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六月  作者: 賀茂史女
43/53

第五部 栗原 七 出征

延暦十二年(793年) 春

小角は船岡での祭祀の後、立ち上がることもままならない程に疲弊しており、壱志濃王の計らいで丁重に粟田へと運ばれた。

田村麻呂は長岡の宮で、翌日に控えた高津内親王の奉献する曲宴の準備を指図する最中に、この報せを聞いた。

宴への列席を辞退し、能う限り急いで粟田へ立ち戻った田村麻呂は、血の気の失せた小角の面差しに胸を衝かれた。

「大事無い。日頃の不精進を推して荒行を行ったのが堪えただけだ。少し休めば治る。」

床の中で小角は笑って見せたが、田村麻呂は事の発端となった己の軽率さを心の裡で責めた。

いかな葛城の斎媛と言えども、やはり祭祀は執り行う者にとって危険が伴うものか。

異能の力有れば尚のことではないのだろうか。


壱志濃王から報告を受けた山部は、即座に神祓官(かんづかさ)に賀茂社の社格を改めるよう勅を出し、民部卿 和気清麻呂を船岡へと派遣した。

船岡から湧き出た川は堀川と名付けられ、和気清麻呂は船岡を基点に新都の地割りを行い、堀川の流れを導く水路の掘削に着手した。

新たな都の造営が始まった。

新都の予定地で田畑を営んで来た公民には、移転の為に新たな口分田が配給された。

役夫は五位以上の貴族と、各省の主典(さかん)以上の官人からも徴発させた。

これに酬いるために、山部は頻繁に曲宴や鷹狩りを行い、造営の為に負担を強いている大宮人を招いては、禄を下賜した。


朝堂では洪水の被害収拾と遷都の建議で先送りされていた蝦夷討伐が再び頻繁に議題に上がる事となった。

この度の東征軍の副使でもある陸奥鎮守府将軍百済王(くだらのこにきし)俊哲(しゅんてつ)からは、作冬の始めに多賀城では兵が整ったと報告されている。

十万を目指して徴兵された兵だったが、逗留できる兵力を目指す百済王俊哲は、その多くを陸奥近隣の国から募ることで兵の移動や駐留に懸かる費用を軽減させた。

俊哲は流民も咎人も、志を改めるならば兵として、柵戸として受け入れた。

田村麻呂だけは遷都事業に伴い、都に留め置かれていたが、他二名の副使は既に多賀城で任に着いている。

これを受けて征東大使大伴弟麻呂は山部に辞見(まかりもう)し、都を発った。

東国を制圧するのではなく、夷狄を征するのだとの意から、山部は征東使を征夷使と呼称を改めさせた。


二月二十一日、田村麻呂は東院で山部に辞見(まかりもう)した。

「伊勢社と山陵へ遷都を報告する運びとなった。(いまし)を山科の淡海帝の御陵への奉幣使(ほうへいし)に任命する。朕自身で一度造営を検分して上奏文を記すつもりだ。その後、まずは治部卿が伊勢に赴き、それ以降で順次御陵に使いを出す。三月の終わり頃となろう。」

多賀城着任の下命とばかり思っていた田村麻呂は、山部の口から出た意外な言葉に面喰らった。

田村麻呂の面にちらりと眼を遣り、山部は「先の弓場の争いから舎人達がどうも落ち着かぬそうな。内裏の解体も始まる。近衛府が手薄になるのは剣呑だ。古詩には六月(りくげつ)の出兵が詠われるが、夏越しの祓えまでは都に留まるよう。」と言った。

「承知致しました。」と笏を捧げて頭を垂れた田村麻呂に山部は思い出した様に「かの斎媛はどうしている?。」と訊ねた。

「大事を取って二日ほど静養させておりましたが、ただいまは常と変わりなく過ごしているものと存じます。」

田村麻呂は、既に治部卿にその旨はお伝えしたはずだがと訝しみながら答えたが、「そうか。酒人と神野が案じているのでな。」と告げた山部の声音は、常に無く寛いでいた。

「俊哲は次の冬は陸奥国で兵を駐屯させたいと言ってきた。寄せ集めの雑兵ばかりだ、開戦は遅い方が俊哲には好ましかろう。(いまし)が着任して副使が揃えば、時宜に依らず大使は戦端を開こうとするやもしれぬ。大使には出立前に功を焦らぬよう伝えておいたが、汝が多賀城へ赴いたら俊哲を良く補佐してやってくれ。それまでは暫しゆるりと過ごす事だ。」


山部の葛野行幸は三月の朔に行われ、十日には壱志濃王が遷都の奉幣使として伊勢社へと発った。

宮の裡では臨時の司召が行われ、鳴弦の儀の私闘に関わった者も非公式にその処遇が決められた。

安殿皇太子からも赦免の嘆願があり、田村麻呂と最澄の言上で、双方の舎人は処断されなかったが、山部は、東宮妃諸ともその母を離宮の木蓮子院(いたびのいん)へと移させた。

「表向きは宮の解体の準備としておこう。離宮に移すと言っても朕はかの哀れな妃を放逐するつもりではない。先だってその父(藤原縄主)の位階を上げた事でもそれは知れよう。だが考えるに、妃よりその母に寵があるなぞという風評が東宮坊の風紀の乱れの根となっているのではあるまいか。」

山部の声は穏やかだったが、安殿には父が依然薬子に嫌悪を感じているのだと容易に知れた。

「主の振る舞いが仕えるものに与える影響は思わぬ形で顕かになるものだ。」

安殿には、初めから稚く心浅い妃が好ましく思われたことは無かったが、母皇后(きさい)は種継の縁者であれば頼れようと言い残した。

東宮坊で、拙い妃の振る舞いや差配を補って来たのが薬子であることを安殿はよく承知していた。

自身とさして歳が変わらぬ薬子だが、常に安殿が寛げるよう気を配ってくれ、母皇后亡き後の安殿には最も心許せる女君であったのだが。

「聞くところによればかの女君は妃の生母でも無く、齢もさして重ねておらぬそうだな。臣下の年若な()が東宮坊の良からぬ風評の種となっていると聞けば、その()も心を痛めよう。皇太子がその身で、悪評に根が無いと証しを立ててみせよ。」

山部の言葉に、安殿は逆らうすべも無く、唯々諾々と従った。

弓場で傷を負った帯刀舎人、山辺春日は同胞の暴挙を止めようとしての負傷と認められ、東宮坊から中務省へと移され、内舎人に改められた。

入れ替わりに大舎人(おおとねり)だった佐伯成人が帯刀舎人となった。

弓場での争いで、罵られて斬りかかった帯刀舎人、紀嶋人ですら帯刀舎人の(げん)から気短さについて厳重な注意を受けるに留まった。

にも拘らず、山部の言葉通り、内舎人と帯刀舎人の間には険悪な空気が色濃く残っていた。

中務卿藤原小黒麻呂もその不穏さは承知していたが、何事も起こらぬ内では如何とも出来なかった。

常であれば過ちのあった者の任を解き、顔ぶれを変えることで、片付く事だ。

舎人の成り手など幾らでも居り、人事に関わる参議であれば誰もが、推挙を願われて様々な付け届けを受け取っている。

だが、主上の寵篤い式家東宮侍従(藤原緒継)と坂上少将がわざわざ厄介な処遇を申し入れ、主上が聞き入れられたのであれば、不愉快だがやむを得ない。

小黒麻呂自身も遷都事業で多忙であるところへ、事もあろうにその坂上少将からの使い文で、近衛府に舎人達の振る舞いを留意させるかなぞと打診されて老獪なこの参議も内心の苛立ちを押し隠しきれなくなった。

「戻って坂上少将に伝えよ。我も手をこまねいているわけでは無いゆえ、近衛府にご心配いただく事ではない。坂上少将には何卒征夷副使の任を果たされる事に重きを置いて頂きたい。副使殿が任地へ赴くが遅れたは中務卿が到らぬからだと謗られてはかなわぬとな。」

口上を述べようとする史生(ししょう)を横へ押しやって捲し立てる中務卿の剣幕に、近衛府の使部は慌てて中務省を逃げ出した。

田村麻呂は近衛府で中務卿の言伝を聞き、使部の労を労って下がらせた後、いったい中務卿はどんな策を講じたのかと首を捻った。


田村麻呂は再び朝参の合間に粟田を訪れる余裕が出来、日毎に深まる春の休日を粟田で過ごした。

小角は祭祀の後、再び、荘園の賄いに追われながら糸を紡ぎ、機を踏み、菜を摘む日々に戻っていた。

訪れる田村麻呂は、出征については語らず、小作達と共に、順調に作物が育つ田畑に出、馬の世話をして都へと帰っていく。

時には小角と河鹿と共に遠乗りに出掛けたり、魚釣りに興じる事もあった。

やがて夏の初めの長雨の季節となり、青々とした田畑に降る雨の一日を二人は漢籍や詩を論じてみたり、歌枕の言葉合わせなどして過ごした。

小角には普通の娘に戻ったような暮らしがまるで儚い夢のように感じられた。

この夢はいずれ確実に醒めるのだ。

田村麻呂はまもなく毛野の民と戦をしに陸奥国へと行ってしまう。

戦である以上、身も命も保証はない。

さらに朝廷軍が対峙するのは毛野の民ばかりとは限るまい。

阿弖流為(アテルイ)と玻璃は南の守りについて、心を共にしている。

戦に臨んで玻璃が国つ神の力を借りる事も考えられ、そうなれば荒御霊の力に常人が抗う手段など無きに等しい。


やがて夏が訪れ、新都の宮の礎石が置かれ、本格的に長岡宮の解体が始まったとは聞かされたが、田村麻呂は自身が出征する日を告げてはくれなかった。

気の早い葛が甘く薫る花を咲かせ初めた日、田村麻呂は、細工の美しい一式の投壺(とうこ)を持って粟田を訪れた。

「内匠寮の才伎(てひと)が手すさびに試作した。貴方には懐かしいのではなかろうか。」

受け取った小角の表情が和んだ。

「ああ、首も阿倍もこれが得意で好んだものだ。美しい細工だな。こんなものが宮の内でも造れるようになったのだな。」

田村麻呂は頷いて「見て美しいだけでなく、矢にも工夫がされているそうだ。試してごらんになるまいか。」と誘い、小角は「今からか?。」と後込みしながら答えた。

「私は投げ物が不得手だ。とうてい相手になるまいぞ。」

小角の答えに田村麻呂は大真面目な顔で「では尚更試して貰わねば。」と言った。

果たして小角はまるで田村麻呂に敵わず、不服そうに唇を尖らせる羽目に陥ったが、田村麻呂は可笑しさを噛み殺しながら更に「ではこの半弓ではどうだろう。」と言い出した。

裏庭に設えてある巻藁の的に向かって半弓を引いてみて小角は驚いた。

己の弓の不味さは身に染みているつもりだったが、この弓箭なら的を射抜かないまでも、どうにか狙える。

思わず背後を振り返ると、田村麻呂は口許に拳を当てて、笑いを堪えていた。

「貴方にも不得手なものがあったのだな。」

それだけ言うと、小角の剥れた顔を見て田村麻呂は朗らかに笑いだした。

「この弓箭を兵達に持たせようと思ったのだが、これは考え直した方が良かろうか。」

尤もらしく腕組みした田村麻呂に、小角は不服そうに言った。

「この弓箭は並みのものより遥かに扱いやすいと思うぞ。私の弓の腕が不味過ぎるのだ。」

一頻り笑った後、田村麻呂は小角から弓箭を受け取って自らも射てみた。

矢は鋭く飛び、巻藁の的を揺るがして深々と突き立った。

上背のある田村麻呂が半弓を引く姿は見慣れぬものに映った。

「なぜ半弓なのだ?。」

小角が問うと、田村麻呂は弓を下ろして振り向いた。

「森の中で大弓は威力を成さないし機動力に欠ける。弩は強力な武器だが、熟練するものが少ない。先の御代に太宰府でも教練させたが、さして根付いていないようだ。やはり馴染みが薄いのだろう。俊哲殿は投礫帯を推しておいでだったが、私はこの半弓を奨励するつもりだ。」

(からむし)の弓弦を外しながら田村麻呂は言葉を継げた。

「大弓では弓も矢も、材料を吟味せねばならないが、半弓ならば材料も手に入りやすく、打ちやすい。この矢は()の拵えに工夫が凝らされているそうだ。半弓の短い矢でも威力と飛距離を損ねず一直線に飛ぶ。今、内匠寮の才伎(てひと)の指導で造兵司(ぞうひょうのつかさ)でこの弓箭の作成に取り掛かってくれている。」

小角は突然、己と田村麻呂との間に、越えることの出来ない隔たりが拡がった様に感じた。

紛れもなくこの君は(いくさのきみ)だ。そう言えば、以前伊勢でも何事も無さげな顔で策を巡らし、傍目にはそれと解らぬよう備えを固めて賊を捕らえてみせたものだが。

「いつ、出立する?。」

小角には、ようやく言えたその言葉がどこか遠くから聞こえるように感じた。

田村麻呂は小角に向き直った。

「先日、辞見した時、我が君が申された。古詩には六月の出兵が詠われるが、暫し待てと。」

藍色の瞳が一時、色を深くした。

「夏越しの祓えまでは都に留まるよう仰せだった。弓矢の数が纏まれば出立する。七月の初め頃となるだろう。」

「詩経か。」と小角は呟いて目を挙げた。

小柴垣の向こうには緑に包まれた山科の丘陵地が広がっていた。


六月(りくげつ)棲棲(せいせい)たり

戎車(じゅうしゃ)(すで)(ととの)

(慌ただしき六月に 兵と兵車を整えた)

四牡(しぼ)騤騤(きき)たり

()常服(じょうふく)()せる

(四頭の駿馬は脚を踏み鳴らし、未だ具足の整わぬ兵の乗る兵車を引く)

玁狁(けんいん)(はなは)(さかん)なり

(これ)を用て(きゅう)なり。

(北方の敵は趨勢(すうせい)を誇り、戦を目前に臨む)

(ここ)に出征し 以て王國(くに)(ただ)さしむ

(王命を戴き兵を出し 以てこの国を正してみせよう)


小角の声が途切れると、田村麻呂の佳く響く声が、耳に心地よい独特の抑揚で後を続けた。


物を比する四()

之を(なら)うに (これ)(のり)あり

(足並み揃う四頭の駿馬は 兵術に則り馴らされている)

(これ)此の六月 旣に我が服を成す

(この六月に 軍の備えを整え)

我が服旣に成れり ()くこと三十里

(整えた軍を率いて遠く赴く)

(ここ)に出征し 以て天子を(たすけ)しむ

(王命を戴き出征し 以て皇帝の助けとならん)


四牡(しぼ)脩廣(しゅうこう)たり

(それ)大にして(ぎょう)たる有り

(秀でた体躯で(かしら)付きも逞しい四頭の駿馬を率い)

(ここ)玁狁(けんいん)を伐ち

以て膚公(ふこう)を奏さん

(北方の敵を蹴散らして (いさおし)を挙げてみせん)


(げん)たるあり (よく)たるあり

武の(こと)(つつし)まん

(厳かなることも 喜び勇むことも この(えき)の如何と共に)

武の(こと)(つつし)みて

(もっ)王國(おうごく)を定めん。

(この役の行く末にこそ この国の命運が定まろう)


玁狁(けんいん)(はか)るに(あら)

焦穫(しょうご)に整居す

(北方の敵は柔弱に非ず 焦穫の沼沢に陣を張った)

(こう)(ほう)とを侵し

涇陽(けいよう)に至る

(鎬と方を侵略し 渭水(いすい)に注ぐ涇水(けいすい)の畔まで迫った)

識文(しぶん)鳥章(ちょうしょう)

白旆(はくはい)央央(えいえい)たり

(鳳の徴を織り出した真白き旗をなびかせて)

元戎(げんじゅう)十乘(じゅうしょう)

以て()(こう)(ひら)

(数多の兵車と騎兵を率いて 戦道を拓こう)


田村麻呂はふっつりと口をつぐみ、暫し沈黙が流れた。

「貴方には反対されるかもしれないが、(からたち)を連れていく。」

続いた田村麻呂の言葉は突然で、小角は鳩尾の辺りが締め上げられる様に思った。

「次に此処を訪れるのは陸奥から帰還した時となろう。」

何故、今なのだ。

何故、その時が来てから言うのだ。

「私も共に陸奥へ行く。」

小角は目を見張り、震える声で言い、田村麻呂の両袖を掴んだ。

「そう申されるだろうと思っていた。」

不意に笑みを浮かべた田村麻呂に、小角は苛立ちを募らせて「私を連れていけ。お前一人を往かせはしないぞ。」と畳み掛けた。

小角の荒い語勢に微塵も動じず、田村麻呂は穏やかに諭すような口調で続けた。

(おみな)を連れて戦に赴くなど、出来ようはずも無いことはお分かりだろうが。私一人陸奥への道程を辿るわけではない。この矢を考案した才伎(てひと)が共に陸奥へ赴くと言ってくれた。他にも数名手技に優れた使部と、三条の邸に仕える者が供をする。河鹿も供をすると言ったが、河鹿は粟田へ残らせる。」

小角が「先の戦では大敗を」と言いかけ、田村麻呂は緩やかに頚を振って制した。

「何の計も無しに兵を動かす訳では無い。昨年の暮れ、百済王俊哲殿の計らいで非公式にではあるが、俘囚と共に密かに毛野の民から数人が朝参した。伊治の北に住む民だそうだ。多賀城の軍略への協力を申し出て叙爵を受けている。」

言い負かされじと小角はなお声を張り「だが」と異を唱えようとして再び制された。

「貴方が案じるような事は起こらぬ。大使や副使が前線に出るなどあり得ない。」

静かに力強く言いきった田村麻呂の言葉に、小角は即座に言い返した。

「だがお前はその立場に甘んじるつもりでは居ないだろう。」

思いがけない小角の言葉に、田村麻呂は返答に詰まった。

「お前がそういう(いくさのきみ)で無いことぐらい私にもわかる。」

小角は爛々と目を光らせ田村麻呂の袖を握りしめた。

連れていけ、そんなことは出来ないと暫く押し問答が続いた。

「聞き分けの無いことを。貴方が戦場に赴いて何とされる。」

不意に田村麻呂の大きな手が小角の肩に延びた。

頑是無い童子を宥めるように肩を抱き寄せられかけ、小角は鋭くその手を振り払った。

「そんなことで誤魔化されぬぞ。」

田村麻呂は面差しを曇らせて「情の強い方だ。」と更に手を延ばしてきた。

小角は大きく一歩退いて「強情なのはお前だ。解らず屋め。」と啖呵を切った。

田村麻呂は呆れ顔になり、直線的な眉を険しく寄せて「私が解らず屋なら貴方は理屈屋だ。」と言い返した。

小角は田村麻呂を一睨みすると、身を翻してその場から駆け出した。

残された田村麻呂は行き場を失った掌を暫く見つめ、己の額に当てて小さく息をついた。

夏の低い空を吹く微風が、何処からか甘い香りを運んで通り過ぎていった。


小角は厩で一人腹を立てながら(かささぎ)の頚を抱いて愚痴をこぼしていた。

「聞いてくれ、また私は置いていかれるのだ。どうしてあの君はその日になってから、出立までもう来ないなどと平気な顔で言えるのだ。」

(からたち)が何事かと隣の升から頚を伸ばし、耳を絞って小角の背を柔らかく鼻面で押した。

小角は振り向いて「(からたち)、お前の主は私を置いて戦に往くのだ。そのくせお前は共に戦場に連れて行くと言うのだぞ。なんと不公平なことだ。」と八つ当たりを言った。

「私は老いず、容易くは死ぬこともない。何事も無くとも、定命の身のあの君はいずれ先に逝ってしまうというのに」

尚も言い募る内に小角は眼の奥が熱くなり、声を途切らせた。

「先の見えぬ戦に往くのに、私は置いていかれるのだ。私は」

(からたち)の濡れ濡れとした大きな目に覗き込まれて、小角は言い澱んだ。

「私は共に行ける(からたち)が羨ましい。」

小角は(からたち)の頚に手を回して面を伏せた。

厩の入り口に不意に影が射し、小角は急いで目元を擦り顔を挙げた。

「貴方に済まない事をした。大人げない事を言った私が悪かった。」

田村麻呂が真摯な面差しで立っていた。

だが哀願する声音も率直な謝罪の言葉も、一度頑なになった小角の気持ちを解いてはくれなかった。

小角は、厩の入り口に立つ田村麻呂には一瞥もくれず、足早に脇をすり抜けて厩を出た。


陽が落ちる頃、田村麻呂は小角の気色を伺おうと曹司へ足を向けかけて、花鶏(アトリ)に行き合った。

「鈴鹿様はご気分が優れられないそうで、お渡りはお控えくださいとの仰せでしたが。」

先手をつかれて眉根を寄せた主の渋面に、花鶏は可笑しそうに肩を竦めて「この暑いのに蔀戸をたてておいでです。」と言い、田村麻呂はやれやれと肩を落とした。

情の強い方であることはよく承知しているつもりだが、このまま会わずじまいと言うわけにもいくまい。

どうしたら機嫌を直してくれるものだろう。

考えあぐねて、田村麻呂は花鶏に「では文でも渡してくれまいか。書いてこよう。」

と言った。


花鶏の声が蔀戸の外から「主から鈴鹿様に文をお渡しするよう申しつかりました。」

と掛けられた。

白木の折敷が差し入れられると甘い香りが辺りに漂った。

折敷には葛の葉が敷かれ、佳い薫りの赤紫の葛の花が一房と走り書きの文が載っていた。

小角はしばらく逡巡した後、結局渋々文を手に取った。

堅苦しい筆跡で「夏野の繁く かく恋ひば」と書かれた横に小さく走り書きで「戦で果つより前に」と書かれてあるのを見て取って、小角は急に立ち上がった。

妻戸を開けて簀子へ出ると、虫の音がかしましい前栽の池の脇には、虫寄せに夏の小さな篝火が焚かれていた。

その傍らに、白い筒袖の襖に白袴の寝衣で、田村麻呂が立って篝火を見詰めていた。

髷を解いて緩く結わえた癖のある髪が篝火に映えて金色に輝いていた。

焔の中で、薪がはぜる音に混じって、蜉蝣が篝火に近づきすぎてその身を焼かれる微かな音が聴こえた。

簀子に立つ小角に目を向けて、田村麻呂は僅かに唇の端を上げた。

よく響く声が詠う様に「貴方が戸を開けてくださらないので、私も蜉蝣を真似て篝火に飛び込もうかと思っていた。」と言った。

小角には白い寝衣が死出の衣の様に思われた。

簀子に座り込んで小角は両手で顔を覆った。

「そんな姿で禍言(まがこと)を言わないでくれ。」

吐く息に乗って漸く出た声が、震えた。

田村麻呂は歩み寄って小角の小さな躰を抱き上げた。

童子の様に抱き上げられて、曹司の内に連れられながら、泣き顔を見られたくない小角は顔を覆ったまま口を歪めて「歩ける。降ろしてくれ。」と抗議したが、田村麻呂は平然と「あの守り手達にはこうして運ばせる癖に、(おうと)の私にはその権利も無いと申されるのか。」と恨み言を言った。

曹司の内で、白い小さな躰の滑らかな肌の熱さを感じながら田村麻呂の胸には様々な思いが去来していた。

こうして己が腕の中に居る間はこの方は常の娘と変わらない。

床馴れないこの方が、痛みを堪える表情を見れば無体に扱わぬよう控えねばとは思うが、御しがたき己が貪欲さよ。

この粟田で初めて床を共にした夜には、この方自身が言った様に、確かに未通女の様に身を堅くしていたものだったが。

夜を重ねて少しづつ床に馴れてきたものか、近頃では表情も躰も嫋々と応える様になってきたものを、離れなければならないとは糸惜しい事だ。

だが、もうこれ以上、己に纏わる出来事でこの方を危うい目には合わせまい。

そう願っても、己の居ない間に或いは大君が、再びこの方に難題を求めぬとも限らない。

叶わぬと解っていても、あの守手達のように懐に納めて陸奥へ連れて行けるものなら。


眠りに落ちる寸前の微睡みの中、腕の中で、小さく譫言のように「置いて行かないでくれ。」とくぐもった呟きが聞こえ、田村麻呂は小角の顔を覗き込んだ。

困ったように目元を赤らめ、「何も。言い違えただけで」と言いかけて目をそらした小角の頭を、田村麻呂は抱き寄せて「此処へ帰ってこよう。必ず生きて帰ってくる。貴方の許へ。」と言い聞かせた。


翌朝、都に戻る田村麻呂を見送りに出て、小角は田村麻呂が腰に佩く蕨手刀に目を向けた。

「陸奥へ赴いたら、その太刀を決して手放さぬよう心してくれ。」

小角の訴えるような表情に田村麻呂は、物問いたげな視線を向けてきた。

「この太刀は毛野の大地の力を宿す。ただお前の(したがうもの)というだけではない。」

田村麻呂は(からたち)の鞍の上で蕨手刀の束に手を置き「心しよう。」と答え、鐙を軽く蹴り、振り返らずに去った。

小角はその後ろ姿が見えなくなるまで見送った。


阿弖流為(アテルイ)は手燭に点した魚油の乏しい灯りを頼りに、暗闇の中の階段(きざはし)を昇っていた。

夜目の効く阿弖流為だが、このところの白銀城の最上階に灯り無しで脚を踏み入れるのはどうにも憚られた。

引き戸の外からでも、御室の言葉で神言(かんごと)を低く吟じる(おみな)の声と、早い息づかいが聞こえた。

阿弖流為は「入るぞ」と声を掛け、引き戸を開けた。

寝台の帳の傍らに座した高丸が、面を向けてきた。

高丸の傍らには娘が一人座して神言を低く吟じ続けていた。

乏しい灯りが座した二人の影を淡く長く落とした。

寝台の帳の内から赤頭が軽やかに一跳ねして出てきた。

阿弖流為はその姿を一瞥して、高丸に「悪路王の具合はどうだろう。」と問うた。

高丸の低く太い喉声が「今日は余程良いようだ。」と答えた。

寝台の帳の内に眼を凝らすと、まるで己が盲いたかと思うほど、暗闇の中にあって尚黒々とした闇が拡がっていた。

阿弖流為は堅かった表情をやや緩め、「そうか。」と呟いた。

「では話が出来そうな時に伝えてくれ。宇漢米(うかめ)と、尓散南(にさな)がどうにも不穏だ。母禮(モレイ)が報せてくれたが、年換の祭祀の頃にどちらの里でも若長が半月ほど姿を見せなかったそうだ。俺には阿奴志己(アヌシコ)に何か企みがあるのではあるまいかと思われる。それと多賀城には無論だが、色麻柵にも牡鹿柵にもこれまでになく倭人が増えている。」

高丸は短く「伝えよう。」と答えた。

阿弖流為は一時沈黙して、やがて言った。

「悪路王の子を身籠ったと言った身重の顎田の娘だが」

阿弖流為が皆まで言い終わらぬ内に、神言を吟じていた娘が鋭く遮った。

「阿弖流為、虚言(そらごと)言いの(めのご)()の事なんど悪路王に告げねで良い。」

途端に帳の内から黒々とした闇が溢れ出した様に見え、阿弖流為は苦々しげに「ああ、七魚、そうしよう。」とだけ言って口をつぐんだ。

高津内親王

母は坂上苅田麻呂の娘 坂上全子(またきこ)


夷狄

夷は日高山脈の太平洋側(陸奥国)、狄は日本海側(出羽国)の蝦夷を指すと言われる。

概ね出羽国の蝦夷は友好的であったか。


内舎人、帯刀舎人、大舎人はそれぞれ管轄が違う。

地位的には中務省直属の内舎人の方が東宮坊の帯刀舎人、中務省配下の大舎人寮の大舎人より高かった。


投壺(とうこ)

手で弓を投げ、受け台のどの点数の場所に何本入ったかを競う遊び。

奈良時代に大陸から伝わり、貴族の間で楽しまれた。


鎬 方 焦穫 涇陽

西周代の国名、地名

焦穫は秦の湿地帯

涇陽は現在の陝西省咸陽市辺りか

なお、六月の意訳は、物語に合わせて字間行間を勝手に補った我流の物ですので真に受けないで下さい。


ま葛延ふ 夏野の繁く かく恋ひば まこと我が命 常ならめやも

万葉集 詠み人知らず

(貴方がつれないので)夏の野が、見る間に生い茂る葛に覆われてしまう様に、私の想いは募るばかりです。こんなに激しく思う日が続けばきっと私の命は焦がれて尽きてしまうことでしょう。

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