたどり着くまで、幾度かの戦闘を経てきた。それでも──「戦闘開始とともに起動する」と言い残したオルドは、まだ目を覚まさない。その間の戦闘は、すべてルナシアが担っていた。急所破壊という高いPS(プレイヤースキル)を遺憾なく発揮し、危なげなく終えている。


 沼地エリアにはすでに深い霧が立ち込め、少しでも離れればドルスの輪郭はぼやけて見える。音を吸収するという性質も併せ持つここの霧は、凡庸な感覚器官しか擁さないドルスの行動を大きく制限する。世界が綿で詰められていくような、静けさだった。


「オルド、オルド起きい。戦闘や……アカン起きんでこいつ。しゃーない、少し離れたとこに避難させてから作戦実行や」


 大きな戦闘を前にしても、オルドの海に幾何学模様が浮かび上がることはなかった。少し離れた岩陰にオルドを座らせる。人間であれば魂が抜けたように、と表現されるこの状態をどう定義するべきかルナシアにはわからない。本人の言う通りスリープと呼ぶべきか、或いはやはり、魂が抜けた、と表すべきなのか。最近のオルドは、変わらず機械的で、しかし温度も持ち合わせていた。以前感じた、冬の日差しのような主張しない温もり。そこに春は、芽吹くだろうか。


「はな、行くでルナシアちゃん。気づかれる前に一手でも多く仕掛ける。オルドはここにおったら今んとこは大丈夫やろ」


「うん」と短く返事をして、後ろ髪を引かれる思いでオルドから離れる。思えば初めてのことではなかろうか。この世界に来て、オルド不在の時間というのは。常に傍らにいて助言を授け、自身の同行に拒否権を許さない存在。その不在は、想像よりも大きい。


 それでも────


「待っててね、オルド」


 歩みを止めることを、オルドは許さないだろう。今までもずっとルナシアを前へ進ませるために言葉を紡いできた観測者。ならば、ここで止まることは許されない。


「悪いけど俺は先生みたく上手にサポートしてやれる自信はない。いざとなったら────?」

「逃げていい、だよね」


 オルドもロギアもいない。不安は消えない。それでも、緊張は不思議となかった。逃げることが許されている。その事実はルナシアの心を軽くする。


「逃走は私の十八番だから」


 ルナシアは走り出す。天狐族(てんこぞく)の足は、ルナシアの逃走は、誰よりも速い。


 小山のように鎮座し獲物を待っていた巨大蛙、その眼前でルナシアは鞘から抜いた刀を深く地面に突き立てる。


「《斬域制御(ざんいきせいぎょ)》」


 柔らかくぬかるんだ地面を刃が突き進み、水分の少ない硬い層へ。止まることなく伸び続ける刃は次第に威力を減衰させ、地面を押し進む力だけを残す。そうして地中で進行を止めた刃は、その反動をそのまま押し返すように──ルナシアの体を宙へと持ち上げる。


 持ち上がった体は巨大蛙の瞳の高さまで到達する。濁った瞳とルナシアの金色の瞳が一瞬────重なる。


「オルドの目の方が綺麗だな────ドルス、一番から三番!」


 ルナシアが三つの包みを巨大蛙の首元に投げ込む。予めドルスに渡されていた、彼の魔力が籠められた包み。


「あいよ! 《私有価値理論(ベール・アクシア)》」


 ルナシアの声が届く範囲ぎりぎりに陣取っていたドルスの《魂相(エイドス)》が起動する。


 作戦は至ってシンプルなものだった。事前に爆弾化した包みをルナシアが運び、指定された番号をドルスが起爆して巨大蛙の鱗を剥がす。視界不良の中でも投擲ミスを可能な限り排除すると共に、ルナシアを常に起点とすることで連携の拙さも解消する。


『GEEEEEEE!?』


 投擲された三つの爆弾が炸裂する。爆心地付近にいたルナシアは空中で体を小さく丸める。衝撃を逃がすため、爆風に流されないため。丸めた体をくるりと回転させ、落下の勢いを殺してから着地する。経験よりも獣人の本能からくる行動。足裏に、大地の確かさが返ってくる。


「手応えは?」


 ドルスの輪郭がすでに不確かなほど霧が濃くなっていた。霧が言葉ごと飲み込んでいく。声の届く距離が、静かに縮んでいた。


「わかんないけど、無傷ではないと思う。何回か繰り返せば流石に攻撃が通るようになると思うよ」


私有価値理論(ベール・アクシア)》の制限で事前に用意できた爆弾は十個。すべて使い切らないうちに新しい爆弾の生成はできない。護身用にドルス本人が三つ、ルナシアに残された残弾は四つ。


「先に言った通り《私有価値理論(ベール・アクシア)》の威力は俺にとっての価値、変動的や。後半になるにつれて徐々に威力が上がる。相手の攻撃パターンも未知が多い、安全マージンしっかりな」


 百万円を持つ者と千円しか持たない者とでは、百円の価値は大きく変わる。使える素材が減っていくほど爆発の威力は上がり、近場にいるルナシアへの影響も大きくなっていく。手持ちが減るほど、一手一手が重くなる。


「うん、行ってくるね」


 一拍の静寂。それを切り裂くように、ルナシアは走り出した。


「気ぃつけてなー」


 ひらひらと手を振るドルスの声が、霧の向こうに遠ざかる。あまりにも緊張感のない見送りに釣られて、ルナシアの肩からも力が抜けた。心が軽い。走り出す体も、普段より動かしやすい気がした。霧の中でも、足は迷わなかった。


 それから同じ方法で奇襲を繰り返す。時折巨大蛙は舌を伸ばし攻撃を仕掛けてくるものの、ひどく鈍重な動きではルナシアを捉えることは不可能だった。繰り返すごとに鱗にはヒビが入り、巨大蛙は鈍い悲鳴をあげる。ヒビが刻まれるたびに何かが確かになっていく、そういう感触だった。決着は早かった。途中ドルスが保持していた分の爆弾を受け取り、使い切る頃には鱗はその存在意義を二人の狩人によって削り取られていた。


「────《斬域制御(ざんいきせいぎょ)》」


 鱗の剥がれた急所は柔らかく、威力に不安が残るルナシアの《魂相(エイドス)》でも問題なく届く。急所破壊による、残存体力を無視した絶命。


『GEEEEEERR!!』


 断末魔が、沼地エリアに響き渡る。敵の最期の叫びは、同時に勝利の証でもあった。霧が揺れる。世界が、一瞬だけ静止する。


「どうやった? 初めてのまともな連携は」


 言葉より先に、尻尾が返事をする。軽やかに、重力など存在しないかのように。言葉は、遅れてやってくる。


「ちょっと気持ちいい」


 ドルスとの距離が、少しずつ埋まっていく。ぎこちなさが抜け、気づけば笑顔が出ていた。

「何か聞こえない?」


 余韻に浸る暇もなく、ルナシアの耳が異音を捉える。姿は見えない。それでも、遠くない距離から確かに何かが聞こえる。


「…………ルナシアちゃん」

「ん?」


 振り返ると、ドルスは胡散臭いほど爽やかに笑っていた。避暑地で過ごす夏の日差しのような、晴れやかな表情。


「ピザやー!」


 緊張感を粉砕するような一言と同時に、ドルスはルナシアを小脇に抱えた。そのままオルドを避難させていた岩陰まで駆けだす。驚きながらも後ろを振り返れば、晴れつつあった霧の中に無数の影が映っていた。すれ違いざまにオルドを乱暴に掴み、ルナシアとは反対の腕に抱える。


「あのデカいカエルの声で集まってきよった! デカいわりに手応えないと思ったら本命はこっちかい!」


 抱えられたまま後ろを見やれば、集まってきた影の中には成体に混じってオタマジャクシの名残が消え切っていない個体も多い。ルナシアにはそれだけが見えた。二人を抱えて走るドルスに、細部を確認する余裕などなかった。




「無事に仲良くなれたようで安心したよ」


 沼地エリアを走り抜け、そのままロギアに指定された座標まで、敵らしい敵とは出会わなかった。敵が多く合流が難しいと言っていたロギアは岩に背を預け、優雅に読書を嗜んでいる。すぐ横には灰白の小狼が体を丸め、間抜けな顔をして惰眠を貪っている。戦闘がなかったためルナシアたちを降ろす契機を見失ったドルスは、両脇に小さな二人を抱えたままだった。


「謀ったな先生」

「二人が逃げながら笑っているのが遠目から見えてね、いい機会だと思ったんだ。お前が付いてるんだから、万が一もないだろう?」


 ルナシアはオルドを見た。相変わらず幾何学模様の消えた、深い海の瞳。

 オルドがいなくても、前へ進めた。その事実は、思ったよりも静かに胸に落ちた。誇りでも安堵でもない、もっと小さくて確かな何か。芽が土を割る音に似た、そういう感触。


 尻尾が、ゆっくりと揺れた。

 大きくでも速くでもなく、ただ。

戦闘は前座。

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