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転生王子はスライムを育てたい ~最弱モンスターが世界を変える科学的飼育法~  作者: 宵町あかり


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第74話 街角の出会い、予言者の警告

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

転生王子はスライムを育てたい第74話をお届けします。


街での情報収集。マリーナの買い物修行と、路地裏で出会った謎の予言者。「六つの心が一つになる時」――その言葉の意味とは?


お楽しみください!

 対極共鳴の実験から二日。久しぶりに街へ出ることにした。


「研究ばかりじゃ、視野が狭くなる」


 研究ノートを閉じながら、そう思う。フィルミナやクリスタの実験は成功した。温度ゼロの炎という、理論上存在しないはずの現象を再現できた。でも、それだけじゃ足りない。


 魔法は理論だけで完結するものじゃない。街の人々がどう生活しているか、魔法がどう使われているか、市井の知恵がどんな発見に繋がるか——現場を見ることも、研究の重要な一部だ。データとしては現れない「生きた知識」が、そこにはある。学術書には載っていない、人々の経験則や工夫。そういった情報こそ、新しい発見の種になるかもしれない。


 それに、マリーナに街での振る舞いを教える良い機会でもある。スライムから人型になって、まだ人間社会のことをよく知らない。買い物という日常的な行為から、少しずつ学んでもらおう。


「マリーナ、リヴィエル。準備はいい?」


 玄関で、二人が待っていた。


「わーい!お買い物だね!レオンと一緒にお出かけ!」


 マリーナが飛び跳ねる。水色の髪が揺れて、朝日に輝く。その無邪気な笑顔を見ていると、胸の奥から温かいものが溢れてくる。スライムだった頃の彼女は、こんな表情をすることはなかった。人型になって、感情が豊かになって、こうして喜びを全身で表現できるようになった。その成長を見守れることが、僕にとってかけがえのない喜びだ。まるで朝日が心の中に差し込んできたような、優しい温もり——教育者としての責任と、仲間としての喜びが、心の中で溶け合う。


「坊ちゃま、護衛は私が務めます」


 リヴィエルが剣を携帯する。凛とした立ち姿が頼もしい。彼女の警戒の目は、既に周囲を走査している。流石は元秘密諜報員だ。


「ありがとう、二人とも。今日は情報収集も兼ねているから、色々な人と話してみよう」


 笑顔で答えた。


---


 王都の市場は、朝から賑わっていた。


「わぁ!色んなお店がある!人がいっぱい!」


 マリーナが目をキラキラさせる。


「市民の様子を観察してみよう。それと、マリーナは買い物の練習だよ」


 周囲を見回す。果物屋、パン屋、魚屋、雑貨屋、香辛料屋——様々な店が並んでいる。活気に溢れた市場は、王都の豊かさを象徴している。商人の呼び声、子供たちの笑い声、硬貨が手の中で鳴る音。人々の営みが、朝の光の中で踊っているようだ。


「レオン!あれ見て!すっごく綺麗な果物!」


 マリーナが果物屋を指差す。


「本当だ、色鮮やかだね」


 色とりどりの果物が並んでいる。赤いリンゴ、黄色いバナナ、緑のブドウ——どれも新鮮で、陽光を浴びて輝いている。果物から立ち上る甘い香りが、朝の空気に混ざり合う。市場の喧騒の中にあっても、この一角だけは甘い楽園のようだ。


「新鮮な果物だよ!お嬢ちゃん、試食してみる?」


 店主が笑顔で小さなリンゴを差し出す。


「はい!いただきます!」


 マリーナが一口齧る。その瞬間、彼女の顔がぱぁっと明るくなった。


「美味しい!甘くて、ジューシーで、幸せな味がする!これ、全部ください!」


「えっ、全部!?」


 慌てた。店の果物全部って、いったいいくつあるんだ。ざっと見ても50個以上はありそうだ。


「マリーナ、『全部』は多すぎるよ。それに、果物は日持ちしないから、食べきれないよ」


「でも、こんなに美味しいのに...」


 マリーナが残念そうな顔をする。その表情が子犬のように愛らしくて、思わず笑みが零れる。教育係として正しい判断を伝えなければならないのに、こんなにも可愛らしい表情を見せられると、つい甘やかしたくなってしまう。でも、それではマリーナのためにならない。心を鬼にして、でも優しく教えなければ——教育の難しさと楽しさを、同時に実感する瞬間だ。人間社会の「適量」という概念を、どう伝えればいいのか。言葉を選びながら、マリーナの目を見つめる。


「じゃあ、一人一個ずつ計算してみよう。僕とマリーナとリヴィエル、それにフィルミナたちも含めて...8人分、8個でどうかな」


「わかった!じゃあ8個ください!」


 マリーナが元気よく注文する。目を細めて、指で数を確認している。その真剣な様子が微笑ましい。


「お嬢ちゃん、賢いね!8個だね、はいどうぞ」


 店主が果物を袋に詰める。


 リヴィエルが小さく微笑んでいる。


「坊ちゃま、マリーナの教育...なかなか大変ですね」


「でも、マリーナは素直だから、ちゃんと学んでくれるよ」


---


 次はパン屋。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。焼きたてのパンの香りと、バターの甘い香り。それが市場の空気に混ざり合って、思わず深呼吸してしまう。


「わぁ、パンの良い匂い!お腹が空いてきた!」


 マリーナが店に駆け寄る。


「焼きたてパンだよ!今朝焼いたばかりさ!」


 店主が誇らしげに言う。店内には、様々な種類のパンが並んでいる。ふっくらとした食パン、こんがりと焼けたフランスパン、ツヤツヤの菓子パン——それぞれが異なる個性を主張している。


「あ、あれも美味しそう!これも!えっと...これ全種類1個ずつください!」


 マリーナが棚のパンを次々と指差す。


「全種類!?」


 店主が驚く。こちらも驚いた。全種類って、20種類以上あるぞ。それを全部買ったら、袋がいくつ必要になるんだ。


「マリーナ、ちょっと待って...」


 止める。


「確かに全種類食べてみたい気持ちは分かるけど、20個以上は多すぎるよ。それに、パンも日持ちしないし」


「うーん...でも、どれも美味しそうで選べない...」


 マリーナが真剣に悩んでいる。眉を寄せて、一つ一つのパンを見比べている。その姿が微笑ましくて、心が温かくなる。人間になってまだ日が浅いのに、こんなにも一生懸命に考えている。選択することの難しさ、欲しいものを我慢することの大切さ——そういった人間社会の基本を、今まさに学んでいる最中だ。焦らず、丁寧に教えてあげよう。マリーナの成長を見守ることが、僕にとってもかけがえのない学びになっている。科学実験とは違う、でも同じくらい大切な「教育」という営み。その重みと喜びを、噛みしめる。


「じゃあ、今日は3種類選んでみよう。次に来た時に、また違う種類を試せばいいよ」


「なるほど!じゃあ、これと、これと、これ!」


 マリーナが慎重に3つ選ぶ。一つずつ手に取って、香りを確かめている。


「良い選択だね、マリーナ」


 彼女の頭を撫でた。マリーナが嬉しそうに笑う。その笑顔が、朝日よりも明るい。


 リヴィエルが感心したような顔をしている。


「坊ちゃま、教育が上手ですね。マリーナも学習が早い」


「マリーナは賢いからね」


---


 さらに香辛料屋へ。色とりどりの香辛料が並んでいる。赤、黄色、緑、茶色——自然の色彩が、小瓶の中で静かに輝いている。異国の香りが鼻をくすぐり、想像力を刺激する。


「わぁ、これもいい香り!」


 マリーナが唐辛子の瓶を手に取る。赤い粉末が入った小瓶だ。


「これ、綺麗な赤色!美味しそう!これ、たくさんください!」


「お嬢ちゃん、それ激辛唐辛子だよ?そのまま食べたら大変なことになるよ」


 店主が慌てて止める。


「えっ!?食べちゃダメなの!?」


 マリーナが瓶を見つめる。困惑した表情が可愛らしい。


「マリーナ...それは調味料で、料理に少しだけ入れるものなんだ。直接食べるものじゃないよ」


 優しく説明した。人間社会の複雑さ——食べ物と調味料の違い、直接食べるものと加工して食べるもの。そういった区別を、一つずつ教えていく。


「そうなの?じゃあ、この綺麗な黄色い粉は?」


「それはカレー粉だね。これも調味料だから、そのままは食べないよ」


「調味料って難しい...」


 マリーナが困惑している。その表情が可愛らしい。


「大丈夫、少しずつ覚えていこう。今度、一緒に料理してみようか」


「本当!?やった!レオンと一緒に料理!」


 マリーナが嬉しそうに飛び跳ねる。その無邪気な喜びに、こちらまで嬉しくなる。


 リヴィエルが呆れたような、でも優しい顔をしている。


「坊ちゃま...マリーナに料理を教えるのは、また一苦労ですね」


「でも、楽しそうだよ」


 笑いながら答える。確かに大変だろうけど、マリーナと一緒なら、その大変さも楽しい思い出になる気がする。


---


 そして、魚屋。生臭い匂いが漂ってくる。海の香りが、街の真ん中に運ばれてきたようだ。


「あ、お魚だ!」


 マリーナの目が輝く。でも、その輝きは今までと少し違う。どこか懐かしそうな、そして少し寂しそうな輝きだ。


「海で見たことある魚!懐かしい...あの頃を思い出す」


 マリーナが魚を見つめている。その表情に、胸が締め付けられる。スライムだった頃の記憶——海で泳いでいた頃の思い出。人型になった今でも、その記憶は彼女の中に残っている。過去を懐かしむ心——それは人間ならではの感情だ。喜びと寂しさが混ざり合った複雑な感情を、マリーナは今、初めて経験しているのかもしれない。その心の揺れを、そっと受け止めてあげたい。共に寄り添い、支えてあげたい。過去は消えないけど、新しい未来は一緒に作れる。そう伝えたい。


「お嬢ちゃん、魚が好きなのかい?」


 魚屋のおじさんが優しく聞く。


「はい!私、海に住んでたんです!スライムだった頃...」


 マリーナが小さな声で言う。懐かしさと、少しの恥ずかしさが混ざった声だ。


「あ、この魚...私の友達だったかも?同じ海域に住んでた」


 マリーナが一匹を見つめる。その目が潤んでいる。


「マリーナ...」


 彼女の肩に手を置いた。温もりを伝えたい。一人じゃないって、感じてほしい。


「でも、この子はもう...食べられちゃうんだよね」


 マリーナが涙目になる。


「...そうだね。でも、マリーナ、これも命の循環なんだ」


 優しく説明する。難しい概念だけど、大切なことだ。


「魚は人間の食べ物になって、人間は魚に感謝する。そして人間もいつか自然に還る。全部、繋がってるんだよ」


「命の...循環...?」


 マリーナが首を傾げる。まだ完全には理解できていないかもしれない。でも、その疑問を持つこと自体が、成長の証だ。


「うん。だから、この魚を買って、美味しく調理して、感謝して食べれば、魚も喜ぶよ。無駄にしないことが、命への敬意なんだ」


 マリーナがゆっくりと頷く。涙を拭いながら、でも理解しようとしている。その姿が、とても健気だ。


「...わかった。じゃあ、この子を買おう。ありがとうって言いながら、美味しく食べる」


「それがいいね」


 彼女の頭を撫でた。マリーナが少し笑顔になった。寂しさは残っているけど、受け入れようとしている。その強さが、僕の誇りだ。


 リヴィエルが感心したように言う。


「坊ちゃま、良い教育をされていますね。マリーナも成長しています」


「マリーナは心が優しいから、時間をかけて教えれば、ちゃんと理解してくれるんだ」


---


 買い物を続けながら、意識的に市民と会話を始めた。研究のヒントが、意外なところに隠れているかもしれない。市井の知恵、民間の伝承——そういった「データ化されていない知識」こそ、新発見の種になることがある。


「すみません、最近、何か変わったことはありましたか?街の様子とか、自然現象とか」


 果物を売っている老婦人に聞いてみる。


「ああ、そういえば...北の森で光る植物が見つかったって話ですよ」


「光る植物...ですか?」


 興味を持った。ルミナの光の影響だろうか。魔素が周囲の生態系に与える影響——それは僕の研究テーマの一つでもある。


「夜になると、金色に光るんだとか。まるで星が地面に降りたみたいだって」


「金色...」


 確かにルミナの光は金色だ。でも、植物が光るなんて、魔素が周囲の生態系に影響を与えている可能性がある。興味深い現象だ。共鳴による環境への影響——これは予想外のデータになるかもしれない。頭の中で仮説が組み立てられていく。


「他に何か珍しいことは?」


 今度はパン屋の主人に聞いてみる。


「古い遺跡も見つかったらしいですよ。王都の東、森の奥深くに」


「遺跡...それは、どんな?」


 心臓が高鳴る。古代遺跡——それは古代魔法の痕跡かもしれない。


「詳しくは知らないけど、石で作られた建物で、不思議な文字が刻まれてるんだって」


 古代遺跡...古代魔法の痕跡かもしれない。これも調べる価値がある。予言者の言葉と、何か繋がりがあるかもしれない——そんな予感がする。


「貴重な情報をありがとうございます」


 礼を言った。


 さらに、雑貨屋の店主にも聞いてみる。


「最近、風の音が変わったって話、聞いたことありますか?」


「ああ!ありますよ!なんだか、音楽みたいに聞こえるんです」


「音楽みたいに...?」


 エオリアの影響だ。間違いない。


「ええ。メロディがあるような、でも自然な風の音なんです。不思議ですよね」


 エオリアの影響だ。彼女の音の魔法が、周囲の風に影響を与えているのかもしれない。魔素の環境伝播——これも新しい研究分野だ。


「これは...全部繋がっているかもしれない」


 頭の中で情報を整理する。光る植物、古代遺跡、音楽のような風——全部、僕たちの実験と関係がありそうだ。点と点が線で繋がっていく感覚。研究者として、この瞬間がたまらなく好きだ。


 リヴィエルが近づいてくる。


「坊ちゃま、情報収集が順調ですね」


「うん。予想以上に興味深い情報が集まったよ」


---


 情報を集めていると、マリーナが急に立ち止まった。


「レオン、あそこ...何か変な感じがする」


 人気のない路地裏を指差す。その表情が真剣だ。目を細めて、じっと路地の奥を見つめている。


「どうした?」


「わからない...でも、何か...不思議な気配がする。悪い気配じゃないけど...」


 マリーナの直感を侮ってはいけない。スライムだった頃から、彼女は環境の変化に敏感だった。その感覚は、人型になった今でも健在のようだ。


 リヴィエルも警戒態勢に入る。手が剣の柄に添えられる。


「坊ちゃま、下がってください。私が先に確認します」


 彼女の手が剣の柄に添えられる。元秘密諜報員の本能が、危険を察知したのかもしれない。


「いや、一緒に行こう。マリーナも感じたなら、何かあるはずだ」


 三人で路地裏に入る。


 不思議なことに、路地裏に入った瞬間、周囲の音が遠のいた。市場の喧騒が、まるで別世界のように感じられる。空気が、微かに震えているような——いや、歌っているような感覚だ。魔素が、何らかのパターンで振動している。これは...ただの偶然じゃない。意図的な魔法陣か、それとも自然発生的な共鳴現象か。科学者としての好奇心が疼くが、同時に警戒も怠れない。


 リヴィエルが周囲を見回す。目が鋭く、一切の隙がない。


「誰もいませんが...何かが近づいています」


 その時、背後から声が聞こえた。


「...集いし者よ」


 振り返ると、ローブを纏った老人が立っていた。顔は深いフードの影で見えない。でも、その存在感は圧倒的だ。まるで、時間そのものが具現化したような、古く、深い存在感——歴史の重みを纏った何か。足音も気配もなく、いつの間にかそこにいた。人間業じゃない。


「誰...?」


 警戒しつつも、敵意は感じない。むしろ、何か懐かしいような、既視感に似た感覚がある。初めて会うはずなのに、どこかで知っているような——不思議な感覚だ。


 老人がゆっくりと近づく。その歩みは、まるで風のように音がしない。足が地面を踏んでいるのに、何の音も立てない。まるで幻影のようだ。


「光と影が交わる時...対極が調和する時」


 曖昧な言葉。でも、その言葉には重みがある。単なる比喩じゃない——具体的な何かを指している気がする。


「光と影...対極の調和...?」


 驚きで心臓が高鳴る。これは、僕たちの実験のことを言っているのか?フィルミナとクリスタの対極共鳴実験、ルミナとエオリアの光と風の実験——。誰にも話していない研究内容を、この老人はどうして知っているのだろう。予知能力を持つ者なのか、それとも何らかの手段で僕たちを監視していたのか。疑問と驚愕が、胸の中で渦巻く。でも不思議と恐怖は感じない。むしろ、この出会いには必然性があるような、運命に導かれたような感覚さえある。心が震えている——興奮なのか、畏怖なのか、それとも期待なのか。自分でもわからない。


「...調和は訪れる。されど、試練もまた待ち受ける」


 老人の声が、まるで予言のように響く。低く、深く、遠くから聞こえてくるような声だ。


「波は重なり、音は響き、色は混ざり合う」


「六つの心が一つになる時、真の力が目覚める」


「何を言ってるの...?」


 マリーナが困惑している。でも、少し分かる。六つの心...それは、フィルミナ、マリーナ、テラ、クリスタ、エオリア、ルミナのことだ。六体共鳴——僕が理論化しようとしている、究極の魔法現象。それを、この老人は知っている。


 老人が手を挙げる。その手は、まるで木の根のように節くれだっている。時間の重みが、その手に刻まれている。


「...道は示された。進むか、立ち止まるか」


「選択は、常に汝らの手に委ねられている」


 その言葉に、背筋が伸びる。選択——僕たちの未来は、僕たち自身が決める。運命は与えられるものじゃなく、選び取るものだ。


「待って、もっと詳しく教えてください!」


 前に出た。知りたい。この人は何を知っているのか。未来を、運命を、僕たちの研究の行く末を——。


 老人が立ち止まる。フードの奥から、わずかに光が漏れる。目なのか、それとも別の何かなのか——わからない。


「...古き記憶が目覚める。封じられし力が解かれる」


「だが、真の力は...試練を超えた先にのみ」


「試練...それは何ですか?」


 食い入るように聞く。手帳を取り出そうとして、でも手が止まる。記録すべきなのか、それとも心に刻むべきなのか——判断がつかない。


 老人が首を振る。ゆっくりと、まるで永遠の時を生きてきたような、悠然とした動作だ。


「...それは、汝ら自身が見出すもの」


「私はただ...風の囁き、水の歌、大地の声を伝えるのみ」


「待ってください、もっと...」


 その瞬間、老人の姿が光に包まれ、そして霧のように消えた。まるで最初からいなかったかのように。残ったのは、微かな魔素の残滓と、言葉の余韻だけだ。


「えっ!?消えた!?どういうこと!?」


 マリーナが驚いて周囲を見回す。目を見開いて、路地の隅々まで探している。


「幻影か...いや、魔法の痕跡もない。気配も完全に消えた」


 リヴィエルが剣を抜いて周囲を警戒する。彼女の目が真剣だ。全身が臨戦態勢になっている。


「坊ちゃま、これは尋常ではありません。高度な魔法か、それとも...」


「予言者...かもしれない」


 呆然とした。予言者——古代から語り継がれる、未来を見通す者。伝説の存在だと思っていた。でも、今目の前で起きたことは現実だ。あの老人の言葉、その存在感、そして消え方——全てが人知を超えている。僕たちの研究が、何か大きな運命の流れの中にあるのだとしたら——。恐れと期待が入り混じる。未知への好奇心が疼く。でも同時に、仲間たちを危険に晒すかもしれないという不安も芽生える。科学者として興味深い。でも、友として、彼女たちを守りたい。その両方の気持ちが、胸の中で激しくぶつかり合う。


「『集いし者』『光と影』『六つの心』...全部、僕たちのことを言っていた」


 マリーナが不安そうに聞く。声が少し震えている。


「レオン、あの人は敵なの?」


「いや、敵意は感じなかった。むしろ、何かを伝えようとしていた」


 彼女の肩を抱き寄せる。震えを止めてあげたい。


「坊ちゃま、危険かもしれません。王宮に戻りましょう」


 リヴィエルが提案する。冷静だけど、緊張が声に滲んでいる。


「そうだね。でも...あの人は敵じゃなかった気がする」


 三人で顔を見合わせた。


「『試練』『選択』『真の力』...全てが謎だけど、これは偶然じゃない」


 手帳を取り出して、老人の言葉を書き留める。一字一句、正確に記録する。科学者として、データは大切だ。たとえそれが予言であっても——。


---


 屋敷に戻る途中、考え続けた。頭の中で、情報が渦を巻いている。


 予言者の言葉。光る植物。古い遺跡。音楽のような風——。


 全てが繋がっている。僕たちの実験が、何か大きな流れの一部だとしたら...偶然じゃない。必然だ。でも、その必然の先に何があるのか、まだ見えない。霧の中を手探りで歩いているような、不確かな感覚。でも、進まなければ何も見えない。それだけは確かだ。


「レオン、大丈夫?難しい顔してる」


 マリーナが心配そうに聞く。その声で、我に返る。


「うん、大丈夫。ちょっと考え事をしてただけ」


 笑顔で答えた。心配させたくない。


「今日は本当に良い情報が集まったよ。マリーナ、買い物も上手になったね」


「えへへ、レオンが教えてくれたから!お役に立てて嬉しい!」


 マリーナが元気に笑う。その笑顔が、不安を少し和らげてくれる。どんなに複雑な謎に直面しても、こうしてマリーナの屈託のない笑顔を見ると、心が軽くなる。フィルミナたちの温かい存在が、いつも僕を支えてくれている。予言者の言葉は確かに気になる。試練も待っているかもしれない。でも、一人じゃない。仲間がいる。その事実が、僕に勇気をくれる。きっと、どんな試練も乗り越えられる——そう信じられる。科学だけじゃなく、心の支えが必要だって、マリーナが教えてくれた。


「坊ちゃま、この件は王宮に報告すべきでしょうか」


 リヴィエルが真剣な表情で聞く。諜報員としての本能が、報告の必要性を訴えているのだろう。


「うーん...まだ分からないことが多すぎるから、もう少し自分で情報を集めよう。それに、予言者の言葉が本当なら、これは僕たちが自分で解決すべきことかもしれない」


 夕日が王都を照らしている。長い影が石畳に伸びている。光と影——予言者の言葉が、夕暮れの風景に重なる。


 新しい謎が、待っている。でも、恐れはない。フィルミナたちと一緒なら、どんな試練も乗り越えられる気がする。予言は予言だ。未来は確定していない。僕たちが、僕たち自身の手で、未来を切り開く——そう決めた。


---


 屋敷に戻ると、研究室に直行した。謎を解くには、データの整理が必要だ。


「シグレ、予言者の言葉を整理したいんだ」


 ホワイトボードに、予言者が言った言葉を書き出していく。一つずつ、丁寧に記録する。


「『集いし者』『光と影』『六つの心』...全部、僕たちに関係している」


 シグレが真剣な表情で図を見る。彼女の冷静な分析眼が、いつも僕の思考を整理してくれる。


「確かに。『六つの心』は、フィルミナ様たち六人を指しているようですね」


「それに、『光る植物』『古代遺跡』『音楽のような風』...これらも関連しているはずだ」


 矢印で繋いでいく。市場で集めた情報と、予言者の言葉——全てが一つの大きなパズルのピースのように思える。光る植物はルミナの光の影響、音楽のような風はエオリアの魔法。そして古代遺跡は、きっと僕たちの研究の鍵を握っている。ホワイトボードに描かれた図が、まるで星座のように繋がり始める。点と点が線になり、線が面になる。全体像が、少しずつ見えてくる。


「光る植物はルミナの光の影響。音楽のような風はエオリアの魔法。そして古代遺跡は...」


「六体共鳴に関係する、ということでしょうか」


 シグレが考え込む。指で顎に触れ、思索に沈んでいる。


「おそらく。予言者は『試練』とも言った。六体共鳴には、何か条件があるのかもしれない」


 ノートに仮説を書き出す。研究者として、曖昧な予言を具体的な仮説に落とし込む必要がある。科学的アプローチで謎を解明したい。データを集め、仮説を立て、実験で検証する——それが僕のやり方だ。


**仮説:六体共鳴の発現条件**


1. 六人の心が一つになること(感情的な結束)

2. 古代遺跡での実施が必要(場所的な条件)

3. 何らかの触媒が必要(音叉、魔導結晶など)

4. 特定の魔素パターンの発生(環境的な条件)


「仮説は立てられました。次は、これを検証する方法ですね」


 シグレが頷く。彼女の冷静な分析が、いつも僕の思考を整理してくれる。感情に流されず、データと論理で物事を考える——その姿勢が、僕の研究を支えている。一人で考えていると堂々巡りになることも、シグレと話すことで明確になる。


「まず古代遺跡を探すことから始めよう。テラの大地感知能力があれば...」


 計画を練り始めた。予言者の言葉は抽象的だが、それを具体的な行動計画に変換できる。古代遺跡の探索、六属性の魔力パターンの分析、共鳴条件の検証——やるべきことが見えてきた。不安はまだ残るけれど、明確な目標があると心が落ち着く。未知への恐れより、発見への期待の方が大きい。科学者として、これ以上の喜びはない。


---


 その日の夕方、各国の諜報員は緊急報告を送った。


 ガルヴァン(神聖騎士団)が震える手で報告書を書く。羽ペンが紙に走る音が、部屋に響く。


「第三王子レオン、民衆に紛れて諜報活動を実施!」


「市場での情報収集は、民衆扇動の準備か!?」


「さらに、路地裏で謎の人物と接触!秘密結社との繋がりか!」


「全軍に通達!最高レベルの警戒態勢を発令!」


 報告書に「最高機密」の印を押す。その手が震えている。


---


 メルキオール(聖教国神官)が興奮して祈りを捧げる。聖堂に声が響き渡る。


「王子が庶民に奇跡を見せ、民衆を導いた!」


「そして神の使徒と面会!これは神の布教活動の開始だ!」


「全国民に祈祷を命じ、王子の奇跡を讃えよ!」


 香炉を振り、聖歌を歌い始める。興奮で声が上ずっている。


---


 チェン・ロン(東方連合商会)が満面の笑みで報告する。算盤を弾きながら、利益を計算している。


「市場調査は商業戦略の基本!王子は経済学も極めておられる!」


「商品選定、価格交渉、消費者心理の把握!完璧な市場調査だ!」


「全商隊に通達!王子の商業戦略を学び、市場情報を収集せよ!」


 報告書を封筒に入れ、商会の紋章を押す。笑みが止まらない。


---


 学術国の学者たちが興奮して議論する。研究室に怒鳴り声が響く。


「民俗学的フィールドワークの完璧な実践例だ!」


「市場調査から古代遺跡発見...これぞ学問の本質!」


「全大学に通達!実地調査の重要性を再教育せよ!」


「王子は学術研究の模範だ!」


 ノートに記録しながら、次々と仮説を立てていく。興奮で手が震えている。


---


 一方、レオンは屋敷で——


「ただの買い物なんだけど...」


 マリーナが買ってきた果物を美味しそうに食べながら、苦笑いしていた。甘い果汁が口に広がる。美味しい——でも、なぜかこの平和な時間が、少し不思議に感じられる。


 フィルミナが不思議そうに聞く。


「レオン様、今日の買い物はどうでしたか?」


「うん、マリーナが上手に買い物できるようになってきたよ。それに、面白い情報も集まった」


「面白い情報?」


 フィルミナが首を傾げる。その仕草が可愛らしい。


「光る植物、古代遺跡、音楽のような風...全部調べてみる価値がありそうだ」


 予言者のことは、まだ話さない。もう少し情報を集めてからにしよう。


 世界が揺れ動こうとも、レオンは知らない。


 各国が戦略会議を開き、警戒態勢を強化し、経済政策を見直そうとも——。


 その温度差が、果てしなく大きい。


 そして、その温度差こそが、この物語の醍醐味だった。

第74話、お読みいただきありがとうございました。


マリーナの成長と、予言者からの謎めいた言葉。「集いし者」「光と影」「六つの心」...全てがレオンたちに関係しているようです。


次回は宮廷音楽会へ。そして古代音叉の手がかりが...!


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