第四部 陸奥国 九 混沌
延暦十一年(792年)晩夏
激昂して東宮坊を去った山部ではあったが、広まってしまった風評を捨て置く事は出来なかった。
宮では早良廃太子の御霊鎮めの祈祷が行われ、朝堂では御陵を造り改葬するよう詔が出された。
数日の後、山背国を襲った野分は大量の雨と激しい風を長岡の都にもたらした。
北西から南東へ向けて下る地形に築かれた長岡の都を、斜に二分する小畑川はこの大雨で氾濫を起こし、大量の土砂と汚物を都の裡に溢れさせた。
下京に住む多くの者は住まいも生業も失い、流され溺れた者や、倒壊した家屋の下敷きとなって命を落とした者もあった。
造営中だった北苑では版築の為に運び込まれていた土砂が流出し、掘り掛けの柱穴は埋まり、礎石が流失した。
一際高台にあった大内裏に被害は及ばなかったが、宮の裡でも式部省の南門が大風で倒れた。
山部は自ら式部省に赴いて、倒壊した門を検分した後、朱雀門へと向かった。
山部の脳裏には種継の熱を帯びた声音が蘇っていた。
「乙訓であれば水に困窮する事は有りますまい。平城の都とは比べ物になりません。我が君の仰せの通り、浄らかに水の巡る都を造営してお目にかけます。小畑川と葛野川、葛野川と淀川の合流地にそれぞれ大きな川湊を置かせましょう。難波の堀江に勝る一大事業として、天皇の威徳と権勢を後の世まで誇れる都となりましょう」
種継が提唱した長岡の都の利水は、民の暮らしに根差すものでもあった。
水に恵まれた長岡の都では、日頃人々が生活に使う水は、都の裡の何処でも井戸を掘りさえすれば手に入り、坊条に合わせて排水の為の溝が掘削されていた。
内裏の西に接する向日丘陵の西の麓から、南東へ向けて都を斜に横切る小畑川が、都の裡の水を巡らせ、排水路の水を集めて下京に置かれた赤日崎津で葛野川と合流する。
丹波国から流れ出て、都の東端を流れる葛野川は、小畑川と合流して南西へと向かい、都の南で嘗て行基が架けた橋を潜り、高崎津、山崎津を経て、巨椋江から流れ出る淀川と合流し、難波江へと向かう。
赤日崎津と山崎津を拠点として、小畑川は荷を運ぶ多くの小舟が行き交う、水上の大路でもあった。
常であれば、柳が立ち並ぶ緑の岸辺に水鳥が羽を休め、朱雀大路に渡された朱塗りの唐橋の下を船が行き交い、船子が呼び交わす声と櫓の音に混じって唄いが聞こえる長閑な光景が広がっていたが、今や見る影もなかった。
朱雀門から都をうち眺めた山部は愕然とした。
都の坊条を左京へと川の如く泥水が流れていた。
倒れた家屋の残骸と思しき板や丸太に草が絡み付き、倒木や折れた大枝等に混じって、流れに呑まれたものか狗の骸が泥水に洗われ、その上を烏が物欲しげに旋回していた。
険しい面差しで昼の御座所へ戻った山部は、控えていた明信に目をやると「民部卿を召してくれ。速やかなること律令の如く、だ。この災厄で取り込んでいることは承知の上だ。都の治水について、あれで無くてはならない命が有る」と告げた。
前の野分の被害がまだ治まらない八月の七日。
内匠寮で助として、水害の収拾に当たっていた田村麻呂は、漸く躯の空く都合が着き、激しく降りだした雨の中、粟田へと訪れた。
羊の刻を過ぎた頃だというのに宵闇の暗さの中、表門で出迎えた小角は青ざめた顔色で言った。
「無事に帰れて何よりだった。もう出歩いてはいけない。途方もない水気が押し寄せて来ている。大嵐だ。前の野分の比では無い。去るまで一昼夜はかかるだろう。作戸達にも外へ出ないよう告げてある」
田村麻呂が振り仰いだ空には鉛色の雲が風に煽られる様に流れていた。
遠く、近く、鳴神が空を渡り、四方八方から波しぶきの如く躯に吹き付ける雨に、田村麻呂の脳裏には再びの惨状を呈した都の姿が鮮明に浮かんだ。
「都へ戻らねば」
藍色の眼を見張り、一言呟いて鐙に足を掛けようとした田村麻呂を、小角は取り縋って引き留めた。
折しも風は勢いを増し、雲間を割って大きな稲妻が走り、怯んだ劔が高く嘶いた。
その雷鳴が鳴り止まぬ内に、辺りが真昼のように明るくなった。
次の瞬間、辺りの空気を切り裂いて雷が地に落ちてきた。
怯えて後足立った劔の頚に小角が縋り、田村麻呂は咄嗟に片手で手綱を搾り、空いた手で小角の身を抱え込んだ。
激しい衝撃が二人と一頭を包み、地響きと共に雷鳴が響き渡った。
劔は口角から泡を吹くほど怯えていた。
田村麻呂の腕の中で小角は頚を横に振って「行ってはいけない。どうあっても今は駄目だ」と哀願した。
その表情をまじまじと見詰め、劔の様子に眼を転じて、田村麻呂はやむを得ず「貴方の申されるようにしよう」と答えた。
ずぶ濡れのまま劔を宥めすかして厩まで辿り着くと、鵲も落ち着かな気に脚を踏み替えていた。
ようよう灯した手燭の光だけの薄暗い厩の中が、鳴神に照らされる度に真昼のように明るくなり、その度二頭は怯えて嘶いた。
田村麻呂は濡れた位襖を半ば脱いで、劔の躯を藁で擦ってやりながら、根気よく語りかけて宥めた。
乾いた布と着替えを持って厩に戻った小角は、田村麻呂の思わぬ姿に赤面した。
何時までも馴れぬことだと思いながらも、金色の産毛に覆われる厚い胸や二の腕を鳴神が照らし出す度に、どうしても眼が行った。
近頃、小角は田村麻呂と枕を交わすと、その胸の下で、あの腕の中で、己が金色の体毛の大きな獣に喰らわれているような錯覚に陥る事があった。
今もとうてい正視はできなかったが、盗み見るように鋭角な脇腹の線や肩の盛り上がりに眼が行くと、躰が熱くなる様だった。
こういう気持ちが色欲というものなのだろうか。
その癖、こうして訪れてくれても己からはどうして良いのかわからず、何時までたっても小角はぎごちないままだった。
突風が厩を大きく揺さぶり、小角は己の考えがあらぬ方へ向かった事に戸惑いながら「替わろう。濡れたままでは躯に障る、着替えてくれ」と声を掛けた。
「ではお願いしよう。母屋ではどうしている?」
田村麻呂は小角の戸惑いにはまるで気づかぬ風に笑顔を見せた。
「河鹿と花鶏が良いように計らってくれている。作戸の中で、川の近くに住む者や赤子が居る者達を下屋に移らせたので賑やかしい」
「それは良かった。作戸達も心強かろう。よく気がついて下さった。都でも早めに布施家にでも集まって居ると良いのだが」
「都が案じられるのか?」
先程の田村麻呂の、己の身の危険をまるで省みぬかの様な言動を思い出しながら、小角が訊ねた。
「都の営みは庶人によって成り立っている。宮では下京に住む多くの少位の宮人こそが実務を担うものだ。だがその多くは前の野分で住まいを失ったり、命を落としたりしている。この嵐で更に被害が出れば、宮は機能せず都は収拾が付かなくなるやもしれぬ。宮の機能が立ち行かなければ都は衰え、それはとりもなおさず国の衰えだ」
着替えながら答える田村麻呂に、小角は振り向かずに相槌を打った。
「洪水は土地を肥沃してくれるが、その後に病ももたらす。家屋や田畑の被害も在るだろうからな」
それきり黙したまま劔の躯を拭ってやっていると着替えを終えた田村麻呂が近寄ってきて「口惜しい事だが、どうも私よりも貴方が近くに居ると劔は落ち着くようだ」と笑った。
「そんなに都が大切か?」
ぽつりと小角が呟いた。
一時藍色の眼を見張って、田村麻呂は小角をうち眺めた。
確かにこの方にとっては、所詮倭人の都に過ぎないのだろう。
「我が坂上氏の祖、東漢氏は予て冒した七つの大罪を飛鳥浄御原帝によって赦されて朝臣として朝廷に仕える事になった。それでも坂上氏では父の代まで三位に昇った者は無かった。その由縁は葛城の民である貴方も良くご承知だろう。私は坂上氏の継子として、汚名を灌ぎ、朝廷より受けた恩をお返しする義務が在る」
小角は振り向いて田村麻呂を見上げた。
「だから駒子の末裔のお前が朝廷の為に戦をするのか?。坂上駒子は誓いを果たしただけだ。嶋大臣(蘇我馬子)が言葉巧みに駒子を陥れたのだぞ。飛鳥浄御原帝は出自が公になった時の事を恐れてその宣明を宜り賜うたに過ぎない」
田村麻呂は直線的な眉を僅かに潜めたがその声音は穏やかなままだった。
「だからこそ、東漢氏は誓いを違えない事を頑なに守り続けてきたのだ。契約を明らかな言葉にせず、言葉の外に意味を含め、包み隠す事を美徳とするのが倭の慣わしであれば、馴染まぬ事であっても受け入れてきた。嘗て高市皇子が篤く信頼を置いて下さった故に今の坂上氏が在る。その恩義が無くとも、私は朝臣だ」
見上げる小角の真摯な眼差しを藍色の眼が受け止めた。
「今上はその倭の慣わしそのものをも変えるべきだとお考えだ。だが一時に総ては変わらない。齟齬を産み出さない律令の強化が国力を強め、引いては国民をも守る。嘗て起こった事柄では無く、これから起こるであろう事柄の為にこそ、律令を明文化し、国記を記し、日嗣ぎの争いの無い永き都が築かれなくてはならない」
「それが山部の考えなのか?」
僅かに眉を潜めた小角の疑わしげな面持ちが童子の様で、田村麻呂は口許を緩ませながら頷いた。
「そうだ。そうでなくては外国とは渡り合えない。百済や高句麗の様に滅びてしまうだろう。この国は幸い海に隔てられているが、大唐がその気になれば一堪りもあるまい」
小角は唇を尖らせた。
「安史の乱から、唐はその繁栄に翳りが射していよう。真備は二度目に唐に赴いた時、国の乱れに驚き、乱の勃発を憂いて帰朝を急がせたそうだ。自国の兵では乱を鎮める事敵わなかったと聞いたぞ」
「衰えた国力の補填に、この日の本の国を充てようとするやもしれぬとはお考えにならないか?。新羅辺りを唆して、あわよくば新羅と我が国が共倒れとなる事をも考えるかもしれぬ」
小角は言葉に詰まり、俯いた。
「今上は前の御代(聖武帝、孝謙・称徳帝)の様にみ仏の力に縋るので無く、恵美太師の様にただ大唐を模倣するので無く、この国ならではの有り様をお探しだ。御代移りの度に都を移していてはそれは叶わない。永き都はその為に欠くべからざるものだ。陸奥国の行く末が定まる途も見えてきた。私は今上を良く知る故に、我君に二心無くお仕えしたい」
その夜、田村麻呂は久し振りの訪れではあったが、終夜大雨と強風を警戒して、河鹿と交替で微睡む程度にしか寝まず、小角の許に訪れる事はなかった。
夜半、小角は西の方角で水気が暴れるのを感じ取った。
反剋だ。
前の洪水より遥かに強い力で、水気が土の気を侮って大地に溢れていった。
小角は夜明け前に目を醒まし、蔀戸を開け、強風に次々と押し流される雲の切れ間から覗くまだ暗い空を見上げた。
雨風は弱まり、天の水気は嵐が遠退いた事を物語っていた。
だが地の水気は葛野川の辺りで暴れている。
罧原に結ぼれている上古の秦氏の呪術がそう易々と破れるとも思えなかったが、何処で何が起こったものか。
河鹿が厩へ向かう姿を見つけた小角は急いで身支度をして、既に出掛けるばかりの田村麻呂の許へ行った。
「葛野川が暴れている。都へ戻るには道を選ばねば無理だ。私を連れて行け」
小角の言葉通り、葛野川は長岡の都の艮(北東)を囲むように流れる罧原で西岸の堤が切れ、大堰の下流、松尾山の麓から南で大規模な氾濫を起こしていた。
川を渡れる場所を求め、小角は幾度か強風の中、隼の姿を借りて葛野川の上を翔んだ。
遠目にも長岡の都の左京が濁流に呑まれているのが判った。
巨椋江は既に常の水域を遥かに越え、到底南から都へ近づくことは出来そうに無い。
葛野川を大堰まで遡った小角は眼下の川辺に所々、農夫や寺社の下部と見える男達が集まっている光景を見た。
小角は田村麻呂の鞍の前に座る己の躰へ舞い戻り、「大堰の上流まで遡らねば都まで辿り着けそうに無い。既に人が集められているようだが、そちらに向かうか?」と訊ねた。
田村麻呂は険しい表情で「ではそうしよう。何か報せが聞けるかもしれない」と答えた。
工夫の指揮を執っていたのは群司だったが、田村麻呂の姿を見て駆け寄ってきた。
河鹿と小角に劔を任せて、田村麻呂は暫く群司と話し込んだ。
群司は心強そうに「人夫を駆り出してこれから都へ向かう処で御座いました。ご一緒戴ければ何よりです」と告げた。
「松尾山の麓近くでは地滑りが起きているそうだ。私は群司と共に人夫を率いて都へ向かう。貴方は河鹿と共に劔を連れて粟田へお戻り戴けようか?」
田村麻呂の言葉に小角は不承不承に頷いて劔の背に乗った。
その背を見送った田村麻呂は輿が運ばれてくる事に気づき群司の方を振り向いた。
集められた人夫に指示を出していた群司の脇に、公卿を顕す紫の朝服の老人が凍りついた様に立っていた。
何を見て驚いているのだろうと田村麻呂は視線の先を追い、その視線が立ち去る小角と河鹿に注がれている事に気づき、突然その官人が誰であるのか思い当たった。
「ちょうど都から民部卿がお越しでしたので、共に都までお送り致します」と群司が恭しく礼をした。
田村麻呂は顔色を失った。
何故この場に、寄りによって民部卿がおいでになるのか。
この君は吉備命婦を良く知る方だ。
そしてそれは決して佳い思い出とは言えぬのであろう。
民部卿、和気清麻呂は田村麻呂の姿にはまるで気付かず、遠ざかる小角と河鹿の後ろ姿を食い入る様に見つめていた。
その顔は青ざめ、目は信じがたいものを見た様に見開かれていた。
松尾山の麓で起きた地滑りと葛野川の氾濫は、造営中の北苑に壊滅的な被害をもたらした。
都の裡は惨憺たる有り様で、高台にあった宮と向日丘陵の山裾にあたる右京の北方を除き、京内の殆どが土砂の被害にあった。
都の裡の水がやや引いた後、山部は左京の小畑川と葛野川の合流する赤日崎津を視察し、敗北感に苛まれながら昼の御座所へと戻った。
前の洪水の後、山部は民部卿、和気清麻呂に長岡の都の治水について、改めて観相を行わせていた。
皇太子となる以前から、山部はこの実務に長けた朝臣が宇佐八幡宮神託に関わって、高野帝(孝謙・称徳帝)によって放逐された事を惜しみ、百川を通じて密かに支援させ、父白壁王(光仁帝)が帝位に着いて後、復位を進言した。
実直な清麻呂はそれに応え、山部の治世の下で、外官としても文官としても、その才を遺憾無く発揮してきた。
大和川の草香江への開削こそ頓挫したが、山部は長く河川の氾濫対策を手掛けた清麻呂の経歴に信を置いていた。
観相を終えた清麻呂から得た答えは、この都は水害から逃れ得ないという答えだった。
一月前、昼の御座所で報告を述べた日の清麻呂の言葉が山部の脳裏に甦った。
「この弟訓(乙訓)は、元々丘陵地である兄訓(愛宕・葛野一帯)から低地にある南の巨椋江、草香江へと下る川が運んだ土壌が永き時を経て堆積して出来た平野でございます。都の造営の為に山襞を均し、多くの樹を伐り、丘を削り谷を埋め、流路を限定された小畑川は暴れ川へとその性を転じて居ります」
清麻呂は一度言葉を切り、炯炯と見つめる山部の眼差しを受け止めた。
「更に、都の艮を囲む葛野川は東岸を強固な堤で護られて居ますれば、その流れの逃げ場を西岸へと求めます。何れの川が溢れても水の目指す所は巨椋江。即ち、この都を渡って流れて往く事となりましょう」
山部は黙したまま和気清麻呂の述べる処を聴いていたが、立ち上がり、開け放たれた唐窓に歩み寄ると「葛野川の東岸に勝る堤を西岸に築けるか?」と訊ねた。
丹波より流れ出る葛野川は、上古に丹波湖の峡谷が拓かれて後、幾度も流路を変えながら氾濫を繰り返し、葛野から南の平野を埋め立て、其の故に葛野の秦氏の手で強固な大堰と堤による治水工事が施されていた。
松尾山の麓で葛野川は大堰に塞き止められ、この大堰から取水し南へ下る運河が川の西岸に広がる田の灌漑と水運に利用される。
一方、川の東岸に広がる平野には秦氏の宗家が住まい、山背国府が置かれる葛野の地があり、これを水害から守る為に堤が築かれていた。
「恐れながら罧原の堤に並ぶ物は只今では難しいかと存じます。あれは上古に築かれた堤で御座います。秦氏に伝わる言い伝えでも、人ならぬ力によって造られたとされており、その工法は定かではありません」
窓辺で、山部が後ろ手に組んだ手を握りしめた。
清麻呂は暫し黙したままその後ろ姿を見守っていたが、やがて口を開いた。
「大君、水の利のある地は乙訓に限りません」
山部は振り向いて険しい顔で「都を遷せと言うのか」と言った。
「恐れながら、この乙訓に都を置く限り、同じ事が幾度でも起こりましょう。人は五行の流れに逆らうこと侭成りません」
笏を持った袖を袷て、深々と礼をした清麻呂に、その日、山部は「考えて置こう」とだけ答えたのだった。
大卓の前で紫檀の椅子に掛け、額に掌を当てた山部の脳裏に、今目にしてきた、大量の泥水が様々な物を押し流し、豪々と渦巻いて流れる赤日崎津の光景が広がった。
葛野川と巨椋江はその端境を持たず、ただただ泥の湖となっていた。
入って来た明信は山部の姿を見て、物音を立てぬように灯を点して立ち去った。
山部は思い屈したまま、酒人を訪れた。
ちょうど神野親王が酒人の許に居て、嬉しそうに父の膝を求めてきた。
酒人は憂わしげな面持ちで手の中の文を一別して、義兄に顔を向けた。
「親王、大君はお疲れのご様子ですから、あまり無理を申されませんよう」
穏やかな笑顔で酒人に言われ、神野は心配そうに山部の顔を見た。
「お父様?。お気持ちが鬱がれておいでなのですね。和子は浜刀自女とあちらで控えておりましょう」
山部に頭を撫でられて、神野は無邪気に微笑んでみせ、膝から降りて乳母の太秦浜刀自女の元に行った。
酒人は無言で山部の手を取った。
山部は眼を閉じ、僅かに口の端を上げて「少しそうしていてくれるか」と言った。
酒人が答えようとした途端、神野の悲鳴が聞こえ、浜刀自女が「親王様、どうなさいました」と声を挙げた。
神野は象牙の釵子をその小さな手で放り投げ、顔を歪めて泣いていた。
山部が泣いている神野を抱き上げて「和子よどうした」と訊ねても、神野はしゃくりあげるばかりで山部の頚に縋った。
酒人に眼を向けると、青ざめた顔で神野が投げた釵子を拾い上げていた。
山部には、染めた象牙を細工したその釵子に見覚えがあったが、何処で見たものか、記憶を手繰り寄せようとしても思い当たらなかった。
二度に渡る災厄は都に大きな傷痕を残した。
北苑の造営は中断され、再開の目処は立たなかった。
下京では漸く東西の市が開かれるようになったが、商いは乏しかった。
宮でも復興に慌ただしい中、東宮坊には新たな妃と宮人が入内し、宮人として仕える葛井藤子は無事安殿皇太子の男御子を産んだ。
少なくとも山部の耳には薬子の噂は届かなくなっていた。
翌年に控えた陸奥への出兵よりも、都の有り様は逼迫していた。
右大臣藤原継縄と民部卿和気清麻呂、中務卿藤原小黒麻呂から、再びの遷都について言上があったのは秋の終わりだった。
「佳き地が在るのか?」と訊ねた山部に和気清麻呂は「罧原の堤の東の地にはこの乙訓に勝る平野が御座います。葛野川と加茂川の間、巨椋江の北に広がる、只今の山背国府の置かれる葛野の地です」と述べた。
藤原小黒麻呂が控えめに口を添えた。
「多くは秦氏の氏長者の私領です。嘗て上宮太子に仕えた秦河勝から、唯今は我が《め》妻の父、太秦嶋麻呂が治める土地となっておりますれば、移転についても速やかに行えましょう」
藤原継縄はそれまで黙していたが「大蔵卿に造営の試算をさせました。新たな造営については、秦氏は無論、内道場の僧が西漢氏の才伎(土木・工芸技術者)の協力が得られると申しております。嘗て行基大僧正の下で働きのあった才伎の者達です」と述べ、「その僧侶は酒人様が懇意にしておいでの者の様ですが」と言い添えた。
山部の脳裏に最澄の名が浮かんだ。
あれは西漢氏の者だったか。
山部は継縄と明信に眼を向けた。
「観相を行わしめよう。朕自らも出向く。早急に場所を手配してくれ」
小黒麻呂が「では秦氏を通じて手配させましょう」と答えたが山部は鋭い視線を向けて「行幸では無い、その地を一望できる場所を選んでくれ」と言った。
明信が控えめに「山科に坂上少将の所領が御座いますが」と促し、継縄が頷いて「東山が宜しゅう御座いましょう。彼の地であれば葛野が一望できます」と述べた。
和気清麻呂は落ち着かない様子で何か言いたそうにしていたが、結局口を閉ざしたままだった。
山部の葛野観相は内々に行われたが、己が所領であれば無論田村麻呂は供奉した。
田村麻呂は細心の注意を払い、観相は滞り無く行われたが、田村麻呂の胸の内には再びの遷都の計画が陸奥侵攻にどのような影を落とすものかが憂われた。
莫大な人と資金を必要とする新たな都の造営を抱えて、陸奥に攻め入る理由は何となるものか。
東山から眼下に広がる愛宕、葛野の広大な平野を眺めて、田村麻呂は漸く見えてきた陸奥の行く末が再び暗雲に閉ざされ始めた様に感じた。
毛野の地に足早な冬が訪れる頃、志波の阿奴志己は阿弖流為の思わぬ訪問を受けた。
阿弖流為はこの冬の真鉄吹きを行うに当たって、志波の民の森を伐らせてくれと阿奴志己に申し入れてきたのだった。
阿弖流為の言葉に阿奴志己は驚いて問い質した。
「阿弖流為よ、どういうことだ。この冬の真鉄吹きに使う炭は既に各々の部族から集められているだろうに。何故更に樹を伐らねばならない」
阿弖流為は険しい面持ちで言葉を継げた。
「一代では足りないのだ。朝廷との戦に武器の備えが要る。一代で得られる鉧では間に合わない。この冬は二代吹かせる」
阿奴志己は阿弖流為の言に眼を剥いた。
「だから他の民に森を伐れと言うのか?。お前はいったいどうしてしまったのだ」
「伊治の森を伐れば朝廷との戦に障りとなる。頼む。志波の森を伐らせてくれ、阿奴志己」
両手を着いて見上げる阿弖流為を見据えて、阿奴志己は暫し腕組みをして、沸き上がってきた怒りを抑えた。
毛野の民にとって、森を伐る事が大事で在るが故に真鉄吹きは一冬に一代のみ行われて来た。
無論それを知らぬ阿弖流為では無い。
勝手な言い分を敢えて言うからにはそれだけ逼迫しているのだろう。
「申し入れるなら何故評定の場で言わなんだ。どうしてもと言うなら、御白様の癒しの施しを前提にしてなら考えぬ事も無かったものを」
阿弖流為の着いた拳が固く握りしめられていた。
「悪路王は何故共に来ない」
阿奴志己の問いに阿弖流為は黙したままだった。
阿奴志己は慎重に言葉を選んだ。
「阿弖流為よ。今のお前には周囲も先も見えていないのではないか。他に採る道を見いだせぬのなら吾が言ってやろう。達谷窟を封じるという道も有るのだぞ」
阿弖流為は眼を光らせて阿奴志己を睨めつけた。
「判った。志波の森を伐ってくれとは言わぬ。だが阿奴志己よ、お前がどう思おうとも、伊治の地は毛野の民の地で在らねばならん。伊治が朝廷に下れば次は閉伊だ。そうやって直に御室まで侵攻が至るのだぞ」
語気荒く立ち上がった阿弖流為の背に、阿奴志己は静かに問いかけた。
「阿弖流為よ。もう一度訊ねよう。悪路王は何故共に来ない。評定の場にも姿を見せぬのは何故だ」
答えようとしないまま立ち去る素振りを見せた阿弖流為に、阿奴志己は「森は伐らせよう。炭が焼けたら達谷窟に届けさせる」と言った。
阿弖流為は振り向かないまま「そうしてくれ。恩に着る」とだけ答えて戸口の外の暗闇へと消えた。