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六月  作者: 賀茂史女
28/53

第四部 陸奥国 壱 刀神楽

延暦九年(790年)

年が改まっても、長岡宮では昨年暮れに薨じた皇太后の喪のため、朝賀の儀も宴も催されず、喪が明けた二月の終わりに叙位が行われた。

山部は東宮傅、大納言藤原継縄を右大臣に任じ、百済王(くだらのこにきし)俊哲を日向から呼び戻した。

先帝の御代から継縄が任されてきた国記の編纂は、既に先帝の譲位と山部の即位までが纏められ、推敲される段階にあった。

右大臣ともなればこれまでのように編纂に深く関わる時間は割けなくなるだろうが、穏健で人当たりが良く、多くの言葉を要さず山部の意を汲みとる継縄が太政官の筆頭となる事は、山部にとって望ましい事だった。

百済王(くだらのこにきし)俊哲は帰京するや否や、下野守として任地に発つ事になった。

後宮では、昨年内親王を産んだ皇后乙牟漏の健康が優れず、生まれたばかりの内親王とまだ幼い神野親王は乳母の手で遠ざけられたが、安殿皇太子は再び母の寝所から離れようとしなくなった。


この年の叙位で田村麻呂は近衛少将と内匠助は留任のまま、越後守を兼ねる事となった。

これ迄も田村麻呂は、任地と都を行き来する際に、わざわざ伊勢へ脚を運んでいた。

小角が申し訳ながると、方違えだ等と笑って見せたが、それが方便であることは小角にも知れた。

蛍が幸いである事に、小角はなんの不安も持たなかった。

その春、田村麻呂は蛍ではなく(からたち)に乗って斎宮を訪れた。

狐に摘ままれた様な小角の表情を見て、田村麻呂は、蛍が(からたち)の仔を産んだと教えてくれた。

「健やかで立派な栗毛の雄だ。(からたち)によく似ている。良い仔馬だ。出来ることなら今すぐお見せしたいものだ。貴方もきっと糸惜しがられよう」

顔を綻ばして、仔馬の愛らしい様を語っていた田村麻呂は不意に表情を改めた。

生真面目な顔で「仔馬の名は何とされる?」と聞かれた小角は、笑いながらその仔馬は少将殿に差し上げるので、好みの名を付けてくれと答えた。

仔馬の所有権を廻って暫く押し問答が続き、終いに小角が「私には陸奥駒を二頭も養う事は出来ない。少将殿に貰ってもらえるなら蛍も安心だろう。貰ってくれ」と言った。

田村麻呂は暫く小角の表情を眺めた。

この方は、蛍の齢を考えた事はあるのだろうか。

蛍は健やかではあるが、齢を思えば、この後共に過ごせる年月は、然程長いものとも思えない。

その時が来たら、この方は。

小角は田村麻呂が黙り込んだ事に戸惑った。

心許無げな表情になった小角に気づいて、田村麻呂は「ではお言葉に甘えよう。大切に育てさせて戴く」と答えた。

いつか必ず訪れるその日までお預かりするとしようと、心の中でだけ続け、思い出したように言った。

「昨年、越前の毛谷にある黒龍社(くろたつやしろ)へ詣でたのだが、貴方は黒龍社をご存じだろうか」

黒龍社は高志と倭、両国の継承権を持つ男大迹王(おおどのおう)(継体帝)が、黒龍川を鎮めるために闇淤加美神と高淤加美神を祀った社だと葛城には伝わっていた。

この伊勢社が倭人の言う天つ神の社であるなら、黒龍社は出雲の杵築社と並ぶ、国つ神の社だが、(はふり)(神官)も部の民も失って久しい。

小角が()れて後、黒龍社で記憶に残る事と言えば、葛城と高志と所縁深かった安閉(元明帝)の治世に、高志に所縁深い朝臣が願い出て、闇淤加美神と高淤加美神と共に男大迹王(おおどのおう)自身を祀った事ぐらいだった。

「高志の社か。話には聞いた事はあるが詣でた事は無いな」

小角が答えると田村麻呂は考え深げに言葉を継げた。

「以前、父が越前守だった頃、その社殿が燃え、父が勧進して再建したそうだ。その所縁で訪れたのだが、社を後に帰ろうとした時に、木立の中に白い狼を見た」

小角が眼を見開いたのを確かめて、田村麻呂は言葉を続けた。

「父は瀬田で白い狼を見たと言っていた。やはり貴方に所縁あるのだろうか。河鹿は檜前(ひのくま)の生まれなのだが、その白い狼を見て、葛城の金剛山の主だと言っていた」

その白い狼は木立の中から、暫く田村麻呂を眺め、森の奥へと姿を消した。

白い狼の居た場所に脚を向けたところ、焼け焦げた木簡が半ば土に埋もれていた。

社守りの翁から、社に納められていた木簡は、縁起や奉納品の目録も含め、殆どが社と共に燃えてしまったと聞いていた田村麻呂は、その燃えさしを持って社へと引き返し、翁に渡した。

小角は田村麻呂を見上げた。

もしその白い狼が金剛山の母刀自ならば、何かの理があっての事だろう。

「その木簡には、何が書かれてあったのだろう?。」

小角が問うと、田村麻呂は首を傾げながら「高志連村君の名と『金峯山居土蜘蛛』の文字が辛うじて読みとれたのみだった。社守りの翁も初めて見たと言っていた」と答えた。

小角の目が更に見開かれた。

金峯山に住む土蜘蛛。

高丸の言っていた吉野の土蜘蛛とはその事だろうか。

母刀自はそれを伝えようとしたものか?。

確かに私はまだ、金峯山の奥には脚を踏み入れた事が無い。

今すぐに吉野へ脚を向けたい気持ちを抑え、小角は口に出しては「金剛山の主は随分前にお山から姿を消していた。私にもその白い狼が金剛山の主のように思われる」とだけ答えた。

寡黙な河鹿の顔が思い浮かんだ。

あの舎人は檜前の生まれだったのだ。

「檜前ではまだ金剛山の主が語り継がれているのだな」

ゆかしい事だと言葉を結んで、小角は田村麻呂に別れを告げた。

立ち去る田村麻呂の背を見送りながら、小角はどこか物足りない心地だった。

蛍が居なかったからなと呟いてみたが、それだけでは無い事を、小角自身も認めざるを得なかった。

あの男君が身近に居るとどうにも落ち着かないというのに、そろそろ訪れる頃かと思うと待ち遠しく、姿を目にすれば思わず笑みが浮かぶのはどうしたことだろう。

そのくせ、共に居てもよしなし事を語らうばかりで、あの君が去ってから、ああも言えば良かった、こうも言えば良かったなぞとつまらぬ事が頭に浮かんでくるのだ。

だがそれも間も無く終わりだ。

間もなく四年が過ぎる。

この新年に、新たに采女となる飯高郷の娘が定まったと人麻呂から知らされていた。

いずれ小角は斎宮御所を離れる事になるのだ。

その日が来たら、あの君の粟田の邸に蛍を迎えに行って、木簡を受け取って、葛城へ還ろう。

葛布に(ぬいとり)をしていた裲襠(りょうとう)は、思い描いた通り、絢爛に仕上がっていた。

あの裲襠(りょうとう)は、やはりあの君に進呈しよう、蛍が世話になったのだ。

それでもうあの君と会うこともあるまい。

小角は突然の胸の痛みから眼を背けた。

此処を去る前に、朝原との約束通りに、四神を加えての応龍の舞を奉納しよう。

そして葛城へ還ったら、蛍と共に金峯山を訪れよう。

日々の生活(たつき)に窮々とせずに済む此処での暮らしが終われば、感傷に耽る暇など無い。

(せわ)しくなるのだ。


長岡宮では、再びの東征に向けて、準備が整えられ始めていた。

都は未だ完成を見ていなかったが、今や朝堂では、都の造営よりも、三度(みたび)降雨の少ない年となりそうな気色よりも、次の蝦夷討伐へと官人の総意が集約されているかのようだった。

朝議の場で述べられる言上も、交わされる議論も、定められた決議も、まるでそれ自身が意思ある生き物であるかのように戦へと向かっていた。

閏三月に入って、諸国へ向けて、三年以内に革甲(かわよろい)二千領を造ることが令された。

皇后の病はにわかに重くなり、山部は御修法をさせたが効無く、その日の内に薨じた。

安殿皇太子の愁嘆ぶりは辺りを憚らぬもので、官人の中には眉を潜める者もあった。

この新年に五歳となったばかりの神野親王は病や死の何たるかを知らず、埋葬の後も、乳母に母の傍に行くと駄々をこねては、やがて泣き出す日々が続いていると聞いて、酒人は憐れに思い、神野親王を度々招いては相手をした。

義兄(あに)が己を一際糸惜しんでくれていることは確かだろうが、後宮には数多の女君が在り、義兄(あに)の寵を得て子をなしている。

今更その事を恨むでも無く、寧ろ己自身が他の妃達の恨みや妬みを買っているであろう事も、酒人は充分承知していた。

だが皇后とはいさかいなど無かった。

酒人はいっそ乙牟漏が羨ましいと思った。

酒人の目には、十四歳で皇后を約束されて東宮妃となった乙牟漏は、義兄(あに)を、糸惜しい男君として想うよりも、皇后として大君を敬う女君と見受けられた。

他の妃を妬む事など無かったのではあるまいか。

引き換えて己の欲深さを思うと身震いがしそうだった。

斎宮へと追いやられた頃には、義兄(あに)と共に居られればそれ以上望むことなど無いと思っていたのに、今は義兄(あに)の身近に明信が居ると思うと、妬ましさでやりきれなかった。

後宮には年若な女君が次々と入れられ、己が齢を重ねたと感じさせられることは多々あった。

それでも義兄(あに)は、そうした若い夫人や嬪よりも、公式には女官でしかなく、しかも臣下の()で、年嵩な明信を心の内で重んじているのだ。

あの怜俐な尚侍は、私より以前から義兄(あに)と深く関わり、義兄(あに)の心を捉えているその美点は、知識や才覚といった私には無いものばかりだ。

それでも酒人は山部が訪れてくれれば幸いであり、恨み言を口にする事を忘れられた。

独りで過ごす事が酒人には恐ろしかった。

神野親王の相手をし、先年、内道場に上がった行表の弟子から法話を聞き、心を紛らわせた。

斎宮からもたらされる朝原からの便りは酒人にとって大きな慰めだった。


この年は雨乞いの祭祀の効験無いまま、農繁期を迎えた。

果して畿内はもとより、多くの令国で干魃が起こり、朝廷はその対応に苦慮する事となった。

飢饉の言上があった令国には各々穀類やそれに代わる(あしぎぬ)が下賜されたが、到底充分とは言えなかった。

やがて干魃が餓えと病を蔓延させる事は目に見えていた。

これまで流行り病は太宰府から次第に都へと伝播してきたものだったが、この年は諸国に先んじて、都が疫神の餌食となった。

水運の利便を図った長岡の都は、皮肉にもその水運で流行り病の侵入を許した。

山崎の津で荷揚げをしていた船子が裳瘡(もがさ)に倒れたという報せが朝堂に届き、右京大夫を通じて救護院や非田院の協力が仰がれた。

夏の盛りを過ぎてはいたが、都の内では多くの公民も奴も裳瘡(もがさ)に倒れた。

後宮では七月二十一日、田村麻呂の姉、坂上全子が病没し、九月三日には安殿皇太子が病に臥せった。

東宮坊では護摩が炊かれ、読経の声が絶えなかった。

幸いにして、安殿皇太子の病は軽く済んだが、すぐに健康を取り戻すには至らなかった。

母を失って弱った安殿の心は、病を得て更にうちひしがれた。


斎宮では、酒人の便りで都の惨状を知った朝原内親王が小さな胸を傷めていた。

六月の月次祭の前にも父帝から幣帛使が遣わされ、降雨を祈願したが効は無かった。

斎王の憂慮が斎宮頭に伝わり、小角の耳にも朝原が塞いでいると聞こえた。

小角は幾度か天の気を探ってみたが、呼び集められそうな雲を見いだせなかった。

夕立ほどの降雨では気休めにすらならない。

さらにはこの伊勢に雲を呼ぶ事で、他の国に降る筈の天の水気を奪ってしまい兼ねない。

人麻呂は、神嘗祭に応龍の舞を奉納する事は斎王君のお心の慰めにもなろうから、鈴鹿殿も四神を務める采女達も精進してくれと乞うた。

小角は四神の舞から大きく所作を削り、舞殿の四方で場を浄める緩やかな所作へと改めていた。

この舞で四神が象徴するものは四方の守護だ。

応龍を招き、覚醒させ、応龍から力を得て場を守護する。

謂わば四神が場を造るのだ。

応龍の舞は緩やかであるだけに、所作が身に付いてしまえば、(おもて)があった方が意を集中しやすい。

この年の神嘗祭では小角は龍の面を纏った。

舞殿に立った小角は、遠い昔の賀茂社の重陽の大祭を思った。

豊穣を祝い、長命を願い、暮らしの平安に感謝して、神の荒ぶる魂を鎮める。

人智を越える力を畏怖しながらも、その恵みを受けたいと願う気持ちに、崇める対象の違いも、国の違いも、貴賤の差も、無いのだ。

ならば私もまた願おう。

喪われた葛城の部の民の為では無く、倭人と同化した葛城と賀茂の民の為に。

この国に暮らす多くの民、この国の行く末を心に掛ける人々の為に。

この身に封じられた賀茂大神にではなく、人智を越えた何かに。

小角は奏でられ始めた楽の音を聴きながら、面を上げた。

四方の四神の動きが、眼で見なくとも感じ取れた。

舞殿の中心から、円を描くように禹歩を踏む足運びに入った。

いつか運ぶ足の下から、舞殿の磨かれた床は消え失せていた。

舞殿の上に居、楽の音は聞こえてくるが、さながら、鳥の姿を借りて大空高く舞い上がっているかの様だった。

天の気は乾ききって、雨の気配は四海の何処にも無い。

小角が僅かばかりの力で雲を呼んだ処で、到底雨は望めまい。

西の方に葛城の山並みが認められた。

その北端の二上山は、旧都新益宮を囲む大和三山を挟んで、三輪山と対峙している。

その裡を龍脈が廻っている。

龍脈の来る方へ眼を向けると生駒、斑鳩の山並みを北へ向かい、南都(平城の都)を過ぎて、父が拓いた龍穴の地、賀茂の神山を経て淡海湖(おうみのうみ)の南端、瀬田へと辿り着く。

龍脈の彼方に雨の気配を感じ、引き寄せるために更に源流へ遡ろうとして、小角は突然気づいた。

私は今、龍脈と同化しているのか。

気づいた途端、小角の意は孤立し、突然襲われた奔流の様な龍脈の力に激しい衝撃を受けた。

力の奔流に呑みこまれる恐怖から、小角の意は逃れようともがき、気づけば再び舞殿へと立ち戻されていた。

舞殿ではまるで何事も無かったかの様に、楽が奏でられ、舞が進んでいた。

舞殿の中央で応龍の舞が終わり、楽の終いの篳篥と高麗笛の音が長く尾を惹いて途絶えた後、小角は膝が震えそうになるのを必死で堪えた。

私は今何をしたのだ。

晴れ渡っていた筈の中天には、何処からか雲が沸き出でていた。

先触れの遠雷が天を走り、舞殿の舞手も奏者も、後先に殿内へ駆け込んだ。

呼び集める雲など無かったのにと小角が天を振り仰いだ時、一際大きな雷が空を割った。

御簾の裡で、雷の轟く音に悲鳴をあげた命婦を宥める、斎王の童児らしい声が、興奮で一際高かった。

「怖れずとも良い。鈴鹿の舞った龍神の舞が雨をもたらしてくれたのだ。朕には解る」

降りだした大粒の雨に打たれながら、小角は先程味わった、龍脈との一体感と弾き出された時に受けた衝撃の恐怖を反芻していた。

隠世へ降ったあの感覚と、似て異なるものだった。

隠世には我や意の名残といえるものが停滞しているが、あそこにはそういうものは無く、ただ圧倒的な力だけを感じた。

龍脈については、父から様々に教えを受けたが、ただ聞いたり外から眺めていても決して解らなかっただろう。

龍脈には確かに我と呼べるものは無かった。

だが、あれは意によって流れ、動いている。

隠世と同じ様に、呑まれれば還元されてしまうのだろう。

あれこそが、唯識論で言う処の阿頼耶識(あらやしき)なのか。

やがて雷は去り、雨は小降りになった。

朝原は大層喜び、御簾内から小角に称賛の言葉を告げた。


長岡宮では先の敗戦から、官人の征夷を求める声は飢饉にも疫神にも妨げられる事は無く、寧ろ日増しに高まっていた。

裳瘡の猛威がやや治まった十月の半ば、慰撫を兼ねて、山部は先の征夷軍で功あった者に対し、叙勲を行わせたが、朝堂内の敗戦への屈辱は拭えなかった。

この屈辱は、どうあっても蝦夷を討伐せねば納まらないのだろう。

だが、今すぐには兵は出せない。

国庫と公民の負担を軽くするため臨時の政策を施行しても、必ず不正が行われ、思うように効果は上がらなかった。

太政官は、坂東諸国は疲弊が甚だしいのだから、他国にも武具製造などを負担させるべきだと言上し、山部は許した。

出兵するとすれば新たな征夷軍を率いる将軍(いくさのきみ)を誰にするか考えねばならない。

山部としては百済王俊哲を指名したいところだが、それでは紀氏や大伴氏が収まるまい。

継縄は思慮深さから、大伴弟麻呂を推していた。

確かに弟麻呂は思慮深いが、大伴氏ならではの考え方やしがらみに縛られる欠点もある。

家持が良い例だ。

若き日にはあれほど改革の意気高かった男君が、いつまでも己の生きた聖武帝の御代の習慣(ならわし)に執着し、晩年には己が氏族と皇統の権威を声高に叫ぶなど、山部には長生の(ついえ)としか思えなかった。

副将軍(そえいくさのきみ)は、紀や大伴の出ではなく、朕の意を汲めるものでなくてはならない。

俊哲はおそらく弟麻呂と衝突を繰り返すだろうが、田村麻呂ならば巧くその間に入って、調整を務める事ができよう。

太政官には早い内に、田村麻呂を征夷軍に加えるよう示唆するが良いかも知れぬと山部は考えた。


この冬の終わりに、畿内では立て続けに地震が起こった。

干魃、皇后の死、飢饉、夫人の死、東宮の病、裳瘡、その上地震と禍つことが重なり、宮の内では飽きもせず、井上廃后と他戸廃太子、早良廃太弟の祟りではないかと噂する者が現れ始めた。

山部は酒人が心ない噂に傷ついていないかと労って、酒人の許を足繁く訪れた。

酒人は朝原から届いた便りを山部に見せ、山部と酒人は眼を交わして微笑みあった。

朝原からの便りには、新年の宴の踏歌に斎宮から舞人を送りたいので嘉納してくれと書かれてあった。

皇太后高野新笠の一周忌は大安寺で執り行われたが、それに先だって山部は母を悼む故に、翌年の朝賀の儀は執り行わないと詔していた。

年が明ければ叙位とともに、征夷軍の準備として、令国へ観察使を出すつもりでいた。

副将となる者を向かわせるのだ、早々に任に着いて貰わねばならない。

だが新年の宴と踏歌は例年通り行う予定だったので、山部は斎宮頭を通じて朝原へ、舞を嘉納すると伝えさせるとしようと言った。

山部は朝原の手跡の上達振りを誉め、「斎宮からの舞の奉納ともなれば、多くの官人の耳目を集める事になるだろう。斎王自ら推薦する程なのだから楽しみな事だ」と笑った。

それでどの様な舞なのだろうと言った山部に酒人は「斎宮頭からは龍神の舞だと申してきました。宿坊にはどちらを充てましょうかしら」と微笑み返した。

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