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六月  作者: 賀茂史女
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第六部 伊治 七 石盾

延暦十三年(794年)

二月の半ば(新暦三月上旬)

伊治柵の門の傍らで、土塊と化した荒御霊(あらみたま)を背に、石盾は跪いて、片手に蕨手刀を持ったまま、息絶えた伊佐西古(イサシコ)の手を握りしめていた。

辺りには屍が塁々と折り重なっている。

その中に混ざる志波の男たちが、伊佐西古(イサシコ)の矢を受けているのを見れば、石盾にも事の次第は見当がついた。

伊佐西古(イサシコ)の言動を思えば、あるいは伊佐西古(イサシコ)には予測がついていたものだろうか。

なぜ俺は思い至らなかったのか。

胸の裡に一時に様々な思いが沸き上がり、石盾は、喉元を掻きむしりたかった。

あまりに口惜しく、己が非力が腹立たしい。

傍らに横たわる百済王(くだらのこにきし)俊哲のもとに、今しがた荒御霊(あらみたま)を滅した、異国人の容貌をした倭人の(いくさのきみ)が駆け寄ると、馬を引いた舎人と小角とおぼしき若者を招き寄せた。

「まだ息がおありだ。虫麻呂は、」と辺りを見回し、倒れている身分低そうな初老の男のもとへと駆け寄ったが、すぐ口惜しげに「こと切れているか。」と呟いた。

続いてこちらに歩み寄ってきた(いくさのきみ)は「伊治を預かると言われたな。そちらの長はまだ息がおありか?。」と訊ねてきた。

石盾は伊佐西古(イサシコ)の手を放し、立ち上がった。

最期まで己を逃そうとした伊佐西古(イサシコ)の意図は痛いほど解ったが、この期に及んで知らぬ顔を装おうなど、到底容れられ無い。

「伊治を預かっていたのは俺だ。これは吉弥候(きみこ)伊佐西古(イサシコ)伊佐西古(イサシコ)はこうなった時、俺を逃がそうと自身が長だと述べたまでだ。俺こそが伊治を預かる盤具(いわぐ)の石盾。」

石盾が名乗った瞬間、舎人に(いくさのきみ)を馬の背に揚げさせていた小角とおぼしき若者が振り向いたのが判った。

異国人の容貌の(いくさのきみ)は、石盾の名乗りを聞いて、険しい表情で名乗り返した。

「先に会った時名乗ったかもしれぬが、私はこの度の副将(そえいくさのきみ)坂上大宿禰田村麻呂。百済王の将が身を投げ打って救われたのだから、あたら命は奪うまい。若き伊治の長よ、今は降られよ。」

石盾は今一度辺りを見回した。

先程の荒魂の顕れた騒ぎを掻い潜って、毛野の兵の幾らかはこの場を逃れたかもしれない。

追討兵が出なければ、幾人(いくたり)かは白銀城まで逃げ延びようか。

柵内に残る者のあらかたは深傷を負って捕らわれているか、あるいは命を落としているかだろう。

いま命ある毛野の兵が救われるなら。

石盾は手にしていた蕨手刀を捨て、真っ直ぐに前を見据えて両の拳を揃え、(いくさのきみ)へと差し出した。


御室から白銀城に戻った悪路王を待っていたのは、伊治柵の陥落の報せだった。

辛うじて逃げのびた数十名の敗残者が白銀城にもたらした報せの中には、志波に内通者が居たこと、伊佐西古(イサシコ)と石盾が捕虜となったか、あるいは命を落としたであろうことに加えて、荒御霊が顕れたことも含まれていた。

にも拘わらず、一度は顕れたはずの荒御霊の気配は悪路王には見いだせず、跡形もなく滅したとしか思えなかった。

阿弖流為(アテルイ)の握りしめた拳は、志波からの増援兵に内通者が居たことを聞いて、白ばむほどに固く握り締められた。

八十島(ヤソシマ)乙代(オトシロ)が口々に「言わぬことではないわ。なぜ評定の場で阿奴志己(アヌシコ)を名指しで問い詰めなかった。」と吐き捨てるように言った。

石盾の生死が判らず、青ざめてやつれた面差しの田鶴(タヅ)の肩を擦りながら、母禮(モレイ)は「止せ、栓無いことを。」とたしなめた。

「改めて策を練らねばならぬことは山のように有るのだぞ。今できることを考えろ。まずは馬に水でも呑ませて来るのだな。ついでに己が頭も冷やして、逃れてきた皆の様子を見て回ってやれ。」

母禮の声が鋭くなり、八十島(ヤソシマ)乙代(オトシロ)は渋々ながら口をつぐみ、馬を引いて立ち去った。

「足掛かりを失ったのは痛いことだな。伊治を奪い返すにしても、新たに兵をまとめるに何処に集めさせるか。此処では不味かろうし、かといって雄勝では山越えだ。」

腕組みしたまま口を切った母禮に、悪路王が鋭く振り向いた。

「兵は大墓(たも)の里に集わせよう。女子供は(いわや)より南では駄目だ。阿弖流為、女子供と年寄りは閉伊にでも移させてくれるか。」

悪路王の低い声に阿弖流為は顔を挙げ、三者の視線が一時、交錯した。

「予てより考えていたことだろう。今がまさにその時ではないのか?。」

悪路王の言葉に、母禮の表情には苦渋が浮かんだ。

阿弖流為は唇を引き結んだまま、七魚ナナヲを抱えて立つ高丸へと視線を移した。

「七魚、お前もこの地から去ね。高丸よ、足労だが七魚をこのまま御室へ連れ帰ってくれるか?。」

阿弖流為の思わぬ言葉に、七魚は高丸の腕から降りようともがきながら「何を言う、悪路王に先のようなことがあったらどうする。吾は残る。」と甲高く叫んだ。

高丸は盲いているような目を悪路王に向けて「良いのか?。」と問うた。

悪路王は頷いて「頼まれてくれ、高丸。顕れた荒御霊がどうなったのか知れぬが、この地脈の荒れようでは、お前自身もしばらく御室に留まっていたほうが良かろう。」と答えた。

高丸の腕から降りて何か言い募ろうと口を開いた七魚に、悪路王の金色の眼が向けられた。

「七魚、お前の働きは有り難いことだが、口寄せ()なら己が身を守ることも大切な役目だろう。今は御室に居てくれ。」

悪路王の諭すような声音に、七魚は口惜しげに俯いて黙りこんだ。

七魚を抱えて遠ざかる高丸の背を見送りながら、阿弖流為は今一度心を定めるように瞑目した。

悪路王の選択は、正しい。

今となっては、他に、伊治を奪い返す手段も無ければ、倭人の北進を妨げることも叶うまい。

もし伊佐西古(イサシコ)と石盾が生きていれば、あの二人をも巻き込む事になるかも知れぬのだが。

阿弖流為は大きく息を吸い、顔を挙げると、母禮に向きなおり「俺は三夜ほど留守にする。」と言った。

怪訝そうな母禮の表情は阿弖流為の口から続いて出た「八十島(ヤソシマ)乙代(オトシロ)にも、ともに来てもらうつもりだ。」という言葉に一変した。

「どうしてもせねばならぬのか?」

絞り出すような声で呟いたのち、母禮は悪路王に目を向けてみたが、悪路王は背を向けたまま振り向くことは無かった。

阿弖流為は重い口調で「一度裏切りを許せば、二度三度と同じことが起こる。」とだけ答え、母禮はそれ以上異を唱えるすべを失った。

「それにしても」と阿弖流為が苦く続けた。

「石盾が居ないと腕をもがれたようだ。生きていてくれようか。」

母禮は眉根を寄せながら、田鶴の肩に手を置き、「骸を見ないうちは生きていてくれると信じたい。」とだけ答えた。


捕虜となった石盾はそのまま栗原駅舎の獄舎とされた一棟に入れられた。

他の毛野の男達がどうなったのか、どこに収容されているのか、石盾には知らされる由も無かったが、田村麻呂は傷を負っている者には充分な手当てをすると約した。

石盾は自ら母禮の継嗣であることを田村麻呂に明かしていた。

叶うものなら伊治の攻防戦の責は一人で負いたい。

そんなことで、この胸を焼く後悔や自責が治まるでもないとわかっていても、石盾はそう願わずには居られなかった。

時おり居ても立っても居られないほどの衝動に襲われ、その度に石盾は、この疼痛に耐え憔悴しないことが今成すべきことなのだと、必死に己に言い聞かせた。

監視の歩兵から日に二度、充分とは言えなくても水と糧食が手渡され、特に縛されるでもなく責め苦を受けるでもなかったが、獄舎に人が訪れることは無かった。


予断を許さなかった百済王俊哲の容態が快方に向かったのは、栗原駅舎(くりはらのうまや)に運ばれてから五日の後だった。

それまで俊哲に付ききりで、眠る間を惜しんで介抱に当たっていた小角から「当面、黄泉(したへ)の道は閉ざされたようだ」と伝えられ、田村麻呂もようやく愁眉を開いた。

その表情を見て、小角もやや胸を撫で下ろしたが、他にも多くの負傷兵が居り、喜んでばかりはいられなかった。

石盾と名乗ったあの若き毛野の将も気にかかっていたが、今田村麻呂にそのことを訊ねるのはいかにせん憚られた。

病舎こそ倭人と毛野の民で別けられたが、どちらの病舎でも負傷兵たちは、狗の頭を持つ大熊の話を忌まわしげに噂にしていた。

いずれあの異形のものは悪路王が差し向けたに違いあるまい、巣伏の大敗の理由も悪路王の呪術にあったのだと言う者もいた。

以前に玉造柵を土蜘蛛とおぼしき異形の者が襲ったことを口にする者もあった。

「だがな」と続いた玉造柵から徴発されていた歩兵の一人の言葉に、小角は魂消えそうになった。

「皆が狼狽えて逃げ惑うなか、坂上副使がただ一人立ち向かわれて、みごと討ちとられたのだ。なんでもこの度の戦でも鬼神を滅されたそうだが、やはりあの方は只人ではあるまいよ。」

小角はそうした話を耳にするたび、玻璃と阿弖流為の真意を訝しんだ。

玻璃が何を考えているのか、阿弖流為が何を算段しているのか、どうにも呑み込めない。

このまま戦が続けば、この地の地脈は更に荒れるだけなのではないだろうか。

やがて小角は一つの事に思い当たった。

葛城でも古くは、役公(えだちのきみ)は隠り世と現し世を行き来して多くの力を使うことで、精神が疲弊し、病んでお役譲りが行われてきた。

自身は父から、国つ神の力を括るすべとともにお役を受け継ぎ、その因果からは逃れているが、国つ神の信仰の衰えとともに能力を削がれて来ている。

自身が水鏡で先を読む力を失った様に、もしや玻璃の力が衰えているか、あるいは病んでいるのではあるまいか。

最も精神を疲弊する(わざ)を黒玉に依存するとは言え、玻璃はことのほか永く神守りの役目にあったのだ。

他に信仰を持たない毛野の地で、ただ一人の神守りである玻璃の精神が疲弊しているのだとしたら、この地脈の乱れようも腑に落ちる。

石盾ならあるいは何か知っていようか。


目覚めた俊哲に田村麻呂が真っ先に告げたのは、志波の阿奴志己(アヌシコ)とその妻子が殺されたという報せだった。

「志波では翌朝、半数ほどの民が姿を消したそうです。おそらくは報復を怖れて阿弖流為のもとに降ったのでしょう。残った者たちの内、望むものは阿奴志己(アヌシコ)の長子隠賀(オンガ)が居る牡鹿柵へと収容させました。粗方は移り住むことになりましたが、老いた者の中には人少ない志波に残ることを望んだものも居りました。」

俊哲の眉根が深く寄せられた。

「報復か。阿奴志己(アヌシコ)には志波を出ろと強く薦めたのだがな。長ともなればそうもいかぬか。しかし妻子までとは。以前にはそのような話は聞いたためしが無いが。それほどの確執を生ませてしまったということだな。」

痛ましげな声がため息とともに出た。

「伊治はどうしている。」と俊哲の問いに、田村麻呂は「牡鹿柵から御盾を寄越させて防備を固めさせております。おそらく再び奪い返しに参りましょう。どういった手段をとってくるものか、なんとか事前に察知して防ぎたいものですが。」と答えた。

俊哲は「そうか」と言った後、一時目を閉じた。

「虫麻呂と阿奴志己(アヌシコ)には哀れな事だった。何としても伊治を守り通して阿弖流為を退け、大きな戦はこれ限りとせねば。毛野国にも民にも、この先これ以上禍根が増えては立ち行くまい。」

田村麻呂は静かに「そう致しましょう。」と答えた。

俊哲からは、阿弖流為が再び兵を集めるとすれば比羅保許山(ひらほこやま)辺りとなるだろうと示唆を受けたが、虫麻呂亡き今となっては探索を任せられる者も限られ、田村麻呂は手をこまねいていた。

なんとか阿弖流為に会う手段はないものか。

俊哲は命こそ取り止めたものの、回復には長い時と休息が必要だと小角から報告されている。

いっそ俊哲殿には安全な多賀城へお移りいただくのが良かろうが、それも移動の安全を確保しないことには始まるまい。

阿弖流為に会って、直接和睦の打診を試みたい。


小角は石盾が容れられている獄舎に目星をつけ、幾度か深夜に密かに忍び入る機会をうかがった。

監視の歩兵が眠りこけているおりを捉えて、ようやく石盾と言葉を交わすことができたのは、伊治の攻防戦から半月ほどが過ぎた頃だった。

「良い若い衆になった。見違えるようだ。」との小角の言葉に、石盾は微かに笑みを浮かべ懐かしそうに「小角は変わらぬのだな。一目で判った。」と答えた。

小角が格子に顔を寄せ、悪路王についての懸念を問うと、石盾はしばらく黙していたがやがて格子に寄って来た。

困ったように小角の顔を眺め、口ごもっては首を振って悩む様子だったが、小角は黙ったまま辛抱強く待った。

「俺には神守(みかみもり)のことはよく解らんが、小角になら解るのかも知らんな。」

やがて石盾は重い口を開きはじめた。

「小角の言うようにかどうかはわからんが、悪路王は確かに病んでいるのだそうだ。俺自身が解っていないから多くは言えないが、それで阿弖流為は事を()いているのだ。」

そこまで言って石盾は言い淀み、貝のように口をつぐんでしまった。

格子越しに身を寄せ合い、声を潜めて親しげに言葉を交わす二人の様に気づいて、獄舎の入り口で足を止めた田村麻呂は、しばらく考えあぐねた末、そのままそこから立ち去った。


翌朝、突然石盾のもとを訪れた田村麻呂が、監視の歩兵を人払いさせて招き入れたのは千嘉浦(ちかのうら)の藻塩焼きの翁だった。

何か言いかけて絶句した石盾を見て、翁はおうおうと声を挙げながら格子に駆け寄って膝を着いた。

「老爺よ、お前の言う息子とは確かにこの者か?。」

田村麻呂の問いに翁は幾度も頷いて平伏した。

(なり)は蝦夷にも見えましょうが、この爺にただ一人残された息子に違いございません。行方知れずになっておりましたが、何を仕出かしたにせよ、戦に巻き込まれての事と存じます。どうか寛大にお計らいください。」

翁は平伏して田村麻呂の足元に額づいた。

石盾は咄嗟に面を背け「俺はその翁を見知らぬ。人違いだ。」と怒鳴ったが、老爺は意に介さず「(やつがれ)を巻き込まぬようあのような事を申しておるのでしょう。」と言った。

田村麻呂は穏やかな口調で「あの者は私に伊治の長で盤具の石盾と名乗った。見間違えてはおらぬかな?。」と訊ねた。

翁は腰が抜けんばかりの驚きようだったが、それでも押して「いいえ、あれは紛れもなく、奴の息子にございます。誰かを庇って謀りごとを申しておるに違いございません。」と言い募った。

翁は田村麻呂の衣に取り縋って、いかに息子が孝行者の働き手か、居ないと塩焼きが立ち行かないことなどを綿々と並べ、石盾は内心歯を喰い縛って知らぬ顔を装った。

やがて田村麻呂は、翁に手を貸して立ち上がらせると穏やかな口調で切り出した。

「老爺の申し分はよく解った。この者の嫌疑はまだ検分を待っている所だ。今少し時が掛かろうが住み家に戻って待つことだ。迂闊な行いは温情を不意にするかも知れぬゆえ、このことは口外せぬように。」

翁は頑として答えない石盾を振り返り振り返りして立ち去った。

「あの老爺は昨夜、一人でよろばうようにして此処へやって来た。」

静かに語り出した田村麻呂の言葉に、石盾の肩の辺りにわずかに動揺が走った。

「伝令として多賀城の調司(つきのつかさ)から徴発されていた者が、あの老爺に、行方知れずの稚子(わくご)が伊治の戦で捕らわれているのを見かけたと報せたのだそうだ。」

膝頭を握る拳に力が入れられたのが見てとれ、田村麻呂は返答を待たず、その場を立ち去った。


再び田村麻呂が石盾の獄舎の前に立ったのは千嘉浦(ちかのうら)の藻塩焼きの翁の訪れから数日の後だった。

伴にいた厳つい下官に格子を開けられ、怪訝そうな目を向ける石盾に、田村麻呂は「腹を割って話を聴いてもらえようか?。」と和睦への考えを切り出した。

若き伊治の長は黙したまま聴いた。

語り終えた田村麻呂を見つめ、暫しの沈黙の後に、石盾は口を切った。

「それで俺に何を求めたい?。それを聴かぬうちは俺は答えない。」

田村麻呂は内心、良い答えだと深く頷いた。

この若者は思っていたより慎重で賢明だ。

肚も据わっている。

「私は毛野の民の側に和睦の理解者が必要だと考えている。長自身に、我々に真に和睦の意向があると見定めてほしい。」

田村麻呂の言葉に石盾の目が剣呑になった。

「相応しい者が志波に居るのではないのか?。」

冷ややかになった石盾の声音に、田村麻呂は眉根を寄せた。

阿奴志己(アヌシコ)は先日、その()と幼子もろともに殺されたそうだ。」

石盾が衝撃を受けたことが見てとれ、田村麻呂はやや安堵した。

少なくともこの若者は報復に否定的なのだ。

田村麻呂は静かに言葉を継げた。

「私は怒りと憎しみから生まれる報復の連鎖を断ち切りたい。」

石盾の顎の辺りが強情そうに張った。

「己に弓引く民を率いる者を信用できるのか。倭人がそれほど寛大であれば戦とはならなかったはずだが。」

傍らに立つ厳つい武官が、物言いたげに一歩前に出たのを田村麻呂が静かに押し止めた。

「何かを得る為には勝ち取らねばならない。」

田村麻呂は己を真っ直ぐに見つめている石盾の眼を覗き込んだ。

「そのことに毛野の民も倭人も変わりはないだろう。それがその日一日の飢えをしのぐ為の糧であれ、生きる拠り所とする己の信条であれ。武を持ってしてで無くとも、だ。他者の同意を得るとは信頼を勝ち取る事に他なるまい。」

田村麻呂の佳く響く声が穏やかに続けた。

再び石盾の眼が鋭くなった。

「刃に刃で応えて信頼が得られると言うのか。」

田村麻呂はゆっくりと(かぶり)を振った。

「私はそうは思っていない。百済王副使殿も、長岡の都の我君も、だ。だが政というものは統べる者の意思だけで立ち行くものではない。伊治の長として人を率いる立場にあったのだから、言うまでもあるまいが。」

石盾の拳が握りしめられた。

「長く対立して多くの血が流されてきた経緯があるものを、いきなり和睦と言われても容易く受け入れられるものではないだろう。だから和睦を望む者もいると知ったその目で、獄舎から出て今一度この地を見てもらいたい。」

田村麻呂は傍らに立つ武官に目を向け、武官は頷くと獄舎の出口へと石盾を促した。

獄舎を出ると、石盾の眼を陽光が眩く焼いた。

半月ほどの間に、辺りはすっかり春の様相を呈していた。

常ならばこの時期には考えられないが、すでに残雪も無く、肌に当たる微風も柔らかで、草木が芽吹いて青々と繁り始めている。

駅舎の内では、陽光の下、多くの男たちが力車に木材や農具や土を乗せて忙しそうに立ち働いていた。

「兵站に就いていた多くの農兵には武装を解かせた。彼らは今、伊治城の改修と糠塚邑の再建にあたっているところだ。」

歩みを止めた石盾に声を掛け、田村麻呂はやや離れた監視付きの兵舎へと石盾を促した。

「毛野の兵はこの兵舎に収容した。この度の戦役で捕虜となった毛野兵には、すでに俘囚となることを条件に助命が許されている。いずれ改悛の意を問い、労役に就いてもらうつもりだ。その後は捕虜や奴碑としてではなく、俘囚として待遇できよう。」

監視の兵が立つ入り口から離れた場所にある明かり取りの窓近く歩み寄って、田村麻呂は石盾を招き寄せた。

石盾が覗き込むと、兵舎の中は薄暗くとも、男たちは縛されている様子もなく、ただ不安げに所在なさげに見えた。

「負傷した者たちは別に病舎に居るが、会うか?。」

問われて石盾は一時、逡巡した。

今の己が姿を見せたところで何になるのだろう。

更にはこの将の思惑がどこにあるのか、今一つ見切れない。

あるいは己と共にある姿を見せて、捕虜となった者たちを懐柔するつもりか、あるいは互いの助命と引き換えに何か要求するところがあるものか。

「先の問いの答えをまだ聞いていない。俺に期するところは何だ。」

田村麻呂はやや面食らった表情になったが、深く頷いた後「今はただ見知ってもらう事だけを考えている。和議についての答えを今求めるつもりはない。」と答えた。

「だが、確かに時間も場所も限られていては見知ることすら難しかろう。」

田村麻呂は数歩離れて供についている厳つい武官を招き寄せた。

「長自身がいくつかの条件を約してくれるなら、今この時から長の身の拘束は取り下げよう。」

田村麻呂の言葉に、厳つい武官は驚いた表情で見返した。

「約してもらえようか。武装せぬこと、柵内の者に危害を加えぬこと、脱出を試みないこと、伴なうものがいることだ。これらはむしろ長の身を守るためだと考えてもらいたい。」

田村麻呂は厳つい武官に目を向けた。

「これなるは牡鹿柵の大領、道嶋御盾。この度の戦役には直接関わっていないが、今は伊治城改修の任に就いてもらっている。毛野の民にも所縁深い。長に先のことを約して貰えるなら、長の身柄は御盾に預けよう。」

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