27 拈華微笑
(ねんげみしょう=言葉に頼らず、心から心に思いを伝える)
ジェラルドが子供たちを連れて公爵邸を訪れた日から一年が経った。
リリアは全快し、毎日機嫌よく公爵邸で暮らしている。
ダニエル夫婦は王宮にほど近い別邸で暮らし、休暇の度に親子三人で顔を見せにやってくる。
穏やかで平和な日々。
そして今日も母娘のティータイムが始まった。
「ねえ、リリア。パーシモン侯爵から連絡はきたの?」
「ええ、来ましたわ。まだ戻れそうにないんですって」
「あら、意外ねぇ。あの子の性格なら途中でも放り投げて戻ってくると思っていたのに」
「そうなのですか? 私はよく分からないのですが、そういうタイプの方ですの?」
「ほほほ、以前はね。ほらダニエルの友人だったでしょう? よく話を聞いていたから、そんな印象を持ったのね。想像よ、ただの想像」
「まあ、お母様ったら。でももし本当にそうだったのだとしたら、少しお変わりになったのかも知れないわ。今諦めるわけにはいかないんだって書かれていたもの」
「そうなの? 目途が立たないのかしら」
「何でも当初の目的はなんとかなりそうなのですって。でも次々に問題が出てくるみたい。きっと、まだまだお帰りにはなれないのではないかしら」
「じゃああなたどうするの? 待たずに他の方を探す?」
「正直に言うと、他の方というより結婚自体に乗り気ではないの。でも、いつまでもここにいるわけにはいかないし……」
「いつまでもいていいのよ? ダニエル達はちゃんと家を持っているのだし、きっと姑と同居するより良いって思っているはずよ」
「ふふふ、そうね。姑どころか小姑までいるし?」
「パーシモン侯爵は待ってほしいって言ってきたの?」
「はっきりとは書かれていなかったけれど、そんなニュアンスだったわね」
「あら、教えてくれないの?」
「ふふふ」
「まあ! ふふふ。彼とのことはあなたの意志を尊重するわ」
「ええ、ありがとう。お母様。そう言えばパーシモン家の子供たちが来るってお兄様が仰ってたわね?」
「そうよ、学園の長期休暇が始まったらって聞いているわ」
「いつからなのかしら、ちょっと準備したいものがあるから……」
「今度は何を?」
「いつもハンカチばかりでは芸が無いでしょう?と言っても私には刺繡以外にできることも無いから、本を贈ろうと思っているの」
「素敵じゃない。どうせならブックカバーを作ってはどう? お得意の刺繡で飾ると素敵だと思うわよ?」
「さすがだわ、お母様。そうするわね」
メイドが入れ替えた紅茶に手を伸ばしながら、リリアは楽しそうに微笑んだ。
そんな娘の笑顔を見ながら、公爵夫人はふと考えた。
もし、マーガレットが立派な淑女になり、自分の罪を背負い生きる覚悟ができていたら?
もし、ロベルトが優秀な学生として、この国の将来を背負うほどになっていたら?
もし、ジェラルドが仕事を成し遂げ、優柔不断な己を律することができていたら?
そして、リリアの記憶が……。
「それが一番惨いわね……」
「お母様? 何かおっしゃった?」
「いいえ、何も。このフィナンシェおいしいわよ?」
「ありがとう、お母様」
そんな日々が緩やかに過ぎ、ロベルトとマーガレットが訪問する日になった。
まったく緊張していないリリアを挟み、公爵と公爵夫人が不安な気持ちを隠していた。
馬車の音が聞こえ、ダニエルの声がする。
執事がドアを開け、三人の到着を知らせた。
公爵も夫人もリリアも、あの日以来の対面だ。
「落ち着きなさい。賽は投げられたんだ」
公爵が緊張する妻にそっと声を掛けた。
「ただいま帰りました。連れてきましたよ」
ダニエルの明るい声がロビーに響き、その後ろからロベルトとマーガレットが続く。
「ご無沙汰いたしております。サザーランド公爵様、奥様。そしてリリア様。ロベルト・パーシモンでございます」
久しぶりに見たロベルトは、あの頃よりずっと背が高くなっていた。
ジェラルドにそっくりな顔はそのままだが、精悍さが加わり爽やかな印象を与える。
「ご無沙汰致しております。公爵様、奥様、リリア様。いつもいろいろとお気遣いをいただき、心より感謝申し上げます」
可憐なカーテシーで、令嬢らしいお辞儀を披露したマーガレットに、公爵は危うく涙ぐみそうになった。
横を見ると、リリアはニコニコと微笑み、優雅なカーテシーで応えていた。
「久しぶりだね。さあ、お茶にしよう。今日はたくさんお菓子を用意したんだよ」
「ええ、そうね。久しぶりに若い声が聞けて嬉しいわ。さあさあ、早くこちらにいらっしゃい。今日はゆっくりしていきなさいね」
公爵夫人が執事に目配せをして、応接間へと案内させた。
公爵の後にロベルトが、公爵夫人の横にマーガレットが続き、リリアとダニエルは一番後ろを並んで歩いた。
ソファーに落ち着き、メイドが香り高い紅茶を配る。
テーブルにはマーガレットが好きだったビスケットとパイを中心に、何種類ものお菓子が並んでいる。
公爵夫人は一年前のマーガレットなら……そんなことを考えながら、名乗りあうことを諦めた孫の姿を眺めていた。
マーガレットもロベルトも、期待以上に成長していた。
優雅な所作も、メイドを気遣う様子も、付け焼刃ではない。
(頑張ったのね……えらいわ。マーガレット)
公爵夫人は声にできない賞賛を贈った。
すでに泣きそうなほど感動している公爵を見たダニエルが、その場を取り仕切った。
「さあ、召し上がれ。でもほどほどにしないと、せっかくの夕食が入らなくなるから気を付けて」
「まあ!お兄様ったら。それは勧めているの? それとも止めているの?」
そう言って笑いながら、リリアが手ずからお菓子を取り分けた。
「「ありがとうございます、リリア様」」
子供たちが声をそろえて礼を言う。
「立派になったわね、二人とも。どんな毎日を過ごしているのか教えてくれる?」
子供たちの明るい声が屋敷の中に幸福を呼び込んでいる。
事情を知っている使用人たちは、隠れて涙を拭った。
「そういえば、ロベルトは入学以来一度も首席の座を明け渡していないんだ。凄いよな」
「まあ! それは凄いわね。ロベルトは勉強が楽しいの?」
「楽しいばかりではありませんが、新しいことを知る喜びは感じています」
「それは素晴らしい事ね。マーガレットちゃんは来年から学園に入るのかしら?」
「はい、父とも相談いたしまして貴族女子学園へ入学をしようと考えております」
「女子学園に? では私の後輩になるのね」
「光栄なことでございます」
リリアはじっとマーガレットの顔を見つめた。
そんなリリアをロベルトが見ている。
ふとロベルトの視線に気づいたリリアは大きく息を吸い、何度か瞬きをした。
公爵がやっと口を開く。
「父上のご帰還が予定より遅れているね。二人とも寂しいだろう」
マーガレットがロベルトを見て、頷いたロベルトが声を出した。
「はい、僕は大丈夫ですがマーガレットは寂しがっていると思います。でも僕たちには希望があるから……頑張るしか無いから……」
「希望か……それは何かを聞いてもいいかな?」
「……っう。それは……」
マーガレットが引き取った。
「父の……命を賭した願いを叶えたいと思っております。そのためにできることなら何でもする覚悟です。その第一歩として私は己を見つめ、学び続けたいと思っています」
リリアが頷きながら言葉にした。
「そうね、パーシモン侯爵……いえ、ジェラルド様の命を賭した願い……あなた達の覚悟は確かに見届けましたよ。どうかこのまま頑張りなさいね」
「「はい」」
頃合いよく、執事が夕食の準備が整ったことを知らせに来た。
全員で食堂に移動し、和やかな雰囲気の中で食事を楽しんだ。
自宅に戻るダニエルが二人を送っていくことになった。
別れを惜しむリリアと子供たち。
マーガレットは涙をいっぱい溜めながら、リリアにだけ聞こえるように言った。
「リリア様……私はもっともっと頑張ります。いつかきっとリリア様の事をお母様とお呼びできる日が来ると信じて、精進を重ねます」
リリアが頷いた。
「ええ、ジェラルド様がお戻りなるまでお互いに健康に気を付けて過ごしましょうね」
「はい」
馬車が小さくなるまで見送った三人は、静かに屋敷に戻った。
子供の声がしなくなった公爵邸は、いつもより静かな気がした。




