第五部 栗原 参 栗原寺
延暦十二年(793年) 初春
結界を解いて大弓を祭壇に戻し、小角は辺りを見回した。
田村麻呂は弓場の入り口辺りで短くなった炬を踏み消していた。
駆け寄って「待たせて済まなかった。良い報せがある。」と言った小角の瞳を、燃え残りの炬の灯りが輝かせた。
「内道場に最澄という禅師が居るだろう。その禅師があの弓の呪いについて山部に奏上してくれよう。舎人達の事も考慮してくれるそうだ。」
灯りを無くした暗闇の中、田村麻呂はやや面喰らいながら「最澄禅師、酒人内親王様の信任篤い禅師であられたかと思うが、何故その方が?。」と訊ねた。
小角の語る弓の記憶の中での経緯を聞きながら、田村麻呂は胸の奥に微かな痛みを感じた。
粟田の邸に己が妻と据えても、この方はやはり異能の力ある斎媛なのだ。
己がごとき、この方を占めるに相応しい者ではないのかも知れない。
小角がかいつまんで話を終え、田村麻呂が「有り難きことだ。貴方の功徳あってこそだな。」と賛辞の笑顔を向けた時、祭壇の方で白く光が射し、前鬼と後鬼がその姿を土蜘蛛本来の姿へと転じた。
前鬼が低く太い喉声で「東から人が来る。」と報せてきた。
田村麻呂が「幾人だ。武器は帯びているだろうか?。」と訊ねると、前鬼は「太刀を帯びた者が三人。」と答えた。
廻廊の警邏の衛士や舎人ならば弓を携えているものだ。
宮の裡で太刀だけを帯びるのは高位の官人に限られる。
誰がわざわざこの場所へ?。
前鬼が感情の無い声で「女が炬を掲げている。」と言葉を継げた。
女君が前駆とは。
小角は訝しんだが、田村麻呂にはその言葉で、この弓場に向かっているのが誰であるのか唐突に判じられた。
尚侍が供をしているのだ。
我が君に違いない。
となれば、我が君は既にこの方と私が共に此処に居るとご承知なのだ。
「大君だ。今すぐ貴方の従者と共に宮を出てくれ。だが粟田へ戻るのは良策ではないな。」
田村麻呂は口早に言いながら、目まぐるしく考えを巡らせた。
二三日で良い、粟田の他にこの方が安全に身を寄せられる所は無いものか。
「何処が良いだろう。鈴鹿峰では遠すぎる、大和国で何処か」
言いかけた田村麻呂の言葉尻に被せるように、小角が動揺した声で「高宮なら結界の裡だ。誰も踏み込めまいが。」と言った。
小角の強張った表情に、田村麻呂は、お互いにまるでこの世に身の置き所が無くなったかの様な口ぶりだと気づき、苦笑した。
まだ何事も起こってはいない。
だがこの方の身の安全を思えば、今大君に見える事は如何にも不味い。
万に一つとは言え、粟田ではすぐにでも危険が及ぶかもしれない。
「そうだ、檜前の栗原寺をご存知だろうか。」
「栗原ならば道昭の弔いが行われた地か。寺があったかどうかの記憶は定かでは無いが。」
心許なげな小角に、田村麻呂は「檜前寺から東南に面を向ければ丘の上に栗原寺の門が見えよう。坂上氏の氏寺だ。栗原寺で粟田の坂上の者だと告げてくれれば、寺主が庵に案内してくれる。他に何も無い所だが、すぐ河鹿を向かわせる。」と言った。
「お前はどうする。」
小角が眼を見張って問うと、田村麻呂は「私は此処に残って大君の誰何を受ける。疾く往かれよ。」と小角の肩を前鬼と後鬼に向けて、背を押し遣った。
押される背越しに、小角は振り向いて異を唱えた。
「お前が此処に留まるなら私も共に残る。私を案じて言ってくれるのは解るが、私一人逃れるなど容れられぬ。身の危険があるなら共に立ち向かう。」
「私一人であればこの身などどうにでもなる。先に行ってくれ、私もすぐに後を追う。」
忙しなく返した田村麻呂の言葉に、小角は向き直り語気荒く言った。
「父者も母者もそう言って、私を往かせて、自らはその場で命を落としたのだ。」
小角の逼迫した表情に田村麻呂は胸を衝かれた。
この方がこれまで背負ってきた物はそういう物だったのだ。
「私はこの宮に属する官人だ。そのような事は起こらない。案じられるな。私一人の方が言い逃れもしやすい。必ず迎えに行こう。」
小角の両の肩を掌で包み、ゆっくりと諭すように落ち着いた声で田村麻呂が言った。
小角は言葉につまり、一時唇を強く引き結んだが、渋々「お前が来るのだな?。」と念を押すように言った。
天幕の外で凛とした女君の声が聞こえ、衛士が姿勢を正す気配がした。
田村麻呂は深く頷き、力強く答えた。
「私が赴こう。さあ、早く。」
小角は唇を噛み締めて前鬼と後鬼に向かって駆け出した。
今一度田村麻呂を振り返り、駆ける速度をそのままに大きく跳び上がると前鬼の肩を踏み台に天幕を跳び越えた。
前鬼と後鬼が後を追って天幕を越えて来た時、小角は既に西側の廻廊への距離を半ばまで駆け抜けていた。
篝火の灯りの届かぬ暗がりを駆けながら、小角は、廻廊の外に、葉を落とした大きな槻の木を認めた。
中天目指して昇り始めた居待ちの月明かりがその木を朧に浮かび上がらせていた。
突然の大君の到来に気を取られたものか、弓場の入り口の衛士は小角達には気付かなかったが、廻廊を巡回していた衛士が月明かりに前鬼と後鬼の異形の影を見てとり、誰何の声が上がった。
山部と壱志濃王は共にその声の方へと足早に向かい、慌てた衛士の一人が後に続いた。
弓場から出た田村麻呂はそこに残る尚侍と民部卿に会釈して山部を追った。
前鬼と後鬼が風を巻いて小角を抜き去り、前鬼が廻廊の屋根の上で、後鬼が柱の元で小角を待ち受けた。
小角は後鬼の肩を踏み台に廻廊の屋根まで跳び、更に槻の木の大枝へ跳び移り、前鬼と後鬼が傍らに来るのを待って、ほんの一瞬立ち止まった。
周囲を見渡すと、衛士が大弓に矢をつがえて此方に狙いを定めており、その後方に貴人が二人立っていた。
山部は槻の木の大枝に立つ小柄な人影とその傍らの異形の影を認め、遠い昔の忌まわしい記憶を呼び覚まされた。
宇智郡の南家の別業で、榎の大樹の高みから改め不る常の典について語り掛けてきた、異形の供を連れた童子。
井上と他戸の死の顛末の一部始終を見ていた、蚩尤を名乗った者。
大弓が更に引き絞られ、壱志濃王は語気も鋭く「待て、妄りに射るな。」と衛士に眼を落とした。
次の瞬間には樹上の人影は山部の視界から消え失せた。
壱志濃王が再び樹上に眼を向けた時には既に人影は無く、山部は向き直り、此方に駆けてくる田村麻呂の姿を炯々と光る眼で見つめていた。
山部の前に跪いた田村麻呂は、頭を垂れ、袖を併せて「大君に折り入って申し上げたい義が御座います。」と述べた。
夜御座所で、壱志濃王が和気清麻呂を促して席を外した後、山部は平伏した田村麻呂に目を遣って「酒人の使いを待たせている。手短にな。」と言った。
では最澄禅師は直ぐに動いてくれたのか。
田村麻呂は心の中でまだ見ぬ禅師に感謝した。
「最澄禅師におかれましては後程、是非共に話をお聞き願いたいと存じます。」
山部は面を挙げた田村麻呂を見つめた。
藍色の眼が一際輝いているのは心の高ぶりからか。
「確かに使いは最澄だが、何故それを知る?。」
山部の問いに田村麻呂は揺るがない強い眼差しで答えた。
「それも共に申し上げましょう。私事故に大君に申し上げるが遅くなりましたが、私は先頃、新たに妻を迎えました。先に斎宮の舞い手として舞を奉納した者にございます。」
山部は虚を衝かれて、片方の眉を上げ、怪訝そうな顔になった。
先程の異形の者達の宮への侵入についての報告だとばかり思っていたが、田村麻呂は何を言わんとしているのだ。
「その者は常ならむ娘に御座いました。」
田村麻呂の佳く響く声音が改まり、その面差しに緊張が漲った。
「嘗て吉備尚蔵として高野の姫帝の傍近く仕え、近くは井上廃后と他戸廃太子の死の場に居合わせ、我が君にも蚩尤を名乗った者として御憶えがおありかと存じます。」
山部は瞠目した。
「つまり汝はそうと知っていて共に弓場に居たのだな。」と問い質す声が抑えきれない動揺を帯びた。
童子と思いこそすれ、よもや娘とは思わなかったが。
しかも吉備尚蔵とは。
田村麻呂が恭しく「慧眼恐れ入ります。」と答えると、山部の顔はみるみる険しくなったが、田村麻呂は怯まず言葉を続けた。
「私はこの度の舎人達の不祥事の発端が弓にあるのではないかと考えました。我妻には常ならむ能が御座います。それを以て弓を判じてもらおうと宮の裡まで連れて参りました。弓にはやはり旧き呪いがかけられていたそうに御座います。呪いを探る過程で我妻は最澄禅師の想念に出会い、我が君への奏上を託したと申しました。」
この実直な武官が容易く虚事など言うはずも無いが、異能の術とは何の事だ。
生ある者同士の想念が会うなど、容易くは容れられぬが、確かに異形の供や身の軽さからも常人とは思えない。
吉備尚蔵とはいったい何者だったのか。
山部は心の裡の疑問はさておき、口に出しては「それで?。」とだけ先を促した。
「我が君に全てを申し上げるまでは、我妻の身は慎ませて戴きたく立ち去らせましたが、その姿が宮の裡を騒がせた事は私の思慮の浅さからで御座います。その咎はどうぞ私にお与え下さい。」
床に額を付けて言上していた田村麻呂は、ここぞと顔を挙げ、山部の面を見上げた。
「我妻は古の葛城の民の生き残りに御座います。役公として、土蜘蛛を使役する首長の血筋に生まれ、今日まで生き永らえて参りました。」
果たしてこの選択が最上のものであるのかどうか。
だが私には我が君を信ずるより他、途は無い。
田村麻呂は一瞬頭を掠めた迷いを振り払った。
胆を据えるために、一息大きく息を吸い、懐から小さな綾織りの袋を出した。
「この木簡は我妻となった日に、かの娘がその行く末を私に託してくれた物に御座います。」
綾織りの袋から二つの木簡を取りだし、山部に捧げ、再び平伏した。
「今日この日まで献上する機会を得られませんでしたので、この場にて我が君に奉りましょう。何卒お納め戴きとう存じます。」
田村麻呂が差し出した二つの木簡を受け取り、改めるうちに山部の表情は驚愕に強張った。
黙したまま身じろぎもできず、山部の眼は木簡に記された文字に釘付けにされた。
改め不る常の典の起源が記された物が、今、この手の裡に在る。
掠れ、一部の字のみが残る玉璽が、何時の御代のものか、若き日に中務卿を勤め、国記の編纂にも携わった山部には即座に判別がついた。
天豊財重日足姫天皇(寳女王、皇極・斉明帝)の玉璽だ。
長く皇統の継承に於いて吟われ続けるうちに、ねじ曲げられ、本質を変えてしまった改め不る常の典の、本来の有り様が、此処には玉璽と共に記されている。
史書の中から蘇ってきたかのような、いや史書にすら記されて来なかった事柄が突然目の前に顕現したのだ。
永遠とも思われる長い沈黙の間、田村麻呂は平伏したまま山部の意が定まるのを待ち続けた。
やがて山部は静かに口を開いた。
「これで汝の妻の身を担保せよと言うか。」
顔を挙げぬまま、田村麻呂は「そうお考え戴ければ尚幸いです。」と答えた。
「ぬけぬけと言う奴よ。」と言った後、山部は再び暫く黙考した。
この忠実な武官に二心などあるはずも無い。
どういう経緯にしろ因と果の巡り合わせとは皮肉なものだ。
「よかろう。朕には暫し考える時が必要だ。その間は追求すまい。汝の妻については追って沙汰をする。汝の行いについては総ては不問だ。これまで通りに就務するように。」
山部が重い口を開いた時、田村麻呂は、己がさしあたっての間は鈴鹿の身の保証を勝ち得た事を確信した。
額づいて「有り難き幸せ。承知仕りました。」と答える田村麻呂に、山部は既にいつもの口調で「それで、最澄と共に聞いて欲しいというのは弓についてであろう。聞こうぞ。」と促した。
宮を出た小角は都の西端から西山丘陵へ脚を踏み入れ、道無き山中を南へ向かった。
暗闇に紛れて山崎の大橋を渡り、生駒の山中を斑鳩まで駆け通しに駆けた。
夜が明ける前に檜前にたどり着きたい。
思惑とは裏腹に、筋違道へ出る頃には息が上がり、足がもつれ初めた。
恵美押勝の乱の時には田原道を勢多まで駆けて尚余力があったものを。
小角は日々の不精進を呪いながら後鬼に抱えてもらって飛鳥を目指した。
やがて白々と夜が明け初め、行く先に大和三山の稜線が見える頃、小角は前鬼と後鬼を大蜘蛛の姿に変化させて、再び己が脚で栗原寺を目指した。
陽が昇る頃には栗原寺に辿り着き、田村麻呂の言葉通り、年老いた寺主に粟田の坂上の家人だと告げると庵に案内された。
小さいながらも板敷きの床を持つ庵は塵一つ無く、手入れの行き届いた様子だった。
「寒いことだったろう。」と、寺主が赤々と起きた炭を入れた火桶と供に、白湯と一碗の粥を供してくれたが、到底喉を通らなかった。
緊張と疲労で青ざめた小角の様子に、寺主は小角が新参の使い童子だと思ったものか、穏やかな口調でこの寺の由緒を語ってくれた。
「この寺はな、その昔、泊瀬部大王(崇峻帝)が倉梯の宮に御座しの頃、坂上の祖の君が建てられたのだそうな。大王のお子、蜂子皇子が上宮太子の薦めでみ仏への帰依を志されて、この寺に住まわれたと伝えられておるのだよ。」
小角は寺主の言葉に思わず顔を挙げた。
ではこの寺は駒子の普請なのか。
それで田村麻呂はこの寺を氏寺だと言ったのだ。
「氏族の興隆に関わらず、開山からこの寺は坂上氏の手厚い庇護を受けてきたのでな。朝廷から此れと言って寺格を戴かずとも、こうして寺を営んで居れるのよ。有り難いことだ。」
感慨深げに言葉を結んだ寺主の表情に、穏やかな笑みを浮かべた道昭の面差しが重なった。
「この寺の所縁で道昭師はこの地で荼毘に付されたのだろうか?。」
小角がぽつりと呟くと、寺主は感心顔になった。
「おお、これはお若いのにようご存じだ。道昭師がそう言い遺されたからだとは伝わるが、何故であったかは定かで無いのだよ。寺に伝わる所によると、道昭師は唐土より帰られて後、蜂子皇子の足取りを追って、遠く毛野国まで赴かれたのだそうだがな。果たして何か見いだされたものだろうかの。」
寺主は俄然饒舌になり、小角は初めて聞く話に黙したまま聞き入った。
蜂子皇子の足跡とは、またどうしてだろう。
「師は西漢の才伎、船氏の出であられたし、師の父御は豊浦大臣(蘇我毛人)に史(書記官)として重用されていたそうだからな。或いは師は蘇我本宗家とも所縁深いこの栗原や檜前に思い入れがおありだったやも知れぬな。」
寺主の言葉に小角は太安万侶が玄昉に託した木簡を思った。
父からは、恵尺は焔の中から国記を運び出し、命こそ取り止めたが、顔も躯も熱で爛れ、煙で喉を焼かれ、両の手指は焼け縮んでしまったと聴いていた。
真備は大陸の史書について、歴代の多くの名も無い史官が、己の命を掛けて記録を守ってきたからこそ価値あるものとなったのだと言った。
思えばあの木簡もそういう物の一部だったのだ。
「師は唐土より帰られて後も、毛野国への旅から帰られて後も、法興寺の禅院に住まわれた。立派なお人であったのだろうな。長い旅の間に、或いはこの寺に脚を留められた事もあったかもしれぬが、生憎この寺には師の所縁のものは遺されてはおらんのよ。この地で荼毘に付された時には、その灰も遺骨も、不可思議な一陣の風が巻き上げて拐ってしまったと言うしな。」
寺主は落ち着かない様子の小角を案じてか「や、これは済まなんだ。長々と話してしまったが、夜通し歩いて来たのだろう。少し寝んではどうかな。粟田の君がおいでになられれば報せてやろう。」と言った。
眠れる筈も無かったが小角は「そうさせて貰おう。」と頷き、庵の隅の藺草の敷物の上で横になった。
寺主は几帳を寄せてくれ、静かに去って行った。
小角は横たわったまま、今聞いた道昭の事跡を考えた。
何か違うことを考えていないと不安で胸が潰れそうだった。
道昭はやはり毛野国まで赴いていたのだ。
行基は法施の為だと言ったが、何か求めるところあったに違いない。
小角は父に就いて修験を初める前に、飛鳥の法興寺の禅院に数日預けられ、道昭から禅についての心得を授けてもらった。
その頃まだ童子だった小角には禅は退屈なもので、道昭は無理強いせず、初めの内は辛抱が効く間、試みれば良いと気長に指導してくれたものだ。
騒ぐ心を鎮めようと横たわったまま、深く静かに呼吸を継ぐ内に、小角は身の内の神気が急激に高まってくるのを感じた。
内気を巡らせた訳でも無いのに、棒の様に草臥れた脚も、躰の芯に残っていた疲労感もいつの間にか消え失せている。
まるで高宮の結界の裡に居るかのように清浄な心地だ。
何がそうさせたのだろうと、心を澄ませた小角は、今更の様に周囲に大地の力が満ちている事に気付いた。
この栗原の地がそうさせるのか。
敷物の上に身を起こし、小角は座禅を組んで意を凝らしてみた。
山並みに添って大地を廻る地脈と天を廻る龍脈が共に此処を通っている。
いつか小角は大和国を俯瞰していた。
斎宮で神嘗祭に応龍の舞を奉納した時の様に、大和国が一望できた。
栗原の真西に葛城山が聳え、大和三山を中に、二上山と三輪山が対峙する裡を龍脈が廻っている。
西の地脈は金剛、二上、生駒と連なり、平野の東を取り巻く宇陀、鈴鹿、伊吹の地脈は美濃の峰々を経て、雪を戴く一際高く険しい峰へと辿り着く。
あれが白山か。
龍脈の源もこの峰に端を発すると聞くが。
不意に近くに覚えのある気配を感じ、眼を落とすと、傍らに白く輝く毛並みの大柄な狼が座って居た。
凍てついた様な薄蒼い瞳が小角を見上げた。
母刀自だ。
幾ら探しても見出だせなかった母刀自が、今、手を伸ばせば触れられるほど身近に居る。
「母刀自、天狼はお前が産んだ仔ではなかったのだな。お前の養い子はどちらも死んでしまったぞ。私はただ見守る事しか出来なかった。何故私なぞに委ねた?。」
答えが帰ってくるはずも無いと解っていても、小角は問い掛けた。
こうして近く在れば、やはり母刀自の纏う神気は紛れもなく赤頭や土蜘蛛達と同じ性質のものだと知れた。
だがこの神気の眩いばかりの強靭さはどうだ。
まるで大地の力の衰えなど感じさせない。
小角はこれまで母刀自に触れた事は無かったが、今は無性にその背を撫でてみたかった。
その毛並みは赤頭の様に滑らかなのだろうか。
その躯は天狼の様に暖かなのだろうか。
手を伸ばしたら目の前から失せてしまうのかとも思ったが、母刀自は腰を上げると差し出された小角の手に歩み寄った。
母刀自の眩い神気が小角の高まった神気に触れた途端、小角は光の洪水に見舞われて思わず固く眼を閉じた。
法施
仏教に於ける布教活動
栗原寺
檜前寺のやや東南にある竹林寺の前身寺かと考えられている。
筋違道
斑鳩から飛鳥へと向かう街道
上宮太子(厩戸皇子)が飛鳥宮へと通った道でもあるため太子道とも呼ばれた。
船氏
西漢氏の姓の一つ。
船氏が連姓となったのは乙巳の変(645年)から38年後の天武十二年(683年)
蘇我毛人(蝦夷)
蘇我馬子の子
陸奥・出羽に住む民の総称としての蝦夷と分ける為に、毛人の表記にさせていただきます。
法興寺
現飛鳥寺
創建は蘇我馬子
都が飛鳥から平城に遷った時、移転して元興寺となった。