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六月  作者: 賀茂史女
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第弐部 遷都 壱 山部王

光仁帝の御代 宝亀四年(773年)

秋の初め、小角は陸奥国から葛城山へと還りついた。

阿弖流為が用意してくれた手形は下野・上野両国は勿論、下総迄も安全を保証してくれた。

行く先々で担ぎの商人(あきんど)や、渡りの遊行女婦(うかれめ)達が馬銜の手形にちらりと目を遣り、宿を提供してくれる寺社を教えてくれたり、宿を都合してくれる土地の有力者に渡りを付けたりしてくれた。

朝廷はこれまでに幾度も、徴用され、労役を終えた公民(おおみたから)が帰路で往き倒れて郷里へ帰り着けない事を憂いて、駅路沿いの有力者による庇護を令してきたが必ずしも守られて来たわけでは無かった。

脱走者や盗賊と化した者も多く、これらを受け入れれば罪を問われるのだ。

しかもその多くは身なりでは判断がつかない。

下野で道鏡の墓に参ってみると、今も誰かの手で土師器の椀に水が汲まれ、野の花が手向けられていた。

小角は阿弖流為から教えられた通り、下総で馬銜から手形を外し、東海道(うみつみち)を都へと上った。

やがて徴用で都へ向かう民が道連れとなり、一行と共に歩いた。

皆、労役を終えて郷里へ帰る日を危ぶみながらも荘園の墾田を強いられなくなった事を喜び、前の帝と法王の徳政が新しい帝に引き継がれる事への期待、新たな仮宮や寺社の造営が行われない事への期待を口にした。

政など知らぬ公民でもこうした思いが各々にあるのだ。

会話の端々に官人の顔ぶれが変わった事への期待や不安が見え隠れしていた。

これが諒闇が明けるということなのだろう。

民は皆、貧しさに変わりは無かったが、何処と無く前年には見られなかった活気があった。

朝廷が近々軍を動かすつもりならば当然査察使が出され、駅舎は慌ただしくなり、駅路には緊迫した空気が漂うものだ。

少なくともこの年の内に兵が出ることは無いだろうと小角は予感した。

母禮が路銀にと渡してくれた砂金はかなり残ったが、遣うあてのない小角は真鉄の呪具と共に葛城山の高宮に奏した。

陸奥国を出たところで前鬼と後鬼は呪具から出して遣っていたが、葛城山まで戻ってもどちらもまだ小角の呼び掛けに応えることは出来なかった。

玻璃がくれた馬は黒鹿毛の七歳の雌馬で、小角は蛍と名付けて可愛がった。

葛城山に戻って暮らしも定まり、前鬼と後鬼の生気が戻った頃には大晦となり、年が明けた宝亀五年(774年)一月二日、都に真備を訪った。

真備は退官し、都の外れに邸を移し、静かに暮らしていた。

小角は急激に老け込んだ真備の顔を見て、心底帰ってきて良かったと思った。

「良くこそ帰った。無事で何よりだ」

下野からの道鏡卒の言上の後、幾度も下野に人を遣ったが小角の行方が知れず、気を揉んでいた真備は大いに安堵した。

直ぐに使いを立て「病で宮を退がり、養生させていた吉備由利は、俄に病が重くなり本日薨じた」と宮に言上させた。

これで一つ小角の事跡が消せる。

真備が橘諸兄(葛城王)から委ねられた事の一つは小角の足跡を後の世に遺さぬよう図る事だった。

真備としても長く実の娘の様に接してきた小角を政争に巻き込む事は不本意ではあったものの、我君(わがきみ)(阿倍内親王)の為に道鏡と小角の協力を欠くことができず悔やまれていた。

せめて己が命のある間に少しでも後の障りとなりそうな物は消し去らなければ。

残るはあの木簡の行方だ。

「永手が薨じたそうだな」

小角の問いに真備は頷いた。

「ああ、おかげでまた宮中は發言盈庭,誰敢執其咎と言うところであろうよ」

小角が下野国、陸奥国と住んだ間に、都で起こった御代代わりの大筋を真備は話してくれた。

高野姫帝(たかののひめみかど)(孝謙・称徳帝)亡き後、位に就いたのは老年に差し掛かった白壁王(光仁帝)だった。

阿倍の後継者選びは難渋した。

生き残っていた皇統は皆、長屋、安積、大炊、塩焼と相次いだ血の粛清の先例を忘れていなかった。

血筋が不十分であること、高齢であること等を理由に群臣の反対や当人の辞退が相次いだ。

白壁王自身は淡海帝(おうみのみかど)(天智帝)の皇子(おうじ)、高志の血を引く施基皇子の皇子で、皇位継承の主流からは外れていた。

「改めない常の典」として草壁皇子の血を引くものが皇家を継ぐのだと詔したのは鸕野讚良(持統帝)が珂瑠(文武帝)の即位の正当性を強調する為に振りかざした無茶な論法だったが、永手と真備はこれを逆手に取った。

小墾田の御代(推古朝)にやはり皇太子が不在のまま大王がおかくれになられたが、外戚の王(田村皇子)と女王(寳女王)の婚姻によって皇位を存続させている。

聖武帝の皇女、(さき)の伊勢斎宮、井上内親王(いのえのひめみこ)と背の君、白壁王との間には、(よわい)十二歳になる他戸王(おさべのみこ)が健やかに育っていた。

他戸王ならば、血筋として申し分無い。

白壁王を中継ぎとして帝位に着け、他戸王には直ぐ様親王宣下が出され、皇太子とされた。

皇后とされたのは無論、井上内親王だった。

白壁王は、凡庸であるという評判を隠れ蓑に、皇統が次々と藤原四子の家系に喰い荒らされた時代を巧みに生き延びた男君だ。

まさか帝位に着く日が来るとは思っても見なかったろうが、大納言でもあった事から実務に長けていた。

そつなく政が執られ、阿倍の後継なき崩御の混乱は収拾出来たように見受けられた。

真備は退官を願い出たが聞き入れられず、大臣職のみを執り続けた。

翌宝亀二年の二月廿一日に永手が薨じ、真備は再度退官を願い、容れられて三月に退官した。

これを待っていたかのように、翌年の宝亀三年三月二日、井上内親王は呪の人形(ましわざ)を宮の御井(井戸)に投げ入れて、帝を呪詛で廃し、皇太子を帝位に着けんとしたという密告があり皇后を廃された。

二月(ふたつき)の後には、続いて父帝への不敬を理由に他戸皇太子(おさべのみこ)が皇太子を廃された。

十月には白壁王の姉、難波内親王(光仁帝即位と共に難波女王にも内親王宣下が為された)の薨去が井上と他戸による厭魅であると罪を問われ、母子共にいずれへか幽閉された。

母子が宮中で呪いを掛ける事を避けるため、都を逐われたのだ。

十一月には他戸の姉、酒人内親王が伊勢斎王と卜定され、慌ただしく春日の斎宮御所で潔斎に入った。

「幽閉とはな。一体何処へ?」

「わからぬが大和国の内の何処かのようだ」

井上は弟の安積親王の死で斎宮を降りて平城京へ戻った時、弟を見殺しにしたと首を、安宿を、葛城を、阿倍を(なじ)ったものだ。

驕慢な処があり父を盲愛していた阿倍は、もとより母の異なる井上を好まず(井上、不破の母は安宿媛の母三千代と同氏族の県犬養広刀自)、安積の死は哀れんだが、井上にも不破にもさして親しもうとはしなかった。

誣告に決まっているだろうが、井上はいったい何に巻き込まれたのだ?。

大和国の内ならば居所は容易に突き止められるかも知れない。

「お前が関わった所でどうにもならぬぞ」

思案顔を真備に鋭く指摘され、小角は眉間に皺を寄せた。

不敢暴虎(敢えて暴虎にまみえず)不敢馮河(敢えて黄河を航らず)と言うのだろう。解った解った。ところで諸高は巻き込まれていないだろうな?」

「飯高命婦は一昨年退官して、位やら布やら賜って郷里へ帰った。そのうち様子を見に行ってやる事だ。お前の事を大層案じていたからな」

「そうしよう。それで東宮はどうなったのだ?。」

真備は「つまりは藤葛(ふじかずら)の根が割れておったのよ。」と締めくくった。

「宿奈麻呂と雄田麻呂の推す皇子が他に居たのか。それで井上は陥れられたのか?」

「そう言うことだ」

新東宮に擁立されたのは白壁王の第一子、37歳の山部王で、昨年(宝亀四年、773年)一月二日に立太子の運びとなった。

葛城王の妹を母に持ち、貴族的に立ち振る舞ってきた北家の永手と、長兄広嗣の反乱に南家仲麻呂の専横と煮え湯を呑まされてきた式家の二人は余りに境遇が開きすぎたのだろう。

永手の描いていた皇統の在るべき姿と、式家の二人が求める施政者としての能力ある帝との違いが謀略による東宮交替という形になったのだ。

淡々と語る真備の言葉を聞きながら、小角の脳裏には不比等の顔が浮かんだ。

不比等は四子が手を携えて国家の礎となることを望んだのだったが、今の藤家の有り様を見たら何と言うのだろう。

結局、不比等の意向を最も理解していたのは藤三娘とまで名乗った安宿(あすかべ)(光明子)一人だったと言うことか。

「式家の二人は帝の即位の後に各々名を変えた。宿奈麻呂は良継、雄田麻呂が百川とな」

「また唐風か。だが真備には好ましそうな名ではないか。それで、永手は真に病で薨じたのか?」

真備は小角の挑発には乗らず、苦々しく答えた。

「判らぬ。腹立たしい事だが儂は宮に在っても何の兆候にも気付けなかった。長生の(ついえ)とはこの事だ。情けない事よ」

なんとあの真備が己を老いたと述懐しているのか。

小角の口許に悪戯(わるさ)する童子の様な笑みが浮かんだ。

「退官する時に朱雀門の柱に取り付いて詠じてやれば良かったではないか。太山壊れんか、梁柱催けんか、哲人萎れんか、とな」

とうとう真備は怒りに任せて怒鳴り散らし始めた。

「小角!忘れておるなら言うてやるが、儂が好んで宮に残った訳ではないぞ。弟子が弟子なら師も師だ。道鏡は我君が殯くなった途端腑抜けるわ、お前は宮を飛び出して行方を眩ますわ。儂はあの世で葛城王様と玄昉になんと申し開きをするか冷や汗をかいたのだぞ」

滅多な事では感情を露にしない小柄な真備の身体が、以前は怒りだすと二回りは大きく見えたものだ。

中々本音を見せない真備を怒らせようと、よく阿倍と二人でからかったり茶化したりした。

阿倍がまだ皇太子で、真備は東宮学士で、宮子も氷高も葛城王も、玄昉も宮に居た。

狼児は東大寺で良弁に師事していた。

今、怒っている真備はもう大きくは見えなかった。

大海を二度渡って生きて還り、70歳で矍鑠として恵美押勝の乱に兵を率いた男君の肩が小刻みに震えていた。

「我君が醜聞の中で亡くなって、お前まで逝かせる事になったらと」

阿倍の死はこれ程に関わった者に大きな傷を遺したのだ。

真備は小角の両肩を鷲掴みにして、俯いて絞り出すような声で「心配させおって」と呟いた。

小角はその肩に額を預けた。

「阿倍は幸せに逝ったぞ。私の事など案じてあたら長くもない寿命をすり減らすな。阿倍も道鏡も、お目付け役が来るのは遅い方が良いに決まっている。盛大長生きしてくれ。もう私には(ゆかり)有る者は真備しか居ないのだから」


真備から暫く逗留していけと薦められ、用意された華美では無いが佳く整えられた部屋で、小角は昼間の話を思い出しながら山部王とは、どんな男君であっただろうと頚を捻った。

自分の記憶に無いという事は少なくとも参議では無かったのだろう。

翌日、用意されたのは小舎人童(ことねりわらわ)の装束一式で、小角は相変わらず真備は気が利くと思った。

この姿でなら権官の邸に在って何の不自然さも無い。

真備が家人がお前の馬を大層誉めていたので見せてくれと言い、朝から連れだって厩へ行った。

「良い馬だ。見事と言うしか無いな。唐の馬は見た目がほそやかで美しいが、儂は陸奥駒の逞しさをこそ美だと思う。皆が求めたがる訳だ」

真備はしきりに感心していた。

「新東宮はどんな男君だ?。私は山部王という名に少しも心当たりがない」

「そうかな。侍従だった事もあったぞ。儂は山部王が文章生だった頃を覚えているが、気概ある弁の立つ若者だった」

山部王は母の身分の低さもあってか官僚として身を立てようと学問に熱心だった。

大学寮の頭や侍従を勤めていた頃に、弁官だった百川がその才気を認めて良継に引き合わせたものか、永手の死後に良継の娘乙牟漏が妃として容れられた。

「家持にどこか似て、そう、より合理的で少々理に勝ちすぎる嫌いがあったが。おお、そうだ大安寺の早良禅師の兄だと言えばわかるかな。早良禅師も法親王とされて今は東大寺で良弁僧正の傍近くに住まわれているぞ」

言われて小角は思い出した。

鑑真和上が入寂して、阿倍が狼児を伴って唐招提寺へ行幸した日。

弟子の造った和上の彫像を見たあの日に、良弁と行表と共に居た、気品ある年若い禅師。

雄田麻呂と共に阿倍に供奉していた精悍な若い弁官。

二人の面差しが良く似ていて、阿倍が何か話し掛けていた。

阿倍は白壁王の子だと知っていたのだろうか。

その場の皆が口々に彫像の姿の有り難さを誉める中で何を思っていたのか、一人面映ゆそうな顔をしていた。

どうも真備は式家の二人と同じ様にその新東宮を買っているように思えた。

「そうだ、知っていたら教えてくれ。阿倍が薨じた年に道嶋嶋足が陸奥国を視察しただろう。その後どんな報告をしたか聞いているか?」

真備は暫く考えていたが「覚えがないな」と答えた。

小角は肩を落としたが、真備が続けて「その経緯(いきさつ)を朝堂がどう考えているかは明らかだがな」と言うのを聞いて顔を挙げた。

「どういうことだ?」

「今、文章司では新たな国記を編纂している。淡海公(不比等)が原案を出され、準備されてきた物が形を成しつつあるのだ」

新たな国記?。

小角は眼を見張った。

太安万侶に編纂させて安閉(元明)に献じた古事記と、舎人皇子に編纂させて氷高(元正)に献じた日本紀の続きということか。

不比等はそんな先の事を考えていたのか。

促されて真備が書庫としている部屋へ向かった。

「退官する間際、その草案について意見を求められたのでな。ここに写しがある。新益宮(あらましのみや)の御代(文武帝)以降が記される予定で、今纏められているのは我君の御代の終焉だ」

手に取った冊子を繰り、見てみろと真備はその項を指し示した。

紙に記され、冊子の体を成しているということは、草案の段階を経て、既に四等官以上の承認を得ているのだろう。

「そこにその経緯はこう記される。宝亀元年 八月十日己亥。蝦夷宇漢迷公宇屈波宇等。忽率徒族。逃還賊地。差使喚之。不肯來歸。言曰。率一二同族。必侵城柵。於是。差正四位上近衛中將、相摸守勳二等道嶋宿祢嶋足等。問虚實。」

言うに曰、一、二の同族を率いて必ず城柵を侵さむ。だと?。

小角の頭に血が昇った。

「違う、これは讒言(ざんげん)だ。宇屈波宇(ウクハウ)はそんな事を言ったのでは無いと聞いている」

真備は小角の眼から視線を外さず静かに言った。

「だが朝廷にはこう伝わったのだ。そしてこの通りに書き記されて後世に伝わるのだ」

小角は唇を固く引き結んだ。

私が阿弖流為に言った言上の歪みは朝議での決議についてだった。

だがこうして国記として後世に残る事までは考えていなかった。

珂瑠(かる)の治世から書かれると言ったな」

小角の手は、渡された別の冊子の文武治世三年の項を探して忙しなく頁を繰った。

五月廿四日の項を読む小角の手が微かに震え出した。

五月廿四日丁丑。役君小角流于伊豆嶋。

初小角住於葛木山。以咒術稱。

外從五位下韓國連廣足師焉。

後害其能。讒以妖惑。故配遠處。

世相傳云。小角能役使鬼神。汲水採薪。若不用命。即以咒縛之。

「咒術を以て(ほまれ)とす。後に其能が害となる。妖(言)(およづれごと)を以て(人を)惑はすと(そし)られる。故に遠處に配す」

(初めは咒術を使い崇められていた。後に其の能力が害となった。妖言で人を惑わすと讒言された。故に遠流の刑とした。)

真備は小角が読んでいる姿を静かに見守っていた。

「妖以人惑とあった物を讒以妖惑とさせたのは葛城王様だそうだ」

小角は冊子を閉じた。

閉じた時、はたりと微かな音がした。

「良くわかった。こうして歴史は創られて行くのだな。だが、後世に残るのは国記だけでは無い。民の間で人の口から口へ伝えられたり、歌や慣わしとして残っていく物も在るだろう」

「そうだ。家持もそれをこそ考えていた。今もその事を考えていることであろう。家持は葛城王様が薨じられて、自らは詠わぬ歌人となってしまったがな」

そうか、家持は葛城王と共に歌集を編んでいたのだった。

「新東宮は此の国記を国家の事業として行わせるつもりだろう」

振り向いた小角の手から真備は冊子を受け取った。

「文章生だった頃からこの事業に携わってきたようだが、いずれ成し遂げるだろう。あの男君は近頃の王族には珍しく、物事を成し遂げる気概を持つ方だ。それもこれも、国政への多くの干渉からの脱却を志す故かも知れない。氏族からも、信仰からもな」

氏族からも信仰からも?。

不比等も同じような事を言っていた。

真備がそう言うからには何か根拠があるのだろう。

或いはその新東宮自らこの国記について、真備に助言を求めたのか。

だが。

藤蔓(ふじかずら)は強靭だ。そう簡単には絶えまい。現に新東宮は式家の力で立てられたのだろう?」

「そうだ。しかし式家もやがてはあの男君の(したた)かさを思い知るかもしれない。今残る藤家の顔ぶれと年齢と官位を考えてみろ」

小角の目が見開かれた。

そうか、南家は豊成の子継縄が漸く参議。

北家は永手の子達はまだ年若く、魚名は凡庸だ。

式家も良継はともかく百川も種継も参議になったばかり。

京家も政の場では浜成一人が辛うじて名を連ねている有り様だ。

「新東宮は母が渡来系氏族の為か、身近に仕える者には秦氏や東漢氏の出身者などが多く登用されている。今気づいているものは少ないだろうが、やがて朝堂は驚くような顔ぶれになっているかも知れぬぞ」

小角は暫く考え込んだ。

「だがそれも妃に藤家の姫が入らなければの話だろう。井上と他戸が廃されたのも、血筋からも過去の出来事からも藤家が付け入る所を持たない故に」

小角は突然言葉を切って真備の顔を見た。

「まさか酒人の斎宮卜定は、井上からでは無く、その新東宮から引き離す為なのか?」

「おそらく、そうだろう。そして後にも酒人様を皇后とさせない為の式家の布石だろう。或いは酒人様の保身を条件に、新東宮を説き伏せて良継の娘を娶らせたか」

其ほど迄に式家の二人はその男君を帝位に着けたいのか。

小角は言葉を失った。

發言(はつげん)(てい)()つるも(たれ)()えて()(とが)()らん。

発言は議場に満ちるが、誰がその責任を取るというのか。

詩経 小旻

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