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2-4 謎の特技


 十番書庫を後にする頃には、すっかり日が高くなっていた。長く薄暗いところにいたせいか、外の眩しさに目が慣れない。


「詩文の後半のことで、ひとつ確認したいんだけど」

 深玉しんぎょくは人目を気にして声を落とす。廻廊から臨む園林(にわ)には、ちらほらと箒を持った宮女がいた。

「わたしは、三句目と四句目は『あの侍女』のことをさしてると思ったけど、あなたは?」

 蓉昭儀ようしょうぎの一件から一夜明け、形ばかりだが日常が戻ってきているのだろう。どこの殿舎も扉が開け放たれ、しどけなく寛ぐ女達の姿も見られた。


 夏丞かじょうも外の眩しさに目を細めている。「あの、とは?」

「『孤燕、雪原を(しの)ぎ』……燕、雪から連想して、雪燕(せきえん)のことを表しているじゃないかと思って」

 『去る(ところ)、相疑うこと()かれ』は字面の意のまま、行先を疑うなということであれば。

「ああなるほど、そうとも取れますか」横を歩く夏丞が感嘆の声をあげる。「雪燕さんを疑うな、信じろという意味になるのですね。私は別の意味で捉えていました」

「別の意味?」

「姓名ですよ。蓉昭儀はその姓を(えん)、名を芙蓉(ふよう)と言うそうです」


 知らなかった。彼女の『蓉』の号は名から取っていたということか。深玉は「へえ」と漏らす。

「ひとり孤独にとぶ燕、ね……」

 水祥殿すいしょうでんに籠り、他の妃とあまり親しくしていなかった彼女らしい表現ではある。

 深玉は顎を撫でる。「結局どちらが正しいんだろう」

「どちらも正しいのでは?」夏丞が風になびく官服を押さえる。「少なくとも、蓉昭儀のことを雪燕さんが心から慕っていたのは事実でしょうから」

 確信に満ちた言い切りに、深玉は首をかたむける。

「ずいぶん自信があるのね」

「ええ」夏丞はにっこりと微笑む。「手を握れば判りますからね」

 手、とな。深玉は己の手を見つめる。「なにそれ」

「手には感情がよく出るんですよ。指先が冷える、汗をかく、強張(こわば)る……色々ありますが、手を握れば、その方が嘘をついているのかどうかくらい、判るります」


 深玉は水祥殿での夏丞の様子を思い出す。雪燕や沙李の肩を抱き、手を握って指を絡め……見ていて辟易するような接触の数々を。深玉は呆れ半分、驚き半分に夏丞の横顔を見やる。


「なにその特技」

「職業病です」


 そんな職業、あってたまるか。

 しかし多くを語る気はないらしく、夏丞は涼しげに前だけを見ている。


「べたべた触るのには、そういうわけがあったのね」

「なんですその目は。下心で女性に触れていたと思われるのは、少々心外ですね」


 物言いたげに目を細める夏丞であったが、ふとなにかに目を留めたようで、欄干(らんかん)の向こうへと顔を向けてしまった。つられて深玉も首を巡らすと――幾人かの女官が、仕事の手を止めてこちらを見つめているのに気がつく。みな一様に、夏丞を凝視しており。


 後宮に男が立ち入ればまあこうなるか、と深玉は得心する。水祥殿に夏丞と(おもむ)いてからすでに一日は経過している。あの場にいた女官だけでなく、道中で彼を目にした女達がいることを考えれば、当然噂にもなるだろう。


 夏丞は笑みを(たた)えたまま、女達へ鷹揚(おうよう)に礼をする。きゃあと黄色い声があがる様を、深玉は白けた目で見ていた。

 見慣れてしまったが、そういえば無駄に顔の整った男だったということを思い出す。


「そういうのを、下心っていうんだよ」

 深玉がこぼすと、素知らぬ顔で肩をすくめられる。

「下心じゃありません。使えるものを、最大限に使っているだけです」

 こいつはいつか女に刺されるだろうな、と思った。


 しばらくして筆録房が見えてくると、夏丞が足を止めた。


「私はこのまま後宮の外に出ようと思います。すこし外で用事を済ませなければならないので」


 深玉は「そう」とだけ頷く。そろそろ深玉の検閲業務も溜まってくる頃合いなので、この時分でひとりになれるのは正直助かる。


「あと、これはこのまま私が持っていますね」

 と言って、夏丞が自らの懐を撫でた。書庫を出る前に、彼があの文章を懐へ入れている姿をみていたため、口に出さずともなんのことかはわかる。


「そうして」思い出すだけで、胸の奥が重たくなる。「わたしには荷が重い。……それじゃ」


 早々に筆録房へ戻ろうとする深玉だったが、夏丞が引き止める。 


「それと、私がいない間、深玉さんにはひとつ仕事をお願いしたいのですが」

「仕事……?」

「蓉昭儀の遺書鑑定の、結果報告書です」


 ああ、たしかに。これが刑部から依頼された夏丞の本来の業務であったのだから。


「いつまでに必要なの? 急げば明日中にでも仕上げられるけど」

「それはありがたい」夏丞が微笑む。「早ければ早いほど、先手を打てますから。とても助かります」

「は……先手?」よく見れば、彼の笑みには一抹の含みがある。嫌な予感がした。「なに、先手って」

「少々、お耳をお借りしてもよろしいですか?」


 顔を寄せてくる夏丞に、深玉はじとりとした視線を向けるしかなかった。


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