第40話 氷の守護者
夜明けの氷原の奥に、それはあった。巨大な氷の宮殿——白銀の壁が朝日を受けて輝き、高くそびえる尖塔と精巧な彫刻が、まるで水晶のような透明度で眼前に広がっている。
「これは...」
レオンの目が驚きに見開かれた。人工物だ、間違いない。
「古代の記憶保管庫...? いや、研究施設の可能性も...この規模なら」
科学者の目が建造物を分析する。
プリマたちの共鳴が最高潮に達していた。
「この中に...」
震える声とともに、フィルミナもテラも同じことを感じていた。
「強い気配...」
「...ずっと、待っていた」
リヴィエルが剣を抜き、警戒態勢を取る。
「レオン様、気をつけて」
その声には緊張が滲んでいた。
氷の宮殿の扉がゆっくりと開き、冷気が吹き出す。何かが来る——白い光が宮殿の中から溢れ、氷の結晶が舞い上がった。冷気が一気に強まり、レオンの息が白く凍る。
光の中から、白銀の髪が風になびいた。氷のような青い瞳、美しく儚く、そして圧倒的な存在感——レオンは思わず息を呑んだ。
フィルミナが震える声で呟く。
「クリスタ様...」
テラも涙ぐんでいた。
「300年ぶりに...お会いできて」
白銀の存在——クリスタが一歩前に進み、その瞳がレオンを見つめる。
「あなたが...救世主と呼ばれる者?」
声が氷原に響いた。冷たく、でもどこか寂しげな響き。
レオンは観察を始めていた。科学者の癖で、どうしても抑えられない。
「人間...? いや、この気配は」
魔力探知器が激しく反応している。
「スライムの魔力反応...でも形態が完璧だ。人型を維持したまま、これほどの魔力を——」
レオンの心が躍った。研究者の本能が叫ぶ——これは千載一遇のチャンスだ。
「君は...完璧な保存状態の個体だ!」
興奮が声に滲み、レオンは一歩前に出た。瞳が輝いている。
「ぜひ、研究させてほしい」
ノートを取り出し、ペンを構える。
「この形態は前例がない。記憶保存の鍵になるかもしれない」
純粋な好奇心と、科学者としての正直な想い。悪意など微塵もない。
瞬間——クリスタの瞳が氷よりも冷たくなり、体が震える。
「また...また、道具扱い...!」
氷の力が爆発的に膨れ上がり、周囲の空気が凍りつく。
「300年前も同じだった! 研究対象! 実験材料! 標本! 私は...人じゃないのか!」
クリスタの声が絶叫に変わり、涙が頬を伝う。でも、すぐに凍った。
レオンは困惑した。
「え...? でも、僕は」
何が悪かったのか、わからない。ただ研究したかっただけなのに。
フィルミナが悲痛な声で叫んだ。
「レオン様、違うんです! 彼女は、あなたが思っているような...」
言葉が続かない。
クリスタの怒りが氷の槍となって現れた。鋭く、冷たく——殺意すら感じる。
「もう...騙されない。優しい顔をして...でも、その目は——標本を見る目...!」
氷の槍がレオンに向かって放たれた。フィルミナが飛び出し、水の壁を作って槍を弾く。だが、氷の力は圧倒的だった。次々と槍が現れ、吹雪が巻き起こり、視界が白一色に染まる。
「私を見るな! その目で! 研究者の目で!」
クリスタの叫びに、レオンは必死に応える。
「待って! 話を聞いて! 僕は...ただ研究したいだけで」
その言葉が、クリスタの怒りをさらに激化させた。
「聞き飽きた! 300年前も、同じ言葉を聞いた! 純粋な学術的興味、って! でも、結果は同じだった!」
吹雪がさらに強まり、氷の壁が一行を取り囲む。マリーナが凍結しかけ、テラが慌てて守る。
「これは...クリスタ様の本気...」
プリマが震えた。
レオンは立ち尽くしていた。理解できない——なぜこんなに怒っているのか、なぜこんなに悲しんでいるのか。
「彼女は...何があったんだ」
科学者の目では見えないもの。人の心の痛み。
フィルミナが涙ぐんでいた。
「レオン様...あなたは優しいのに、でも言葉が...」
クリスタの涙が氷となって散った。
「私は...もう、騙されない」
氷の槍がレオンに向かい、鋭く冷たく——命を奪う一撃となって襲いかかる。
その瞬間、リヴィエルが飛び出した。
「レオン様!」
剣で槍を受け止めるが、氷の力は想像以上だった。剣が弾かれ、槍がリヴィエルの肩を掠める。血が白い雪を赤く染めた。
「リヴィエル!」
レオンの叫びが響く。リヴィエルは傷を負いながらも、レオンの前に立ちはだかった。
「大丈夫です...私が、守ります」
震える声だが、剣を握る手は強い。
クリスタが動揺した。
「あなたは...」
リヴィエルはクリスタを見つめた。その目には共感があった。
「私も...道具扱いされた。貴族の家で、有能な護衛としてのみ評価された。人として扱われたことは...一度もなかった」
クリスタの手が震えた。
「あなたも...そうだったの?」
リヴィエルは頷いた。
「でも」
レオンを見る。その目には想いが溢れていた。
「レオン様は、違った。初めて人として見てくれた。研究対象じゃなく、道具でもなく——一人の人間として」
涙が頬を伝う。
「レオン様は...言葉が下手なだけ。心から、あなたを知りたいと思ってる」
クリスタの氷が揺らいだ。
「本当に...?」
疑念の声。でも、リヴィエルの目を見て——嘘じゃないとわかった。
氷の攻撃が止まった。クリスタはリヴィエルの傷を見ていた。血が流れている。自分が傷つけた。
「あなたは...本気で」
躊躇が生まれた。
レオンは自分を見つめた。何が間違っていたのか。
「僕は...また間違えた」
声が震える。
「研究者としての視点——それが人を傷つけた。また...人を傷つけた」
フィルミナがレオンの肩に手を置いた。
「レオン様、彼女を人として見て。標本じゃなく、研究対象じゃなく——一人の、傷ついた人として」
レオンはクリスタを見た。科学者の目ではなく、人として。
そこにいたのは、300年の孤独を抱えた一人の人だった。
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一行は一旦引いた。リヴィエルの傷を手当てしながら、レオンは自分を責めていた。
「ごめん...僕のせいで」
傷口に魔法をかける。
リヴィエルは微笑んだ。
「レオン様のせいじゃ...」
優しい声。でも、レオンは首を振った。
「僕は...彼女を人として見なかった」
研究者としての反省——いや、人としての反省。
「次は...人として、向き合いたい」
フィルミナが頷いた。
「それが、レオン様の優しさ」
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一方、氷の宮殿でクリスタは一人だった。リヴィエルの目が脳裏に焼きついている。
「あの女性の目...嘘じゃなかった。本物だった」
疑念が芽生える。
「もしかして...私が間違えて」
でも、300年前の痛みが蘇る。
「でも...あの男は」
まだ信じられない。心が揺れていた。
第40話、いかがでしたでしょうか?
クリスタ初登場!
レオンの無自覚な言葉が、彼女の古傷を抉ってしまいました。
リヴィエルの共感と想いが、二人の心を繋ぐ鍵になりそうです。
各国の反応は...今回は控えめでしたね。
氷の宮殿の前で、彼らも固唾を飲んで見守っています。
レオン「研究対象って言っちゃダメだったのか...」
次回、第41話「凍結された真実」にて。
記憶抽出実験で明かされる300年前の真実とは。
そして、各国の壮大な誤解が再び炸裂します。
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