第六部 伊治 六 奪還
延暦十三年(794年)
二月の半ば(新暦三月上旬)
「発つときに言うことではないがな」
長の館としている伊治柵のかつての官衙で、阿弖流為と母禮に向かって、伊佐西古が嗄れ声を低めて言ったのは、石盾が厩を見てくると席を外した後だった。
「どちらかが留守居に残ってはもらえまいか?。」
阿弖流為は口を引き結んだまま伊佐西古に目を向けた。
母禮はやや眉根を寄せた。
「石盾に従うのは不服か?。」
母禮の声音がやや不快そうに下がり、伊佐西古は「そうではない。」と頚を横に振った。
「石盾は立派な一人前の戦士だ。忍耐強く、思慮深い。だがな、考えてもみてくれ。」
言葉を切った伊佐西古は、阿弖流為と母禮の顔を交互に見て「石盾は攻め込まれた戦を知らんだろう。」と言った。
阿弖流為は頷いた。
「それは俺も母禮も考えた。だが、だからこそお前が居てくれるのだろう。石盾は他の者の意見を聞く耳を持ち、それについて公平に考える頭を持っている。事が始まったとしても三夜守り通せば悪路王が帰ってくる。俺たちとともに八十島と乙代に御室に赴いてもらうのも考えあってのことだ。」
伊佐西古の細い目が一瞬、阿弖流為の表情を読むように鋭くなった。
「志波か?。阿奴志己の様子が疑わしいと言ったな?。」
伊佐西古の問いに、阿弖流為は「ああ、そのためにもこの大祭に長が揃う必要がある。わかってくれるか。」と答えた。
伊佐西古は一声唸ると「そうか。ならばやむを得まいな。だが、あまり無情なことはしてくれるなよ。我らのためにもなるまい。」と言った。
阿弖流為は「それは評定の如何だな。」とだけ答えて腰を上げた。
母禮も立ち上がり、伊佐西古の肩に手を置いた。
「石盾を、いや伊治を頼む。もういつ攻められてもおかしくない。あの倭の将をよく知るお前だからこそ頼めるのだ。」
伊佐西古は短く「ああ、承知した。」と答えながら、百済王俊哲の顔を思い浮かべた。
阿奴志己に離反の意思があるとすれば、あの将のことだ、既に意を通じていることだろう。
一族の長が里を留守にする慣習が耳に入っていれば、百済王副使でなくともこの期を逃すまい。
必ず攻めてこよう。
昨冬の勅を退けたのち、女子供と老いた者はそれぞれの生まれた里や白銀城へと移らせてある。
替わって極冬(冬至)の招請に応えた里から、多くの男たちが兵として移り住んできていた。
己が老い先に残る命はこの先さして長くもあるまい。
倭人を迎え撃つに捨てたところで惜しくもない。
命ある間に再び伊治を毛野の地とできただけでも大層に報われたのだ。
阿弖流為と母禮の背を見送りながら、伊佐西古は胸の裡だけで別れを告げた。
夜明け前の冷え込みの中、栗原駅舎を発つ前に、馬上の田村麻呂は居並ぶ兵を見渡した。
田村麻呂はこの日のために輜車を改造し、荷台に大型の置き盾を据えた矢避け車を造らせていた。
その車を押す兵たちが先頭に並んでいる。
足場の確保のために木を組んだ梯子を持つ徒歩兵が続き、その後方には徒歩兵を支援するために半弓部隊と大弓部隊が控えていた。
最後尾には、柵門を壊すための大木の槌を載せた力車を、長盾を持たせた徒歩隊が守っている。
誰もが皆、張りつめて強ばった面差しで落ち着かなげな眼をしている。
無理もない。
これまでに幾度も攻めかけては斥けられてきた伊治柵を正面から包囲して打ち破ろうというのだ。
だがこの度はただ闇雲に攻め込むのではない。
充分な修練もない雑兵に弓矢や太刀を持たせたところで徒に命を落とさせるばかりだ。
何も弓箭を引くだけが戦ではない。
田村麻呂は兵を攻守に分けさせ、前もって軍毅には綿密に攻めかたを教授し、末端の兵に至るまで訓練させてきた。
はじめ矢避け車や大槌車を奇異なものを見る目で見ていた兵たちも、扱いに馴れるにつれて、その意味合いを理解するようになった。
谷地に囲まれ、一気呵成に攻め寄せにくい伊治だが、半ば森に呑まれかけていても、版築された戦道と、柵門の南に掘られた濠には確かな足場がある。
道と濠を利用して冬枯れの谷地に足場を造り矢を防ぎながら寄せるのだ。
田村麻呂は大きくひとつ息を吸い、腰の蕨手刀を抜いて頭上高く掲げた。
「迅速な行動にこそ勝機があることを忘れるな。」
良く通る声が響き、百長はむろん、雑兵たちもしんと静まり、田村麻呂に視線が向けられた。
「我らは我らの居城を奪還するのだ。決して火をかけるな。この役に募られた銘々が功を勤め、城柵を勝ち取ることが、すなわち住家と耕地を得て生活を営むことにつながる。」
秘かなざわめきが雑兵の間に走った。
「大君はこの役を仁を持って成すべしと仰せになった。挙げた首級の数ではなく、成し遂げてこその功である。我らは数で優るが、武勇でも信義でも優るところを証してみせよう。」
田村麻呂は隊を率いる百長たちの視線を順にとらえながら言葉を継げた。
「武装した敵兵であっても投降する者を無益に殺害してはならない。略奪を行った者には厳重な罰を課す。肝に命じよ。」
百長たちが口々に「応」と答え、雑兵たちの間にも答える声が波のように拡がり、進軍を報せる大角が吹き鳴らされた。
狗を連れて早朝の物見に出た者たちが慌ただしく戻り、倭人の兵が寄せて来ると報せてきた時、伊佐西古は時到ったと知った。
柵門には大横木が渡され、柵内の矢台には弩の射手が配置された。
石盾と伊佐西古は弩兵とともに南の楼に上がった。
冬枯れの森を抜ける古い戦道には目の届く限り先まで倭人の兵が連なり、城柵の南の濠沿いに兵が展開しつつあった。
伊佐西古は見慣れない幾台もの車に眉を潜めた。
幡を掲げて駆けてくる二騎のうち一人の冑の下から覗く特異な髭の色が目に入り、石盾はそれがいつぞや見かけた異国人のような容貌の武官だと気づいた。
武官は楼に近づくにつれ馬の脚を緩め、楼上の伊佐西古を振り仰いだ。
「先の通達に則って、我が国の城柵を還して頂こう。」
馬は立派な体躯だったが、どうやら神経質らしく、盛んに脚を踏み変えている。
良く通る声が朗々と述べた。
「明け渡さぬとなれば戦は辞さぬ。半刻待とう。長に答えを求められよ。」
伊佐西古は巧みに手綱をさばく倭人の武官を見下ろしたのち、歩兵が溢れるように進んでくる戦道に目をむけ、布陣を今一度ながめ渡した。
百済王俊哲の姿は見当たらない。
傍らで口を開きかけた石盾を伊佐西古は押し留めた。
「ここは俺が受けよう。東西北の柵守りに立つ者を増やしてくれ。」と低く告げて、伊佐西古は再び武官に面を向けた。
「倭の将の君よ、幾度問われても長の答えは変わりませぬ。この地は我ら毛野の民が騙し取られた地。」
伊佐西古はゆっくりとした動作で、矢をつがえた弩を構え、慎重に狙いを定めた。
倭人の武官は緊張感を漲らせて馬の手綱を引いたが、臆した様子は無かった。
「命に替えても渡しはせぬ。」
嗄れた怒声とともに弓弦が鋭い音を立てて矢が放たれ、足元の地面に突き立った矢に怯えた馬が高々と前肢を挙げて嘶いた。
かけ戻る二騎の背に、柵内からは一斉に凱の声が揚がり、倭人の陣からは開戦を報せる大角が吹き鳴らされる音が聞こえた。
展開する倭人の陣が乱れたところを集中的に射手が狙って進軍を妨げ、陽が中天高く登る頃になっても城柵を守る毛野の民には負傷者も無く、戦況は一見、倭人の軍が遅々として進まぬように見えた。
それでも倭の兵は大きな盾の載った車で矢を避け、足場を確保しながら進み、途方もない大群がさしたる負傷者も無く確実に寄せてくる。
やがて射手の誰かが、圧倒的な数に気圧されたものか「これではいずれ矢が尽きるのではあるまいか」とぽつりと言った。
その言葉は射手の胸の内に波紋を呼び、男達は互いに目を見交わした。
矢を運んでいた諸絞は男達の微かな焦りを感じて苛立ちながら「矢の備えなど幾らでもある。下らんことを案ずるな。」と怒鳴った。
志波から来ていた射手の一人が「志波からならすぐにでも加勢を求められよう。烽を揚げてはどうだ。」と言い、周囲の男達は言葉にこそ出さなかったが目を見交わして頷きあった。
諸絞の怒鳴り声を聞き付け、楼から降りた石盾と伊佐西古は射手の話を聞いて顔を見合わせた。
射手の気後れや諍いは命取りだ。
石盾は口の中で「進退極まったらそれも考えようが。」と呟いた。
伊佐西古は舌打ちしたいのを堪えて周囲の射手に聞こえるよう声を張った。
「その要は無い。倭の兵は古道と濠だけが頼りだ。柵門さえ守り通せばやがて阿弖流為と母禮が帰ってくる。悪路王もな。根負けするな。」
伊佐西古の脳裏に百済王俊哲の姿が蘇った。
志波と結んでいるあの将の君がこの戦場に居ないのには理由があるはずだ。
今志波に加勢を求めるなど、柵門を開くようなものだが、そのことは自身の他に知るものは居ない。
石盾すらも知らないことだ。
なんとしても留守居の兵で守り通さねば。
双方の睨み合いの中、陽が傾く頃には、濠の内に倭兵の前線が築かれた。
誰も口には出さなかったが、明日の夜明けには激しい攻防となることはわかりきっている。
陽が落ちると柵の内で毛野の男達は、交替で糧食を口にして仮眠をとっては、倭兵の陣で焚かれている篝火を睨み続けた。
石盾は伊佐西古と諸絞と、明朝どう事を運ぶかについて話し合った。
倭兵の多くは戦う意思に乏しい雑兵だと伊佐西古は身に染みて知っていた。
数こそ多くとも、徴集されて嫌々ながら兵役に着いているだけで、戦場で上官が居なくなれば蜘蛛の子を散らすように逃げ去るものだ。
あの異国人のような武官は突飛な手段を思い付いたものだが、白兵戦に臨むとなれば雑兵がどれほどの働きができるものでもあるまい。
明日の夜明け、戦が始まったらまず隊の指揮をとる者と補給や伝令を狙わせ、混乱を呼び、隊を崩して斥ける。
明日一日、柵に近づけなければ、その翌日門を守り通すのは然程難しい事ではない。
必要なら少数の遊撃兵を出そうと諸絞が提案し、石盾の同意を得て「討って出る者を募ってこよう。」と腰を上げた。
石盾は黙々と自身の蕨手刀に砥石をかけていた。
伊佐西古は、気が昂っているらしい石盾の様子を案じて、少しでも休めと幾度も推して言ったが、聞き入れる様子はなかった。
伊佐西古の胸の内には、百済王俊哲の動向が知れないことが不安の影を落としていた。
あの将はいったい今、どこで何をしているものか。
翌朝は夜明けと共に倭兵の進軍が始まった。
予めの思惑通り、射手には隊正とおぼしき者や伝令に走る者を狙わせ、混乱が起きたところを諸絞が率いる遊撃兵が襲っては撤退を繰り返す長い一日となった。
陽が中天を過ぎた頃に、楼から戦況を見ながら、石盾は苦い顔になった。
襲われて負傷したはずの倭兵はいつのまにか新手の兵に取って代わり、矢避けの車を頼りにわずかづつだが確実に柵へと寄せて来ている。
さらには昨日は見なかった大木を載せた車が戦道の後方に配置されている。
伊佐西古が怪訝そうに「あれはなんのつもりだろう。」と呟いた。
向き直った石盾が「門を破るつもりだ。」と答えると、伊佐西古は険しい顔で「門を固めさせよう。」と楼を降りて行った。
あの車を妨げる何か良い手段は無いかと目まぐるしく考えを巡らせながら、石盾は再び戦道へと目を向け、目を剥いた。
いつの間にか戦道には騎馬兵と弓隊が配置され、撤退のために柵門へ向かう遊撃兵を待ち受けていた。
「諸絞、戻るな」
届くはずも無いと知りながら石盾は叫ばずにはいられなかった。
待ち伏せに気づいた遊撃兵は残り少ない矢を射ながら戦道から逃れ、門へと駆けてきていたが、倭の騎馬兵が追い縋り馬上の争いとなった。
柵門からは援護の弩兵が出て、騎馬兵を斥けながら遊撃兵を門の内に入れたが、多くは深手を負い、殿を駆けていた諸絞は左腕を失い、背に幾本もの矢を受けて、馬の頚に縋ったままこと切れていた。
駆け込んできた馬も幾本も矢を受けており、諸絞が背からいざり落ちると、その場で倒れた。
石盾は歯噛みしたい思いを堪えて「火矢を使う。手の空いているものは燃鏑を作れ。松脂と楮縄を持ってこい。急げ。」と叫んだ。
倭兵は柵に迫り、手間のかかる火矢が用意できるまで、柵の内と外で激しく矢や矛が飛び交った。
倒しても倒しても、倭の兵は何処からか尽きることなく湧いてきては迫ってくるように思われた。
石盾は焦燥を振り払った。
「怯むな。多勢に任せて入れ替わり立ち替わりして寄せて来ているだけだ。まず車を止めろ。」
大木を載せた車は柵門の前に迫り、石盾は自身も燃鏑を仕立てながら射手に激を飛ばした。
降り注ぐ火矢で辺りの枯れ草にも火が燃え移ったが戦道へは延焼が及ばず、倭兵は長盾で車の火を叩き消しながら、門を破るための突進を繰り返してきた。
柵門の横木がいつ折れるかと、誰もが鳩尾を締め上げられる思いに襲われたが、ようやく大木に燃え移った火の勢いが増して、消火が間に合わなくなったと見るや、突然倭兵は車を濠に落として撤退した。
そのまま火が燃え移った車を押し入れてくるものと覚悟を決め、迎え撃つために消火の準備をしていた石盾と伊佐西古は、思わぬ成りゆきにへたり込みそうになりながら顔を見合わせた。
薄暮の中、門の外で車は炎を上げて燃え続けたが、辺りは暗闇に包まれていった。
石盾は焔を透かして倭兵の陣を睨み付けた。
あと一昼夜、何としても守り通さねば。
その夜が明ける前に、東の物見に就いていた男たちが松明とおぼしき灯りが見えると報せてきて、伊佐西古と石盾は浅い眠りを妨げられた。
雲の多い夜で、沈み行く望月の明かりは動きの早い雲で遮られがちだった。
東の柵から見渡すと、確かに暗がりの中に幾つかの火が見えたが、遠く谷地の彼方と思われた。
伊佐西古と石盾が東の柵で苦慮していたその同じ時に、数名の人影が北の柵を超え、柵の内で待ち受けていた数名と共に、物影に身を潜めたことに気づいた者は誰も居なかった。
栗原駅舎で、運ばれてくる負傷者の手当てに追われていた小角は、夜が明ける少し前に、ようよう仮寝の床に着いた。
浅い眠りの中で小角は、いつか見たことのある光景を再び見ていることに気づいた。
燃え盛る森、逃げ惑う獣たち、喚声と叫喚。
やがて小角はその光景が栗駒山の打ち捨てられた庵で、魂離る七魚を追って足を踏み入れた隠世で見た光景だと気づいた。
倉を暴いて歓声をあげる兵士に囲まれて、焔を背に、冑を脱いだ一髷の武官の後ろ姿が見えた。
見知らぬはずのその武官の影は、今、よく知る容を呈していた。
見間違えようもない際立って高い背、人並み外れた骨格、長い手足。
小角は突然、心の臓が喉元までせり上がったように息苦しくなった。
ゆっくりと振り向こうとしているその武官の後ろ姿を、小角は固唾を呑んで見つめ続けた。
あの時には、兵にも武官にも顔は無かったが。
振り向いたその武官の表情に小角は総毛立った。
いつの間にか周囲の兵は数多の毛野の民の亡者に姿を変えていた。
焔とともに迫り来る亡者を睥睨して、そこに立っているのは、これまで目にしたことのない酷薄な眼をした田村麻呂だった。
小角は息をするすべを思い出せず、声をあげることも叶わぬ苦しさに、もがくように悪夢の淵から逃れて目を覚ました。
胸の動悸は激しく、血の巡る音が耳元で喧しく鳴り、溺れた者のように肩でようやく息をした。
やがて小角は、目覚めても止まない胸騒ぎが悪夢のためだけでは無いことに気づいた。
得体の知れぬ不穏さが、大地を伝わり、辺りの空気を震わせている。
暗闇の中、虫麻呂とともに伊治柵の艮の柵を越えた百済王俊哲は、太刀に手練れた兵数名と手引きの志波の男たちとともに、篝火の届かない物陰に身を潜めながら柵門を目指していた。
老いを感じさせない敏捷さで前を往く虫麻呂が脚を止め、俊哲を振り向くと潜めた声で「これより先は身を隠す場所がございません。」と言った。
志波の男が「日の出には交代が来る。人も増えよう。」と言い添えた。
柵門の外では、暗闇の中で戦支度を整えた兵たちが息を潜めて、日の出とともに始まる進攻を待っている。
俊哲は空を見上げ、西天の山の端低く覗く望月の位置を確かめた。
「このまま空が白むのを待とう。月の入りに交代を装って近づき、柵門を解放する。」と答えた。
日高見の山並みの北端、深い森を抱く毛野の民の御室では、春の神事が明けてから、夜を徹して長たちの評定が行われていた。
多賀城で行われた出入りの検分や、伊治柵の返還要求について、阿弖流為の述べるところに、阿奴志己をはじめ長たちの間には沈黙が重くのしかかっていた。
悪路王は上座に座して瞑目したきり、一言も発さなかった。
東の天地の間が僅かに明るくなる頃、伊治柵の楼の不寝番は、夜明け前の冷え込みにかじかむ手足を擦りながら、鳥のさえずりがしないことを不審に思っていた。
あたりはまだ薄暗く、楼から見る限りでは倭兵に動きは見られなかったが、早めに留守役に告げた方がよいかも知れぬ。
柵門の内に目を落とすと、門の不寝番が志波から来ている男たちと何やら話しながら手招きしていた。
交代にはまだ早いはずだが。
怪訝に思いながら今一度、倭兵の陣を見渡して楼から降り、歩み寄って「どうした」と問いかけたとき、抜き身の太刀を構えて駆けてくる倭兵の姿が目に入った。
なぜ柵の内に倭兵がと、自身の見ているものが信じられずにいる間に、傍らに立っていた志波の男が蕨手刀を抜いてこちらに向き直った。
次の瞬間には門の不寝番の一人が太刀を受けて呻き声をあげながら仰向けに倒れ、居合わせた者は怒声とともに一斉に自身の太刀を抜いた。
俊哲率いる倭兵が不寝番と切り結ぶ間を掻い潜って、虫麻呂は柵門に取り付いた。
昨日の攻防で補強のため幾本も懸けられた横木を括る縄を断とうにも、刀子しか持たない虫麻呂だったが、すぐに志波の男たちが手助けに駆け寄ってきた。
太い縄が次々に断たれ、横木が抜かれた。
寄せ懸けられた岩を除けるのに苦心する虫麻呂たちを背後に、俊哲と数名の倭兵は、騒ぎに気付いた交替の兵に立ち向かっていたが、いかに太刀での争いに優れていても、多勢に長時間は持ちこたえられない。
俊哲自身も、引き連れて来た僅かな兵も、手傷を負ってじりじりと門へと追いやられていた。
さらに加勢を率いて駆けてくる見覚えのある毛野の兵が、弩を構えて立ち止まったのが目の端に入った。
伊佐西古だ。
耳元を矢が掠め、背後で誰かが「開いたぞ」と叫んだ。
虫麻呂が嗄れた声で呻くように「副使殿、合図を。」と叫び、俊哲は二の矢を放とうとする伊佐西古に構わず、大角をつかんで吹き鳴らした。
雲を破って淡い燭光が差し初めた。
柵の外で、応える大角が鳴り響き、喚声ととともに兵が脚を踏み鳴らす響きを俊哲は感じた。
柵門が開かれる重い音が聞こえた次の瞬間、激しい衝撃と焼けるような痛みが俊哲を襲った。
やはり腕に矢を受けている虫麻呂が眼前に割って入ってきた。
「疾く坂上副使殿のもとへお退がりください。」
嗄れた声に苦痛は無かった。
深々と矢の突き立った左肩に手をやって、俊哲は伊佐西古が宝亀の乱が始まったあの日放たなかった矢を、今放ったのだと頭の隅で考えた。
なぜ肩など狙った。
汝の憎しみをそのまま吾に向けて来い。
門から討って入った兵の先峰を率いていた田村麻呂は、柵門の傍らの攻防を目にして、百長に先へ進むよう促すと俊哲のもとへと馳せ参じようとした。
立ちはだかる毛野の兵と切り結んでは、或いは避け、或いは倒しながら、田村麻呂の目は、毛野の将の放った矢が、俊哲に覆い被さった虫麻呂の背に突き立ったのを見た。
迎え撃つ毛野の兵を率いていた石盾が漸く伊佐西古のもとへ駆けつけた時には、すでに激しい白兵戦の波は奥へ奥へと進んでいた。
柵門近くで、あの異国人の風貌の将が、膝をついた今一人の将を背後に、数名の毛野の兵と争っていた。
伊佐西古は既に手持ちの矢を射ち尽くしたものか、弩を捨て、蕨手刀を抜いた。
駆け寄った石盾は、唐突に胸ぐらを捕まれた。
「お前一人でいい、今すぐ柵を出て白銀城へ向かえ。お前が生き延びて、その口で阿弖流為と母禮にこの戦の顛末を伝えるのだ。早く行け。」
伊佐西古の口から思いもよらなかった言葉が出た。
石盾は口を開く間を与えられず、そのまま門へ向けて突き飛ばされた。
伊佐西古は門を背に二人の倭の将に向き直った。
「将の君よ、吾はこの伊治柵を預かる者。この門の内に入ったからには吾の命ある間は決して生きては帰しませぬ。」
小角は栗原駅舎の病舎を出て、東の空を見た。
日の出の初めこそ光が差したが、今は雲が重く垂れ込めている。
昨日、前線から剱を連れて戻った河鹿から聞いた話からすれば、夜明けには進軍が始まったはずだ。
辺りの空気は相変わらず形容し難い不穏さに満ちていた。
まるで隠世に居るようだと小角が思ったとき、足元の大地を通して、悲鳴にも似た轟きが伝わってきた。
大地が苦痛を訴えている。
何が起こったにせよ伊治でのことだと小角は確信した。
病舎に駆け戻ると、河鹿に「今すぐ伊治へ行く。止めてくれるな。行かなくてはならないのだ。」と告げた。
河鹿は仰天したが、小角の緊迫した様子に「鈴鹿様が止めるなと仰せなら、吾は共に参るだけです。」と答えた。
毛野の御室の評定の場で、悪路王の金色の眼が見開かれた。
「伊治で大地が呻いている。血と肉の代償に怒りと憎しみが喚ばれた。」
低く柔らかな声が何に対するとも知れない憤りに震えていた。
長たちの注視の中、悪路王は「結ぼれてしまった荒御霊はここに在っては止められない。吾は高丸とともに白銀城へ立ち戻る。」と立ち上がった。
伊治柵の柵門の脇で、深傷を負った俊哲と虫麻呂を背に、伊佐西古と対峙していた田村麻呂は、唐突に太刀を下ろした。
血まみれの刃を袖口で拭い、鞘に納めると田村麻呂は伊佐西古に向き直った。
前線は柵の奥へと怒濤のごとく進み、すでにこの場で争い合っていた兵は屍と成り果てて折り重なるか、立ちあがる力もなく倒れ臥して死を待つ状況だ。
「伊治を預かると言う将よ、降られまいか。今なら救える命も多かろう。」
田村麻呂の言葉に伊佐西古の形相はさらに険しさを増した。
「そしてまた同じことの繰り返しか。この伊治を足掛かりに更に北へと兵を進め、毛野の大地を憎しみで荒らすのか。」
伊佐西古の視線の先には、志波からの増援を装っていた内偵者の屍があった。
「同胞同士を争わせて憎しみの種を撒き、森と大地を奪った上、虜囚の暮らしを強いられるとわかっていて、倭人との調停など容れられぬ。」
吐き出すように言い捨てて、伊佐西古は頭上高く蕨手刀を振りかぶった。
緊迫した空気の中、突然、柵門の外の兵たちの喧騒が高まり、悲鳴を伴う叫喚が響き渡った。
田村麻呂は、今鞘に納めた自身の腰の太刀が微かな金属音を立てたことに気づいた。
手をやると鯉口が切れ、刀身が鞘から浮き上がっている。
柵門から重い足音と異様な気配が近づいて来た。
背後で、矛に縋って膝を着いていた俊哲が身じろぎしたのを感じた次の瞬間、傷を負っていたはずの俊哲が弾かれたように跳び出して石盾を突き飛ばした。
鋭い鉤爪のある掌が大地に打ち付けられた。
門から姿を現したのは狗の頭を持つ異形の大熊だった。
並みの熊などと比較にならない巨きな体躯が後趾立った。
すでに背にも腹にも幾本も矢や矛が突き立ち、毛皮は血にまみれていたが、意に介す様子もない。
片方の脇に抱え込まれていた倭兵が逃れようともがくと、狗の貌の頭部が低く凶暴な唸り声を洩らし兵の頚に喰らいついた。
血飛沫が上がり、長い口吻の端から血の混じった涎を流しながら、異形の生き物は屍となった兵を打ち捨てた。
危ういところで難を逃れた石盾は飛び起きた。
冬に入る前に追いきれなかった荒御霊だ。
悪路王が目覚めてからは姿を見なくなり、そのまま捨て置いていたのだが。
なぜ、今になって顕れたものか。
その姿が冬前よりも巨きくなっていることに、石盾は戦慄した。
俊哲が「伊佐西古、退け」と叫んだが一時遅く、伊佐西古に向かって次の一撃が繰り出され、伊佐西古は弾かれるように飛ばされ、大地に叩きつけられた。
河鹿とともに栗原駅舎を出て、剱を急かせて、小角が伊治柵の門に駆け込んだとき、田村麻呂は矛を構えて狗の頭を持つ異形の大熊と対峙していた。
小角の眼には大熊が纏う障気がありありと見え、それが獣の死骸に結ぼれた荒御霊だと一目で知れた。
不穏な気配はこの荒御霊によるものだったのだ。
国つ神の守り手が在れば隠世から出ること叶わないはずが、どんなはずみで顕現したものか。
玻璃が捨て置いているとすれば、あるいは意図するところがあるものか。
辺りに倒れ伏す兵や毛野の民を見れば、戦による傷で命を落とした者ばかりでは無いことは容易に知れた。
戦が生み出す負の意がこの場に荒御霊を呼んだのだろう。
捨て置くことは出来ないが、毛野の国つ神の理を持たない己にこの結ぼれを解くことも滅することもかなわない。
ならば採れるすべは一つしかない。
この身に一言主を括っている孔雀明王咒なら結ぼれを具現化できよう。
具現化すれば結ぼれを断ち切る手段はある。
父者がこの咒を成したのは、役公の背負う業から解き放たれようとしてであり、国つ神を貶める為ではなかったのだが。
小角は胆を据えた。
駆け込んできた小角の姿に眼を剥いた田村麻呂に向かって、小角は叫んだ。
「坂上の副使殿よ、その太刀を抜かれよ。荒ぶる国つ神の力も、同じ毛野の大地の力を宿すその太刀でなら滅せよう。」
田村麻呂の表情には意外そうな色が過ったが、異形の姿に眼を戻すと手にした矛を投げやり、腰の蕨手刀を抜いた。
小角は深く息を吸い、意を集中させた。
「御」
印を結び、真言を唱え始めると容易に咒は躯を駆け巡った。
田村麻呂の目には、小角の足元から燃え上がった白い炎が鳳の尾羽の姿で伸び、広がり、明王の光背の形を成すように映った。
「摩訶 摩瑜利
来覧禰 訴我乎」
真言が唱えられると辺りは眩く白い光で覆われ、迫り来る異形の大熊の姿は巨大さを失って見えた。
田村麻呂の振るう蕨手刀がその胴を薙ぎ払うと、一時、地響きの様に大地が鳴り、異形の大熊は立ち尽くしたまま、その姿を土塊に変貌させていった。
輜車
牛馬に牽かせる長柄の付いた荷車
力車
人が引く荷車
大角
法螺貝の笛 軍団ごとの装備品だった
冑
この時代の冑は甲同様に現存する物も歴史書による史料も存在しません。
専門家も頭を悩ませるところのようですが、鉢、眉庇、錣(後頭部や首周りを守るため鉢の下部から垂らす部品)などの基本的な構造は、大陸から渡ってきて、既に古墳~飛鳥時代からあったと考えられています。
個人的には、冑の形状は古墳~飛鳥時代の冑よりわずかに眉庇が大きくなり、錣は真っ直ぐに肩あたりまで垂れ下がり、素材は皮革、或は木材を基礎に、額や眉庇、札の部分に銅か、身分や地域によっては鉄が使われていたかと考えています。
蛇足ですが、兜という言葉で連想されやすい五月人形の兜や戦国武将の兜の特徴的形状(矢を避けるために錣の両端を顔の左右の辺りで後方に反らす吹返し、大将であることを誇示するための額や側頭部の立物)は鎌倉、室町時代以降のものと考えられています。
火矢
この時代の実際の火矢がどんなものだったかは不明。
日本書紀に記述が見られることから、日本書紀編纂時には、火矢による攻撃手段は確立していたと考えられる。
効果的な燃焼促進剤が無い時代に、矢の初出速度による風圧に負けない燃焼剤として何が使われていたかも不明だが、日本書紀の記述から火矢を扱う射手の技量によるところも大きかったか。
ここでは獣脂を染み込ませた楮の繊維と松脂で燃木を鏑に取り付けて充分に火を点け、矢柄をも燃焼剤としたと考えました。
城柵の人口について
この時代の日本後記は失巻されているが、日本紀略や類聚国史などから後世の研究者による補填再編記録が存在する。
延暦17年(798年)の多賀城で人口約1万人、胆沢城は延暦21年(802年)の築城時で4千人~3千人という記録が残る。
当時の陸奥情勢から考えると、半数以上が定住した徴集兵で、もともと居住していた移民や俘囚の非戦闘者は1/4の千人~二千人ほどか。
私見ですが、延歴10年の徴兵で多賀城に10万人を目指して兵を集めるという記録には誇張があると思われます。
諸国が健児制度に移行しても、奥州は軍団制度が継続されていたことを鑑みて、ここでは、この時の征夷軍は奥州に置かれていた七軍団(延喜式に残る名取、玉造、白河、安積、小田、磐城。情勢によって、増設、廃止、再編を繰り返したと想像します。)の常設兵千名が実戦力としてすべて参集されたと考え約一万人、多賀城とその周辺の城柵で徴兵された兵士合わせて約3万人~5万人程度と想像しています。
ここでは伊治奪還の朝廷軍は約3千人、伊治柵の毛野兵を500~800人と考えました。