第十六節 祈りのアリア
「本当に攻撃に参加しなくていいの?」
昨晩の作戦会議から一夜明け、さらに少しの時間が通り過ぎた。陽は沈みかけ、ほのかに夜の匂いが漂い始める。
ヴァルノーラの街とその先とを繋ぐ岩橋。ルナシアはロギアたちと三人でそこに立っていた。その表情には微かな不安が揺れ動き、連動するかのようにふさふさの尻尾がルナシアの細い足へと巻き付いている。
「うん? ああ、大丈夫だよ。ルナシアの今回の役割は回避盾というものになる。ルナシアがツァルのヘイトを受け持って雷撃を回避し続けるのが役目だ、とても大事な仕事だよ」
「せやで? 確定やないけど恐らくヴェイルの攻撃はツァルの雷撃の被弾、もっと言うとスタンが引き金になっとる可能性が高い。逆に言えばそれまで攻撃はツァルの雷撃だけ。俺ら二人はヴェイルへの攻撃に集中できる」
ルナシアが上空の敵への攻撃手段を持たないという点を抜いても、その俊敏性を活かした作戦は合理的に思えた。
しかしこれまでオルドの補佐を除けば一人で戦闘を熟してきたルナシアにとって、攻撃に参加しないというのは初めての経験となる。
無論、他者を信じ背中を預けるという経験もこれが初めてだった。
「さて、確認は歩きながらにでもしようか。暗くなると視認性が悪くなるからね」
歩き出すロギアとドルスの後をぺたぺたと足音を立てながら歩く。体の小さなルナシアに二人が歩幅を合わせているので、難なくついていけるが、その気遣いを認識できるほど対人経験は多くない。こうして誰かと並んで歩くこと自体、数年ぶりのことだった。
「街を出て少し歩くと恐らくツァルとヴェイルは襲ってくる。そしたらルナシアの出番だ。まずはツァルにルナシアが一撃いれる、そこからは回避に専念して大丈夫だよ。私とドルスはツァルのヘイトを買わないように、少し離れたところからヴェイルに攻撃を仕掛ける」
「わかった」
二人の後ろにいても、その大きな耳が余すことなく音を拾ってくれるおかげで確認はスムーズに進んでいく。不安が完全に払拭されるわけではないが、ひとつひとつを確かめていく中でそれが和らいでいくことを、主人に代わって尻尾が雄弁に語っていた。沈みかけた太陽の橙が白銀の毛並みに溶け込み、風に身を委ねた尾がゆるやかに揺れる。
「急所が狙えたらええんやけど、難しいやろな。なんせ空やし、先生はどうなん?」
ドルスは空を指してクルクル回した指を、そのままロギアへと向けた。
「余った《質料》で風魔法のようなものは作ってあるが、私も難しいだろうな。汎用性はあるが、私自身の練度が足りていない。それに《アリストテレスの庭園》は使用中は効果範囲に比例して魔力を消費し続ける。今回は離れているルナシアまで範囲を広げるから、無駄撃ちして魔力を浪費したくない」
「状態異常持続時間の軽減やっけ、ルナシアちゃんが被弾した時の保険は大事やろな」
「その必要はないんじゃないかな」
うんうん、と大げさに頷くドルスにルナシアの横を歩くオルドが口を挟む。
「ルナシアの耐久力の低さは状態異常に対する抵抗力込みの低さだ。それに威力は低いと言っても今回の相手はボスクラスに該当するだろう。被弾したらそのままHP全損だろうからね。ルナシアを想うなら、攻撃に集中して戦闘時間を短縮した方がいい」
「オルド、それ私知らないんだけど」
ささやかな非難を隣に向けるものの、気づいているのかいないのか。その視線が効果を発揮することはなかった。
「なら、そうしよう。ルナシアの負担が減るに越したことはないからね。そういえば、お前の《ペナテス》はどうしたんだ?」
ルナシアの隣を歩くオルド、ロギアの横を魂測体で歩くコギト。しかしそこにドルスの《ペナテス》の姿はない。
「ん、ちょっとお使いにな。爆弾にしても意味ない素材を売りに行かせとる。アイテム屋よりも住民の方が高く買ってくれる場合があるからな」
好感度次第やけどね、と続け大きく欠伸をする。
「しかしまだ出てけーへんのか。結構歩いとるで? 前回なんて猛ダッシュで来よったくせに」
街からすでにそれなりの距離を離れているのに、二体の敵は未だ姿を現さない。大人しくロギアの横を歩くコギトも、ドルスに釣られて欠伸をし、退屈そうにしている。
「どうだ? ルナシアは何か感じるかい?」
そう言われて耳を澄ませてみると、ほんの微かな空気の揺れを感じるものの、何か曖昧な、不確かな感覚が体を撫でるのみだった。
「何かは感じるんだけど、よくわからなくて……。目にもなにも映らないし」
「誤解されがちだけど獣人系種族は視力はあまりよくないからね。動体視力は優れているが遠くのものを見る力はそれほど高くないんだよ」
状態異常の件といい、オルドの口からルナシア自身も知らない情報がポンポンと出てくる。
未知の情報をここで口にするオルドと、自身のことを知らない自分とに呆れながらも、ルナシアはその場に立ち止まって瞳を閉じる。不要な情報を削ぎ落とし、そのリソースを聴覚と触覚、嗅覚へと割く。
そうしてみると、風に運ばれた獣臭が微かに鼻孔を刺し、次いで空気の振動がルナシアの耳を震わせた。近いようで遠い、遠いようで近い感覚。
「…………空だ」
その言葉で全員が同時に空を見上げる。ロギアとドルスの瞳は上空に黒い影を捉えた。ルナシアの瞳は、その落下の動きを確かに観測する。
その感覚でいち早く接近を感じ取り、視覚でその動きを確かに捉えたルナシアの、獣人としての本能とも呼べるものが警鐘を鳴らす。しかしここで経験の差が出た。誰よりも早く気付いたにもかかわらず、皮肉なことにルナシアはその警鐘を自覚してなお、動けない。
最初に動いたのはドルスだった。
近くのルナシアとオルドの胸元を掴み、驚いた表情を浮かべる二人を意に介さず、乱暴になることも厭わずできる限り遠くへと力一杯に投げる。体が小さく軽い二人はいとも簡単に空中へ放り出された。当然バランスなど取れず地面へ打ち付けられるのを待つのみだったが、空中で魂測体へと姿を変えたオルドがそのままルナシアの背後に回り、魂測体を再び解除する。
自身をクッションとし主人へのダメージを少しでも減らすための、無言の献身だった。
「ロギアァ! バフ準備せぇ!」
重力の力を借りて速度を増し続けるソレは、確かに牡鹿の姿をしていた。雷撃を纏ったツァルが、二人の真上へ迫る。
直撃を避け、少しでも距離を取るために今度はロギアの首元を掴み、引きずるようにして退避する。
「っ!? 《アリストテレスの庭園》!」
反応の遅れたロギアも、ドルスに掴まれた衝撃を引き金として、自身の周囲に範囲を指定した《魂相》を展開する。
数瞬の遅れを置いて、雷撃を纏った翡翠色の牡鹿ツァルは轟臨した。
静寂。否、あり得ない。
自身の背丈ほどある岩まで吹き飛ばされるも、オルドの献身により大きなダメージを負わずに済んだルナシアは、その様子を離れた場所から見ていた。それしか出来なかった。
翡翠の牡鹿はその質量と落下速度を遺憾なく発揮し、その軌跡は空間を裂き、地面は抉れ、砂埃が宙へ舞い上がる。
そして次の瞬間には雷撃が舞い上がった砂を焦がし、消滅させる。
そのどれもが静寂とは無縁であり、正反対の轟音をルナシアへと届けていた。しかし轟音と衝撃、いっそ神聖にすら感じる雷光は、ルナシアのキャパシティを遥かに上回る知覚情報を一息に流し込む。
その情報の圧殺がルナシアに与えたのは本能的な防衛、あらゆる行動の停止だった。
『GURRRRRRRRRuuu……』
低く荘厳な唸り声が響く。落下の反動か、幸いなことにツァルからの追撃はない。ヴェイルに至ってはまだ姿を現していない。
「空から登場てコテコテのど定番過ぎて逆に予測できんわアホ! おい先生、大丈夫か? ルナシアちゃんは……とりあえず生きとるか。放心しとるけど」
「問題ない。コギトも無事だな。ルナシアのことは、今はオルドに任せるしかないだろうな」
《アリストテレスの庭園》によるステータスの一時的上昇と被スタン効果の減少。ドルスによる強制的な回避。どれかひとつでも欠ければ全滅も十分あり得た状況を、冷静に対処してみせたドルスの指は微かに震えていた。
「先生、交代で回復や。ルナシアちゃんが復帰するまで時間稼ぐで」
「ああ、しくじるなよ」
「対象を確認:心拍……正常範囲内。脳波……一部低下。失礼するよ」
ルナシアの背中と大きな岩の間に挟まれていたオルドがまず取った行動は脱出ではなく、背中から手を回してルナシアの目を覆うことだった。少しでもルナシアへ届く知覚情報を削ぎ、回復を図る。前回あの二人で敗走したのだ。そのうえ今回は上空からの奇襲まで受けている。
「前回の敗走を学習したか、頭の良いやつめ」
珍しく──いや、ここまで感情を露わにしたのはほとんど初めてのことではなかろうか。ひどく不機嫌そうな顔。
オルドの視線の先では、すでに体勢を整えたツァルの雷撃が轟き、その雷鳴はここまで届いていた。
視界を遮断してもなお、響く轟音と焦げた臭いがルナシアの覚醒を妨げていた。
「だー! クソ! このままじゃもたんぞ! このままルナシアが起きんかったら一度撤退するか⁈」
「……そうしたいところだが、ルナシアを担いで逃げ切れるかどうかが問題だ」
戦線からは不穏な空気が漂ってくる。継戦か撤退か。どちらにしてもルナシアの覚醒は急務だった。
「──Frondi tenere e belle」
戦場に似つかわしくない歌声が、静かに産声を上げた。伴奏もなく、轟音の中で戦うロギアたちには届かない歌声。
「del mio pratano amato」
少しでも、戦場の喧騒が届かぬように。
「per voi risplende il fato──」
天が怒り、空が裂け、嵐が襲い来ようとも。
この安寧と安息の大地が守られますように。
凶悪な南風が、この地を荒らしませんように。
この雷鳴が、風のうねりが、この弱く繊細な主人に届きませんように。
どうか────。
「オペラが好きだったとは、知らなかったな……」
オルドの腕の中で動きを止めていたルナシアが、もぞもぞと動く。目を覆っていた手をそっと下ろすと、ひどく怠そうな、憔悴した表情をのぞかせている。
「データベースを参照しただけだよ、オペラは見たことがない。気分はどうだい?」
「いい歌が聴けたからね、悪くない気分だよ。少しだるいけど」
よいしょ、と体を起こしてみると、戦っていたわけでもないのに強烈な疲労感が襲う。《過集中》後のような、思考が重く霞のかかった感覚。自分のせいでロギアとドルスに大きな負担をかけてしまったことへの罪悪感はあるが、それでも本当に、気分はよかった。
「それは重畳。慣れない歌を歌った甲斐がある。それじゃあ──」
背後のオルドが異形の梟へと姿を変え、臨戦態勢をとる。それを見たルナシアも、腰の白鞘から刀を抜いた。
「うん────────反撃開始だ」
明日から更新1日1回きゃも。
腰が痛くて書けないカルタちゃんなう。




