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六月  作者: 賀茂史女
38/53

第五部 栗原 弐 弓場

延暦十二年(793年) 初春

田村麻呂は傾きかけた陽射しの中、小角を鞍の前に載せ、荒れ果てた北苑に馬を乗り入れた。

「嫌な思いをされようが少し堪えてくれ。回り道にかける時が惜しまれる。」

唐突に掛けられた言葉に、何の事かと小角は問い返そうとして、辺りに漂う言い様の無い臭いと所々に立ち昇る煙に気づいた。

京職(みさとのつかさ)の下部らしき男達が火の守りをしている。

草臥れた様子で何かを運んでいる男達は、薄汚れた衣に大童子姿から河原者と見えた。

小高く積まれて焼かれているのは洪水が運んだ廃物か。

田村麻呂は出来うる限り距離を取ったが、北苑を駆け抜ける間に、小角の目には積まれた廃物から突き出た人の腕や獣の脚が見てとれた。

骸も共に焼かれているのか。

向日丘陵から吹き下ろす身を切るような風が一時、腐臭ときな臭い煙を風下へと追いやった。

火の横で、痩せさらばえた二人の童子が力無く座り込んでいた。

寒風の中だというのに、身には衣の形を為さない垢染みた麻の襤褸を纏うのみだ。

虚ろな眼をして、親ででもあろうか、焼かれる骸の突き出た手を見つめていた。

眼を転じれば、火から離れた所では、筵を掛けられた骸とおぼしきものが並び、焼かれるのを待っている。

その辺りを、数えられる程(あばら)が浮き出た茶色の狗が徘徊していた。

(かつ)えているのだろう。

あわよくば骸をくすねて腹に納めようと目論んでいるものか。

狗と同じ目的か、幾羽もの烏が跳び跳ねていて、男達に追われ、時おり飛び立つ振りをしてはまた近づいて石を投げられていた。

「病か?」と問うた小角に、田村麻呂は「今は餓えと寒さだろう。非田院でも施業が追い付かず困窮した者達が溢れている。」と答えた。

斎宮からの舞手としてこの都に脚を踏み入れた日を思えば、同じ都とは思えないほどの荒廃ぶりだ。

小角の耳には、生きる者が天を恨む声と共に、眠りに着けない死者の声がこの都に留まっているのが感じとれた。

様々な負の意が行き場を失い、澱んでいる。

左京の築地塀や家々は泥水が浸いた痕も生々しく、家の中から運び出した泥や、大路から避けられた泥があちこちに積まれ、溝は泥と汚物で埋まり、蝿が(たか)っていた。

酷い有り様だ。

到底生活(たつき)などと言えるものは営めまい。

小角の心を読んだように、田村麻呂は「下京は更に酷い。多くは未だに竈も使えず、横になる場所も得られないのだ。私の家人達も下京に住んでいた者は家族ごと邸内へ移り住まわせた。」と言った後は口をつぐんで三条大路を西へと馬を駆った。

右京に向かうにつれ、大路が向日丘陵の裾野へと登りはじめると気の澱みは薄れていった。

この辺りは高台故に水の害を免れたのだろう。

丘の中腹に建つ立派な門構えの邸宅の前で、田村麻呂は馬の脚を止め、小角を鞍から降ろし「少しお待ちいただけようか。」と言った。

小角はここが都の邸なのかと思いながら頷いて「そうしよう。」とだけ答えた。

門の作りも、築地塀の向こうに覗く瓦屋根も、如何にも貴族の屋敷だ。

粟田で過ごす日頃にはつい忘れてしまうのだが、やはりこの君は大宮人なのだ。

華美でこそ無いが二町は越えるこの広い屋敷に、夫人や子が在り、多くの家人が仕える身なのだ。

田村麻呂が馬を牽いて邸内に姿を消すと、門の辺りが慌ただしくなった。

やがて徒で出てきた田村麻呂に「参内しよう。」と促されて、小角は「何か持つ物は無いだろうか?。」と訊ねた。

訝し気な面持ちになった田村麻呂に、小角は悪戯(わるさ)する童子の様な顔で「この身形(なり)だ。捧げ持つ物を持てば小舎人童子と見なされて衛士に誰何されずに済むだろう。」と言った。

弓場は怪異の為、人払いされている。

空手の供を見咎めて、或いは衛士が物問う事もあるかも知れない。

田村麻呂は相変わらず聡い方だと感心した。


夕暮の寒風の中、会昌門(朝堂院南門)を潜り、廻廊を閤門(朝堂院と大極殿の間の門)へむかって歩む間、まだ火を入れられていない篝火の脇に立つ衛士の他には誰とも出会うことは無かった。

紫綾の紐を掛けた文箱を捧げ持つ小舎人童子を連れた、深紅の位襖姿の田村麻呂に、衛士は何を問うでもなく閤門を開いた。


鳴弦の儀の中止を受けて、内々に弓場を検分した治部卿壱志濃王(いちしのおう)は、山部の夜御座所(よのおまし)へ向かうために前触(さきぶ)れを立て、大極殿から東院へ歩んでいた。

薄暗くなり始めた廻廊では宮城の内から次々に篝火に火が灯され初めた。

閤門が開く重々しい音に目を向けると、遠目にもそれとわかる特異な骨格に、征東副使坂上少将と知れた。

珍しい事もあるものだ。

日頃殆ど供を連れない坂上少将が小舎人童子を連れている。

文箱を捧げ持つ小舎人童子の姿に壱志濃王の視線は吸い寄せられた。

薄暮の中だが、角髪の頭の挙げ具合、その足運び、文箱を捧げ持つ手の様子、何処かで見た様な姿だ。

誰に似ているのだろう。

頭の隅で考えながらも、壱志濃王は山部が待っているであろう東院への脚を止める事は無かった。


弓場の入り口では両脇の篝火に火が入り、立っていた衛士が田村麻呂の姿を認め、深々と礼をした。

検分だと思われたものか、恭しく捧げられた(たいまつ)を受け取り、田村麻呂は小角を促して天幕の張られた弓場に脚を踏み入れた。

弓場の中には火の気は無く、薄暗い中、いさかいの元となった大弓が祭壇に奉られ、四方には御幣が立てられていた。

小角は祭壇に歩み寄り、躊躇わず大弓を手に取った。

恵美押勝の乱の時、内裏で典蔵の地位にあった小角は、造東大寺司だった真備と共に、東大寺の蔵に納められていた大量の武器を検分して借出した。

黒漆で塗られ、弓弭(ゆはず)弓束(ゆづか)に金銅や象牙、皮革で細工が施されたこの大弓には覚えがある。

「これは恵美押勝の乱の時にも借出から外されたものだ。」

あの時には手に取る事は無かったが、皇家の重宝として一揃いの挂甲と共に、飛鳥古京から平城宮(ならのみや)に移され、東大寺に納められた物の筈だ。

今こうして手にしてみると、物部の(まじな)いが掛けられていることがありありと判る。

この術を知る者は限られている。

恐らく術者は父者だ。

とすれば、この大弓の主は。

小角は炬を掲げている田村麻呂を降り仰いだ。

「この弓箭は誰かに従うよう(まじな)いが掛けられている。その太刀に掛けた(まじな)いと同じ術だが遥かに強靭なものだ。(あるじ)として縁を結んだ者の他には扱えまい。」

小角の言葉に田村麻呂は深く頷いた。

「やはりそうか。」

だが(まじな)いについて大君にどう報せるか。

俄に信じられる事でもあるまいし、大君に鈴鹿の素性を明かす訳にもいかぬ。

「以前、この太刀に術をかけて呉れたとき、私はこの太刀の記憶を貴方と共に視たが、同じように他の者に視せる事は出来るものだろうか?。」

小角は困惑した面持ちになった。

「あの術は、術者が(あるじ)となる者と(したがうもの)となる物との間を取り持つ。三者の間では啓示を共有できるが。」

言い澱み、小角はやや口惜しそうに言葉を継げた。

「私は倶有の種子を体得するに到っていない。他の者に同じ啓示を視せる事は叶わない。そういった(ちから)を持つ者にであれば話は別だが。」

神守りの玻璃や、玄昉や狼児、真魚の様な者であれば、或いは。

だが、そうだ、真魚は大学寮に居るのではないだろうか。

考え込んだ小角に田村麻呂は「気に病まれる事は無い。」と声を掛けた。

「誰にも弓弦が張れないと証を立てれば、舎人達のいさかいの元は呪いであったと口添えできよう。大君にはそのように申し上げる。長居は無用だ。行こう。」

弓場の出口へと向き直り掛けた田村麻呂を、小角は引き留めた。

「待ってくれ、弓の記憶を覗いてみたい。この呪いが掛けられた経緯を知りたい。」

小角の言葉に田村麻呂は辺りを見回した。

冬の短い陽はとうに暮れ、既に闇の中だ。

怪異の後とされ、禍々しい場と思われているこの弓場に、陽が落ちてからわざわざ脚を踏み入れる者は恐らく居るまいが。

田村麻呂は頷いて「では私はあちらで人が来ないか見ていよう。」と炬を持ち、天幕の入り口の方へと歩んで行った。

小角は懐から出した大蜘蛛の姿の前鬼と後鬼を左右に放ち、「そのままの姿で辺りを探れ。近付く者が在れば告げてくれ。」と言い、祭壇に向き直った。

具合の良い事に、四方には幣も立てられている。

小角は祭壇の前にひざまずいて大弓を捧げ持ち、意を凝らした。

お前に(まじな)いを掛けたのは誰だ。

そして何の為だったのだ。

暗闇の中、石上(いそかみ)布留魂(ふるのみたま)の祝詞を唱えるにつれ、やがて誰かの声が遠くから唱和するように聞こえはじめた。

やはり父者の声だ。

次第に声は近くなり、深く豊かな声が重々しく祝詞を唱え終わった。

小角が目を開けると、其処には記憶にあるより若々しい父の姿があった。

錫杖も矛も持たず、髪は総角に結い、(あお)(ひらみ)を重ね、絢爛な緋色の錦織りの(らん)(ふちどり)の付いた白の大袖の衣に、白袴は高く足結いして、金と紅の手無しを纏う葛城の儀礼姿だった。

周囲の調度からは何処かの宮の内と見えた。

一髷に結われた頭に黄丹色の錦織りの頭巾(ときん)を着け、やはり黄丹色の豪奢な綾織りの大袖の衣に、錦の飾帯を身に付けた倭人の貴人が父と並び、置かれた挂甲と大弓に向かい合って立っていた。

小角は捧げ持っていた大弓と、挂甲の前に置かれた大弓が同じ物であることを見てとった。

大柄な父と並ぶ倭人の貴人は中背で、細面に険のある鋭い目許が印象的な面差しだった。

父が言った。

「こんな(まじな)いをかけたところでお前の身一つを護るが精一杯で百済は救えぬ。どうあっても吾は出兵には賛成しかねるが。」

倭人の貴人は、その繊細だが意思の強そうな顔に皮肉な笑みを浮かべた。

「朕とて百済が滅びるのを停められるとは思わない。だが母者、いや大君がそう望むのだ。任那、加羅が滅ぼされて久しい。この上むざむざ百済を滅ぼされて、高句麗と新羅が増長するのを見過ごせぬのが群臣(むらつおみ)の総意だからとな。」

一度言葉を切った貴人は、吐き出すように苦々しげに「何時までも百済一辺倒の外交を続けていてはいつか進退極まると、蘇我の太郎(たいろう)が幾度も朝堂で述べていたと言うのにな。」と言った。

暫しの沈黙の後、父が「葛城」と呼び掛けると貴人は頚を振り「ああ、済まぬな。」と呟いた。

この君が葛城皇太子(かつらぎのみこ)か。

「既に筑紫の仮宮(朝倉宮)も完成した。一万の兵と百七十隻の軍船が筑紫に集められ、阿曇の海軍の将(ふないくさのかみ)は大君の号令を待っている。母は筑紫に自ら赴くとまで言った。豊璋王(百済の太子)は意気だけは天にも昇りそうだ。大君の招請で高志の海軍も漢皇子(あやのみこ)阿倍引田比羅夫(あべのひくたのひらぶ)に従うと言ってきた。筑紫へ赴かぬ訳にはいくまい。」

どうやら此処は難波宮であるものか。

太郎(たいろう)が生きていれば、或いはこの戦は」

父が言いかけた言葉を遮るように、葛城皇太子(かつらぎのみこ)は言った。

「せんない事を言ってくれるな。あの時、朕は余りにも非力だった。大紫冠(中臣鎌子)には他に道は無かったのだろうよ。」

父はその名に忌々し気に眉を潜めた。

「この度もあれは筑紫へは赴かぬのだろう。」

葛城皇太子(かつらぎのみこ)は父の不愉快そうな顔を見て笑った。

「やむを得まい。他に倭を任せられる者が何処に要る。船出に当たっては額田に祭祀を行わせればよかろう。それに母者は老い先短い。この上一人心労を重ねさせるも酷な事だ。比羅夫が傍らに在れば心強かろう。」

「そしてお前が敗戦の責を負う事になるのだぞ。」

父の言葉に、葛城皇太子(かつらぎのみこ)の笑みは再び皮肉なものへと転じた。

「上宮王家と高志を滅ぼした責めを太郎(たいろう)が受けてくれたのだ。そのくらいは朕と鎌子が背負わねばな。」

小角は突然、目の前に立つ二人を挟んで己と相対するように、一人の僧侶が立つ姿を認めた。

何時からそこに居たものか。

「唐と新羅を相手にしてもか?。」

父の苦渋に満ちた声音が耳に響いた。

敗戦国がどういう扱いを受けるかを思えば、国の内外からの責めの矢面に、ただ一人この皇太子が立ち向かうと言うのはなんと酷な事か。

「なに、朕は狡い。出来る限りその責めを負わずに済む方法を考えようぞ。鎌子はその方面には長けているからな。」

葛城皇太子(かつらぎのみこ)は朗らかに笑い「鎌子も文句は言うまい。この日の本の国の為でもあるからな。」と言い父の肩を叩いた。

「八咫、朕が戦の先鋒に立つ訳ではない。必ず生きて戻る。この(まじな)いは戦に於いてより寧ろ、その後の交渉の日々に朕の力強い護りとなろう。この弓と挂甲は必ず身に帯びる。どのような形であれこの戦が終わってからの方が厄介なのだ。葛城の民の力はその時必ず、倭にとって必要になる。(なれ)が役公となる日を朕は待っているのだ。達者で暮らせ。佳き娘をめとって健やかな子を挙げろ。」

葛城皇太子(かつらぎのみこ)の声が次第に遠ざかり、二人の姿が朧に霞むにつれ、対峙する僧侶の姿は鮮明になった。

小角は初め真魚だとばかり思ったが、どうやら違うようだ。

落ち着きのある姿で、やや歳が往っている。

身に纏う衣が壊色(えじき)の中でも山梔子でなく縹色であることから位が在る事が窺えた。

穏やかで端正な面差しに見覚えがあった。

齢を重ねてはいるが、いつぞや行表の許で見かけた者か。

僧侶は辺りを見回し、大弓を持つ男童子姿の小角に目を向けて微笑むと、両掌を併せて深々と頭を垂れた。

落ち着いた声が名乗ってきた。

「拙僧は内道場(うちのどうじょう)に仕える者で最澄と申します。貴方は、以前、行表師の許でお逢いした方でいらっしゃいましょう。」

小角が「良く覚えておいでだな。あれからずいぶん時が経ったが。」と言うと、僧侶はにこやかな笑顔になった。

「変わらぬお姿でいらっしゃいますから。それにその身に纏われる神気は見誤う筈もありません。先に斎宮から龍神の舞を奉ったのも貴方でいらっしゃいましょう?。」

小角の答えを待たずに最澄は再び周囲に目をやった。

「これはどうした事でしょう。拙僧は酒人内親王様の勅で内道場で加持祈祷していた所だったのですが、何処からともなく石上(いそかみ)の祝詞が聞こえたと思った時には此処に居りました。貴方がお呼びになったのですか?。」

小角は緩やかに頚を振った。

「いや、御坊が私の術の中に入ってきたのだろう。御坊の能力(ちから)であろうよ。酒人内親王は何を祈願したのだろう?。」

興味深そうな小角の声音に、最澄は

「内親王様には、年の初めから忌を祓う為の鳴弦が怪異に妨げられたとの事で、大層ご心痛でおいでです。大君と都に禍事が訪れぬよう加持と、弓に悪しきものが宿るのであれば調伏をとの仰せでした。」と無心に答えた。

「成る程な。それでか。私の術の中に入ってきたのは今の世では御坊が二人目だな。」

小角が感心したように呟くと、最澄は「私の他にも?。どちらのどなたでしょう。」

と訊ねてきた。

「この宮の大学寮に居るのではないだろうか。名を真魚と言ったが。」

小角の言葉に最澄は暫く考え込み、「それが私の思っている者であれば、作秋、明経試を優秀な成績で納めた後、宮を出奔した者と思います。」と答えた。

「そうですか、あの者が。在家のまま落飾したと聞いておりましたが、惜しまれる事です。」

小角の脳裏には、吉野で別れた時の真魚の屈託の無い笑顔が思い出された。

宮を出たのか。

ならば真魚は己の定めた途へと歩み始めたのだろう。

「御坊はこの術に驚かれぬ様だな。心得があるのか?。」

小角の問いに最澄は微笑んで答えた。

「長じて師から葛城の事跡を伺った事もございますが、私は近江に移り住んだ西漢(かわちのあや)の三津首の出でございます。幼い頃から物部の衆や賀茂の民に語り継がれる事はよく耳にしてきました。比叡に隠った折りには、これに似た事も幾度か御座いましたから。」

一度言葉を切り、小角の手元の大弓に眼を向け、最澄は「この弓の事は内親王様と大君にお報せしてもよろしいでしょうか。」と訊ねた。

最澄の言葉に小角は肩の荷が降りた様に感じた。

願っても無いことだ。

「御坊の宜しき様に。私では如何とも出来ず困り果てていた所だ。もし叶うものなら舎人達の処断に口添えしてやってくれぬだろうか?。気に掛けている君がおいでなのだ。」

最澄はそこまで考えて居なかったとみえ、驚いた顔になった。

「関わった舎人達が処断されてしまうのですか?。それは憐れな。承知いたしました。よくよく経緯を聞いて、出来うる限りの事は致しましょう。」

小角は頷いて再び大弓を捧げ持った。

「では結界を解こう。掛けられている術は強力で私ごときでは如何ともできない。東大寺にはこの弓と揃いの挂甲が納められてあるはずだが、共に東大寺以外の場所に移した方が良いかも知れぬな。」

小角の言葉に最澄は両掌を併せ、「それも共に奏上致しましょう。」と述べて頭を垂れた。

その姿が朧に霞んでゆくのを見届けて、小角は結界を解いた。


壱志濃王が訪れた東院の夜御座所では山部が民部卿和気清麻呂の訪問を受けていた。

山部は壱志濃王の訪れに酒肴の用意を申しつけた。

民部卿は退出しようと腰を浮かせたが、壱志濃王は冗談めかして「我が追い払ったと思われては叶わん。一献付き合って行け」と薦めた。

山部にとって年上の従兄弟にあたる壱志濃王は、百済王俊哲と並んで、親王宣下を受ける以前からの尤も気の置けない友であり、共に酒を酌み交わし、忌憚の無い論争に興じる仲だった。

「大君の仰せ通り、先ほど弓場を検分してきたぞ。我ごときが見たところで怪異の事なぞ解る筈も無かろうに、治部卿とは損な役回りだ。」

壱志濃王は愉快そうに言い、民部卿の隣の円座(わろうざ)に腰を下ろした。

「あの大弓は淡海の帝の物だそうだな。態々あの大弓を選ぶ辺りが、諸魚らしい事だ。神祓伯(じんぎはく)となってもおもねるのは神より大君という辺りがな。」

磊落に笑う壱志濃王の持つ瑠璃の碗に、山部も笑いながら酒を注いだ。

恐縮する民部卿に尚侍百済王明信が碗を捧げ、酒を注いで、傍らに控える采女に指図した後、静かに退っていった。

「そう辛い事を言ってやるな。あれはあれなりにこの長岡の都を貶められたく無いのだろうよ。まさかこのような顛末に陥るとは思いもよらなかったろう。」

内舎人と帯刀舎人の間には元々わだかまりが在ったのだろう。

となればそれは己の東宮坊での振る舞いにも一因あるかも知れぬ。

山部の屈託に壱志濃王は気づかず話を続けていた。

「東大寺の蔵から弓箭を貸借するなど恵美押勝の乱以来だろう。もう随分昔の事の様に思われるな。」

民部卿も「真にその様に思われます。」と相槌を打った。

壱志濃王の脳裏に、不意に一人の命婦の姿が閃いた。

高野の姫帝の最も身近で、法皇と吉備大臣と共に在り、年若だが玲俐な(おみな)だった。

あの頃まだ位も無かった己は、その命婦が典蔵として、駅鈴と玉璽を納めた蔵の鍵を護り徹した事に感銘を受けたものだ。

「あれ以来、大乱無く来れたのは大君の手腕だ。誇れる事であろう。」

壱志濃王の声音が転じた事に気づいて山部が視線を挙げた。

「何だ、(なれ)までおもねる事は無かろう。」

壱志濃王は頚を振って昔日の思いから醒めた様に言った。

「いや、我の正直な感想よ。先程弓場から戻る折りにな、興味深いものを見たのだ。坂上少将が、小舎人童子を連れていたのだがな。」

あの命婦は高野の姫帝が薨じて程無く亡くなったと聞いたが、或いは子でもあったものだろうか。

壱志濃王は唇の端をやや挙げて懐かしげな口ぶりで言った。

「その小舎人童子の歩む姿や所作がな、吉備命婦に瓜二つであった。」

瑠璃の碗がごとりと鈍い音を立てて、床に敷かれた西域渡りの花氈(山羊の毛の織物)の上に落ちた。

山部と壱志濃王の視線を浴びて、民部卿は青ざめた顔で、慌てて碗を拾い上げ、口ごもりながら粗相を詫びる言葉を述べたあと、恐る恐る口を開いた。

「実は臣も昨年、吉備の命婦によく似た男童子を見かけたのです。そのときには臣の思い過ごしかとも思ったのですが。」

和気清麻呂がしどろもどろに「余りに良く似ておりまして」と言い澱み、山部と壱志濃王の顔色を窺っている所へ、百済王明信が静かに入ってきて「内道場(うちのどうじょう)より、酒人内親王様の使いの者が至急辞見(まかりもうし)賜りたいと申しております。」と告げた。

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