愛してる
零れた雫。頬を伝って、床へと落ちた。一筋しか流れなかった想い。
それでも瞳は溜まっている水のせいで、彼の顔はよく見えない。
静寂は影を持って現れた。
双方暗い顔のまま。何を言うわけでも、何を流すわけでもない。見合って、互いの瞳の奥に何が映っているのか確かめるだけ。
私には彼のどんな感情も思いも何一つ見えず。
瞬きの際にまた零れた涙を彼が舐め取った事だけが分かった。
よく、彼の顔が見える。
つくられた表情ではない。一を描く口。下へ向かっている目線。
悪いと感じているのだろうか。
教えて、貴方が今、何を考えているのか。どう、感じているのか。声に出す事は出来なくて。ただ、赤く染まる瞳を見つめていた。
外から僅かに入って来る呼び込みの声。甘ったるい売女の啼き声。
彼が右肩に顔埋めると、香る沈丁花の匂い。懐かしい……香り。
掻き消えそうな、細々とした声が耳に届いた。
「いっつもお前んとこに戻って来とる。俺のこと好きなお前は、俺がこんなんでも許してくれるんやろ?」
泣いて、いるのだろうか。冷たい感覚がする。こんな彼は初めてだ。今にも消えてしまいそうな、見えなくなってしまいそうな。
「これからはずっとお前だけ、愛したる」
拘束されていたはずの両腕はいつの間にか解かれていて、彼は背中へと手をまわしてきた。まるで母に抱きつく幼い子供の様に。
重みをもたせて放つ。
やっと、言ってくれた。
幸せが躰の隅々へ染みわたって行く。これが、愛されるという事なのだろうか。高揚していて、煮えたぎる湯のように温度が上がる。
顔を上げた黎は子犬のような瞳で、見つめてきた。
「燐は、俺のこと愛してへんのか」
愚かだと、分かっているのに、愛おしくてしょうがなかった。
「私も愛してる」
なんと容易く落ちる女だろうか。どこまで彼に甘いのだろうか。嘘かもしれないと分かっているのに、受け入れてしまう。
これだから去って行かれてしまうのではないのか。
思うよりも先に口に出てしまうのだからしょうがない。
互いの愛を確認した私達は店の灯りを落とし、部屋へと向かった。
殺風景な私の部屋。彼は昔から変わらないと口にして、布団に寝転んだ。そうそう部屋など変わらないと私が言えば、それもそうだと言って、腕を引いた。




