<1・スター>
夜空にきらり、と一筋の光が消えて流れていく。流れ星だ、と僕は慌てて窓に縋りついた。今からお願いしても間に合うだろうか、と急いで手を握ってお祈りポーズを作る。
「おいおい裕太、今からお祈りしてももう遅いって」
お小遣いアップ、お小遣いアップ、ついでにクリスマスプレゼントは電車の模型がいいです!と。やや欲張りなお祈りをしていた僕の後ろから声がかかる。今年で中学を卒業することになる、兄の裕介だ。
「流れ星は、光ってる間にお願いしないとダメなんだよ。知らなかったのか?」
「え、まっじでー!?」
「そう、マジで。だから実は超難易度高いの」
「えー……」
流れ星が消えてからでも、お願い事は有効だと思っていた。僕はしょんぼりと兄を振り返る。するとがっかりした僕に気づいてか、兄はぽんぽんと僕の頭を撫でながら言ったのだった。
「難しいからこそ、できたら“お願いが叶う”って言われてんだよな。まあ、いいじゃん。どーせ裕太の願いなんか、お小遣いアップと今年のクリスマスプレゼントがどーたらってことくらいだろ?あ、ちなみに我が家に来るサンタは貧乏だから、高い電車の模型とかは無理だと思うぞ。お前絶対、部屋で走らせられるようなでかいやつを、レールのセットと一緒に頼もうとしてただろ」
何でしれっとバレてるんだろう、と僕は不貞腐れたくなる。既に有名な進学校に推薦で合格している兄は、頭も良ければ察しもいい。小学六年生の僕にとっては、まさに自慢の兄と言っても良かった。ついでにイケメンなのが実に羨ましい。兄は父さんにそっくりなのだ。僕は母さん似なので、一歩間違えると――いや間違えなくても女の子にばかり勘違いされるのが辛いのである。
確かにまだ小学生の僕は身体も小さいし、声変わりだって来てはいないけれど。服装は誰がどう見ても男の子のそれだと思うのに、なんとも解せないというものだ。何故毎日サッカークラブで練習して鍛えているのに、ちっとも背も伸びないし筋肉もつかないのだろう。兄の裕介もけしてがっしりした体格ではないが、それでも上背があるし誰がどう見ても男の身体だ。僕も大きくなったら、これくらいしっかりした身体を手に入れることもできるのだろうか。
「そんなにがっかりするなんて、裕太。お小遣いとお年玉貯めれば、サンタさんに頼まなくてもいつか好きなもの買えるようになるって」
僕のしょんぼりっぷりが意外だったのか、兄は少し慌てたように僕の頭をわしゃわしゃとする。
「それに、最近は流れ星もめっちゃ増えただろ!新しく発見された彗星だって発表されてたじゃねえか。またお願い事できる機会もあるって。今度は消える前に気づけるといいな、うん!」
「ぶー。……そういえば学校でやってた。百年くらい前から、流れ星が見えることがすっごい増えたんだっけ?地球にちっちゃな隕石が落ちた日から一気に増えたから、“隕石が流れ星を連れてきたみたいだ”とかロマンチックなこと言ってる人がいるらしいけど」
「そうだな。いやはや、ちっちゃな隕石で良かったよなあ。大きな隕石だったら地球が滅んでたもんな裕太!」
「兄ちゃん、それ全く笑い事じゃないからね!?」
あっはは、と豪快に笑う兄。僕だって、隕石が原因で恐竜が滅んだという話くらいは知っているのだ。本当に降ってきた隕石の規模と場所によっては、笑えもしない被害が出たことだろう。たまたまアメリカの、誰も住んでないような場所に、一つだけ隕石が落ちてきたからいいようなものの。
当時は相当話題になり、一時期のメディアの話題を独占していたらしい。インターネットが普及して既に数百年が経過しているご時世、百年前のニュースもネットで検索すれば簡単に見ることができる。当時の人の中には、宇宙船が墜落したのでは!?それをNASAがこっそり隠しているのでは!?なんて騒いだ人も少なくなかったようだ。それはそれ、ちょっと面白そうだと僕も思う。地球の外に住んでいる異星人なんてものがいるとしたら、一体どんな姿をしているのだろう。表向きの発表は、ただの鉱石が落ちてきただけだと言われているらしいが。
「兄ちゃんは、お願いしたいことあんの?もう高校は合格したから、受験生としてとっても暇してらっしゃるわけでございますがー?」
僕がふざけた口調で言うと、うーん、とキラキラの星空を見上げながら兄は告げた。
「来週のポッド研修がナシになればいいなと思う。めんどい」
「えー、そんな小さなことに使うの?もったいな!」
「うっさいな裕太、俺は面倒で仕方ないんだ!一日がかりだぞ、その一日あったらどんだけ有意義に過ごせると思ってるんだ!ゲームし放題動画見放題じゃねーか!」
「おおう、素直でよろしい」
身振り手振りで力説する兄。ポッド研修、というのは。数十年ほど前に始まった、義務教育の最後に行われる特別な授業のことである。
日本どころか、世界中で行われている画期的な研修。世界が共同開発したポッドに入って、バーチャル世界で一般的なマナーや社会ルールを学習するというものである。日本は中学を卒業してすぐ働く人間はそう多くはないが、それでも義務教育がそこまでである以上中卒で仕事をする者もいないわけではない。社会出て仕事をするようになる前に、法律や社会的な常識をきちんと学んでもらおうということで始まった政策であるのだという。
普通の授業と違う最大の点は、一人ずつポッドに入って睡眠状態に入り、バーチャル空間で講義を受けるということによる効率性。普通に講義を聴かせるより、遥かに情報を脳に浸透させ、理解させやすくなる点であるのだそうだ。
洗脳教育のようで気持ち悪い、と言っている者もいるが。実際問題、このポッド研修を導入するようになってから、日本も含めた全世界で犯罪者の数が激減。それにともなって取締などの費用が減り、浮いたお金をどんどん貧困層の支援に当てることができるようになって経済的にも非常に良いループが出来上がっているらしい。ポッド研修は一日で終わる。中学を卒業する年に、みんな忘れずに受けましょうね!と口がすっぱくなるほど先生には言われていた。
「胡散臭いと思うんだよなあ。中学卒業の年に、全員がポッド研修を受けなくちゃいけない法律とか。洗脳教育っぽくて気味が悪いって、俺もそう思うよ。犯罪抑止になる、治安がよくなるってのは良いことだけどさ」
俺はそんなの受けなくても犯罪なんかしねーもん、と兄は小さな子供のように唇を尖らせた。それはそうだろうな、と僕も思う。進学校に行けるだけの頭があるからというだけではない。兄は昔から非常に正義感が強い人だ。高校は普通科に入ることにしているが、将来は教師か警察官で本気で悩んでいるというのだから凄い話である。兄の頭と運動神経があれば、どっちに行っても問題なくやれそうだ。
僕としては、学校の先生も悪くないけれど、やっぱり警察官になって欲しいという気持ちがある。お巡りさんとしてびしっと街を守るなんて、ヒーローみたいで非常にかっこいいではないか。
だからこそ、少し意外ではあるのだ。兄が、面倒くさい、だけの理由でポッド研修を訝しんでいるわけではないことを知っているから。
「兄ちゃん、犯罪者は減った方がいいって言ってたのに。それでもポッド研修はあんまりよくないって思うわけ?」
僕がそう尋ねると、うーん、と彼は少し悩んで返してくる。
「いや、犯罪はない方がいいと思うけどさ。犯罪って、起きるべくして起きるみたいなところがあるというか?例えば、パンを万引きしちゃう子供がいるとするだろ。その理由が、親が子供を家にほったらかしにして遊びに行っちゃってるからだとするする。それだと、子供にいくら“万引きはだめ”って教育しても意味ないじゃないか。だって、万引きでもしないと飯が食えなくて死ぬんだから。解決するべきは子供の万引き以前の問題で、子供をほったらかしにする親の方だろ?」
「まあ、それはそうだよね」
「犯罪も戦争も同じだ。それそのものがいけない、って叫ぶだけじゃ解決しない。その原因を叩かないと意味がないんだ。犯罪や戦争がダメだというのなら、“犯罪や戦争をしないと生きていけない”状況そのものを回避する努力をしないといけない。そうじゃなきゃ、逃げ道を奪われた弱い人からバタバタ死んでいくだけだ。……この国は犯罪者の数こそ減ったけど、人口は全然増えていかないだろ?あれは、産まれた分どんどん弱い人が死んでるってことだと俺は思うんだよなあ……」
やっぱり、兄はすごい。僕は目をぱちくりさせた。犯罪はダメです、法律を守りましょう!そうみんなに教え込めば、それだけで犯罪は減らせる。そんな短絡的な考えではなく、もっと広い考えで世界を見ている視点が流石だと思う。
そう考えると、僕がちょっとだけ軽んじていた“教師”という選択を兄がするのも、悪くないことであるのかもしれなかった。犯罪者を取り締まるより、犯罪者にならないようにみんなの相談に乗って、犯罪の芽を摘むことができるのが教師という仕事なのかもしれない。子供の家庭に異変があれば、一番最初に気づくことができるかもしれない仕事でもある。
「……すごいな兄ちゃんは」
僕は窓際に寄りかかって呟く。大気汚染が少しずつ改善傾向にあるためか、今はこの国の都会でも星はよく見える。残念ながら僕が見ている今、再び空気を読んで流れ星が流れてくれる気配はなかったが。
「僕も兄ちゃんみたいになりたい。誰かを助けるヒーローになりたい」
子供じみた夢だ、と自分でも思う。僕ももう十二歳だ、幼い頃に見ていた戦隊ヒーローの主役に自分がなれるだなんて流石に思っていない。
それでも、ヒーローに近い仕事が現実に存在していることは知っている。
むしろ、人を助けることのできる仕事をしている人達は、みんなヒーローなのかもしれない。火事を対処してくれる消防士、天災が起きた時真っ先に動いてくれる自衛隊、警察や教師も誰かを助けることのできる素晴らしい仕事だ。このまま身体があまり大きくならなかったら、力を使う仕事は難しいのかもしれないけれど。それでも思うのである。
自分も男だ。誰かを守るような仕事ができる、そんな大人になりたいと。
「買いかぶりすぎだって、裕太」
相変わらず兄は、からからと笑っている。
「それに、誰かを助けられる仕事っていうのには、縁の下の力持ちも含まれるんだぞ。俺達が毎日食べる御飯を売ってくれるスーパーの人、美味しいものを提供してくれるレストランの人、トラブルで困った時に対応してくれる事務のお姉さんもみんなみんなヒーローだと俺は思う。だから、心配することなんかない。裕太が就こうとしている真っ当な仕事は、みんな誰かのヒーローになれるものなんだからな」
「……そういう考え方ができる、兄ちゃんが好き」
「可愛いこと言ってくれるじゃねーか。俺も裕太が好きだぞー」
裕介は僕を褒める時、額の中心を人差し指でぐりぐりする。兄の独特の癖だった。それをしてもらえると、僕はなんだか嬉しくて、当たり前のように笑顔になれるのである。
少し不思議な法律のある、とても平和な世界。
この時僕は自分の住むこの国を、そういうものであると信じてやまなかったのだ。