8 陰謀詭計
(いんぼうきけい=誰かを欺く悪だくみ)
泣き疲れ放心したバネッサを労わり寄り添っているロベルトを、同じように泣きつかれたマーガレットを抱きながらジェラルドは見つめ続けた。
(せめて僕が父親だという証だけでも残してやれないだろうか)
齢11にして、己の人生を諦観した息子。
長く険しい修行の道を選ぶまでに、どれほど悩み苦しんだことだろう。
自分の無力さと保身に走った醜さを、全身で受け止めながらジェラルドは思った。
「ロベルト、決心した君に贈るとしたら何が良いのだろうか」
「お父様にいただいたものは、もうすでにたくさんあります。こうやって時間を作って会って下さることもそうですし、なによりこんなに可愛い妹も与えて下さった。感謝しかありません。本当にたくさんの楽しい思い出を作っていただきました。これ以上は必要ないです」
すでに聖人の域に達したようなロベルトに、返す言葉を持たないジェラルド。
そんなジェラルドにしがみつきながら、マーガレットが言った。
「お兄様と一緒の思い出をもっとたくさん作りましょう? そうすればお兄様も寂しく無いでしょう? おば様も元気が出るでしょう?」
「ああ、そうだね。ロベルトが神学校に行く前にたくさん思い出を作ろうね」
「お兄様と1日中ずっと一緒に過ごせないかしら。朝ごはんも一緒に食べたいわ。夜はお揃いの衣裳でレストランに行くのはどう? ずっと手を繋いでお話ししながら過ごすの。でも……でも……いやだ……いやよ! やっぱり嫌! お兄様に会えなくなるなんて! やっとお兄様ができたのに!」
マーガレットが再び声を上げて泣き出した。
バネッサはずっと黙ってテーブルに突っ伏している。
「一日中かぁ……それはさすがに……。ああ、そうだ。旅行に行こう。一泊だけになるけど近くなら行けるよ。場所は……何て言ったかな」
つい先日出会ったリリアの友人から聞いた温泉地の名前を、必死で思い出す。
「アネックスだ! アネックスのルモントンホテル!」
リリアの旅行中ならマーガレットと二人だけで一泊旅行に行ったとしても怪しまれないと思ったジェラルドは、すぐに動いた。
バネッサはまだロベルトが選んだ道に納得はしていない。
しかし、この機を逃したらロベルトとマーガレットを一緒に連れて行くことは不可能だ。
バネッサを説得し仕事の都合をつけたジェラルドは、ルモントンホテルに予約を入れた。
「部屋は階を変えて二つ頼む。両方とも子供連れで二名ずつだ。レストランの予約も頼むよ。子供向けのメニューを中心にして欲しい。記念日だから豪華なものを用意してくれ」
ジェラルドはテキパキと計画を進めた。
バネッサは、戸惑いながらもロベルトとマーガレットの衣裳を準備した。
ジェラルドもロベルトもマーガレットも金髪碧眼だ。
自分だけ黒目黒髪だと悪目立ちしそうだと思ったバネッサは、二人の衣裳を黒にした。
ジェラルドはすっかり浮かれていた。
一生背負うつもりだった重大な秘密から解放されるという思いもあったし、我が息子の優しさに全霊で応えたいという気持ちもあったのだろう。
使用人たちには『リリアには絶対内緒の父娘旅行』と、小金を握らせて緘口令を敷いた。
後は予定通りリリアを送り出すだけだ。
そしてリリアが同窓旅行に行く日がやってきた。
「では行ってくるわね。お土産をたくさん買ってくるからね」
「はい、お母様。お気をつけて」
去年までは行くなと泣いて縋ったマーガレットが聞き分けの良い返事をする。
「まあ! マーガレットはお姉さんになったのね。いい子だわ」
リリアはマーガレットの頬にキスをした。
「じゃあジェラルド、マーガレットをよろしくね」
「大丈夫だ。一週間会えないのは寂しいけれど、楽しんでおいで。リリア、愛しているよ」
「私も愛してるわ。優しい旦那様」
リリアを乗せた馬車が王宮に向かって走り出した。
まだ、明け始めたばかりの空に薄紫の雲が浮かんでいる。
リリアはこの後、友人二人と合流し、皇太子妃の馬車で離宮に向かう予定と聞いている。
そして二日後には離宮に入り、仲良し三人組の同窓会が始まるはずだ。
リリアの馬車を見送ったマーガレットを抱き上げ、ジェラルドは言った。
「明後日の朝には出発だよ」
そして思い出作りの偽家族旅行の日になった。
「では、後はよろしく頼むよ」
家令とメイド長が見送りに出ている。
「お任せください。奥様には漏らしませんから」
「ああ、本当に頼むよ。長い間リリアを旅行に連れて行っていないからね。マーガレットと二人だけで行ったと知ったら怒ってしまう。明日の夜には帰る」
「ご安心を。緊急連絡は如何いたしましょう?」
「たった一泊だ。マーガレットのご機嫌次第の気ままな旅行だから。帰ってから対処する」
「畏まりました」
マーガレットが馬車で眠ると狭いからという言い訳で、馬車も馭者も商会に準備させたものを使う。
「これで完璧だ」
ジェラルドは絶対の自信を持っていた。