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3-3 気まずさと小さな反発


 追い立てられるようにして(とん)皇子(こうし)の寝所を出ると、雨は上がっていた。地面に点々とできた泥濘に、青空が映りこんでいる。

 深玉(しんぎょく)はむっすりと夏丞(かじょう)の後をついて、台階を降りていく。


 黙しているからといって、決して腹を立てているわけではない。正直にいえば、夏丞に口を出したことへの気まずさの方が勝っていた。


 邪魔をしたかったわけではない。けれど深玉は敦皇子を前にして私情を殺せなかった。どうやっても夏丞ほど非情になりきれない。

 なにが正解だったのだろう。

 ため息をこらえ、悶々と思案に沈んでいると――。


「先ほどはお疲れさまでした」

「え? わっ」声をかけられるとは思わなかった。驚いて、段から足を踏み外しそうになる。「な、なに?」


「なに、とは。というより、足は大丈夫ですか?」

 先に下へ降りた夏丞が、訝しげにこちらを見上げている。

「……大丈夫、だけど」


 彼の飄々(ひょうひょう)とした態度はなにも変わらない。深玉は目をそらす。

 先ほどのやりとりを、この男はどう捉えているのだろうか。


「手をお貸ししましょうか?」


 さっき転びそうになったことを、濡れた足元のせいだとでも思ったのか。夏丞がなに食わぬ顔で、気障(きざ)ったらしく手を差し出してきている。

 夏丞も無感情ではないだろうに、なにもなかったような顔をされると、気にしているこちらがまるで子どものようで。


「い――」いらない、と言いかけて、しかしいつものようにここで断るのはなんだか癪だと思ってしまい。「……じゃあ、遠慮なく」


 あえて男の手を取って、そのまま駆け下りた。

 まさか乗ってくるとは思っていなかったのだろう。男は、隣で面食らったような顔をしていて。

 いや、正確に言うなら、飼い犬に手を噛まれたとでもいうような、そんな表情か。


「また突っぱねるとでも思った?」

「いいえ?」この挑発には受けて立つらしい。「あんなあとですから、今くらいは素直になられるのではと思っていました」


 この男も、多少はひっかかっていたのではない

か。

 彼も人並み程度に苛立つのだと知れただけでも、収穫だと思った。 


「ああそうだ、手といえば」深玉はいつもの調子を取り戻し、殿舎でのやりとりを思い返す。「わたしには、皇子さまは嘘をおっしゃってるようには見えなかったのだけど」


 握って開いてと手を見つめていると、意図を理解したのか、呆けていた夏丞が「ああ」と我に返る。

「嘘はなかったと思いますよ。あれぐらいの年齢ですと、大人がいくら嘘を教えこもうとボロが出るものです。態度も目線も、違和感はありませんでした」


 あえて敦皇子の手を取って話を聞いていた夏丞がいうのだから、間違いはないのだろう。


「だとすれば、皇子さまの話に出てきた、名前がわからないけど頻繁に話題に上がっていた人っていうのは……」

 夏丞が言葉を継ぐ。「あえて皇子に気取られないよう、蓉昭儀と魏美人が名前を伏せていたのでしょうね。ふたりだけで、なにか(おおやけ)にしたくない情報を共有しておられたとしか」


 これがただの憂さ晴らしのための陰口、のはずはない。蓉昭儀は外出をほとんどしない身の上、人間関係に敏感なたちとは思えない。深玉はため息を落とす。

「あとは、おふたりがなにが原因で衰弱しているのかわかればいいんだけど……」


 退出間際に見た、力なく横たわる敦皇子の姿が脳裏に焼きついている。このまま放っておけば、母親と同じ末路を辿るのは時間の問題である。

 夏丞の表情も晴れない。

「皇子のところだけでは情報が少なすぎます。私はこのまま廉明殿(れんめいでん)へ例の手紙について確認しに行こうと思っていますが――」一瞬、間が空く。「深玉さんは、どうされますか?」


 おや珍しい。こちらの意志を聞く気のようだ。


「行く」


 ここまできたのだから、迷うことはなかった。

 あの子を見殺しにすることは、むかしの自分を殺すも同義だと、思ってしまったのだから。

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