表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/44

3-7 真昼の逃走劇

 

 夏丞かじょうに引っ張られ、いくつもの角を曲がる。深玉しんぎょくの耳には誰の気配も足音も拾わないが、隣の男はいつにない緊張を帯びている。彼がそうだと言うのであれば、信じるしかなかった。


 外苑の園林にわを曲がったとき、前触れなく、夏丞に腰を引かれた。景色が反転する。なにが起こったのか理解するより早く、木の幹に背を押しつけられた。ぐ、と息が詰まる。

 庭樹の木立へと引きずりこまれたのだと気づいたときには、夏丞によって身動きを封じられていた。声を上げそうになるも、すばやく男の手で口を覆われた。


「静かに」


 耳元で、夏丞のひそめた声がする。

 しばらくすると、木立の向こうでひとりの若い女官が歩いてきた。なにかを探すような素振りであたりを見回している。

 本当に、自分たちをつけていたのか。

 心臓が早鐘を打つ。


 女官から視線は外さないまま、夏丞が小声で問うてくる。「お知り合いですか?」


 無言で首を横に振る。知り合いではない。

 しかし、その濃藍色の帯には見覚えがある。

 夏丞の服色が濃緑のおかげでうまく木立に紛れ込めているのか、見つかる様子はない。女官はしばし留まっていたが、見失ったと諦めたのか、小路の先へと姿を消していく。


 その姿が完全に見えなくなると、夏丞はようやく拘束の手を緩めた。深玉は詰めていた息を吐き出す。


「びっ、くりした」


 打った背中がじんじんと痛んでいた。思いの外こわばっていた己の肩を抱くと、手が震えていることに気がつく。

 しばらく小路の先へ顔を向けていた夏丞が、ようやくこちらを向いた。


「申し訳ありません。手荒な真似をしてしまって。お怪我は?」

「平気、だけど」震えを押し殺し、深玉は手を握り込む。「あなた、いつから尾行に気づいてたの」

「小路に入る前ですかね。ずっと一定の距離を保って足音があったので」

 気づかなかった。

 深玉は、先ほどの女官を思い浮かべる。「でもあの人、普通の尚宮局の人に見えたけど……」


 侍女同様、女官は所属により帯が変わる。尚宮局の人間は例に漏れず、みな深藍色の帯を身につけている。


「尚宮局内に、わたしたちのことを監視する人間がいるってこと?」


 夏丞の返答はないが、これまでから彼の無言は肯定の意だと知っている。

 正直、混乱していた。

 真実を追っていたはずなのに、気づけば追われる側になっている。犯人はそれほど立場のある人物なのかと、身がすくむ。

 ――かつての父も、こうだったのだろうか。 

 気を落ち着けようと深玉がうつむいていると、夏丞が髪に触れてきた。 


「ああ、髪がほどけてしまっていますよ」


 夏丞はさきほどの緊迫した顔つきから一転、おだやかさを取り戻している。追手の巻き方といい、ずいぶん慣れた様子であった。


「うそ、代えの結紐もないのに」

 肩口に髪が滑り落ちる。先ほどのやりとりで、結紐が切れたのだろう。

「私のせいですね、申し訳ありません。お顔も触ってしまったので、化粧も崩れていなければいいのですが」

 ぐ、と覗き込んでくる夏丞に、深玉は一歩後ろに下がる。

「別に、普段からたいしたことしてないから、気にしないで」


 すこしだけ、気まずい。

 凛凛以外の人前で髪を下ろすなど、ありえないことで。だらしなくおろし髪となった黒髪を、落ち着かない気分で撫でつける。


「おや、そうでしたか。深玉さんはそのままでお綺麗ですものね」

「別にお世辞なら結構よ」

 夏丞がようやく笑いをこぼす。

「着飾った妃の方々の前で、同じ台詞を言わないことですね。反感を買いますから」


 一体なんのことやら。深玉は聞き流すと、ふと夏丞の右手が目に入った。


「……ねえ、怪我してるけど」

「はい?」


 夏丞がはたと自身の手を見やる。彼自身も気づいていなかったようだが、その手には甲から指にかけて血の滲む擦り傷があった。


「さっき擦ったんじゃない? 痛そうよ」 

「別にこの程度、放っておいても治りますよ」


 手持ちの手巾で傷をぬぐいだしたが、その粗雑さにみていられず、たまらず「貸して」と夏丞から手巾を奪う。


「うわ、これは痛くて筆も持てなさそう……」


 押さえると布に血が滲みていく。夏丞はされるがまま、じっとこちらの手元を見ていた。


「早く治すためにも、ちゃんと消毒した方がいいと思う」止血にでもなればと、手の甲に布を巻きつけ縛る。「利き手も右なんだから、痛むと支障が――」

「は?」

「え、痛かった?」珍しく呆けた声をあげた夏丞に、深玉は驚いて顔を上げる。

「いえ。それよりなぜ深玉さんが私の利き手を知っているんです」

 夏丞がこちらを凝視していた。「私は普段、両の手を使っているはずですが」

「ん? でも、右の方が使い慣れてない?」なにがそんなに驚くことなのか。「普段の様子を見てて右が基本の手なのかなと思ったんだけど……もしかして違った?」


 虚を突かれたように、夏丞が動きを止めた。


「なに」変なことを言っただろうか。

「……いえ、あまり指摘されてこなかったものですから」

 一拍間があき、「すこし驚きました」とこぼされる。

「破邪香の件もそうですが、深玉さんはよく周りを見ているんですね」夏丞は相好をゆるゆると崩す。「口下手のせいで、その観察眼が泣いていますよ」

「うるさい放っておいて」


 小路はまた人気がなくなっていた。道行きが、不安だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ