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転生王子はスライムを育てたい ~最弱モンスターが世界を変える科学的飼育法~  作者: 宵町あかり


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第89話 神の奇跡

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

転生王子はスライムを育てたい第89話をお届けします。


六体共鳴の成功から数日後、メルキオール大司教が突然の訪問を。レオンの研究は「神の奇跡」として解釈され、大聖堂での式典開催が決定される。そして次はガルヴァン騎士団長からの呼び出しが...。誤解と困惑の第89話をお届けします。


お楽しみください!

 六体共鳴の成功から数日が経った。


 レオンは研究室で、光の波長データを眺めていた。机の上には、ルミナと共に記録した実験ノートが積まれている。六体共鳴で生まれた虹色の光。あの現象を再現し、より深く理解するための研究が、今日も続いていた。


「この波長なら、魔素との共鳴がもっと...」


 レオンが呟きながら、数式を書き留めていく。前世の知識と、この世界の魔法理論が、頭の中で融合していく感覚があった。光の粒子性と波動性。量子力学的な視点で魔素を捉え直せば、新しい発見があるかもしれない。


 研究に没頭する時間は、レオンにとって至福だった。誰にも邪魔されず、純粋に知識を追求する。王子という肩書きも、周囲の期待も、全てが遠のいていく。ただ目の前の謎を解き明かすことだけに集中できる。この感覚を、レオンは何よりも愛していた。


「レオン様」


 フィルミナの落ち着いた声が、静かな研究室に響いた。炎属性を持つ第一覚醒個体、フィルミナ。透明感のある赤い髪を揺らし、紫の瞳でレオンを見つめている。


「お茶をお持ちしました」


「ああ、ありがとう、フィルミナ」


 レオンは顔を上げた。フィルミナが銀のトレイを持って、優雅に近づいてくる。その横には、ルミナもいた。淡い金色の髪が柔らかな光を纏い、金色の瞳が優しく微笑んでいる。


「レオン様、少し休憩されてはいかがですか?」


 ルミナが丁寧な言葉遣いで勧める。第六覚醒個体として最後に加わったルミナは、今やレオンの最も信頼する研究パートナーだった。光属性を持つ彼女との共同研究は、毎日が新しい発見に満ちている。


「そうだね。ちょうど良いタイミングだ」


 レオンはペンを置き、フィルミナが淹れてくれた紅茶を受け取った。温かいカップを両手で包み込む。優しい香りが鼻をくすぐり、心が落ち着いていく。


 三人で研究机の周りに座った。フィルミナが静かに微笑み、ルミナが嬉しそうに目を輝かせている。窓から差し込む午後の陽光が、穏やかな空気を作り出していた。


「六体共鳴の成功...本当に素晴らしいものでしたわ」


 ルミナが、紅茶を一口飲んでから呟いた。数日前、古代の神殿で達成した六体共鳴。三つのペアがそれぞれの試練を乗り越え、六体全員が心を一つにした瞬間。あの光景は、レオンの心に深く刻まれている。


「ルミナが加わってくれたからこそだよ」


 レオンは素直に答えた。五百年の封印から解放されたルミナ。彼女の光の力が加わったことで、六体共鳴は新たな段階に到達した。


「いえ、私こそ...皆様のおかげですわ」


 ルミナが謙虚に首を横に振る。その仕草が、柔らかな光の粒子を周囲に散らしていく。彼女の感情は、光の輝きに反映される。今、その光は温かな金色に満ちていた。


「これからも、一緒に研究を続けようね」


 レオンが二人を見渡した。フィルミナが静かに頷き、ルミナが「はい!」と明るく答える。この平和な時間が、ずっと続いてくれればいいのに。レオンは心の底から、そう願っていた。


---


 穏やかな空気の中、研究室の扉がノックされた。


「失礼します、殿下」


 シグレが、いつもの悠然とした様子で入ってきた。銀髪の長髪を揺らし、紫紺の瞳でレオンを見つめている。四十一歳の科学魔法院上級研究員、シグレ・マカレア。レオンの研究を支える、かけがえのないメンターだ。


「シグレ、どうしたの?」


「少し、お時間をいただけますか」


 シグレが珍しく、真面目な表情を浮かべていた。いつもは飄々としているシグレが、こんな顔をするのは珍しい。レオンは直感的に、何か大切な話だと感じた。


「もちろん。二人も聞いてくれるかな」


 フィルミナとルミナが頷く。シグレは四人掛けのソファに腰を下ろし、ゆっくりと口を開いた。


「殿下の研究について、少し考えていたことがあります」


「研究について?」


「ええ。殿下は、純粋に知的好奇心から研究を続けておられる。それは素晴らしいことです」


 シグレの声が、静かに響く。レオンは息を呑んで、次の言葉を待った。


「しかし、研究というものは、時に世界を変える力を持ちます。殿下の六体共鳴は、間違いなくそのレベルに達している」


 レオンの胸に、微かな不安が芽生えた。シグレは何を言おうとしているのだろう。フィルミナとルミナも、真剣な表情でシグレを見つめている。


「世界を変える...?」


「ええ。古代の力を現代に蘇らせた。それだけで、各国が注目するには十分です」


 シグレの言葉が、レオンの心に重くのしかかってくる。そう言われてみれば、三つの光柱は王都から見えたはずだ。いや、もっと遠くからも見えたかもしれない。各国が反応しても、おかしくはない。


「でも、僕はただ研究を...」


「それは分かっています」


 シグレが穏やかに微笑んだ。


「殿下は純粋です。だからこそ、私は支援を続けているのです。ただ...」


 シグレが一呼吸置いた。


「研究の意義を、時には考えることも必要かもしれません。殿下の研究が、どのように世界に影響を与えるのか。それを理解しておくことは、決して無駄ではありません」


 レオンは、シグレの言葉を噛み締めた。研究の意義。自分は、ただ知的好奇心に従って実験を続けてきた。スライムの可能性を証明したい。覚醒個体たちと共に、新しい発見をしたい。それだけが目的だった。


 しかし、その研究が世界を変えるかもしれない。そう考えると、背筋が少し冷たくなる。自分は、そんな大それたことをしているのだろうか。ただ、楽しくて、興味深くて、仲間と一緒に進めてきただけなのに。


「レオン様」


 フィルミナが、優しくレオンの肩に手を置いた。


「レオン様の研究は、私たちにとって何よりも大切なものです。それがどう解釈されようと、私たちは変わりません」


「フィルミナ...」


「研究の意義は、レオン様が決めればいいのです。他の誰でもなく、レオン様ご自身が」


 フィルミナの言葉が、温かくレオンを包み込む。そうだ。研究の意義は、自分で決めればいい。他人がどう言おうと、自分の信念は変わらない。


「ありがとう、フィルミナ」


 レオンが微笑むと、ルミナも続けた。


「私たちは、レオン様と一緒に研究を続けたいだけですわ。それ以上でも、それ以下でもありません」


「ルミナも...ありがとう」


 シグレが満足そうに頷いた。


「良い仲間をお持ちですね、殿下。それなら、私の心配は杞憂だったかもしれません」


「シグレ、忠告をありがとう。でも僕は、研究を続けるよ。何があっても」


「それで良いのです。研究者は、信念を曲げてはいけません」


 シグレが立ち上がり、レオンの頭に手を置いた。


「失敗の先にこそ、新発見がある。私の口癖を、覚えておいてくださいね」


「うん、覚えてる」


 四人の間に、温かな空気が流れた。シグレの忠告も、フィルミナとルミナの励ましも、全てがレオンの心を強くしていく。研究の意義について考えることは大切だ。でも、それ以上に大切なのは、自分の信念を貫くこと。そして、仲間と共に歩むこと。


 レオンは心の中で、静かに決意を新たにしていた。何があっても、研究は続ける。誤解されても、批判されても、自分の道を進む。この仲間たちと一緒なら、どんな困難も乗り越えられる。


 そう信じていた。


---


 穏やかな午後の時間が流れていた、その時だった。


 研究室の扉が、勢いよく開け放たれた。


「れ、レオン様ああああああ!」


 息を切らした使者が、駆け込んできた。王宮の下級職員と思われる若い男性が、顔を真っ赤にしている。


「どうしたの?」


 レオンが驚いて立ち上がった。使者は肩で息をしながら、必死に言葉を搾り出す。


「メ、メルキオール様が...!」


「メルキオール?」


 メルキオール。セレスティア聖教国の大司教。以前、神殿での試練の後に現れた、あの神秘主義的な聖職者だ。


「緊急会見を...王宮への訪問を...今すぐに...!」


 使者の言葉が、途切れ途切れに続く。レオンとフィルミナ、ルミナが顔を見合わせた。シグレが、「ほら、来ましたね」と小さく呟く。


「...会見?」


「はい...! メルキオール様が...どうしても今すぐ...レオン様に...!」


 使者が息を整えようとしている。その慌てぶりから、ただごとではない雰囲気が伝わってくる。


 レオンの心に、嫌な予感が走った。メルキオールは、以前も六体共鳴を「神の奇跡」と解釈していた。今回の三つの光柱も、きっと同じように解釈されているのだろう。


「...行かないわけには、いかないよね」


 レオンが小さく呟いた。フィルミナが心配そうに眉を寄せ、ルミナが不安そうにレオンを見つめている。


「レオン様、私たちも同行いたしますわ」


「ああ、お願い。二人がいてくれると心強いよ」


 シグレが穏やかに微笑んだ。


「私は研究室で待機していますね。何かあれば、いつでも」


「ありがとう、シグレ」


 レオンは深呼吸をした。平和な研究の時間が、終わろうとしている。そんな予感が、胸の奥で静かに広がっていった。


---


 王宮の謁見の間は、いつになく華やかな装飾で飾られていた。


 金色の燭台に灯された炎が、壁の壁画を照らしている。赤い絨毯が、玉座から入口まで続いている。そして、その絨毯の上に——


「おお、レオン殿下!」


 メルキオール大司教が、両手を広げて立っていた。白い法衣を纏い、金の刺繍が施された聖職者の帽子を被っている。その顔は感動に満ち、瞳には涙すら浮かべていた。


「お会いできて光栄でございます!」


 メルキオールが、大げさに一礼する。その動きは演劇的で、まるで舞台の上の役者のようだった。


「大司教様、お久しぶりです」


 レオンは礼儀正しく挨拶した。その横には、フィルミナとルミナが控えている。二人とも、静かに警戒の色を浮かべていた。


「殿下! あの日の奇跡を、この目で目撃できた私は、何と幸運なことでしょう!」


 メルキオールの声が、謁見の間に響き渡る。レオンは内心で、「また始まった」と小さく溜息をついた。


「あれは魔法実験の結果でして...」


「いいえ、違います!」


 メルキオールが、レオンの言葉を遮った。


「あれは神が、殿下を通じて示された奇跡に他なりません!」


 レオンの心に、困惑と諦めが混じり合った感情が広がっていく。以前も同じような会話をした。説明しても、全く通じなかった。今回も、きっと同じだろう。それでも、一応は説明を試みなければ。


「大司教様、あれは六体共鳴という魔法現象で...」


「六体共鳴! まさに神の御業です!」


 メルキオールが感動に震えている。レオンの説明は、完全に無視されていた。


「実は、古代の文献にもこう記されております」


 メルキオールが、懐から古い羊皮紙を取り出した。


「『光の選ばれし者が現れし時、世界は新たなる時代を迎える』と!」


「それは、多分...別の話だと思うんですけど...」


 レオンの声は、もはや届いていなかった。メルキオールは完全に自分の世界に入り込み、古代文献を熱心に読み上げている。


「『三つの光が天に昇り、闇を照らす。その時、神の御心が顕現する』...これです、これ! まさに殿下の奇跡そのものではありませんか!」


 レオンは、フィルミナとルミナを見た。二人とも、困った表情を浮かべている。特にフィルミナの目には、「やはりこうなりましたね」という諦めの色が浮かんでいた。


 レオンの心に、複雑な感情が渦巻いていく。メルキオールは悪意を持っているわけではない。むしろ、善意に満ちている。純粋に、神の奇跡を目撃したと信じている。その信仰心を、レオンは否定したくなかった。でも、それを認めることは、自分の研究を否定することになる。これは魔法実験だ。科学的な探求の結果だ。神の御業などではない。


 どう説明すればいいのだろう。何を言えば、理解してもらえるのだろう。レオンの頭の中で、言葉が空回りしていく。結局、何も言えないまま、ただメルキオールの熱弁を聞くしかなかった。


「そして殿下、私は決意いたしました!」


 メルキオールが、突然大きな声を上げた。


「この奇跡を、広く世に知らしめるべきだと!」


「...え?」


 レオンの背筋に、冷たいものが走った。


「王都の大聖堂にて、盛大な式典を開催いたします。そこで、殿下の奇跡を全ての信徒に伝えるのです!」


「ちょ、ちょっと待ってください...!」


「ご心配なく! 準備は全て整えます。殿下はただ、お越しいただければ...!」


 メルキオールの目が、狂信的な輝きに満ちていく。その光を見た瞬間、レオンは悟った。もう止められない。説明しても無駄だ。メルキオールは、完全に「神の奇跡」を信じ込んでいる。


「あの、僕は研究者で...」


「謙虚さも、神の選ばれし者の証です!」


 レオンの言葉が、また遮られた。フィルミナが心配そうにレオンを見つめ、ルミナが小さく唇を噛んでいる。


「では、明日、大聖堂にてお待ちしております!」


 メルキオールが満面の笑みで、勝手に予定を決めてしまった。レオンは、もはや何も言えなかった。


---


 翌日、レオンは王都の大聖堂に立っていた。


 高い天井、色鮮やかなステンドグラス、荘厳な祭壇。大聖堂の内部は、神聖な空気に満ちていた。そして、その祭壇の前に、レオンは立たされている。


 周囲には、数百人の信徒たちが集まっていた。老若男女、様々な身分の人々が、期待に満ちた目でレオンを見つめている。


「皆様!」


 メルキオールの声が、大聖堂に響き渡った。


「本日、我々は奇跡の目撃者となります!」


 信徒たちが、息を呑んで次の言葉を待っている。レオンは、祭壇の脇に控えるフィルミナとルミナを見た。二人とも、心配そうな表情を浮かべている。


「この方こそ、神の選ばれし者、レオン殿下であります!」


 メルキオールが、レオンを指し示した。


「おおおおおー!」


 信徒たちから、どよめきが起こった。拍手が沸き起こり、歓声が上がる。レオンは、その熱気に圧倒されていた。


「先日、天に三つの光が昇りました! それは、神が殿下を通じて示された奇跡なのです!」


「奇跡だ!」「神の御業だ!」


 信徒たちの声が、口々に響く。レオンは、必死に冷静さを保とうとしていた。


「あの、皆さん、これは魔法実験の結果でして...」


 レオンが説明を試みた。しかし、その声は大聖堂の広さの中で、ほとんど届いていない。


「ご覧ください! 殿下の謙虚さを!」


 メルキオールが、レオンの言葉を別の意味に解釈した。


「神の奇跡を『実験』と仰る! それは、神の愛しておられる謙虚さの証ではありませんか!」


「おおおおおー!」「素晴らしい!」「ますます神の選ばれし者だ!」


 信徒たちの歓声が、さらに大きくなった。レオンは頭を抱えたくなった。説明が、完全に逆効果になっている。何を言っても、「謙虚さ」と解釈されてしまう。


 レオンの心に、深い無力感が広がっていく。説明が通じない。聞く気がない。いや、聞いているのだろうが、理解してもらえない。自分の言葉が、全く違う意味に変換されてしまう。研究者としての自分が、神秘主義的な文脈に回収されていく。この感覚は、言いようのない居心地の悪さを生んでいた。


「そして、殿下は六体の覚醒個体を従えておられます!」


 メルキオールが、フィルミナとルミナを指し示した。


「古代の力を持つ存在を! これもまた、神の御業の証です!」


 フィルミナが、静かに眉をひそめた。ルミナは、困ったように首を傾げている。覚醒個体たちを「従える」という表現に、レオンは違和感を覚えた。彼女たちは、従者ではない。仲間だ。研究パートナーだ。家族のような存在だ。


「あの...」


 レオンが、もう一度説明しようとした。しかし、その瞬間——


「おお、神よ!」


 メルキオールが、突然床に跪いた。


「この者たちに、祝福を!」


「祝福を!」「神の御加護を!」


 信徒たちも、次々と跪き始めた。大聖堂全体が、祈りの場に変わっていく。


 レオンは、立ち尽くしていた。何が起きているのか、もはや理解できなかった。自分は、ただ研究をしていただけなのに。スライムの可能性を証明したかっただけなのに。なぜ、こんなことになっているのだろう。


 フィルミナが、小さな声で囁いた。


「レオン様...」


「...うん」


 レオンは、小さく頷いた。もう、何も言えない。説明は無駄だ。メルキオールも、信徒たちも、完全に信じ込んでいる。自分の言葉は、届かない。


 祈りが続く中、レオンは静かに目を閉じた。諦めと困惑が、心の中で渦巻いている。でも、同時に、小さな決意も芽生えていた。


 誤解されても、構わない。批判されても、構わない。自分は、研究を続ける。仲間と共に、新しい発見を追求する。それが、自分の道だ。


 他人がどう解釈しようと、自分の信念は変わらない。


---


 大聖堂の控室に戻ると、レオンは椅子に深く座り込んだ。


 フィルミナとルミナが、心配そうに寄り添ってくる。


「レオン様、大丈夫ですか?」


「...うん、大丈夫。ただ、疲れたよ」


 レオンは正直に答えた。精神的な疲労が、どっと押し寄せてくる。


「メルキオール様は...善意なのでしょうね」


 フィルミナが、静かに呟いた。


「うん、悪意はない。むしろ、純粋に信じている。だからこそ、余計に...」


 レオンの言葉が、途切れた。善意だからこそ、説明が通じない。信仰心を否定したくないからこそ、強く反論できない。このジレンマが、レオンを苦しめていた。


「レオン様」


 ルミナが、優しくレオンの手を取った。


「私たちは、レオン様を支えますわ。どんな時も、どんな誤解があっても」


「ルミナ...」


「研究は続けましょう。それが、レオン様の本当の道ですから」


 フィルミナも、レオンの肩に手を置いた。


「私たちは、レオン様と一緒に歩みます。他の人がどう言おうと、変わりません」


 二人の温かさが、レオンの心を包み込む。そうだ。この仲間たちがいる。誤解されても、批判されても、一緒に歩んでくれる仲間がいる。


「ありがとう、二人とも」


 レオンが微笑んだ。疲労は残っているが、心は少し軽くなっていた。


「まずは、研究室に戻ろう」


 レオンが立ち上がった。フィルミナとルミナが頷き、三人は王宮の廊下を歩き始めた。


---


 研究室に戻ると、他のスライムたちが待っていた。


「レオン様、お帰りなさい!」


 マリーナが、明るい声で駆け寄ってきた。水色の髪を揺らし、青い瞳を輝かせている。


「大変だったんだね、レオン」


「...うん」


 テラが、短い言葉で労ってくれる。言葉は少ないが、その茶色の瞳には優しさが宿っていた。


「誤解は、時に研究者の宿命ですわね」


 クリスタが、優雅に微笑んだ。白銀の髪が、研究室の灯りに輝いている。


「でも、レオン様は研究を続けられるでしょう?」


 エオリアが、風のように軽やかな声で尋ねた。銀色の髪が、見えない風に揺れている。


「もちろん」


 レオンが、力強く答えた。


「誤解されても、批判されても、僕は研究を続ける。みんなと一緒に」


 六人のスライムたちが、同時に微笑んだ。その笑顔が、レオンの心を温かく包み込んでいく。


「レオン様」


 フィルミナが、静かに口を開いた。


「私たちは、いつでもレオン様の味方です。それを、忘れないでください」


「ありがとう、フィルミナ。みんな」


 穏やかな時間が流れた。メルキオールの熱狂的な宗教的解釈。説明が全く通じなかった無力感。それらが、少しずつ癒えていく。


---


 レオンは、窓の外を見た。


 夕暮れの空が、オレンジ色に染まっている。王都の街並みが、柔らかな光に包まれていた。


 しかし——


「...なんだか、少し違和感がある...」


 レオンが、小さく呟いた。


 フィルミナが、すぐに反応した。


「どうされましたか、レオン様?」


「いや、気のせいかな...空気が少し重いような...」


 レオンは自分の感覚を、うまく言葉にできなかった。何かが、いつもと違う。微かに、ほんの微かに、空気が重たい気がする。


「レオン様の直感は、いつも当たるのですけれど...」


 フィルミナが、心配そうに眉をひそめた。レオンの直感を、彼女はよく知っている。これまでも、レオンの「何となく嫌な予感」は、何度も的中してきた。


「大丈夫だよ、フィルミナ。きっと、今日の疲れだと思う」


 レオンは、フィルミナを安心させようと笑顔を作った。でも、心の奥では、その違和感が消えないでいた。


 その時だった。


 研究室の扉が、またしても勢いよく開かれた。


「レオン様!」


 息を切らした使者が、駆け込んでくる。今度は、王宮の中級職員と思われる女性だ。


「ガルヴァン様が、緊急会議を! 今すぐ、王宮へ...!」


「...ガルヴァン?」


 レオンの心に、新たな嫌な予感が走った。ガルヴァン。ヴァレリア王国の炎龍騎士団長。軍事的な視点でレオンの研究を見ている、あの武骨な軍人だ。


「今度は...軍人...?」


 レオンが小さく呟いた。フィルミナとルミナが、顔を見合わせる。


「メルキオール様の次は、軍事的解釈ですか...」


 フィルミナが、冷静に状況を分析した。


 レオンは深呼吸をした。平和な研究の日々が、完全に終わった。そう実感せざるを得なかった。


 六体共鳴の成功。三つの光柱。それは、単なる魔法実験の成功ではなかった。世界を動かす出来事だったのだ。そして今、その波紋が、確実に広がり始めている。メルキオールの宗教的解釈。次はガルヴァンの軍事的解釈。その次は、きっとまた別の誰かが、別の解釈を持ち込んでくるだろう。


 レオンの心に、諦めと決意が混じり合った感情が満ちていく。誤解されても、構わない。批判されても、構わない。自分は、研究を続ける。それだけは、絶対に変わらない。この仲間たちと一緒なら、どんな困難も乗り越えられる。そう信じている。でも同時に、心の片隅で、あの微かな違和感が消えないでいた。まるで、何か大きなことが起きる前触れのような...


「...行こう」


 レオンが立ち上がった。


「次は、どんな解釈をされるのか...もう、覚悟を決めるしかないね」


 スライムたちが、静かに頷いた。レオンは研究室を出て、また王宮へと向かった。


 窓の外では、夕暮れの光が王都を照らしていた。しかし、その光は、どこか冷たく感じられた。


 新しい騒動が、また始まろうとしている。そして、その背後には、まだ見えない何かが、静かに蠢いている——。

第89話、お読みいただきありがとうございました。


メルキオール大司教の熱狂的な宗教的解釈、レオンの困惑と諦め、そして新たな呼び出し。レオンの研究は、宗教と軍事の両面から注目を集め始めました。次回はガルヴァン騎士団長との会議が待っています。レオンの平和な研究生活は、どうなってしまうのでしょうか。


次回もお楽しみに。


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