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いらっしゃい

「えぇ、言ったわ。別れましょう、黎。どうせ婚姻の儀をしたわけでもない、疑似夫婦なのだし。気づいたの。私が求めていた黎は、十四の時私自らが殺してしまったって。媚びるように一途な黎は、黎だと思えない。そもそも、家族のように接してくれていたのが心地よくて、もっと本当の家族に近づきたかっただけなのだと。恋情だと思っていたのはただ、妹として兄を奪われたくなかった純粋な気持ちで。勘違いしていたの。家族なんて知らなかったから。でも、ここまで来てようやく理解できた」

 だからもう、要らないの。

 不思議と憎む気持ちはなかった。あれだけのことをされたというのに。

「は? 俺を捨てるんか、燐」

 珍しく焦っているようだ。抱いていた私の両肩を掴んで幾度も確認してきた。真っ赤な瞳も見開かれていて、今取り出したら本物の宝石になるのじゃないだろうかと思ってしまったほどだ。美しいけれど、決して喜びの輝きではない。むしろ煌びやかに見えるのは涙が膜を張っているからで。

 いい気味だ、なんて。意地が悪いだろうか。

「いいじゃない。一度くらい」

 何度も捨てるアンタよりマシよ。

 ここで、彼への想いも何もかもが経ち切れた。悩んでいたのが嘘のように清々しい。生きてきた中で今が一番笑顔だ。

「そんなこと言うても、お前は簡単に気持ちを変えたりできへんやろ」

 顔を青くして、左右に視線を動かしては唇を噛み締める黎。

 その焦り様がどうにも可笑しく、笑いが止まらなかった。

 その瞬間の異様さに、異質さに、黎は何かに憑かれたのではないかと心配するほどだった。

 一頻り笑った所で、狐のようにずるく言う。

「私、黎に育てられたのよ? 気分で女を変えて、拾った子供を措いていく。会った時から煙草なんかに手を出していて、ロクでもないクズ男。そんなのに育てられて、抱かれて……芯しか残っていない林檎は食べないでしょう?」

 開いた口が塞がらないといった感じで、こちらを見る彼に微笑んだ。

「ほんまにお前が俺を捨てるとか、ありえへんし……」

 まだ言うか、とも思ったが、それまでの異常な執着が消えれば、こうなる事も理解できる。

 もう、決めた事だから。

 これは、絶対に曲げたくない、強い思い。

 彼から離れて、近くにあった服に袖を通す。乱れた髪も簡単に直し、見下ろす。

「私は二度とアンタを選ばない。これでお相子よ、黎」

 一度翳りを見せた黎だったが、その顔はあまり長く続かなかった。すぐにこちらを馬鹿視したような表情を作り、一瞥した。

「そうか。なら出て行ったるわ。もう、戻ってこおへんぞ。ええんか」

 言ってから、服を着始める彼。

「そんな言葉で引き留める時期は終わったわ。さようなら」

 部屋を出ようとすると、後ろから大声で吐き捨てられた。

「ふんっ、お前みたいな女はなぁ、こっちから願い下げじゃ。梅毒にでも罹って死んでまえ。醜女が」

 振り返ると、そこには不機嫌な顔。むくれながら、着替えを終えた黎は階段を下りていった。私は廊下から一階を見て、放った。

「ここらで一番の美人でしょう」

 こちらを見上げる彼は僅かに微笑んでいるようにみえる。私はそんな彼に向かって思い切り笑って見せた。それはもう快晴の空のように。

「喧しいわ。さようなら、燐」

 去っていく彼は私同様晴れ晴れしい笑顔だった。

 もう、会う事も無いだろう。だが、それでいい。


 あれからもう幾年月が過ぎただろうか、なんて。語りが出来れば良かったが、まだ幾日も経ってはいない。それでも、不思議と清々しい気分で過ごせている。

 もう、恋情は懲り懲りだ。誰にも抱きたくはない。疲れてしまうから。

 今は夢を売る事で手一杯。だが、それが楽しい。もう苦しさに浸っているのが楽だからなんて理由は使わない。客の求めているものを提供する事が出来るこの商売を好きになれそうだから。そういう事にしておこうと思う。

 新たに戸の前に着けた鈴が音を鳴らした。

 客が、来たようだ。

 戸の前に行き、入って来た客に微笑みながら問いかけた。

「いらっしゃい、本日はどんな夢をご所望でしょう」

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