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《アルマ》─観測者が見る夢─  作者: 無欄句カルタ
疾走

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第ニ十一節 三日間の逃避行

作り上げた世界に命を持たぬ人工知能を住まわせた。

一から文明を築き上げさせ、進化を促すために何度も壊した。


住民は加速した世界で、与えられた役割をひたすら繰り返す。

一定の学習は見られるものの、設定した範囲でしか進化しない。


観測に限界が訪れ、学習値の上昇は緩やかに止まった。

私はここに、生きた人間を投入することを決めた。


「おえっ……うっ……」


 機能性を追求された部屋と違い、脱ぎ捨てられた衣類が散乱する脱衣所に、魂縫たまぬいほつれの呻き声が虚しく反響する。中身のない空っぽの胃が痙攣し小刻みに震えるのを感じる。ほつれの口から吐き出されるのは酸味と苦味、それから後悔。


 《アルマ》では8時間以上の睡眠をする際には安全上の観点から《ペナテス》を通した申請が必要になる。8時間も寝れるわけがないと申請をサボった結果、強制的にログアウトが実行された。

心地よい睡眠から一転、仮想世界から弾き出されたほつれを襲ったのは今も変わらず残り続ける過剰な雑音ノイズ。準備もなく突如として引き裂かれた、こちら側と向こう側との断絶が、一層深く彼女の精神を削り取った。


「酷い顔だな……」


 体が重たい。鏡に映る顔は、とても他人様に見せられるものではなかった。


「一定の効果が、あるんじゃなかったのかよ……」


 過剰なほどにリアルな世界で、何度も選択を重ねた。一歩、また一歩と歩みを進めたはずだ。《Eu Zen(善く、生きる)》ために、《アレテー》のために、魂の完成のために。何の指標も目的も与えられない世界で、進んできた。牛より亀より遅い歩みだろうと、それでも確かに、一歩ずつ積み重ねてきたはずだった。


「足りないの? あとどれだけ《徳》を重ねれば楽になれる?」


 それは独白だった。吸音マットのない脱衣所では、言葉はどこにも受け止められることなく、ただ白い壁の間を漂う。ここに観測者はいない。


その言葉は——悲鳴は——誰にも届かない。


 やがて重力もなく、ただ無為に溶けて消える。

導く者も、観測者もいない。独りは、かくも弱い。

誰かに会いたい。大丈夫だよと言ってほしい。見ていてほしい。


────でも誰に?


 思考が出口のない迷宮に迷い込む。水道管を水が駆け抜ける音、外から届く甲高い笑い声。世界のあらゆる音がほつれの思考に絡みつき、じわじわと鈍らせていく。


「うるさい……! うっ……」


 声を荒げたせいで落ち着き始めていた痙攣が息を吹き返す。

結局、落ち着いてベッドに辿り着けるまで三十分以上かかった。ベッドで休めた頃には、何かをする気力など失せていた。


「やあ、ルナシア。随分とゆっくり寝ていたね。申請すれば途中でログアウトしなくて済んだのに」


結局、この世界に戻ってくる頃にはすっかり日が沈んでいた。オルドの小言はいつものことなのに、今日は一段と深く刺さる。


「次からはそうするよ、もうあんな思いは御免だからね」


 酷い気分だった。こんな状態でログインするのは、学生時代に一度だけ経験したVRゲーム以来のことだ。


「ロギアたちは朝出発したよ。いくつか報告があるけど、まずはそうだな。君が寝ている間に買い物にいってきたよ。食料と、あと本が三冊。それから────」

「本が読みたい」


 食い気味にオルドの言葉を遮ったのは、落ち着きたかったから。今も尚ざわつく胸を、抜け出しきれなかった思考の迷宮を、どうにかしたかった。この静かな世界で、ゆっくり本を読んで、逃避したい。ここではない遠くて静かな世界に思考を逃がしたい。


「報告はあとで聞くから、今は本が読みたい……ダメ?」

「了。構わないよ、君がそれを選ぶのなら。立ち寄った古本屋の主人が君にお礼を伝えてほしいと、少ない予算で三冊売ってもらえたんだ」

「そっか、あとでお礼言いに行かないとだね」


 確認すると確かに所持金が減っていて、代わりに食料と本が増えている。


「ああ、そうだ。申し訳ないけど、読みかけの本が一冊あるんだ。ボクも読んでもいいかい?」

「え、うん。私はなんでもいいから好きなの読んでいいよ」


 部屋には無言の、静かで穏やかな時間が流れ始める。強張っていたルナシアの体が弛緩し始める。ページをめくるたびに尻尾が左右にゆらゆら揺れる。空想の世界に想いを馳せる。この作者は何を考えて何を伝えようと筆を執ったのか。何を残そうとしたのか。そんなことを考えているだけで世界が進んでいく。


オルドも無表情で黙々と読み進める。この詩人が残そうとした永遠を解いていく。時に考え込むような仕草を交えながら、一枚また一枚とページを捲る。


「ルナシア、食事にしよう」


 ルナシアの耳は確かに揺れたが、反応は返ってこない。確かに届いたはずの空気の振動は、しかしルナシアを空想の世界から連れ戻すには足りなかった。0.5秒ほど、思考を巡らせる。思考の結果、オルドはルナシアの思考の帰還を後回しにし、アイテムストレージから買っておいた食料を取り出す。保存食とは別に用意した、香ばしい串焼き。ルナシアの好みを考慮し、自慢のタレを塩に変更してもらった。それをロギアを見習い部屋の簡易的な調理場所で串から外して皿に移していく。


「ルナシア、口をあけて」


 ぴくりと耳を震わせたあと、静かに口がひらく。皿からひとつずつ、串から外された肉をルナシアの口に放り込む。反射的な無意識が、口内の食べ物を咀嚼するために少しずつ動く。それを三本分の肉がなくなるまで、時折オルド自身もつまみながら続ける。


「失礼するよ」


肉の脂で光る主人の口元を、紙布巾でそっと拭う。


 それからは、こんな時間がしばらく続いた。気づけばルナシアはこちら側で過ごす時間が増え、睡眠もこの世界でとることが主になっていた。排泄や仕事で時折現実へ帰還するが、食事は元々それほど多く摂らないことも助長している。こちら側での食事は気づけば終わっている。そんな現実からの逃避行を三日続けた。


「ルナシア、ロギアから連絡が来ている。今日ここに戻るらしいよ」


 逃避行は無事功を奏し、ルナシアの精神状態は良好といえるまで回復していた。それを語るのは乏しい表情よりも、耳と尻尾が雄弁に語る。耳はぴんと立ち尻尾は左右に揺れる。オルドに言葉で返事するより、この感覚器官が代わりに動く。


「ツァルとヴェイル、元々はここの守り神だったんだってさ。一定周期で暴れちゃうらしいけど、それを戦って鎮めてきたんだって」


 オルドが買ってきた本の中に、この街の歴史について書かれたものがあった。今はそれをベッドに座りながら浮いた足をぱたぱたと揺らしながら読んでいる。


「私たちが戦ったのは、本体から溢れた負の側面が形を成したものらしいよ」

「そうか、ならまた戦うこともあるかもね」


 オルドはルナシアの後ろで彼女の髪を束ねながら、あまり興味がなさそうに返答する。何度かルナシアが邪魔そうにしていたので、最近はルナシアの長い銀髪を束ねるのも仕事のひとつに加わった。髪型はデータベースから無造作に選ばれる。束ねるのに必要な道具はルナシアの読書中に街でオルドによって購入済。当然ルナシアはそれを知らない。


 何度か中途半端な報告の続きを試みたが、時折こうやって一方的に話しかけられるだけで会話は成立しないので半分諦めていた。

その日も、昼過ぎまでルナシアの読書は続いた。じっくり読むタイプのおかげで、本の備蓄は問題なく足りている。オルドも保存食に手を付けないために買い物に行く以外は、ソネット集を何度も読み返す。


「気に入ったんだ?」

「愛と魂についての本だからね、ボクには少々難解で理解が難しいよ。ところでルナシア」


 久々に会話が成立する気配を感じたオルドが、ここ最近で溜まった報告を遂行しようとした時。

コンコン、とタイミング悪くノックの音が鳴った。


「失礼するよ。久々だな、ルナシア」


 オルドに招かれる形でロギアたちが入室する。生物学上女性という分類になるルナシアの部屋に気軽に立ち入るのはロギアとしては避けたかったが、自分たちの部屋は引き払ってしまっている。外もまだ喧騒が収まっていない以上は他に場所がない。


「おっ、なんや可愛い髪型やね」


 オルドによって束ねられた髪は、今日はシンプルなツインテールが採用された。ルナシアの外見と相まって幼さが際立つ。


「そうかな?」

「おー、ほんとだ。かわいいぜ嬢ちゃん」


 二人の影からコギトがひょっこり顔を出す。


「うん、似合っているよ」


 なんだかむず痒い感覚が背中を撫で、気恥ずかしさで耳が跳ねる。


「心拍の上昇を確認、これは……正の感情、かい?」

「ふっ、学んだじゃないかオルド。でもそういうことは、あまり言葉に出してやるな」


 《ペナテス》の中でも感情の機微に疎いオルドは目を大きくしたまま首を小さく傾げる。外見年齢相応に見える仕草の裏で、感情を理解するための機械的な処理が走る。


「それから、はいこれ。耳栓、というより遮音効果のある被せ物だな。普通のもあったんだが、ドルスがこれにすると言って聞かなくて」


 ロギアから渡されたのは、柔らかく肌触りの良い獣人族向けの耳用カバー。何種類かあるが、どれもフリルなどで可愛らしく装飾が施されている。


「何言うてん、先生かて「こっちの方が似合う」とか「こっちも捨てがたい」とかノリノリで選んどったやん。先生の優柔不断でひとつに決めきれんかったんやから」

「ンンッ……どうだろう、着けてみたらどうだい? なるべく肌触りの良いものを選んだつもりなんだけれど」


 促されるまま、耳に着けようとするが中々うまくいかない。もともと存在しない部位な上、ほとんど着飾らないルナシアはこういったものを着けた経験がない。見かねたオルドが、主人の代わりに動く。藍色のフリルで彩られた遮音カバーは、装着されるとシステムがルナシアの耳のサイズに合わせて大きさが変化する。


「いいじゃねーか、似合ってるぜ」


 慣れない感覚に何度か首を左右に振るが外れる様子はない。もともと気にするほどでもなかった室内のわずかな雑音が、綺麗に消えた。


「ありがとう……あの、もしかしてこれ、結構高かった?」


 遮音性も然ることながら、ルナシアの過敏な感覚でも嫌な違和感が極端に少ない。手元に残ったカバーからも同じ感触がする。とても割り切れなかった報酬の残りで足りるとは思えない。感動よりも先に、無駄な出費をさせてしまったという罪悪感が胸を占める。


「そうだね、隠しても仕方ないから正直に言うよ。報酬の残金からは足が出た。でも気にしないでくれ、ドルスが言った通りなんだ。選んでいたら、まあその……柄にもなく夢中になってしまって」


 珍しく恥ずかしそうに頬を掻いて視線を逸らす姿は新鮮だった。いつも毅然としていてルナシアを導く姿とは別の人間臭さがロギアから滲み出ている。それを後ろでドルスが指をさして笑う。


「まあまあ、ええやないの。もらっときもらっとき、珍しいことなんやから。それよりイベントやイベント! 《ペナテス》通して運営から告知あったやろ、運営公式の初イベント」


 そんな話は聞いていない、というより思い返してみればここ三日、オルドとすらまともな会話をした記憶がない。

空腹パラメーターはいつの間にか満ちていたし、いつからか髪も綺麗にまとまるようになっていた。——そういえば、髪を束ねるあの道具は、いったいどこから来たのだろう。


「報告をしてもいいかい? 三日分溜まってるんだ」


 睡眠の申請のときといい、オルドの話をちゃんと聞かなかったせいで酷い思いをしたというのに。己の学習能力のなさを噛みしめながら、ルナシアの尻尾はしおしおと萎れていた。


「よろしくお願いします……」

物語は三章へ。

アルマ初の公式イベント、そこで物語は大きく動きだす!!……のか?

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