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六月  作者: 賀茂史女
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第五部 栗原 四 諱

陽光が眩く煌めく庭で、山梔子色の僧衣の道昭の傍らに、錫杖を手に、減紫(けしむらさき)色の役公の被衣を纏った父が立って談笑していた。

法興寺の禅院に父が迎えに来た日の光景だ。

幼い小角は道昭から僧坊で待つように言われて去った後なのだろう。

その日、法興寺の僧坊で父を待つ小角は若き日の玄昉と行基に初めて会ったのだった。

父が道昭に眼を向けた。

「師兄は嘗てこの大八洲国に根差す国つ神の力が大海にまで及んで、経典を持ち来る者を阻むと言ったが、今の国つ神々にはもう経典を阻む力は残されていまい。」

道昭は眼尻の下がった柔和な顔に穏やかな笑みを浮かべて答えた。

「さてどうであろうかの。何時の日か私の後に続く者が成し遂げてくれるのを待つのみだな。」

父がやや面映ゆそうに言葉を継げた。

「やがて国つ神への信仰は廃れ、生と死はみ仏の説く慈悲の教えで司られ、人の意はあまねく還元される時が来るだろう。荒御霊も和御霊も存在しなくなる。役公が命と精神(こころ)を削って負う役目も終わりだ。」

道昭は遠い北の空に眼を向けた。

「なあ、八咫よ、吾は毛野国へ赴いて知ったが、毛野の国つ神の守り手は生と死の(あわい)を自在に往き来するそうな。そんな術を知れば或いはみ仏の教えで無くとも、この現し世が隠世の混沌に呑まれる事も無いのではあるまいか。」

父は微かに眉を潜めた後、ゆるゆると頚を振った。

「国つ神の力は大地に根差す。どのような術か解らぬ以上試みるすべも無いが、地脈の違うこの倭の地で叶うものかどうかな。」

「毛野の民は上代に高志から北へと向かった者達だろう。父者(船史恵尺)が編纂していた国記の中には、高志の祖の中に今の陸奥や出羽へと向かった者達もいたと記されていた。安倍引田の君も毛野の民は嘗ての高志の民だろうと言ったそうだ。漢氏の他で高志に繋がる氏族に伝わる術などは無いものだろうか。(ひもと)けば或いは何か解るかも知れぬが。」

道昭の言葉に、父は更に鬱々とした面差しになった。

「三尾、息長、秦辺りか。難しかろうな。既にどの氏族も(はふり)祢宜(ねぎ)を喪って久しい。」

「そうか。」と答えたきり暫く黙して空を眺めていた道昭が、不意に明るい声音で「毛野国にな、栗原とよく似た地があった。」と言った。

父が怪訝そうに「栗原?。檜前のか?。」と問うと、頷いた道昭は老いた顔に笑みを浮かべた。

「ああ、(なれ)も知ろうが、檜前の栗原は白山と伊吹山、二つの龍脈の廻る下、地脈の通る上に在る。澱みの無い清浄な地だ。檜前の栗原は平地が狭く、多くの人が住むには適さないが、毛野のその地は、地脈が湧出する地の南に開けた佳き地でな。毛野の民が南の御室として深く信仰する山の麓にある。吾はその地に毛野の民と土蜘蛛達と共に大壁館(おおかべのむろたち)と同じ三層の高楼を持つ(むろたち)を建ててきたぞ。」

白銀城の事だと小角は直感した。

やはり白銀城を築くに当たって建築法を指導した僧侶とは道昭だったのだ。

「毛野の国つ神は篤く信仰されていた。大地の力も揺るぎ無い。蜂子皇子は確かに毛野国でみ仏の教えを説かれたようだったが、み仏の教えが根付くのはまだまだ先だろう。吾も毛野国に仏舎利を奉って法施を行っては来たが、大海の一滴だろうな。」

道昭は益々楽しげな笑顔になった。

「かの地に足を踏み入れるような僧の多くは私度僧ばかりで教義も戒律も知る由もない。粗暴に振る舞ったり、盗みを働いたり、嘘をついたりせねば余程まし。僅かでも志があれば大したものといったところよ。経文を挙げても効験が無いなぞと悪態をつくのは当たり前だ。昔の吾等を見るようだったぞ、八咫よ。」

思い出す所あったものか、くつくつと笑う道昭と共に父も笑い出した。

「悪態をついたのは師兄だろう。吾は癇癪を起こしたのだ。」

道昭は父の肩を小突き「どれ程の違いがあるのだ。」

と大笑いし出した。

二人は暫し楽しげに互いを罵り合っては笑いながら昔日の出来事を話していたが、別れの挨拶を交わした後、不意に父が表情を改めた。

「師兄、あれに諱をくれてやっては貰えまいか。だがあれには己の諱を知らせたくない。吾も知らぬ方が良い。何処かであれの耳に入るやも知れぬからな。我等が立ち去った後にして欲しいのだが。」

小角の胸の鼓動が突然早くなった。

もしや私の事か?。

私に諱があったのか?。

道昭は頷いて「ああ、(なれ)の望みであれば無論だ。そうしようぞ。」と答えた。

僧坊へと遠ざかる父の背を眺めていた道昭が突然此方に眼を転じて「さて、何時から其処に居たものかな?。気配を滅して居ったのか?。吾は今までまるで気付けなんだが。」と呼び掛けてきた。

(なれ)、金剛山の主であろう。以前にも出会ったな。大した神気だ。二上山が封じられる前に生まれたのか?。鳥取部の万の首を守ったと伝わるのは或いは汝かな?。」

その言葉に、小角は己が母刀自の薄蒼の瞳を通じてこの出来事を視ていたのだと覚った。

そう言えば大銀杏と同化するあの感覚とどこか似ている。

腰を屈めた道昭の柔和な眼が、己の視線と同じ程の高さから此方を覗き込んできた。

「み仏の眼はその色紺青の如きと言うが、主の眼はそれともまた違うな。(なれ)が知るなら教えてくれ。国つ神々の滅びはその守り手が見届けなくてはならないのか?。」

母刀自は身動ぎもしなかったが、道昭は暫しその眼を見据えて深く嘆息した。

道昭が身を起こし、山門の方へと面を向けた所をみると、父と幼い己が連れだって去る姿が見えたものか。

「あの稚き者がその重荷を背負うのか。あれの父はああ言ったが、その行く末を思えばいつの日か、諱を知らねば立ち往かなくなるだろう。それまで吾は生きてはいまいが、(なれ)が此処に姿を顕したと言うことは、或いは主がその役目を受け継いでくれるのかの。」

一度辺りが見えなくなり、小角には母刀自が瞬きをしたのだと判った。

「ではそこで聞いていてくれ。」

道昭は西南に向かい、その掌を合わせ、頭を垂れた。

「真火よ、葛城の加茂の役公の血を引く子よ。赤気と共に()れし子よ。(なれ)に諱を授けようぞ。汝の父、暁の力の源、孔雀王母に因んで、摩由璃、と。」

摩由璃。

私に諱があったとは知らなかった。

こんな経緯があったのだ。

小角はこれまで己が身の内の何処かに在った虚ろな、或いは欠けていた箇所が、限りなく充たされていくのを感じた。

道昭の嗄れた声を聞きながら、小角は無性に道昭に呼び掛けたい衝動に駆られた。

己の意が母刀自と共に在る不思議な一体感から脱しようと小角はもがき、気付けば栗原寺の庵に座していた。

僅かに開いた庵の戸の内側に吊るされている麻布の隙間から差し込む光が揺れ、その端で母刀自の尾の先が微かに動いて見えなくなった。

小角は急いで立ち上がり、母刀自を追って駆け出した。

ほんの今しがたの筈なのに母刀自の姿は既に無く、小角は替わりに馬銜を取って馬を曳き、山門を潜る田村麻呂の姿を見いだした。

田村麻呂は小角の姿を見て、笑みを浮かべた。

「待たせてしまった。ご無事で何よりだ。」

田村麻呂の無事な姿が一時、母刀自をも忘れさせて、小角は駆け寄り、二人は互いの無事を喜びあった。

もう午の刻あたりか、陽は既に高く登っていた。

「今、此処で金剛山の主を見なかったか?。」と問うと、田村麻呂は「いや、少しも気付かなかったが。」と答え、やや後ろめたそうに言った。

「貴方の意を聞かず勝手な事をしたが、あの木簡は大君に献上した。」

田村麻呂の言葉が何の事か呑み込めず、小角は眼だけを見張った。

「我が君には小手先の誤魔化しを最も厭わしく思し召される。大君は昨夜の貴方の姿をご覧になって、あの夜蚩尤を名乗った者だと既にお気づきの様子だったので、貴方が我妻(わぎめ)であると明かし、木簡を奉ってきた。」

小角は田村麻呂の我妻(わぎめ)という言葉に顔が熱くなった。

木簡は田村麻呂に託したのだから、良いように計らってくれて構わないのだが、そんな剣呑な者を()の一人としたなぞと堂々と述べてくる辺りがこの君らしいと言うところか。

だが山部は何と思ったものだろうか。

「それで山部は何と?。」

小角の問いに田村麻呂は満足気に「貴方の処遇については考える時が欲しいと仰有ったが、最悪の事態は避けられたと確信する。」

と答えた。

内心、私の事など聞いていないと思いながら、小角は更に問うた。

「お前は?。山部はお前をどうするつもりなのだ?。」

田村麻呂は何心も無さげに「私については何も問うところは無いそうだ。」と答え、小角は暫し呆気にとられた。

田村麻呂は小角の表情を見て笑いながら「我が君はそういう方なのだ。理と筋を持って奏ずればお分かりいただける。」と言ったが、小角は疑わしげな面持ちのままだった。

山部にしろ田村麻呂にしろ、小角にはその思考の規範がどうも呑み込めなかった。

田村麻呂は山部に長く仕え、互いに信篤いと言っても、そんなに簡単に信じあえるものなのだろうか。

小角の表情が晴れない事を案じてか、田村麻呂の声に悔やむような響きが乗った。

「だが貴方の身の上を明かした事にしろ、木簡を献じた事にしろ、私は吉備大臣と飯高の大刀自の遺志に背き、斎宮頭の配慮まで無にしてしまった。貴方を宮にお連れした私が浅はかだった。何とも面目無いことだ。貴方に愁い顔などさせるつもりは無かったのだが。」

田村麻呂の大きな掌が延びてきて、小角の頬を包んだ。

小角はその掌に己の手を添えて、慌てて笑って見せた。

「そんなこと。お前が不問とされたなら、山部の望むようにしてくれれば良い。私の事でお前に咎が及ばないならそれで充分だ。」

大きく武骨な手の温もりが嬉しく、糸惜しく、小角は「私は平穏に生きたいのではなく、お前と共に生きたくて此処にいるのだ。」と言った。

田村麻呂は一時、虚を衝かれて言葉を失い、やがてその顔には喜ばしげな笑顔が拡がった。


長岡の都の宮で、山部は吉備命婦について考えを廻らせていた。

田村麻呂も最澄も、弓の記憶と言ったが、物が記憶を宿すとは。

手にするなり泣き出すほど神野を畏怖せしめた、染めた象牙を細工した釵子(さいし)

酒人があの後、あれは井上の物で朝原からもたらされたと打ち明けた。

幼子は時に常ならぬ物を感じとるとはよく言われる事だが、神野を恐れさせたのも或いはそうしたものか。

言ってみれば井上の怨念とでもいうものであろうか。

なぜ朝原がそんなものを持っていたのか、不思議だったが、これでその理由も解った。

吉備尚蔵か。

長き時を老いもせず生きるあの(おみなご)は、何を知り、今の世に何を思うのだろう。

あの夜、去り際にあの娘が投げかけてきた言葉を朕はずっと背負ってきた。

忘れようはずもないあの言葉を。


数日の後に、行表と最澄が粟田を訪れた。

「真火様、今は鈴鹿様と仰せられるのでしたね。最澄より聞きました。」

行表は老いて尚優しげな面差しで、懐かしそうに小角を見た。

「私はこのように歳ふりまして、もうさして長くも生きますまい。残る日々を道璿(どうせん)師の足跡に従って、比蘇山寺で修禅に励みたいと発願致しまして、大安寺を離れる事となりました。」

傍目には言葉とは裏腹に、小さくなった背はしゃんと伸び、最澄と並び立つ姿も齢を感じさせなかったが、小角の眼にはその生気の衰えが見て取れた。

「吉野の比蘇山寺か、神叡も、あそこに住んだな。」

思えば不思議な縁だと小角は思った。

この倭の地で、百済の血を引く道昭や義淵に、物部の阿刀氏の玄昉や漢人(あやひと)の血を引く行基や神叡が師事したのだ。

「吉野は今も変わり無いだろうか。私はこの粟田へ迎えられた頃に吉野へ行ったが最後だが。」

小角の声音の屈託を感じ取った行表は思い当たるところあって訊ねた。

「吉野へ赴かれたのですか。もしや淡海帝おうみのみかどの亡くなられた時の事を聞かれましたか?。」

小角の眼が曇り「父が吉野で為した事は知った。」とだけ告げて侘しげに俯き、行表は小さく嘆息した。

「そうでしたか。では、私の知るところを一つだけ申し上げましょう。真火様の父御はご自身が最後の役公と為られるおつもりだったのだそうです。それで真火様には多くを伝えられなかったのでしょう。玄昉師がそう仰有っておいででした。」

小角は不意に顔を挙げ「行表、お前、玄昉が大唐で得た力がどういう性質のものか知っていたのか。」と問うてみた。

行表は暫し躊躇った。

真火様はもう見当をつけておいでなのだろう。

やはりどう隠したところで何れは知れてしまうのだ。

国つ神の滅びが避けられぬと悟られた今、真火様が坂上少将の庇護の許で幸いであられるのなら、玄昉師も本意で在られよう。

「玄昉師は、道昭師から国つ神々が経典を阻むと聞かれてお出ででしたから、国つ神の結界を緩める方法を探されたのです。海龍王経はその一つの手立てでした。どういった手段であったか、私のような凡夫の知るところではありませんが、その効験あって玄昉師は一切経を持ち帰られたのです。」

行表は在りし日に思いを馳せながら語り始めた。

「聞くところでは道昭師は、ご自身の父御と真火様の父御の為に大孔雀明王経を持ち帰るおつもりでいらしたそうです。ですが、その時には叶いませんでした。」

あらゆる病、災厄を除き、仏敵を排する大孔雀明王経だからこそ、道昭はそう望んだものか。

そして其ゆえに国つ神はその経典を阻んだのだろう。

母刀自が見せてくれた在りし日の父と道昭が語っていたのはその事なのだ。

「玄昉師の持ち帰られた一切経の中にも大孔雀明王経の一部がありますが、全てが網羅されている訳ではないと聞いております。国つ神々が衰退した今、再び遣唐使が送られる日が来れば、或いは大孔雀明王経も余すところ無く揃う日が来るやもしれません。」

行表の傍らに座した最澄が、黙したまま行表の言葉に深く頷いた。

「いずれにしてもみ仏の教えは国つ神への信仰を削ぐものなのでありましょう。」

玄昉は私の父の意を汲めばこそ海龍王経について語らず、行表にも道鏡にも、伝えるなと固く戒めたのか。

「海龍王経か、首と安宿があれほど玄昉に傾倒したのも、その教えあってなのだろうな。」

小角の言葉に、道昭は愛弟子に笑顔を向け、「海龍王経についてはこの最澄の方が造詣が深うございます。」

と促した。

最澄は「畏れ多い事ですが」と恐縮しながら換わって答えた。

「海龍王経は、初め高志国から説話として伝わったのでしょう。小墾田大王の御厨子に描かれる須弥山図は、或いはその説話ではないかと思われます。」

真摯な眼差しで語る最澄の声が、語るに連れて熱を帯びた。

「海龍王経そのものは、解脱して浄土に生まれたいと願った海龍王が釈尊を龍宮に招き、眷属と共にその(すべ)について教えを求め、釈尊が一心に八法を具せば一切衆生(すべての生あるもの)は解脱できると教えたもうたという説話を経典としたものです。この経典で釈尊は、女人(おみな)であっても、人に非ずとも、解脱への道は等しく開かれていると説かれています。」

さながら法華経の序品、霊鷲山で天部が覚りを超える悟り、無上正等正覚むじょうしょうとうしょうがくを得る下りの様だと小角は思った。

「御坊は海龍王経で般若が得られると考えたのか?。」と小角が問うと、最澄は「海龍王経に限りませんが」と前置きして答えた。

「経典も無論ですが、私は行表師と同じく禅業にも悟りへの示唆を求めました。禅の根源は天や山、川を祀り、占有せず譲り与える、他者へ己を開くことです。意の働きを集中させるが禅、意を静め動揺させぬが定とされ、国つ神の教えとも通ずると考えます。」

最澄の言葉を聞きながら小角の脳裏に閃くものがあった。

上宮太子もそう考えたと聞く。

これ迄は逸話の様に考えていたが、これはつまり意の働かせ方でもあるのだろうか。

「また宝雲経には、悟りへの道を一心に願うとは疑いを抱かぬ事だと説かれています。疑うとは我の喜捨を成し得ていないと言うことでしょう。我を捨てて初めて得られるのが空であれば、我を捨てる事こそが彼岸への途の始まりかと考えます。」

小角はいつか静かに、穏やかに語る最澄の説法に引き込まれていた。

「禅のもたらす心の有り様を止観と言えるかと考えます。

宝雲経には、止とは心が一境の性であること、観は如実を()てそれと察することであると説かれています。禅をもって己の心の裡を覗き込む事で、止観を経て般若へと近づく事ができるのではないでしょうか。」

最澄は静かに語り終えた。


別れ際に小角が「行表、お前は良い弟子を得たな。羨ましい事だ。」と言うと、行表は嬉しそうに「真火様も良い弟子をお持ちだったではありませんか。」と答えた。

「師を置いて先に死ぬ弟子など良い弟子とは言えぬ。」

小角が冗談めかして唇を尖らせて言うと、行表は懐かしそうに笑みまけた。

「この頃、在りし日の事ばかりが思い起こされるのです。檜前で父と共に過ごした日々、近江国分寺で恵美大師の軍に備えるために奔走した事、全てつい先頃の事のようでもあり、遠い昔の夢のようでもあり。」

小さく嘆息した行表は田村麻呂に眼を向け、掌を合わせると深々と礼をした。

「この度の遷都に当たって、今上は近江崇福寺に淡海帝を祀られるそうです。最澄は比叡山の僧坊を寺として興す事を願い出て大君からその許しを戴きました。山城国は弥栄の地となりましょう。坂上少将、真火様、御多幸をお祈りします。」

減紫(けしむらさき)

紫草の根で染め出す紫がかった濃い茶色


み仏の眼はその色紺青の如き

眼色如紺青相

仏教では仏陀の眼は紺青色とされる。

仏の三十二相八十種好の一つ。


道璿どうせん

中国唐代の僧侶

736年(開元24年、天平8年)大仏開眼のため菩提僊那、仏哲とともに訪朝。

禅と華厳教学、天台宗に造詣深く、大安寺に禅院を置いた。

行表の師。

吉備真備は筑紫に居た頃、道璿の薨伝を調えた。


神叡

持統朝に来日した唐僧、義淵の高弟


海龍王経における八法

常に諸仏を念じ、

如来(仏陀、悟りを開いた者)を供養し、

世尊を讃じ、

仏形(ぶつぎょう)を造り功徳を修め、

往生を願い、

怯む心無く、

一心に勤行に励んで、

正しい智慧(般若)を求める。


一境

ひとつの対象にとどめおかれるさま

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