やめて
「黎! やっと来たのね!」
喜びの声を上げようとしたのも束の間、可愛らしく言葉を紡いだのは喚いていた女だった。
「え?」
彼女は、黎の元へかけていき、抱きしめた。恋人同士のように。黎もまた、彼女のそれを受け入れて、背中に腕を回す。
やめて。
愛おしい者でも見る目つきで、笑いかけていた。
やめて。
「本当に見るんか? 俺が目の前におるっちゅうんに」
黎の言葉に女はわざとらしく矮小な自分を艶めかしく魅せる。彼女の頬に食指を添わせるようにして触れた。そしてその手は首筋へと。色の薄い髪を撫でると、今一度首へ、そうして顔を上へと向けさせた。
やめて。
女と黎の顔がゆっくりと近づいていく。
やめて。
恥ずかしがっている女に静かに迫る黎。その目は私には向けられたことのないもので、心がどんどん締め付けられていく。
柔らかな唇に紅の塗られた真っ赤な唇が重なった。互いを食み貪っている様に見えた。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ちが悪い。
知っていた、分かっていた、理解していた。私が愛されていないのは。男なんて結局愛していなくとも抱く事が出来るものだと。
でも、それでも、一緒に居た頃は隠してくれていたじゃないか。見せないようにしていてくれたじゃないか。愛しているなんて一言も口にはしてくれなかったけれど、それでも、骨ばったその指で、黒髪を梳いてくれたじゃないか。簪を差してくれたじゃないか。まだ慣れていない手で作った飯をうまいと言ってくれたじゃないか。泣いていたら、ずっと一緒にいてくれると言ったじゃないか。抱きしめてくれたじゃないか。その女にしている事は全て私が先だったじゃないか。
なのに、どうして? もう私では駄目なの? どれだけ私が焦れていても、貴方は私を見てはくれないの?
不思議な事に目の前で広げられる光景を見ても泣く事はなかった。これほどの恋情を抱いているのにも関わらず。
愚かだから、涙の一つも流す事が出来ないのだろうか。
その内に悲しいではなく別のものが顔を出した。沸々と湧きだす油田の如く、黒く粘着質な引火する直前の感情。
掛かりが焼けきれるまで、僅かだ。
絡め合い、途中息をはく二人。女の方が蕩け切った所で、彼はわざと私に見せつけるように接吻をし始めた。




