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【完結】後宮の筆跡鑑定官 秘された遺書とかりそめの関係  作者: 高里まつり
第四章 破られた紙はもとには戻らない
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4-3 踏み込めない一線

 

 筆録房ひつろくぼうへ戻ると、夏丞は扉と窓を閉めていく。


「確認ですが、()尚宮(しょうぐう)局長がこれを持ってきたんですね?」


 ついで実封(じっぷう)を開封しながら、長榻(ながいす)へ腰掛ける。中を見せてくれる気らしく、横へ来るよう促された。

「そう。退去命令だって。近々あなたがここを離れることになるだろうっておっしゃってたわ」


 深玉(しんぎょく)は隣へ座ると、彼の手元を覗きこむ。

 広げられた書面は、簡明であった。先に聞かされていた内容のままに、末尾には刑部(けいぶ)の長官たる刑部尚書(しょうしょ)の朱印が押されている。


「もしよろしければ、筆跡をみていただきたいのですが」

 夏丞の指が字面をなぞる。深玉は簡潔に「間違いなく真筆」とだけ答える。

「この方、書き順に癖がありすぎて、あまりお上手に書かれない方なのよね……この特徴は、刑部尚書以外にあり得ない」


 蓉昭儀(ようしょうぎ)の件以降、この人物の字は毎日のように目にしていたため、間違いようがなかった。


「そうですか」夏丞は顎を撫でる。「ではこれは、刑部が後宮から()()()()()書面なのでしょうね」

 書かされた――意図していないという意味か。

「じゃあ、刑部は、もともとあなたを返す予定はなかったの?」

「前に言ったでしょう。魏美人(ぎびじん)の件の際に、続けて動けるよう、上に願い出ていると」夏丞は口元を歪める。「それを今になって、後宮側に屈するとは。意気地のないことで」

 後宮が刑部に干渉したとなぜわかる――言いかけて、深玉も気づく。

「待って。杜局長が退去命令だって知ってたってことは……上のどなたかが、尚宮を通じて圧力をかけたんじゃ?」


 通常、個人に出る特命は(おおやけ)にされるものではない。夏丞に出た通達ならば、夏丞しか知らぬはずだ。


 夏丞は首肯する。「その方は、目障りな官人を外に出せと杜局長へ苦言を呈したのでしょう。当然、尚宮は従う他なく、それを刑部へと伝えた」

 筋が通っている。だから杜はすでに内容を知り得ていたわけだ。

走狗(いいなり)の刑部尚書が耐えられるわけもない。言われるままに命を出したといったところでしょうか」

「ちょっと」仮にも上司ではないのか。あんまりな言い様に眉をひそめる。

 夏丞は悪びれた様子もなく、「失礼。口には気をつけます」と流している。


 もしこの仮説が正しいのであれば、相手は相当に高位の人間ということになる。尚宮へも口を出せ、さらに深玉たちへ監視をつけられる人物――かなり、限られてくる。


 夏丞は書面を丸める。「蓉昭儀の件もできる限り手早く済ませねばなりませんね」

「退去命令を、無視するの?」

 できるわけがないだろうという意味で問うたのだが。

「すこしばかりは無視しても問題ないでしょう」

 夏丞は丸めた書面を作業台の燭台に近づけた。火が燃え移り、彼の手の中で紙がぼうと燃え上がる。

「そんなことをして、あなたの立場が……」


 後宮からどれほどの圧が刑部にかかり、この判断が下されたのか。いち官人の夏丞が抗えるはずもないのに。


「お気になさらず。どうせ終わったら私は閑職へ飛ばされるでしょうから」夏丞はゆるく笑んで、「動ける時間は少ないですが、やれるところまでやってみましょう」

 なにがそこまでして彼を動かしているのか、深玉には理解できなかった。 

「深玉さんは、お渡しした手紙と、凛凛さんにお願いした破邪香の件、なにか分かったのですか?」


 燃え滓を窓の外へ払い落としながら、夏丞が訊ねてきた。深玉は、かいつまんで伝える。手紙は蓉昭儀と魏美人ふたりだけが把握できる暗号のようなものだったこと。破邪香の出処、噂の発端――彼がどこまで情報を把握しているのか、見ている限りではわからなかった。


「なるほど。煕貴皇后が噂のはじまり、ですか」夏丞が皮肉げに口許を歪める。「少府でわざわざ作らせるとは、よほど呪いが恐ろしいのでしょうか」


 皇后は長くその座にあることから、外廷との繋がりも深い。繋がりが深いからこそ、香ひとつで外廷の部署を動かすことができるわけだが。

 深玉は、おぼろげな情報を己の中でつなぎ合わせていく。

 犯人は、理由はまだ不明だが、水祥殿の呪いを演出したいと思っている。そのために魏美人を殺し、敦皇子も衰弱させている。さらに、尚宮内に監視を潜り込ませ、深玉らを見張らせることができ、刑部へ圧をかけることができる立場の人間。


 一瞬、霍漣衡(かくれんこう)――掖庭令の名が出かけて、否定する。実行可能な立場にいることはたしかだが、ここを疑うということは夏丞を疑わねばならない。彼の行動は夏丞に情報を提供しているだけに過ぎない上に、現状犯人を追うという点では矛盾していない。


 香の噂の発端、最初の呪いの被害者――そもそも、蓉昭儀へ水祥殿を割り当てたのは誰だった?


 時折名前が出てくる、もっと影響力のある人物がいるではないか。


「……夏丞、あの」もし間違っていたら。そう思うと、名を出すことは(はばか)られた。「今回の件、水祥殿でお見かけした、あの方がすべて裏で?」

「どうでしょうね。深玉さんは見て見ぬふりをしていた方がいいと思いますよ」

 はっきりと否定はしないらしい。合っているとみていいのか。

「今更わたしは知らなくてもいいと? わたしを無理に引きずり出して、人の内側を見ろと調査に加えたのはあなたなのに?」

「……だとしても」こちらの態度に、一瞬夏丞がたじろいだように見えた。「深玉さんは情報を読み解くのが仕事でしょう。得た情報をどう扱うかの判断は、私の責任です」


 仕事を盾にするのが、いかにも彼らしい言い分だと思う。けれど彼の論理に深玉の感情は含まれていない――それだけに、突き放されているようで悔しかった。


 黙り込む深玉に、「誤解しないでください」と夏丞が声を上げる。初めて聞く、こわばった声音だった。

「あなたのことを、(ないがし)ろにしたいわけではありません。それはどうか、わかってください」

 では、口だけではなく行動で示してほしい。深玉は目を伏せる。

「……わかった」今はいい。すこしでも歩み寄りができるなら脅迫文も相談してみようかと思ったが、無理そうだ。どれほど深玉が踏み込もうとしても、夏丞は頑なで。「一旦、考えないようにしておく」


 深玉は床に落ちたままになっていた薄布を拾うと、扉へと向かう。


「深玉さん、どちらへ?」

 夏丞が問うてくるが、振り返らず一言告げる。

「着替え。一度房室に戻るから」


 夏丞に頼るまでもない。自分の目で、耳で、必要なものを見つけてみせる。深玉は吐息をこらえて、筆録房を後にした。 

 

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