馴染み
今日の空は機嫌がいいようだ。美しい茜色が広がっている。硝子越しにこちらに向かって来る男は居ないかと。彼が来ないかと。カラン、コロン、ここらでは余り聞かない履物の音が嬉しそうに響いていた。すらりと伸びた背格好の顔の整った男性が戸を叩いた。
「開いているかい」
聞きなじみのある柔らかな声。急いで戸を引いた。猫の様に目を細めてくしゃりと笑って見せるのはこの近くの店の男娼。
「まだ早いですが、構いませんよ。常連さんですから」
微笑んで見せると、眉間をつつかれた。「な」と声を漏らすと、男娼は薄く目を開いて、裾で口元を隠した。
「クソガキだった燐が丁寧な言葉遣いなんてしていると、えらく気持ちが悪いねぇ。もう黎の様な訛り言葉は使わないのかい?」
また面白がっているのだろう。交わった後もそうだったが、彼の口調でない私がむず痒いのだろう。会った時から殆ど同じ喋り方をしていたから。いつまでも子供に見えているのだろう。黎と同じくらいの男娼のくせに。
「どんな夢を所望かな。高嶺の烏頭様は」
細やかな、嫌がらせ。相反する私の中の感情を動かそうとするから。
「その呼び方は好きではないのを知っているだろう?」
口元にやっていた裾は下げられ、いっぱいに上げられた瞼。傷を癒しに来ている身で他人を抉ろうとする方が悪いのだ。黎と同じ年の男に子供と、異性として見られないことがどれ程の苦痛か知りもしないくせに。笑い話にしようとしないでくれ。
汚泥を啜るような思いはもう御免なの。
素を隠すようにつくった表情をさぞ優しそうに映し出す。
「お似合いの呼び名ではありませんか。あの花は復讐という意味があるらしいですし、寝た女は金で買ったというのに愛を見るそうですよ。いつの間にかその愛で中毒を起こして、息が出来なくなる。そうして、他の女に買われる貴方を見て復讐したくなる。と」
ほら、引け。これ以上言われれば激昂して浸れなくなるだろう? さぁ、ほら、ほら! 大人しく夢に魅入られているがいい。
男娼は確かに一度顔を歪めたが、直ぐに元の軽薄なものに戻っていた。
「商売なのだから仕方ない事さ。それにこの男娼よりも愛など囁かず、相手に言われるまま小娘を女にする方がよほど悪いと思うねぇ。さ、夢を頂戴な」
金などで買うよりずっとマシだと、私は思うが。そんなものが絡む商いではない、行為なのだから。
……悪いわけが、ない。
「では、横におなり下さい。いつもと同じでよろしいでしょうか」
「あぁ、頼むねぇ」
目を瞑って故人のようにしている姿を見て、井戸水のように独り言が湧いて出た。
『自分だって、亡くなった禿を想ってずっと来ているくせに』
「どうしたんだい? もしや黎がいないと煙が出せなくなった、なんて戯言は言いやしないだろうねぇ」
目を瞑っているのに冗談を言う奴だ。黎が煙管を使っていた頃からの馴染みだからっていつまでも許すと思うなよ。そう思ったのに、何故か口は半円を描いて上がっていた。
「ほら、禿に会う時間だ」
肺に詰められるだけの煙を吸い込む。そうして細く吐き出した煙を浴びせる。白だったのに、男娼が夢に入ると鈍色へ変わり空を漂い始める。口腔から出た量よりも遥かに増えた煙が。




