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六月  作者: 賀茂史女
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第六部 伊治  参 釵子

延暦十二年(793年)冬

伊治柵の大門から南北に伸びる大路は、今も、築地塀に囲われた政庁へ向かって、真っ直ぐに続いていた。

大路が尽きるところに立つ政庁の門は閉じられ、武装した(つわもの)に固められ、大篝火が二基焚かれていた。

大篝火の間に置かれた床几(しょうぎ)に腰を降ろして、阿弖流為は勅書に眼を通していた。

虫麻呂はその前に跪いたまま、辺りに油断無く気を配っていた。

予測していたことではあったが、やはり嘗ての政庁が主だった者の居所となっているのだろう。

たとえ武官でなくとも、軽はずみに倭人の足を踏み入れさせる愚は犯さぬとみえる。

それでも、門柵から政庁までの間の距離、間に建つ建物の性状など多くの事が虫麻呂には見て取れた。

大路や小路は朝廷の城柵であった頃とさして変わらず、新たに建てられた毛野の民の家屋の間に、兵舎や厩、匠寮もそのままに在った。

政庁の築地塀の奥には校倉の高い屋根の影が見え、多くの建物はそのまま使われていると見えた。

宝亀の乱までは有ったはずの艮(北東)の物見楼の影が見えない事に、虫麻呂はすぐに気づいた。

真鏡山の山麓から連なる森は伊治柵造営の頃には拓かれ、後退していたものだが、今や伊治柵の北辺のすぐそこまで迫っている。

今となっては北を見張る物見楼は意味を成さないのだろう。

阿弖流為(アテルイ)は書状に眼を通し終わり、濃い髭に覆われた(おもて)を虫麻呂に向けた。

「倭人が勅書と呼ぶこの書状だが」

虫麻呂が顔を上げると、阿弖流為は立ち上がり、広げた勅書の端を片手で掴み、虫麻呂の顔の前に突きつけた。

「我ら毛野の民は文字を持たない。にもかかわらず、己らにだけ通ずる書面で要求を突きつける。相も変わらず勝手なものよな。」

阿弖流為の厳つい髭面の中の瞳に、篝火の灯りが映っていた。

飾らぬ剥き付けな言葉で、一見憤っているかの様ではあったが、その眼が冷静であることを虫麻呂は見て取った。

虫麻呂は平伏し、嗄れた声で「お読みになってのご返答と承ります。」とだけ答えた。

阿弖流為は虫麻呂の返答に、内心、喰えぬ翁だと思った。

要求を突きつけられたと理解できているではないかと言いたいのだろう。

阿弖流為の一喝が轟いた。

「そもそも北上しないとした約定を先に破ったのは倭人だ。」

虫麻呂は恫喝に臆するところなく「長は、この伊治が朝廷に割譲された地であるとお認めになりますので。」と言った。

虫麻呂の返答に、阿弖流為は僅かに眉を上げた。

胆の座った翁だとは思っていたが、伊治の割譲を知るとは。

「翁よ、お前の身分は?。牡鹿柵の奴だと聞いたが?。」

阿弖流為の問いに、虫麻呂は頭を垂れて「紛れもなく(やつがれ)(やっこ)にございます。」と答えた。

ほう、と感心したような声をあげ、阿弖流為は「奴とな。惜しいことだ。胆の座り具合も、頭の働きも中々のものではないか。どうだ、このままこの柵に留まらぬか。」と言った。

虫麻呂は動ずる様子も無く「畏れ多い事で。(やつがれ)は残る命もさして長く無い身。良き主を得た今、その元で朽ち果てるつもりでございます。」と老いた顔の皺に埋もれた目をさらに細めた。

阿弖流為は、頭の隅でこの翁の言う良き主とは誰だろうと思った。

「このまま此処で我等に組せば自らの他に主は無いものをな。まあ良い。副使(そえいくさのきみ)への返答を伝えよう。伊治は元より毛野の民の地だ。伊治に住むことに謗りを受ける謂われも、この地を明け渡す謂われもない。呰麻呂(アザマロ)の苦渋を知れ、とな。」

跪いたまま「必ずそのままにお伝えしましょう。」と虫麻呂は答え、阿弖流為は「果たしてどう伝わるものかな。」と皮肉な笑みを浮かべた。

虫麻呂を見下ろしながら、阿弖流為は「お前のその良き主とやらに伝えるが良い。倭人が約定を守らぬ故、我ら毛野の民は伊治を奪い返したまで。戦となれば、我らには倭人を殲滅出来るだけの用意がある。心せよ、とな。」と言った。


伊治柵の城門が開かれて、文箱を抱えた虫麻呂が姿を現し、待ち受けていた俊哲と田村麻呂は胸を撫で下ろした。

伊佐西古(イサシコ)に「速やかなご退去を。」と促されて、俊哲は馬首を巡らせながら挑戦的な笑みを浮かべ、「また会いまみえようぞ。」と告げた。

玉造柵へと帰還した俊哲は、虫麻呂の携えた返答を聞き、「さもありなん、と言ったところか。」と笑った。

虫麻呂は柵の内で己が見聞きしたことをつぶさに語ったが、艮の物見楼が解体されていると告げた言葉に田村麻呂は鋭く視線をあげた。

俊哲と虫麻呂、三者の間で沈黙のまま、視線が交わされた。

俊哲は虫麻呂に労いの言葉を掛けたのち「では吾は国府へ戻って、首尾の如何を大使殿に報告するとしよう。」と、率いてきた兵を引き連れて玉造柵を発った。

その姿を門柵で見送った後、玉造柵の大領は、やや離れて跪く虫麻呂を胡乱(うろん)な目で見やって、田村麻呂に訊ねた。

「奴の申すことを有り体に信じて良いものでしょうか。柵の内で蝦夷どもに何か良からぬ取引を持ちかけられたかもしれません。お疑いにはならないのですか。」

虫麻呂にその言葉が聞こえぬはずも無かったが、虫麻呂は大領の言葉が耳に入らぬような顔をしていた。

田村麻呂は面白い冗談だというように笑顔を見せた。

「虫麻呂に二心などあるはずもない。例え身分は奴であっても、虫麻呂の主は虫麻呂自身だからな。」

朗らかに笑った田村麻呂は虫麻呂を振り向いて言った。

「それに毛野の民とでは双六も打てぬだろう。なあ、虫麻呂よ。」

田村麻呂の言葉に虫麻呂も笑いながら「真に仰せの通りで。」

と答えた。


栗原の駅舎(うまや)では、傷を負った役夫や衛士達に休養が与えられていたが、急拵えの兵舎では、満足な治療を受けられるでもなく、怪我人に気を配る者もない。

多くの負傷者は、傷を洗うように渡された酒は腹に納めてしまい、敷き藁の上で横になるばかりで、中には壊疽を病み始める者なぞも出てきた。

下働きの女衆が数人でもいれば違うのかもしれないが、女衆が立ち混ざることで、規律が乱れ、争いの種となっては元も子も無い。

田村麻呂は例え遊行婦女(うかれめ)や渡り巫女であっても、駅舎に(おみな)を立ち入らせなかった。

「なんとしても薬師が要りようだな。糧も薬種もなんとか調達できようが、薬師無しでは如何ともならぬ。負傷者が増せば士気を下げるばかりだ。」

玉造柵の政庁で独り言ちた田村麻呂は、薬師という言葉とともに脳裏に浮かんだ小柄な(おみなご)の面影を、強いて打ち消した。

里心が出て迷いが生じれば、吹き始めた追い風が止まるやもしれぬ。

今は粟田を思うまい。


山城国にも冬が訪れ、年も押し迫った頃、小角は解体の進む長岡宮の外れの嶋院を訪れていた。

離宮となった嶋院に移り住んだ酒人内親王からの招きだったが、神野皇子と最澄も同席していた。

「今日お招きしましたのは、他でもありません。この釵子のことでご相談したいことがあったのです。大晦(おおつごもり)追儺(ついな)の前にと思いまして。」

酒人が優しげな顔を曇らせて取り出したのは、井上の象牙の釵子だった。

「もうせんのことですが、神野皇子がこの釵子に触れて大層怖じられました。それから熱心にこの釵子を身近に置かぬようにと申されます。最澄師にお話しましたら、貴方にご相談されるが宜しいでしょうとのことでした。どうかご助言いただきたいと思いまして。」

小角は、釵子を手にして、成る程と思った。

小さな釵子の裡には様々な時代の様々な意がひしめいていた。

近くは先の洪水で命を落とした者や、長岡造営に駆り出されて死んだ者達、遡ればこの国にみ仏の教えが伝わる以前の死者の意もあるようだ。

広大な都の造営では、古い墳墓を暴かざるをえないことがままある。

そこからさ迷い出た意なども巻き込まれているのだろう。

この釵子が自身の手を離れてから、五年程が過ぎただろうかと小角は考えた。

それにしても。

「僅かな間に、また随分と呼び集めたものだな。」

訝しみながら小さく呟いた小角は、最澄に眼をやった。

「御坊なら苦もなく散華させられように。敢えて私にとは?。」

最澄は両掌を合わせて、小角に微笑みかけた。

「拙僧では、み仏の名のもとに滅してしまうことになりましょう。これらの意もみな、嘗て在った者達の生きた証し。出来ることなら、魂振りをしてやりたいと思いまして。」

小角は頷いた。

「さして強い執着でもないようだ。拠り所を見いだせず、人が集う宮に惹かれてこの釵子に寄り集まったのだろう。試みてみよう。今の程度なら禍つこともないが、捨て置いて(あま)りに寄り集まると禍を呼ぼう。神野の目に禍々しく見えるのはその為だろう。」

小角は釵子を手に意を凝らした。

大祓えの祝詞を唱えるにつれ、緩く結ぼれていた多くの意が解かれていくのを感じた。

神野皇子が小さく声を上げ「鳥が。」と言い、腰を浮かせて膝を立て、大袖の端から覗く手を伸べた。

神野の眼には、放たれる意が鳥の姿に映っているものか。

「釵子で良かったな。これが鏡や玉匣(たまくしげ)であれば、中々に手強いことになったかも知れぬ。」

神野の姿を見やって小角は小さく笑った。

だがこの釵子に意が結ぼれた理由はなんだろう。

次々と解かれた意が放たれていくと、釵子の奥底に沈んでいた記憶が小角の脳裏に繰り広げられ始めた。

染めた象牙に細工を施している浅黒い武骨な手の主は、聞きなれない異国の言葉で、自身の手の中の細工物に何かを語りかけていた。

箱の蓋が開けられ、別な男が覗き込んできた。

抜け目なさそうな顔つきの男は唐の商人だろうか。

釵子の記憶の中に井上の姿を認めた小角は咄嗟に、空いた手を伸ばし「最澄。」と呼んだ。

井上が(おびと)(聖武帝)からこの釵子を賜った日だろうか。

釵子の記憶の中で、首の傍らに広刀自が座して、穏やかに微笑み、井上と不破とが互いに色の違う釵子を手にして笑みを交わしていた。

次には井上が抱いているものか、無心に笑う赤子が見下ろせた。

傍らに立ち、覗き込む白壁王の紫衣の色が浅いことから、赤子は酒人と思われた。

次々と見える光景は移り変わった。

床に落ちた釵子が見たものは、喪の装束で横たわる広刀自の傍らで、泣き伏す井上と不破の姿だった。

白壁王と佇む、色浅い文官の袍の山部に、まだ童形の酒人が宥められていた。

乳母に抱かれる赤子は他戸だろうか。

結わせた宝髷に釵子を挿すために鏡を覗く井上は、穏やかだった容貌が、齢を重ねるにつれ、生来の穏やかさを失い、険しく権高く、狷介になっていくのが見てとれた。

その様はどこか往時の阿倍に似ていた。

「なぜ大君は資人(すけびと)風情の言を容れて、朕の言葉を聞き入れてくださらぬ。山部と百川が何ぞ謀って策を講じているのであろう。(おゆ)を此処に。朕の前でもの申させてみせよ。」

暗闇の中から、やつれ、思い詰めた井上の声音が「朕に残されたもので(あたい)のありそうな物はもう他に有りはせぬ。これを呉れてやろう。百川でも山部でも、誰にでも良い、伝えてくれ。他戸に薬師を」と聞こえ、釵子は床に投げ出された。

「天つ神もみ仏も、朕をお見捨てになったのか。斎王が何ほどのものぞ。皇統の生まれが何ぞ。み仏の慈悲なぞどこにある。朕と他戸は少しも救われはせぬではないか。」

井上の声は悲鳴のように小角の耳に(こだま)した。

小角は瞑目した。

この記憶が核となったのだ。

自身にも覚えのある、痛烈な恨みの言葉がもたらした痛みに小角が眉根を寄せた時、最澄の唱える心経が聞こえてきた。

小さく暖かな手が膝に触れてきて、眼をあけると神野が覗き込んでいた。

心配そうに「若宮さま」と問いかけてきた神野に、小角は笑顔を造り「大事ない。」と答えた。

「どうやらこれからは、善き事も悪しき事も、人の命の限りとはいかぬようだ。」

小角はぽつりと呟いた。

経を唱え終えた最澄は、困惑気味に小角に目を向けた。

「拙僧には考えが及びませんが、それはどういう。」

小角は苦く笑った。

「以前真魚(まお)が言ったのだ。善き事も悪しき事も、人の命の限りとな。御坊は覚えておいでだろうか。いつか話した佐伯氏の学生だが。」

最澄は頷いてさらに訊ねた。

「ただいまのことは?。石上の術を使われたわけでもございますまいに、どうしたことでしょう。」

酒人と神野は並んで座して、気遣わしげに小角に目を向けていた。

その姿は実の親子のようにも見えた。

「詰まるところ、み仏の教えでは人の意は死とともに滅しない、ということになるだろうか。」

小角は掌の上の釵子に眼を落とした。

「信じるものを失った井上の嘆きを、釵子が記憶していた。それが、様々な執着の念の核となったようだ。」

酒人は、顔色を変えた。

「お母様の。よく人が言繁(ことしげ)るように、鬼神や怨念などというものですか?。」

「井上の無念さを釵子が憶えていたのだ。その記憶が図らずも、執着をもって澱む、様々な意を招き寄せたのだろう。井上自身の意図するところでは無い。釵子もその記憶から解き放たれたかったのだろう。」

小角は酒人に真摯な目を向けた。

「井上自身は、他戸とともに運命を受け入れる覚悟でいた。山部からお前の無事を聞いて安堵していた。山部がお前になんと伝えたか知らぬが、私が語ったことが井上を絶望させたのだ。知らぬ方が幸いであったかも知れぬ。」

酒人は青ざめたまま、震える声で呟いた。

「ですが、執着を抱いて亡くなった人の意が、後世(ごせ)まで遺って人に仇なすことも有り得るのですね。」

「執着が強ければ、そして呼応する意が多ければ、そういうことも起こるだろう。」

頷いた小角の答えに、酒人は胸の前で自身の繊細な手を絞るように握り、ますます青ざめて俯いた。

神野がそっと、小角の手に触れた。

小角は神野の小さな手に、釵子を委ね「さあ、どうかな。もう皇子が畏れたものはあるまい。」と言い、神野は晴れ晴れと笑って「はい」と答えた。

「これは葛城で伝わって来たことに、私がこれまで見知ったことを思い合わせただけだが。」

前置きして小角は最澄に向き直り、語り始めた。

「国つ神とは万物の意が結ぼれて顕現するものだ。荒魂も和魂も、それ自体に意図は無く、上古には区別は無かった。」

土蜘蛛や母刀自、葛城の乳銀杏、三輪山や神山(こうやま)磐船(いわふね)真神原(まがみはら)槻森(つきのもり)、小角は思い付くままに挙げてみた。

「荒魂か和魂かは、人にとって己たちに利するか利さないかだけの違いだ。祢宜(ねぎ)(はふり)が時宜に合わせて祀ることで、利さない荒魂を宥め、利する和魂を活かそうとしてきた。」

人が増え、邑や国が営まれるにつれ、人にとって、国つ神は死への恐れや、生活(たつき)を脅かす天災への恐怖から逃れるための信仰の対象へと変じた。

「人の心の動きは強い力だ。敬い畏れる念が和魂への信奉を促し、強い執着の念が結ぼれて荒魂を肥大させる。

大地の力を制する術を知り、龍脈をも操る役公のような守り手が生まれると、大地の力より人の意が勝るようになった。」

海や山、川、巨石や大樹だけでなく、剣や鏡、磨いた玉にも、人々は霊力を感じ、効験を求めるようになり、そこに人の意が結ぼれて、霊器が生まれた。

「その頃までは、高志でも三輪でも葛城でも、同じように移り変わりがあったのだろう。」

豪族が群雄するようになり、そのせめぎ合いの中で、日向と交わった三輪が倭となり天つ神と国つ神が分かたれたが、それでも人々は、それまでの神籬(ひもろぎ)も霊器も天つ神・国つ神の力の顕れと捉え、天つ神・国つ神を敬った。

み仏の教えが伝わると、国つ神の力はさらに削がれた。

信仰の拠り所が二分されたのだ。

万物は死して、意が龍脈へと還元されるのがそれまでの有り様だったが、生への執着や強い心の動きを持つ人の意は還元されず、意の残滓となり、隠世(かくりよ)に淀み、或いは隠世の裂け目から現世(うつしよ)にさまよい出て結ぼれる。

「み仏の言うところの愛欲というものだな。み仏の教えでは菩提を求め彼岸へと渡った人の意は散華しても、凡夫の意は散華しないままだ。」

み仏の教えがこの国に根付く前は、祢宜や祝、役公の力で生への執着の結ぼれが散華させられてきたのだが。

「国つ神の古い慣わしを頑なに守っていた高志も葛城も滅びた今、還元されない意を祓えるのは、習わしとして残る祭祀ぐらいだ。何かをきっかけに、亡き者の執着が他の意を呼び込み、結ぼれることは、これから増えるかもしれない。」

最澄は黙したまま、小角の語りに耳を傾けていた。

「み仏の教えでは、執着は斥けるべきものだが、これはなかなかに成し難いことだ。み仏の教えは導き手の如何によるからな。教義としては素晴らしいが、生活(たつき)の中に根付くには時間がかかるだろう。」

最澄は黙したまま瞑目し、両掌を合わせて頭を垂れた。

場に降りた沈黙を破って、時を告げる太鼓の音が鳴り渡った。

「今思えば、なればこそ道昭も行基も放浪の旅に出たのかも知れないな。」

小角が不意に、懐かしそうに言い、最澄が顔をあげた。

「み仏の教えを根付かせるために、ですか。」

小角は頷いた。

葛城と倭が相争う時代と並び立つ時代を経て、決別を迎えるまでの長い時をかけて、この緩やかな信仰の変遷は、融合を持って交替が図られているかのようにも思われた。

信奉の対象で争いが生じれば、意の散華など叶うまい。

道昭も父も義淵も、み仏の教えが根差せば、自然、意の散華はみ仏の教えに因るものへと推移していくと考えたのだろう。

国つ神を信奉する者たちは、常ならむ力を持つ者を媒介に、人智を超えた力を得て操ってきたが、媒介となる者はその力と引き換えに精神(こころ)を疲弊する。

父はみ仏の教えが広まることで、その呪縛から、脱することを考えていたのだろう。

み仏の教えでは、先に彼岸に渡った者が倶有の種子によって、啓示を共にすることで解脱への道を指し示すことができるとされる。

それでも、我を保ちながら倶有の種子を持つ事で人の精神は疲弊するのだろう。

玄昉(げんぼう)狼児(ろうじ)も、寿命が尽きるのは早かった。

「何れにしても、空(意の共有)とは容易(たやす)いことではないということだな。」

だが、と小角は続けた。

「強く、複雑な心の動きを持つ人という生き物には、同時に慮るという能力(ちから)がある。

個々が倶有の種子を持つに至らなくても、慮る力が有れば、多くの事は解決していくのではないだろうか。」

語りながら、小角の胸の裡には田村麻呂の面差しが蘇った。

あの君はまさに、異能の力ではなく、他者を慮る心に長けているのだろう。

「儒家の言うところの仁だな。」

真備は阿倍に、仁と礼こそが人の生きる上での最も大切なものだが、これはもともと、どんな人でも持つものだと説いた。

最澄が「居處(きょしょ)するに(うやうや)しく、事を執るに(つつま)しく、人に(むか)って忠であれ、ですか。」と穏やかな笑顔を浮かべた。

小角も釣り込まれて笑った。

「ああ、陸奥の征夷軍に聞かせてやりたいところだな。無駄に戦をせずに済もう。」

神野は目を輝かせて、最澄と小角の語ることに聞き入り、酒人の表情は和らいだが、どこか思い詰めたものを残していた。

最澄はしばらく考え込んでいたが、不意に顔をあげた。

「あるいは上宮太子が和を持って尊しと為すとされたのも、天つ神、国つ神とみ仏の教えとの対立を憂う由縁でありましたろうか。丁未の変は惨たらしい戦だったと伝わります。」

最澄の言葉に小角は頷いた。

「人が二人あればそれで対立が生まれ、争いが生じるものだからな。それが弓削の大連(物部守屋)と嶋の大臣(蘇我馬子)ともなれば、国を分かつ戦だったのだろう。だが真備は二言目には、孫子の極意は戦わぬことだと言っていた。兵法とは人を対象とするものだ。知・情・意をそなえた人というものをよく知ることで、戦わぬ道が生まれる、と。」


侍童が前触(さきぶ)れに咳払いして渡殿に姿を現し、「治部卿がおみえになります。」と告げた。

思わぬ訪れに、酒人はやや驚きながら、急いで座を作らせ、壱志濃王を招き入れさせた。

壱志濃王は、屈託無く座に加わり、小角に「賀茂の御阿礼殿が斎王の宮(酒人)のもとにおいでと聞いたのでな。お健やかそうで何よりだ。」と笑顔を向けた。

「粟田の方に、陸奥の便りでももたらそうと思い立った。」

思わぬ言葉に目を見開いた小角に、壱志濃王はしかつめ顔で、奏上でも述べるように言った。

「先頃、征夷大使から大君へ駅馬で言上があった。

大使は副使二名の言を容れ、胆沢への侵攻を取り下げて、伊治を奪還すると申し上げた。大君はこれを容れられ、大伴大将軍おおとものおおいくさのきみに節刀を授ける旨を朝堂で採択された。年が明ければ節刀使が陸奥へと向かう。」

小角が強張った表情で「開戦するのだな。」と訊ねた。

壱志濃王は重々しく頷いて「そうなろう。」と答えた。

「坂上副使から、薬師の要請があったそうでな。」

小角の表情が苦しげになったのを見て、壱志濃王は鷹揚な笑顔を浮かべた。

「案じられるな。副使は兵と役夫のために薬師を求めてきたのだ。我が節刀使として、薬師を率いて陸奥に赴く。言付けることがあれば伺おう。」

(おゆ)

槻本君(つきもとのきみ)(おゆ)

白壁王の資人(すけびと)(舎人)

山部王の忠臣

井上内親王と他戸皇太子の排斥に深く関わったか。


樊遅問仁。

子曰。

居處恭。執事敬。與人忠。雖之夷狄。不可棄也。

論語 子路第十三


樊遅(はんち)、仁を問う。

子曰く、居処(きょしょ)するに(つつま)しく、事を執るに(つつ)しみ、人にむかって忠なる。

夷狄(いてき)()くと(いえど)も、棄つべからざるなり。


孔子の弟子、樊遅(はんち)が孔子に「仁とはどんなものでしょう」と問うた。

孔子はこう答えた。

家にあっても身を慎み、仕事は敬虔に執り行い、人には真心を持って接することだ。

たとえ夷狄(いてき)の国に行っても、この志を棄ててはならないのだよ。


孔子の門弟で馭者を勤めた樊遅(はんち)は、凡人に近く、人間味ある弟子だったと思われる。

樊遅(はんち)は論語の中で、孔子に三度仁を問うが、孔子が三度とも表現を変えた答えを返しているのは樊遅(はんち)の理解度に合わせてか、あるいは樊遅(はんち)の振る舞いを見てのことだろうと推測される。

雍也(ようや)第六では難きを先にし利を後にする、顔淵(がんえん)第十二では他者への愛、この子路(しろ)第十三では恭・敬・忠、と説いているが、「夷狄(いてき)()くと(いえど)も」という表現から、あるいはこの時、孔子と門弟たちは祖国魯を出て放浪の旅の途上にあったか。


真神原(まがみはら)槻森(つきのもり)

飛鳥衣縫造(きぬぬいのみやっこ)樹葉(このは)の邸宅があった槻の樹の森。

蘇我馬子によって切り開かれ、飛鳥寺の造営地とされた

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