エレクトノクス・ギュムノトス
あの激戦から、数日が経った。
とりあえず、いいことだけ持ってリナウス邸に帰ることにした。
嫌なことは脳内でフォルダ分けして封印。前向きこそ、元・戦闘員のサバイバル術だ。
それに――正直ちょっと、リナウス様が暇を持て余して暴走してないか不安だった。
あの人、ヒマになるとすぐ「実験台が足りぬ」とか言い出すから。
邸宅に着くと、湖畔側に突き出たウッドデッキの上に、リナウス様の姿があった。
夕陽を背にして佇むシルエットは、まるで絵画。
遠くから見る分には、マジで妖精の姫にしか見えない。
――あの性格さえなければ、結婚してほしいくらいだ。
「ただいま戻りました、リナウス様」
「ほう、おかえり。聞いているぞ、なかなかの活躍ぶりだったそうじゃないか、83号」
……やっぱり筒抜けか。
こっちの情報、全部“リナウス粉”経由で国中に漏れてんの、忘れてた。
「蛇の龍か。ふむ、一度見てみたかったな。で、討伐したんだったか?」
「あ、はい。お土産に、一番キレイな鱗を持ってきました」
俺はイリオから“希少素材”って聞いた鱗を差し出した。少しドヤ顔気味に。
「……ふむ。臭いな」
「ですよね〜」
反応はクールどころかド直球だった。
やっぱり美学にこだわるリナウス様には合わなかったか。
ごめんな、イリオ。リナウス様の感性には響かなかったみたいだ。
「見てみろ、83号」
突然そう言って、リナウス様が手を差し出す。
その掌に、淡い光が浮かんでいた。ナノマシンの制御光じゃない。もっと、原始的で、でも直感的に「力」を感じさせる光。
「……え、なんすかそれ? ナノマシン系ですか?」
「違う。見ていろ」
そう言った次の瞬間――
リナウス様の掌に、小さな火の玉がふっと現れた。
「うわっ! すげぇ! 新技ですか!?」
「いや、これは……多分、“魔法”というやつだな。湖から妙な力を感じてね。おそらく、これが魔力だ。少し分析して再現してみた」
ああ、やっぱりこの人、天才っていうか災害級だ。
「さすがっすね……魔王化まで、あと一歩って感じです!」
「ふふ、うまいことを言うな。だが冗談では済まなくなるかもしれん」
冗談であってくれよ!
この世界の住人がやってるアレ、もう解析されはじめてんじゃん。
「魔力というのは、面白い。エネルギーの向きや圧力を変えるだけで、さまざまな現象を起こせる」
言いながら、リナウス様の手の上の炎が風に変わり、雷に変わり、そして水に変わる。
一瞬のうちに、四大属性コンプリート。
……ほんと、もう進化しないでください。
俺がどんなに頑張って力を覚醒させても、この人には一生勝てる気がしない。
リナウス様が少し悪戯顔で俺にその澄んだ水を浴びせてきた。
一瞬でびしょびしょ。
その悪戯顔にドキッとしてしまったドMな俺、情けない。
「さすがです、リナウス様……」
「ふふ、ありがとう」
美しい笑顔。
でも、どこか闇の深さを感じる。まるで、“全てを見通している者”の目。
怖い。でも、綺麗。怖いけど、綺麗。怖い。結婚して。
「さ、お前の冒険譚も聞かせてもらおうか。力の片鱗を見せたあたりから、な?」
「りょ、了解しましたッ!」
反射的に敬礼。完全に体が軍隊仕様。
……悲しいけど、これが戦闘員の性なのだ。
俺はリナウス様に、あの変身現象――蛇竜との死闘、あの“内側から呼び覚まされた力”について説明した。
死を覚悟した瞬間に目覚める何か。
共鳴するような感覚。
胸の奥で脈打つ“何か”が、力に変わる。
「ふむ……」
リナウス様は話を聞きながら、思案顔で小さく頷いた。
「命の危機に反応してナノマシンが共振したのか……あるいは、心拍数やホルモンの変化、脳内物質の影響かもしれないな」
「つまり、なんたらホルモンってやつですね」
「……まぁ、雑な言い方をすれば、そうだな」
そして次の瞬間――
「ちょっと、試してみるか?」
そう言って、リナウス様の手のひらからナノマシンの刃がジャキっと出てきた。
「や、やめてください! それ刺されたら即死ですって!」
「そうか。まぁ確かに、まだ回復していないとは言え、私の力は少々……過剰か」
“まだ回復してない”って……
あの属性コンボやってたのに、まだ本調子じゃなかったのかよ。
それを追い込んだ戦隊チーム、マジですごい。
「そうだ、晩飯を作っておいたぞ。暇だったからな」
……え?
リナウス様の、手作り?
毒とか入ってないよな? 食べたら溶けて骨だけ残るとかじゃないよな?
「安心しろ、普通の料理だ」
俺の不安げな表情を見抜いたのか、リナウス様は少しだけ微笑んだ。
その笑顔がまた、美しいんだ……怖いけど。
出てきた料理は――完璧だった。
味も盛り付けも、バランスも、全部。
俺の作る雑なメシとは雲泥の差だ。さすが、完璧主義者。
安心と満腹と、ちょっとした安堵感に包まれて、
「魔王化してなくてよかったな……」
そんなことを思いながら、その夜はぐっすり眠れた。
数日後のこと。
イリオに連れられて、俺はとある“魔法の館”にやって来た。
見た目はちょっとメルヘンな洋館で、どこか童話チックな空気が漂ってる。
クッキーの家か?それとも変な猫が案内してくる系?
「ここにね、潜在能力を見抜くことができる魔女がいるんだ。君の中に眠る力の開花方法、きっと教えてくれるよ」
おお、魔女っ子? ローブを翻す美少女系?
……それとも毒りんご持ってきそうなクラシック婆ちゃん系?
「へぇ、魔女か。すごいな。できれば俺の中にある“もう一つの能力”……あれを出せたら、かなり戦えるんだけどな」
そう、ギュムノトス様の能力――
電流で鉄を溶解し、電磁シールドでナノマシンも弾ける。
しかも脳まで進化するという、夢のような万能スキル。
「楽しみだな。少しでもヒントがあれば――」
俺は期待で胸をふくらませながら、“魔法の館 《アルカナ・フロラ》 ”の扉を開いた。
中は、まるでこだわりの食材屋のような空間だった。
棚には乾燥ハーブや種、花びらや鉱石、謎の粉末がずらりと並んでいる。
しかもただ散らかってるんじゃなくて、ちゃんと用途別に整然と分類されていて……なんかすごい知的な匂いがする。
「ここでは、魔法効果のある薬草や素材なんかも扱ってるらしいよ」
そう言いながら、イリオが俺を店の奥へ案内する。
そして――
「いらっしゃいませ」
現れたのは、メガネをかけたちょっと綺麗なお姉さん。
ローブも杖もない、普通の服装で、なんなら本屋のレジにいても違和感ないタイプ。
「……え、店員さん? 魔女は?」
「彼女が“この館の主人”さ。《セリーヌ・ウィステリア》さん。こう見えて150歳は超えてるんだ」
「ひゃ、ひゃくごじゅっ……!?」
いやいやいや、同い年くらいにしか見えないんですけど!?
しばらく言葉を失って固まってると――
「こら、女性の年齢を軽々しく口にするもんじゃないよ?」
セリーヌさんが苦笑しながら、軽くイリオをたしなめてきた。
思わず「す、すみません!」と反射的に謝るイリオ。
そう、女性に年齢は失礼だよ、イリオくん。
うん……
理想のお姉さんだ。リナウス様ほどの破壊力はないけど、なんだろう……この地味可愛い感じ、むしろ好きかもしれない。
これからどんな“診断”が始まるのか――
ちょっとドキドキしながら、俺は椅子に腰掛けた。
「このカードの上に、手を乗せてください」
セリーヌさんが、タロットみたいな雰囲気のカードを一枚、俺の目の前にそっと置いた。
「こう、ですか?」
言われた通り、俺はおそるおそる右手をカードに乗せる。
すると――
セリーヌさんが、ふわりとその上に自分の手を重ねてきた。
おおおっ!
これはもしや、例の手を重ねるイベント!?
咄嗟に、俺もその上に左手を乗せてしまった。反射です。反射。
……結婚かな?この流れ。
「ちがーう、左手はいらないのよ」
セリーヌさんは苦笑しながら、俺の左手を丁寧にどかしてくれた。
その仕草、完全に小学校の先生。優しくて、ちょっとだけドジを見透かしてくる感じ。
うん、好きかも。
「じゃあ、あなたの中を見ていくわね。ゆっくり目を閉じて、このカードに意識を集中させて」
「……集中」
俺は言われるまま、ゆっくりとまぶたを閉じ、意識をカードへと向けていった。
すると――
不思議な感覚が体を包む。
自分の“内側”へ、カードを通じて引き込まれていくような……
じわじわと、でも確かに何かが“繋がっていく”ような――
店内に漂う、どこかスパイスにも似た香り。
それとも、セリーヌさんのふわふわした声と雰囲気のせいか――
俺はまるで、花の雲に包まれたような、そんな柔らかい感覚に浸っていた。
……と、次の瞬間。
足元が抜けるような、不安定な感覚。
どんどん深いところへ引き込まれていく。
まるで、底の見えない井戸に落ちていくような……!
「――大丈夫。ゆっくり、ゆっくり落ちていくから。目を閉じていて」
セリーヌさんの声が耳元で優しく響いた。
その声に安心して、俺は身を任せるように落ちていった。
──そして気づけば、そこは真っ白な空間だった。
白いのに、なぜか闇のようでもある。
不思議な、無音の世界。
足元はまるで、水面のようにゆらゆらと揺らめいていて……
その上を、ふわふわと俺の記憶が浮かんでいた。
アイスを買ってもらえなくて母ちゃんにすねてる俺。
人生初の告白で盛大に玉砕してる俺。
初任務でいきなりイエローにぶん殴られて伸びてる俺。
……おお、いたたまれない過去、オンパレード。
そんな記憶の川を抜けて、もっと奥へ進んでいくと――
そこに立っていたのは、リナウス様を除く、あの三人の“四天王”。
「おお……四天王が、俺の中に……?」
なぜか、それがとても自然に感じられた。
不思議と違和感はなく、むしろ――確信が湧いてくる。
彼らは確かに、今も俺の中に“力”として眠っているんだ。
俺は思い切って、その中のひとり――ギュムノトス様に手を伸ばした。
指先が触れた瞬間。
ギュン、と強烈な引力が働いたように、意識が一気に現実へと引き戻されていった――!
意識が現実に戻った時、まず目に入ったのは――
尻餅をついたイリオとセリーヌさんの驚愕の顔だった。
「な、なにこれ……」「うわ……マジかよ……」
身体中を駆け巡る、強烈な“何か”。
まるで高圧電流が血管を走ってるみたいに、全身がビリビリと唸っていた。
反射的に鏡を見る。
そこに映っていたのは、間違いなくギュムノトス様の姿――いや、ギュムノトス化した俺だった。
ぬるっとした体に、目は数個、背中からは数本の鞭のような帯電した触手がのたうっている。
全身の至る所にあるナノマシン発振機が電気のように光ってる。
雷そのものが生き物になったみたいな、禍々しいビジュアル。
「いやこれ、どう見ても怪人じゃん……」
さすがに俺も、自分の見た目にドン引き。
当然、イリオとセリーヌさんも引いていた。
無理もない。俺だったら俺に近づきたくない。
「や、やべぇ、怖い!戻れ戻れ俺!」
うろたえた瞬間、電気がスッと抜けるように体が軽くなり――
次の瞬間、いつもの“普通の俺”に戻っていた。
「はぁ……戻った……」「び、ビックリした……」「心臓止まるかと……」
三人とも、どっと力が抜けてその場にへたり込んだ。
でも――
確信した。
あの力は、間違いなく俺の中にある。
四天王の姿になれる力。
ギュムノトス様の力も、俺のものだ。
やっとだ。
少しだけ、“何者かになれる未来”が見えた気がした。
「い、今の姿って……あれが、お前の力なのか……?」
イリオが、腰を引きながらおそるおそる俺に近づいてくる。
……うん、気持ちはわかる。自分でもビビったし。
「いや、あれは俺の姿じゃなくて……その、ベースになった力というか……」
言いながら、自分でも何言ってんのかよくわからなくなる。
けど、勢いで続ける。
「地の妖精の姿だよ。俺に力をくれた、妖精界の存在なんだ」
うん、我ながら見事な出まかせ。
どうせ“妖精界”のことなんて、こっちの人にはわかるまい。俺も知らんけど。
「おお……妖精界には、ああいう姿の者もいるのか……」
イリオ、まさかの完全信頼。まじか。
「すごい力でしたね」
セリーヌさんが頷く。「私も、あなたの深層を少し覗きましたが……あのような力が、あと二つも眠っているとは」
「えっ……え、ちょ、ちょっと待って。記憶、見られてました?」
思わず背筋が凍る俺。
「大丈夫ですよ、記憶そのものは視えません。潜在意識の構造だけです」
「ああ……よかった……」
小学生の頃アイスで泣いたやつとか、戦闘員時代のアホみたいな記憶とか――
見られてたら、マジで死ぬところだった。
とりあえず――ここに通えば、俺の潜在能力を引き出せる可能性があるってことは分かった。
セリーヌさんのところに、定期的に通うことに決定。これは……正直、めちゃくちゃラッキーだ。
でも問題が一つ。
あの力、使うにはどう考えても俺の体力が足りない。
このままじゃ、変身しただけで倒れるオチしか見えない。
「イリオ、俺さ……騎士団に仮加入できないかな。体力、つけたいんだ」
「もちろんだよ!こっちとしても、あの能力にはすごく期待してるしね」
こうして俺は、騎士団付きの“戦闘員”として、正式に登録されることに。
言ってしまえば、バイト戦士。いや、派遣兵?
「じゃあ訓練所に登録しておくよ。好きなタイミングで来てくれて構わないから」
「……あ、訓練って、やっぱあるんすよね?」
「当たり前だろ?体力づくりには、訓練あるのみだ」
「……はぁ」
戦闘員になってから、ほぼ毎日続けてた地獄のトレーニング。
あれがまた始まるのか……。
やっぱり、肉体労働者の宿命ってやつか。
少しだけブルーになりながらも、俺は未来の自分のために帰路についた。
夕暮れの光が湖を紅く染める頃、リナウス邸はまるで幻想の館のように静かに佇んでいた。
その湖畔のウッドデッキに、リナウス様の姿があった。
赤く染まる空と湖面の光が、彼女の背にある瑠璃色の翅をほんのりと輝かせ、まるで宝石のように揺れている。
セリーヌさんの癒し系な雰囲気もいい。あのふわっとした空気感、落ち着くし、なんかこう、ずっと隣にいてほしい感じ。
でも――やっぱり、リナウス様は別格だ。
一瞬で場を支配するようなオーラ。静けさの中に潜む圧倒的な力。そして、その美しさ。
性格はとんでもなくヤバいけど。マジで。
「おお、戻ったか。83号」
翅をたたみながら、リナウス様がこちらを振り返る。
その手には、何かが渦巻いていた。
まるで空気そのものが震えているかのような、不穏で、濃密な“力”。
「……ただいま戻りました。って、それ……何してるんですか?」
「これか?」
リナウス様は手を少し掲げて、そこに収束している白に近い、白いけど何か闇を感じるエネルギーを見せた。
「攻撃的な魔力を限界まで圧縮してみたものだ。属性という枠を超えて、すべてを貫き、すべてを破壊し、飲み込む――そんな“魔力の奔流”だな」
「つまり……無属性の魔法ってことですか?」
「ああ。どの属性にも染まらず、すべてを打ち砕く。もはや“魔法”と呼べるかどうかも怪しいがな」
……終わったな。
確実に、リナウス様は“魔王ルート”を全速力で走っている。
このままだと、本当に世界が終わる。
「この力があれば、戦隊どもも──そう、あの赤いやつも青いやつも、ひとたまりもあるまい」
笑うでもなく、冷静にそう言い放つリナウス様の姿に、背筋がゾワッとした。
だからこそ、俺も急がなきゃいけない。
四天王の力。せめてあの半端でも変身状態を自在に扱えるようにならないと、マジでやばい。
この世界ごと、終わってしまう前に。
リナウス様の背に沈みゆく太陽が重なって見えて、どこか不吉で、美しい、そして決して目を逸らせない光景だった。
俺はそのまま、頭を垂れる。
力を手に入れる。
必ず。
――誰かのためじゃなく、自分のために。
そして、魔王リナウスを止めるために。
マコトは一刻も早く、自分の力を覚醒させることを心に誓ったのだった。