ボク、男なんですけど
ゴォォォ サァァ シャァァ
なんだ? うるさいなぁ。
くぐもっているけど、水が流れるみたいな音がそこらじゅうから聞こえる。ときどきコポコポという音も。
周りには、半透明なものが突き出た緑色の壁が続いていて、水が流れるみたいな音は、この中から聞こえてくる。壁からは、ゆらゆら揺れる黄緑色の屋根がいくつも突き出ていて、ずっと上の方は太陽が透けて見える。屋根にはパイプのようなものが複雑に通っていて、ここからも、さっきより少し小さく水が流れる音がする。並んだ換気口からは、ブォォヒューンと空気が出入りする音しているけど、水の音より静かだ。それにしても、屋根の根本が細くてバランスが悪い。時折ぐわんぐわんと大きく揺れるので、落ちてこないかハラハラする。
なんだろうこの壁?
ぐるっと一周してみたけど入口もない。緑色をしていなければ、樹齢1,000年にもなる大木みたいだ。他にも同じような壁があちこちにたくさんある。近所にこんなところあったっけ?壁にに触ろうとして動きを止めた。
「へ?」
壁を触っているのは茶色くてカギのような物がついた硬質な何かだった。
「え?え?」
手を動かすと、なぜか硬質の何かが動く。硬質の何かはボクから伸びていた。
「うわぁ!?な、なにこれ!?」
ボクの手が、手じゃなくなっている。頭を捻ってみると、茶色いマスクメロンとツヤツヤした団子が繋がったような身体に腕?足?いや脚?が6本ついている。ツヤツヤ団子はまん丸でちょっと可愛いけど、よく見ると先っちょが少し尖っていて、腰は取れちゃいそうなくらい、すごいくびれだ。(なぜかちょっとドキドキした。)
・・・なにこれ?
なにこれなにこれ?この見た目って虫だよね?え?虫?ボク虫になっちゃったの?
思考が追いつかない。
虫?ムシ?むし?
ショックで頭が真っ白になった。が、はたと気づく。
そうか。ボクは夢を見てるんだ。
そう思うと安心した。
なーんだ。びっくりして損した。どうせ夢なんだし、せっかくだから楽しんじゃおう。
・・どこかから舌打ちが聞こえた気がした。
ボクが虫ってことは、この緑の壁は植物の茎で、屋根は葉っぱだ。なんだかすっかり腑に落ちた。大木だと思ったのは、当たらずとも遠からずってとこだな。
さっきから聞こえる水の音は、茎や葉を流れる水分で、コポコポというのは、きっと酸素を作ってる音だ。だって今は太陽が出てるから光合成してるはずだし、換気口だと思ってたのは気孔だったんだなぁ。たぶん。
ところで、ボクは何の虫になったんだろう。この形だとカブトムシやセミじゃないはず。羽はあるのか?あったら飛べるかな?
右に左に硬い身体を捻っても羽は見えない。
試しに飛んでみようかな。いやいやダメだダメだ。落ちたりぶつかったらケガするし、下手したら死んじゃうじゃん!・・いや待てよ?夢だから何でもできるんじゃない?
虫には詳しくないけど、虫が落ちただけで死ぬなんて聞いたことないし、いけそうな気がする。
「よし!飛ぶぞー!!」
うーん、と力を入れてみた。ぴくりとも動かない。
念じればいいのか?
んむむ、と念じてみた。まったく飛び上がらない。
ということは、羽がない虫なんだろうな。
でも待てよ。もしかして高いところから滑空して飛ぶタイプの虫なのかな?でもそんな虫いたっけ?
しばらく考えたけど、面倒臭くなってやめた。
虫なんだから、この超高層ビルみたいな草?にも簡単に登れるはずだ。飛べるかどうかわからないし、とりあえず登ってみよーっと。
いつもなら運動オンチのボクが何かに登るなんて恐ろしいことはしないけど、今は夢だし虫だし、何でもできちゃう気がする。
「よ・・っと。」
すっげ〜。何も考えなくても、ひょいひょい登っていける。あっという間に、結構上の方まで登ることができた。途中、葉っぱに乗ってみたけど、上の方の葉っぱはかなりユラユラ揺れたから、落ちても平気だとは思ったけど、なんとなく歩き回るのはやめておいた。
上まで行けば景色を楽しめるのかと思ってたけど、周りも茎と葉っぱばっかりだ。つまり緑の壁と屋根ばっかり。思ってたのと違う。
「あーあ。つまんないから降りようかな。」
振り向くと、どこからか良い匂いがする。食欲をそそる、美味しそうな匂い。なんだか無性に食べたくなる。虫に鼻ってあったっけ?と思ったけど、触角で匂いを感じることができるんだな。
あぁ・・ヨダレが・・
虫もヨダレを垂らすのかはわからないけど、体感的にはダラダラヨダレが垂れてくる。
キョロキョロしながら歩き回ってみると、何本か先の茎にキラキラ光る物を見つけた。
あそこだと確信して、急いで地面に降りる。慌てすぎて途中から地面に落ちたけど、ポテッと尻餅をついたものの、全くの無傷だった。虫ってスゲ〜!
お目当ての茎はこの辺だ。上を向いてクンクンすると、やはり魅惑の食べ物の匂いがする。
「待ってて!ボクの魅惑ちゃん!」
脚が絡まりそうになるのもおかまいなしに、ひたすら匂いを目指して登っていく。
はぁ〜 コレよ、コレ!
どんどん強くなる匂いにヨダレもマックスになる。
キラキラがはっきりと見えてきた。
・・あれ?あれ何?なんか緑色の虫がワラワラいる。え?え?でも良い匂いがするけど?
そうか!きっと緑の虫も、魅惑の食べ物を食べにきてるんだな。そうに違いない。
襲われたらどうしよう、という心配が一瞬頭をよぎったけど、魅惑の匂いの誘惑には抗えない。ボクの方が大きいし、いざとなったら飛び降りればいいや!
垂れるヨダレをそのままに、緑の虫の群れに近寄ったとき、1匹がプルッと震えたかと思うと、水みたいな物をお尻からチュウっと出した。途端に魅惑の匂いが強くなる。
「えーっ!?コレが魅惑ちゃんの正体??」
衝撃とともに一気にヨダレが引っ込んだ。いくら美味しそうな匂いがしても、お尻から出てるってことは・・。
期待が大きかっただけに、ダメージも大きい。
緑の虫から出てきた魅惑ちゃんだったモノは、緑の虫のお尻にくっついたまま、キラキラと眩く輝いている。
ああ・・でも良い匂い。たまらない。ああ・・
ハッ!?
気づいたらかぶりついていた。
「・・っ!?あまーい!!」
めちゃくちゃ甘くて美味しい!まさに甘露。魅惑の味。なんでお尻からこんな甘いもの出してるの?
いや、考えるのはやめよう。
ボクは恍惚として、虫のお尻から出る汁をひたすら飲んだ。
「あら、あなたも飲むのね。アリアリ」
緑の虫の向こうにアリがいた。茶色いマスクメロンがあるな〜くらいには思ってたけど、魅惑ちゃんを飲むのに夢中でまったく気にしていなかった。ボクは虫だから、アリが話しかけてくるんだろう。顔が怖い。一応「どーも」と言って顔を逸らせた。アリってこんな顔だったのか。怖すぎる。
「こんなに美味しいのに、飲まないアリもいるのよ。不思議なんだけど、これを飲むと誰にも取られたくなくなって、他のアリを攻撃しちゃうこともあるのよね。あなたが飲んだのは私の蜜だから、ぶっ飛ばしちゃおうかと思ったんだけど、家族だから我慢するわ。アリアリ」
怖い顔から「攻撃」とか「ぶっ飛ばす」というパワーワードを出すのはやめてほしい。ビビビビ、ビビっちゃう。
・・あれ?ちょっと待てよ。今家族って言った?
・・ボクってアリなの?
頭がぐるぐるしてきた。
自分も同じ顔をしてるんだろうか。こんなに怖い顔?自分では見えないからよくわからない。でもそういえば、ボクのオナカ?も茶色いマスクメロンだ。認めたくないけどアリなのかも。
話しかけるのも怖いけど、このアリに聞いてみることにした。
「あの・・家族って・・」
「私たち同じ巣に住んでるでしょ。何言ってるのよ。」
がーーーん
やっぱアリかぁ。なんかちょっとガッカリした。カブトムシじゃないにしても、もっとかっこいい虫が良かった。
・・けど、まあいいや。どうせ夢だし。それに、この感じなら襲われることはないだろう。
それにしても、時々アリアリ言うのが気になるな。ボクもアリアリ言うようになるのかな。なったらヤダな。
「飲まないヤツいるんだ。ボクはこの匂いを嗅いだら我慢できないけどな。」
お尻から出てるけど、とアリから目を逸らしたまま笑った。
アリは少し黙ってから見た目に反した優しい声で、
「なんで笑うの?お尻から出てても全然おかしくないでしょ。それより、あなたはメスなんだから、小さい子の前で自分のことをボクなんて言ったらダメよ。みんな真似しちゃうわ。アリアリ」
と言った。
はて? ボクは男ですけど?
思わず顔を見てしまい、慌てて目を伏せた。超怖い。
「ボク、オスですよ?」
表情はわからないが(そもそも怖くて見ていないけど)、アリはキョトンとした(気がする)。
「何言ってるの。私たちはメスしかいないでしょ。」
冗談がすぎるわ、と彼女は笑った。
そうか。女王アリも働きアリも、全部メスだっけ。ボクは羽もないし、働きアリの立ち位置だからメスなんだ。ここはメスってことにしておいた方が得策だな。オスだって知られたら危険な気がする。
「そうだったわ。メスだったわ。ホホホ」
とりあえずトボケテみた。
アリ姐さんに、もう蜜は飲まないのか訊かれた。魅惑ちゃんは蜜というらしい。ぐるり見渡してみたが、もうどこにも蜜はないのでそう言うと、叩かないと出てこないと言われた。
「こうやるのよ。」
ニコリと笑った(気がした)かと思うと、触角で緑の虫をバコバコ殴り始めた。
ヒェェェー!?
緑の虫は小声でイテッ、イテッと言いながらチュウっと蜜を出した。
ほらね、とアリは蜜を飲みながら、やってみろと言ってきた。
できるわけないじゃん!!
一気に青ざめた。(青くならないけど)
やっぱりアリ、いやアリ姐さんと呼ばせて頂こう。アリ姐さんに逆らっちゃダメだ。絶対、ぜっったい逆らわないとココロに誓った。
「もういらないの?飲みたいって言ってたのに。」
アリ姐さんは、緑の虫をボコって出させた蜜を飲み切ると、そろそろ巣に帰ろうと言った。
ボクは無言でコクコクと頷いた。逆らっちゃダメ。
「子ども達が待ってるから、持って帰りましょ。もちろん仲間も待ってるし。アリアリ」
あなたが持ってって、そう言うと、今度は別の虫を殴り始めた。
ヒェェェー!!
魅惑の匂いはすっかり魅惑じゃなくなった。




