表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】後宮の筆跡鑑定官 秘された遺書とかりそめの関係  作者: 高里まつり
第四章 破られた紙はもとには戻らない
28/44

4-5 髪を結う


 ✣✣✣

 

 翌朝、雪燕(せきえん)(かんざし)や髪紐を持参して筆録房(ひつろくぼう)へとやってきた。丁寧に布に包まれたそれらは、彼女が大切にしてきたものなのだと、一目でわかる。


「筆録房にお仕事以外で他の女官の方が来られるなんて、夢みたいですねえ」


 上機嫌な凛凛(りんりん)が、茶杯を卓に並べていく。昨日の彼女ははじめ無断外出に相当怒っていたが、雪燕が来ることを伝えると、今のようにころりと態度を変えた。


 深玉(しんぎょく)はちらと雪燕を見やる。「わたしの保護者みたいなこと言わないでほしいんだけど」

 身内とのやりとりを見られているようで、結構、いやかなり気恥ずかしい。

「半分保護者みたいなものですよう」年下の凛凛は容赦がない。「深玉さまは、とっても不器用でいらっしゃいますから。あたしがお世話をしませんと」

 そう言って、鼻歌交じりに別室へ茶菓子を取りに行く。その背を、雪燕が眩しそうに見つめていた。


「ごめん、気にしなくていいから」

 深玉は一本結びの結髪を下ろすと、雪燕の前に腰掛けた。 

「そんな。仲がよろしくて素敵じゃないですか」雪燕が手の中の(くし)を転がす。「それより、今日は私の我儘(わがまま)に付き合ってくださり、ありがとうございます」

「別に構わないのだけど……雪燕は、髪を結うのが好きなの?」 

「好きといいますか……私がいつも沙李(さり)にやってあげてたんです」


 鏡越しに、雪燕と視線が合う。

「へえ、沙李に?」

「あの子、ちょっと()()()()なところがあったんです。ふたりで蓉昭儀(ようしょうぎ)さまの侍女になってからは、身だしなみはちゃんとしなきゃだめよって、朝の支度は、いつも私が整えてたんです」雪燕が懐かしそうに目を細める。「私の日課だったのに、なくなってしまったのが最近とても寂しくて」

「そう。仲が良かったのね」

 雪燕が丁寧に髪を(くしけず)っていく様子を、感心しつつ眺める。

「はい。だから、沙李のお話を聞いてくださった深玉さまの髪を、結わせていただけたらなと思ったんです。それに……」

 雪燕はぽつりと付け足す。

「深玉さま、ちょっとあの子に似ている気がして」

「わたしが?」

「はい。なんでも真面目で、一生懸命なところが」


 雪燕にとって、沙李はかけがえのない友人だったのだろう。彼女によからぬ疑いがあったとしても、このふたりの間には関係のないことだ。


 深玉はたいした手入れもしていない自身の髪をつまむ。「こんな髪でよかったら、好きにして」

「ふふ、ありがとうございます。いつも癖がなくてお綺麗な髪だなと思ってたんですよ」

「……雪燕は褒めるのが上手ね」


 せっせと己の髪を手に取る雪燕を見ていると、どうにも不思議な気分になってくる。


「髪を結うなんて、子どもの時以来かも」

「ええ? 本当ですか?」

 目を丸くする雪燕に、深玉は苦笑いする。

「母がね、昔はよくやってくれてたんだけど。いなくなってからは、自分じゃよくわからなくて」


 どうやっても自分では母と同じようには結えなくて、悲しくなってやめたのだ。着飾ることに興味があったわけでもなし、仕事で髪を気にする必要もなく、気づけば今の髪型に落ち着いてしまっていた。


「なら、今日は特別素敵に仕上げましょう」気遣いにあふれた声だった。「お母様がやってくださった髪型とは、違うものにしないとですね」

 深玉は首を傾ける。「どうして?」

「だって」鏡の中の雪燕が、やわらかに笑む。「その結髪は、深玉さまのお母様との思い出なんでしょう? 私が結うのは、もったいないですよ」


 思い出――そうか、これは思い出なのか。

 雪燕が言葉にしてくれたおかげで、もう結えないのだと切なく思った記憶が、あたたかなものへと変わっていく。


「……ありがとう」うまく言い表せないが、胸に迫るものがあった。

「ふふ、突然どうされたんですか」

 雪燕がまた笑みをこぼす。つられて、こちらの頬までゆるんでしまう。


 昨日は憂色に満ちていた彼女の表情も、今は大分明るくなっている。無理にでも声をかけて、よかったのかもしれない。


「ああ、そういえば」髪紐を手に取りながら、雪燕が思い出したように声を上げる。「夏丞(かじょう)さまはどうされたんですか? もしかして、もう後宮からお出になられてしまいました?」


 忘れようとしていたのに。

 浮上していた気分が、一気に落ちるのを感じる。夏丞とは昨日、筆録房を出て以来、顔を合わせていない。


()()は、まだいるけど」吐息をこらえる。「たぶん、待ってたら来るんじゃないかな」


 適当に言っておく。奴にはすでに退去命令が出ているのだ、深玉が非番とはいえ、悠長に不在続きにするはずがないと思う。

 深玉はもやもやとした気分を追いやろうと、椅子に腰掛け直す。

「会っても、楽しいことはなにもないと思うけど」

 会えば、雪燕が情報を握っているのか否か、あの男が探りにくることは目に見えている。

 たいして、こちらの心中などつゆ知らず、雪燕は言いづらそうに口をまごつかせていた。


「あの、聞きそびれていたのですが」

「ん?」

「深玉さまと夏丞さまは、その、どういったご関係で?」

 藪から棒に、なんの話だろうか。「……女官と官人?」

「そ、そういう意味ではなく」

「ならどんな――」言いづらそうに頬を染める雪燕に、遅ばせながらようやく意図を理解する。「冗談やめて。あなたが心配しているようなことは、なにもないから」

 言って、妙な落ち着かなさを覚える。外からは変な風に見えているということだろうか。


 そんな深玉の心配をよそに、雪燕の顔はわずかに高揚していた。

「そうなのですか? 仲がよろしいので、てっきり」

「仲が、よろしい?」馬鹿みたいに繰り返してしまう。これが仲良しに見えるなら、先日の猫とだって仲良しだ。「ただの仕事相手よ。いやそれ以下かも」 

「そうでしたか……あの、特に深い意味はなくて」意味ありげな濁し方で。「単純に聞いてみたかっただけなのですけれど」


 なるほど――純粋な雪燕が毒されてしまわないよう、なにかあれば、あの男をぶん殴ってやろうと心に誓う。


「深玉さま、夏丞さまが戻ってこられましたよう」


 盆に菓子を載せた凛凛が、渦中の男を伴って戻ってきた。

 いや間が悪いにも程がある。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ