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月下のリナウス

 この星にぶっ飛ばされてから、なんだかんだで一ヶ月。

 気づけばすっかりこっちの生活にも馴染んでしまった。


 昼は騎士団で訓練、夜は仲良くなった連中と酒場でワイワイ。

 うまい飯と酒でグビッとやって、グダグダ話して、大笑いして──

 意外と悪くない異世界ライフ。


 リナウス様との同居生活も板についてきた。

 最初こそ「光栄であります!」とか思ってたけど、今じゃ普通に「ただいまー」って言ってる自分がいる。

 ……まあ、できればもうちょいラッキースケベ展開があってもいいと思うんだけどな?

 毎日一緒に暮らしてて、なのに一切なしってどゆこと?ねぇ?

 少しくらい、運命の女神様が何かしらご褒美くれても良くない?

 とはいえ、訓練の成果は着実に出てきてる。

 ギュムノトス様の電撃スキルもちょっとずつ使えるようになってきたし、

 他の二人──キバさんとヴェスパ様の能力も、ほんのり発動する瞬間が増えてきた。

 これは……来てる。間違いなく俺、レベルアップしてる!


 ……でも。


 ひと月もすればさすがに恋しくなってくるものもあるわけで。

 あの空の青さ、ぽっかり浮かぶ白い雲。

 スマホで見るどうでもいいニュース。

 俺の癒しの猫動画とエロ動画。

 パチンコのジャラジャラしたけたたましい音。

 あと、味噌汁と納豆と……醤油。そう、醤油の味!


 俺、ちょっとホームシック。


 というわけで、今日はリナウス様に聞いてみようと思う。

 この世界と俺の世界の違いとか、戻れる可能性とか──いや、そこまで重くならない程度に、さりげなく。

 怒らせたら命がないからね、マジで。


 さてさて、どうやって話題を切り出そうか……

 俺の頭の中で、慎重すぎる作戦会議が始まったのだった。



 リナウス様のティータイム、それはこの屋敷で最も優雅なひととき。


 最近の俺はというと、騎士団のついでに城のメイドさんからお茶の淹れ方を学んでまして。

 努力の甲斐あって、ようやく「飲んでもらえるレベル」の紅茶をリナウス様に出せるようになった。


 今日も、香り高い一杯を出すと──


「ふむ…」

 リナウス様が、目を閉じて香りをゆったりと味わう。

 その翅が光を受けて、ふわりと揺れるたびに思う。

 ……やっぱり、見た目は完璧なんだよなこの人(性格以外は)。


 今日はご機嫌が良さそうだし、ちょっと気になってたこと聞いてみよう。


「リナウス様。少し、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「うん? なんだい?」

「僕たち、こちらに来てからそろそろ一月ほど経ちますが……地球に帰ることって、できるんでしょうか?」


 するとリナウス様は──


「うん?」

 と、右に小さく首を傾げた。


 ……来た。これ、俺の知る限り“嘘つきモード”のサインである。


「地球のことは、量子伝達で私に伝わっている。場所も、距離も把握している。だから……私の力が回復すれば、帰還も可能だろう」


 それっぽくて格好いいセリフ。でも俺は知ってる。

 この一ヶ月の同居生活で得た“リナウス様取扱説明書”によれば──

「右に首を傾けながら専門用語を話す時=話半分以下で聞け」が正解。


 でもここで「それ嘘でしょ?」とか言ったら、俺、たぶん縦に真っ二つになる。

 なのでそこは慎重に流す。


「やっぱり……ブルーを時空の彼方へ飛ばしたの、相当なエネルギー使ったんですね」

「うむ。空間を操る私であっても、異なる時空へのアクセスは相当パワーが必要なんだ」

 今度は首をスッと縦に頷きながら語るリナウス様。


 ──こっちは本当だ。

 やっぱりわかりやすいな、リナウス様。


 そして俺は心の中でそっと思う。

 地球帰還は、まぁ……気長に考えるか。


 それよりまずは、このお茶のおかわりを要求されてもすぐに全力で淹れることに集中しよう。

 命がけで。



「ところでさ、リナウス様。あのブルーのことなんですけど……“事象の彼方”ってとこに飛ばしたんですよね?」


「うむ、そうだ。人間ごときが二度と戻れぬ絶対領域……我が究極奥義によってな」


 さすがリナウス様、ドヤ顔全開。

 けど──俺の中にはちょっぴり引っかかることがあった。


 だって、俺たちがこの世界に飛ばされてきたのって、まさに“事象の彼方”ってやつなんじゃ……?


「……ブルーも、もしかしてこの世界に飛ばされてる、なんてこと、ありません?」


 その一言で、リナウス様がビクゥッと震えた。

 ティーカップを持つ手が微かに震え、カタカタと小刻みに音を立てる。


「そ、そんなわけないぞ!? うん! あり得ないとも! 心配無用だ!」


 あっ、これは完全に図星のやつだ。

 こっちの世界に来てる可能性、リナウス様、今初めて考えたなコレ。


 ──ワイルド戦隊ビーストライザー、青の戦士・ブルーホーン。

 その肉体には“究極のパッシブスキル”が宿っている。


 《彼の肉体は、完璧で、常にひとつである》。


 どんな攻撃を受けようが、肉体の分断だけは絶対に起きない。

 つまり、リナウス様の得意技「空間断裂」は、ブルーには無効。


 ブルーはこれまでキバさんとは互角の勝負を繰り返し、毒使いのヴェスパ様には何度も殺されかけたけど──

 リナウス様だけは、唯一、ブルーに決定打を与えられなかった。


 だからこそ、最後の手段として“どこかへ吹き飛ばす”しかなかったわけで。


 もし、その“どこか”が今いるこの世界だったとしたら……

 ブルーがここにいるとしたら──


 回復してないリナウス様、詰む。


「だ、大丈夫ですって、リナウス様。僕、キバさんとヴェスパ様の能力、ちょっとずつ使えるようになってきてますし。何より、今のリナウス様には究極魔法がありますから! ブルーなんて、敵じゃないっすよ!」


「う、うむ。そうだな! そうだよな。うん、ブルー単体など、もはや取るに足らぬ……!」


 言いながら、お茶のカップはまだ震えてたけど。

 まぁ、あまり不安にさせるのも気の毒なので、ここはひとつ俺の出まかせで励ましておく。


 いつもは氷のように冷酷で、他人なんて虫けらみたいな目で見る超然系クールビューティーなのに、

 想定外のピンチになると、こんなにちょろくて動揺しまくるの、ほんとギャップエグい。


 ……ああ、やっぱそんなリナウス様、好き。



 俺は最近、訓練の合間を縫って“この世界の強者たちの情報を集める”っていう任務を仰せつかった。

 要するに──


 仕事が増えた。


 ねぇ、リナウス様、こういうのこそあなたがやってくれません? って毎回思うけど、口に出したら空間ごと裂かれかねないので黙ってる。命、大事。


 で、そんな地味任務をこなすために、俺は時々リナウス様を“癒しの聖女”としてお供に、病人を治すっていう口実で、各地を転々としている。


「おお、聖女様……!」

「妖精姫よ、なんと神々しい……!」


 と、どこに行ってもリナウス様は大人気。まさに“リナウス様フィーバー”真っ只中だ。

 いや、分かるよ。見た目は超絶美形、神々しさマシマシだし。


 でも、言えない。

 その癒しの力の正体は、殺人ナノマシンが肉体で偽りの機能してるだけってことは……口が裂けても言えない。

(物理的に裂かれるから)


 だから、群衆の感動に包まれるたび、俺は「うわぁ……」って微妙な顔で背後から見守っていた。


 そんな癒しの巡業の裏で、俺は地味に文献やら口伝やらを調べまくってた。

 いわば、フィールドワークである。


「遥か東の果てに、空を突き破るほどの巨人族が住む国があるらしい」

「南西の荒野には、鉄すら弾く鱗を持つリザードマンたちの大国がある」

 ……とかなんとか。


 でもまぁ、正直どいつもこいつも、今のリナウス様の敵ではないっぽい。

 魔力フルチャージの“究極モード”になったあの人に比べたら、雑魚も同然だろう。


 ……で、肝心のブルーに関する情報は──今のところゼロ。

 よし、まだ来てない。セーフ。


 とはいえ、油断は禁物だ。

 この世界、見た目ファンタジーでも中身はめちゃくちゃハードモード。

 いつブルーが「よっ」って顔出してくるかわからない。


 というわけで、俺は今日もリナウス様の癒しの旅に同行しつつ、

 これこそ戦闘員の矜持。地味に裏でスパイ活動みたいなことやってるのであった──。



 任務帰りの軽い打ち上げ。

 いつものように、騎士団の連中と地元の酒場でワイワイやっていた。


「うーん……うぅ……」

 イリオが、ぐったりとテーブルに突っ伏していた。


「隊長、大丈夫っすか。酒、合わなかったんじゃ?」

「いやいや、隊長って毎回こうだよ? 飲むの早いだけ」


 そんな感じで、いい具合に盛り上がっていたら、そのうちの一人がぽろっと面白い話をこぼした。


「そういえば最近さ、南の方で魔族が軍を動かしてるって噂があるんだよね」

「ほう? まさかこの国にも戦争が近いってか?」


「いや、そこまではいかないと思うけどさ。イリオ隊長がその情報収集や対策で結構バタバタしててさ」


 隊長、お疲れ様です。


「なるほどなぁ……魔族の目的も気になるな」

 それっぽいことを言ってみる俺。

 うん、この“場に溶け込んでる感”……悪くない。


「王様も、妖精姫を守るってすっかりご執心らしいよ」

「妖精姫信者、また増えてるな〜」


 いや、それ、リナウス様のナノマシンの影響だよ。

 精神に共鳴して、信仰心ブーストかけてくるやつ。

 言えないけどね。怖くて。


「まあ、王様が元気そうでよかったよ。リナウス様、そう簡単に魔族に感知されるようなタマじゃないし」


「そうだな。万が一のときは、俺たち騎士団が黙ってないぜ?」


 おそらく、その“万が一”すら来ないと思うけど、「ありがとう」とだけ言っておいた。

 気持ちは嬉しいし、たぶん本人たちも本気だ。


 でも正直、この国はもう──

 リナウス様のナノマシンに完全に侵されてる。


 ……いや、いい意味でね?

 きっと……たぶん。




 俺はひとつ、ふと面白いことを思いついた。

 あの魔族の軍団……もしかして、利用できるんじゃないか?


 いやいや、味方にするわけじゃない。

 あくまで、“うまく使う”ってだけ。


 というわけで、さっそく我らが絶対女王、リナウス様に相談してみる。


「リナウス様、実は遠方で魔族の軍団が活発に動いてるって噂があるんですよ」


「ほう。この世界にもそういう無粋な連中がいるのね」


 リナウス様はエプロン姿で人参をシャキシャキ切りながら、軽く答える。

 ちなみに料理は俺、完全に戦力外。何回か挑戦したけど、毎回「うわぁ…」って顔された。マジで泣くかと思った。

 でも、リナウス様のご飯は本気で美味いんだよな。なんとかその最悪の性格を除いて結婚してくれないだろうか。


「で、思ったんです。リナウス様の新魔法、試すにはいい相手じゃないかって」


「ふむ?」


「最近いろんな魔法覚えましたよね? 自分の力がどれくらい通用するか、実験してみたい頃かなーって」


「ほほう、確かに」


「しかも、相手はなんでも破壊しちゃう魔族集団。自然や街を美しく保ちたいリナウス様としては、もう許せない存在なんじゃないかと!」


 リナウス様は完璧主義で、美しいものが大好き。

 つまり、何でもぶっ壊して回るような魔族軍団は、存在がもう許せないはず!


「なるほど。それは良い案ね。……何か、企んでるように感じるけど?」


 ギクッ。

 やっぱバレるよね? この人、察知能力はエスパー級だし。


「いやいや、企むっていうより! 純粋に、この国の脅威を排除したいだけでして! ついでにリナウス様のストレス発散にもなるかなーと、ハハ……」


「まぁ、いいわ。乗ってあげましょう。さ、夕飯できたわよ」


「ありがとうございます!!」


 こうして、俺のちょっと壮大な“プロジェクト”が、いよいよ動き始めたのであった。



 イリオに頼んで、騎士団の上層部からリナウス様専用の馬車――じゃなくて“竜車”を借りた。

「諸国を聖女様が巡り、人々を癒し、その足跡がこの国の平和の証明となるのです!」

 ……とかなんとか、それっぽいことを小難しく語ったら、なぜか感動されて即OK。

 国の権威づけにもなるらしく、まさに渡りに船。やったぜ俺。


 ちなみにその竜車、ヤバい。

 馬じゃなくて、地龍ちりゅうっていう、トリケラトプスとアンキロサウルスをミックスしたようなド迫力ドラゴンが引いてる。

 恐竜好きな俺にはドストライクすぎて、テンション爆上がりだった。


 しかもこの地龍、やたら頭が良くてすぐに俺に懐いてくれた。


「どう〜どう〜」

「グルルル」


 ああ……かっこいいし可愛い。最高の相棒ができた。


「乗り心地、どうです? リナウス様」

 俺は竜車を操りながら、優雅にくつろぐリナウス様に声をかけた。

 ……あれ? 俺の役割、また一個増えてない? 運転手?


「うん、悪くない。さすがは高貴な貴族用の車だな」

 上機嫌なご様子。よしよし、機嫌は取れてる。


「飛んで移動してもいいのだが……まぁ、こういうアナログな旅も悪くない。暇だしな」

「あはは、それは良かったです。僕、地形とかいろいろ覚えてるので、案内もできますよ」


 ギュムノトス様の能力のおかげか、覚えた知識を忘れなくなっていて、今の俺、ちょっと天才っぽい。

 学生時代に欲しかったこのスキル……今さら開花しても遅いよ!


 というわけで、異世界ならではの自然現象や地形の成り立ちなんかを、俺なりにわかりやすく解説してあげた。

 ふんふんと耳を傾けてくれるリナウス様、美しすぎる。これで中身が魔王候補じゃなかったら完璧なのに。


 それから数日。

 いくつかの街を巡っては、リナウス様がちょちょいと病人を治し、聖女フィーバーがさらに加速。

 そのたびに「ありがたや〜」「女神様〜」と感謝されていたけど……ナノマシンの性能、そんな万能じゃないぞ?

 とか言えない。うん、言えない。


 しかし問題はそこじゃない。

 このままじゃ、リナウス様の影響力が広がりすぎて、領地どころかこの大陸まるっと彼女のものになる可能性すらある。


 だから俺は祈った。心から祈った。


 早く来い、魔族よ。

 リナウス様の領地拡大を止められるのは、お前らしかいない。

 今やこの世界の命運は、お前たちの行動にかかっているんだ……!


 頼むから間に合ってくれ、魔族!



 とある晩、俺たちは貴族の別邸を借りて宿泊していた。

 そして――ついに、その時が来た。


 気づけば、敷地をぐるりと囲むように、十数人の魔族たちが現れていた。

 風の流れが止まり、夜の静寂に、ゾクリと背筋を這い上がるような殺気が満ちる。

 姿は見えない。だが、確かにいる。

 闇に潜むように、音もなく、じわじわと迫ってくるその気配は、間違いなくプロの仕事だった。


 高度な暗殺者集団――。

 その冷徹な空気から、俺にも直感的にわかった。

 正面からやり合えば、俺など何の足しにもならない。

 そう判断した俺は、屋根裏に潜み、息を殺して外の様子を窺っていた。


 と、その時。

 どこからともなく、空を裂くような笑い声が響き渡った。


「……ふふふふふ。ふふ、ハハハハハ!」


 あの声――リナウス様だ。

 空を見上げると、淡く輝く星の下、彼女がふわりと浮かんでいた。

 優雅な黒のドレスが夜風に揺れ、背中の翅がゆっくりと翻る。


「な、なんだ……!?」

「バレてる……?なぜだ?」

「まさか、あれが……妖精姫……?」


 驚愕と警戒がない交ぜになった声が、魔族たちの間に走る。

 完全な奇襲のつもりだったのだろう。だが、甘かった。

 リナウス様に“気づかれない”などという選択肢があると思うなよ。


「ようこそ、お集まりくださいました、魔族の皆さま。私の名前はリナウス。どうぞお見知りおきを」


 リナウス様は、まるで舞踏会の開幕のようにふわりと地に降り立ち、優雅に一礼した。

 その仕草はどこまでも上品で、まるで社交界の貴婦人のようですらある。

 ……が、そこに感じるのは、優しさではなく“死の予感”だった。


「……ふん、何を――」

「……話にならん。始末しろ」


 魔族たちは一斉にナイフを抜いた。

 反射神経、連携、殺意。どれも一級。

 だが。


「――ああ、やっぱり無駄だったわね。自己紹介なんて」


 その言葉と同時に、リナウス様の翅が、すうっと横に払われた。


 次の瞬間――。


 アサシンたちが、文字通り“散った”。

 血飛沫すら舞わず、ただ静かに、滑らかに、彼らの身体が空中で分解されていく。


「くふっ……ふふふ……あははははっ!」


 満面の笑みを浮かべ、空を仰いで笑うリナウス様。

 その姿は、あまりにも楽しそうで、あまりにも――冷酷だった。


「な、なにが……起きた……?」

「見え……なかった……っ」


 残された数人が、怯えきった目で辺りを見回す。

 今起きたことが、理解できていない。

 それが絶望の始まりだ。


「……あなたがリーダーかしら?」

「っ……」

「ならば、あなたは少しだけ長生きさせてあげましょう。他は……必要ないわね」


「……な、何を……言って……」


 アサシンたちの身体が、突如として蒼白い光に包まれた。

 細胞の隙間を縫うように侵食する光。

 ナノマシンだ――リナウス様の“ナノマシン・ブルー”。


「が、あ……! やめ……ろ……っ!」

「うわ、ああああああああっ!!」


 悲鳴すら言葉にならず、魔族たちは一瞬にして分解された。

 骨も、皮も、肉も。

 全てはナノマシンに分解され、光となって風に消えていった。


 リーダー一人を残して――。


「ふうん。やっぱり、物足りないわね。所詮は奇襲部隊か……」


 優雅にドレスを整えながら、肩を落とすリナウス様。

 まるで、つまらないおもちゃを壊した後の少女のようだった。


「……貴様……! 一体……何者なんだ……!」


 恐怖と怒りと、信じられないという思いを入り混ぜ、アサシンリーダーが叫ぶ。


 リナウス様は、くるりと踵を返し、リーダーの方を見据えた。

 その口元が、ゆっくりと弧を描く。


「覚えておくといいわ。私の名前は――バタフライノクス・リナウス」


 宵闇の中、彼女の微笑みは、まるで蝶の翅のように妖しく美しく――しかし、底知れない闇を孕んでいた。


「この世界を地獄に変える、魔王よ」


 その瞬間。

 リナウスという存在は“聖女”から、“災厄の象徴”へと変貌を遂げたのだった。



 俺は、地面に倒れているアサシンリーダーに近づき、その身体を引きずるように回収した。

 幸運だったな、こいつだけが――リナウス様の“気まぐれ”で命を繋いだ。


「いやぁ、相変わらずお見事でした。まるで舞踏会のような華麗さで……うっとりしてしまいましたよ」

 内心、背筋が冷えるほど震えていた。けれど、それを隠して、なんとか笑顔を作った。

 だって、リナウス様の前では、畏怖すら礼儀に変わる。


「ありがとう。でも……つまらない連中だったわ。これが“魔族”なのね?」

 翅をゆるりと揺らしながら、リナウス様は微笑んだ。

 その瞳の奥には、冷たく輝く飢え――破壊を求める好奇心が宿っている。


「ま、まぁ……アサシンですしね。姿を見せた時点で、仕事はほぼ失敗ですから」

 俺じゃ間違いなく、一秒も持たなかっただろう。

 だがそれでも――このアサシン集団、リナウス様にとってはただの退屈な玩具だった。


 やはり、秘密結社の幹部。

 その存在自体が、大量破壊兵器だ。

 優雅で、冷酷で、美しくて、怖くて――

 なのに、目が離せない。

 俺の心臓が縮こまりながら、なぜか高鳴っているのが、自分でも不思議だった。


「さて、この男から少し情報を引き出しましょうか」

 リナウス様が唇に笑みを浮かべたまま、指先を軽く動かす。

 まるで、指揮者が楽団に合図するように。


「こいつらが動いたってことは、すぐそこに――」

「ええ、魔族の本隊も近いでしょうね」

 その声に、わずかに期待が滲んでいた。

 まるで遊園地に向かう子供のように。

「ふふ……あははは……ふふふふふ!」


 月下、楽しげに響くリナウス様の笑い声。

 それがあまりにも美しく、あまりにも残酷で、俺はそっと目を伏せた。


 ……頼むぞ、魔族たち。

 本気でやってくれ。マジで頑張ってくれ。

 このままじゃ、この世界は“あの人”の遊び場になってしまう。

 俺は言葉にせず、ただ心の中で、魔族に――敵に、祈りを捧げた。


「お前たちの実力に、この世界の未来がかかってるぞ……」

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