25 背水之陣 ロベルト
(はいすいのじん=切羽詰まって後がない状況に必死で立ち向かう)
「おい、ロベルト。早く行こうぜ」
午前中の授業が終わり、教科書を鞄に詰め込んでいたロベルトに声がかかる。
「ああ、すぐに行くよ」
ロベルトは鞄を棚に戻して後を追った。
あれからロベルトはパーシモン侯爵家長男として、貴族学園に編入した。
二年生からのスタートだったが、穏やかな性格が幸いして、すんなりと受け入れられていった。
成績は入学時から常にトップをキープした。
そんなロベルトに言い寄る女子生徒も多かったが、いつもやんわりと断っていた。
「お前ってパーシモン侯爵家の嫡男なんだろう? いいよなぁ、将来安泰な奴は。俺なんて子爵家の次男だろ? 騎士になるか上位貴族家の執事になるか……。どちらにしても苦労しそうだろ? 気が重いよ」
いつもランチに誘ってくれる同じクラスのジョンが、Aランチのグラタンを食べながら愚痴った。
「嫡男かぁ……まあ、そうだね」
神官から諦めていた夢への道がある事を教えられた母親は、別れた男に縋った。
縋られた父親は、初めて会った自分の子供に取り乱した。
二人は何度も相談し、それでも出ない結論。
それを横で見ている息子。
「僕が何も感じないわけないじゃないか」
ロベルトは口論する大人の横で、じっと座りながら考え続けていた。
出た結論は『消えてなくなる』こと。
しかしこの考えは間違っていると諭された。
「さすが一国の宰相を務めるだけの方だ。僕の考えは浅かった」
だったらどうすればいい?
ロベルトはそれのみを考え続けていた。
学園に入り、この図書室で一番最初に手に取ったのは、ジェラルドが赴いている国の歴史書だった。
慌ただしく旅立ったジェラルドが掴み切れていない何かを探し出したくて、何度も何度もその本を読み返した。
その国の言語は一番最初に習得した。
そして今度は原書を読んだ。
訳者の癖や思考が反映されてないそれは、気づかなかった小さなことを教えてくれた。
それをレポートにまとめ、時々思い出したように様子を見に来るダニエル・サザーランド公爵令息に渡した。
「へぇ~、これをお前が纏めたの? 凄いな。作者の意図まで分析してあるじゃないか。うん、これは役立つよ。すぐにジェラルドに送ってやろう」
「よろしくお願いします」
「ねえ、お前の本心っていうか、一度腹を割って話さないか? 俺も本音を言うから、お前も隠し事せず本音を言えよ」
ロベルトは少し考えた後、静かに頷いた。
まず口火を切ったのはダニエルだ。
「俺はリリアが可愛いんだ。シスコンって言われてもこればかりは譲れない。あいつはクールで割り切った考え方をするけど、本当はとても優しいんだ。ジェラルドとのことだって、政略結婚とはいえ、うまくやっていたんだぜ? まあジェラルドの方がべた惚れで、リリアは少し困ってたくらいだけどな。だからちゃんと話せば方法はあったと思うんだ」
「ええ、本当に父も母も愚かでした。でも僕は、それを分かっていて乗っかりました。僕はずっと大人の顔色を伺って、自分の感情を殺して生きてきましたよ。人の心の動きを敏感に察知して、相手が喜びそうな言葉を吐くようなずるがしこい子供になっちゃいました」
「うんうん、お前ってそんな感じだったよな。胡散臭いって言うかさぁ」
「ははは。でもそうでもしなくちゃ居場所が無かったんですよ」
「そうかぁ、それはなかなかきつかったな」
「母は自分の感情をすぐに表に出して、突っ走るタイプですからね。僕がブレーキ役にならないとって考えていました」
「ああ! そういう奴だったな、バネッサは。愚鈍なほど良い奴ってだけのジェラルドは、いつも引っ張られてたよ」
「あの時も……神官様が貴族学園に入れるって話をして下さった時です。僕は止めるべきだった。でも、リンガー伯爵家を出たときに向けられた憎悪の目を思い出してしまったんです。たった数日前まで父と信じていた人から向けられたあの目を。だから……」
「ああ、それでなんとかできないかって思ったのか」
「僕は最初、認知だけしてもらえるなら良いと思いました。認知さえしてもらえれば、履歴書の父親欄に貴族の名前が書けるでしょう?それだけでも就職に有利だから。リリア様はお父様と離婚するという道を選ぶかもしれないけれど、リリア様と出会う前の過ちだし、マーガレットという鎹もいるし、僕たちが二度と関わらなければ元の鞘に収まるんじゃないのかなって……」
「うん、俺もそうなったと思うよ。リリアはきっと怒りながらも仕方がないわねって言ったと思う。あいつはそういう貴族らしい考え方をする奴だ。非嫡出子であれば相続権は無いし、ジェラルドが父親ってだけで、リリアにもマーガレットにも何も影響は無いからな」
「でもお父様は認知を渋った。よほどリリア様を手放したくなかったのでしょうね。それを見た母が欲を出してしまったんです。燃えカスが嫉妬しても意味ないのに。お父様の情に訴え始めたんだ。お父様の心が揺れ動いているのは手に取るようにわかりました。拙いなって思っていた矢先にマーガレットが来たんです。あれには参った」
「うん、そうだろうな。驚いたろう」
「ダニエル様なら分かってもらえると思うのですが、妹だって思った瞬間に……なんと言うか、信じられないほどの充足感? そんな感情が湧き上がってしまったんです。びっくりするぐらい僕と似た顔で、ニコニコ笑うんですもん。やられました」
「その気持ちは凄く分かる! 妹は可愛い! 天使だと思ったろ?」
「ええ、本当に」
「手放せなくなったか?」
「いいえ、一時でも早く手放さないといけないと思いました。だから神官になって街を出ようと思ったんです。でもなかなか上手く運びませんでした。それに、旅行なんて行きたいわけでも無かった。断れなかったって言うか、母を説得するには仕方がないかなって思って。見通しが甘いと言われたらそれまでですが、さすがにリリア様の旅行中とは知らなくて」
「あれはジェラルドが悪い。万死に値する。だから今死地に行っちゃってるんだけど」
「その後すぐにリリア様の事があって。もう僕はどうして良いか分からなくて。身の置き所がないというか。今更黙って消えるなんてできないし」
「黙って消えたら余計に拙いもんな」
「母は猪突猛進な人ですが、あれでも肝は小さいんです。だからもう退場させました」
「バネッサって今どうしてるの?商会も辞めたから消息が掴めないんだ。父は知っているだろうけれど言わない」
「北の修道院に入りましたよ。もう二度と会うことも無いと思います。当然の報いです。リリア様からマーガレットを奪ったんだ。自分だけ子供と一緒にいるなんてできるわけがない」
「えっ!北の修道院? そりゃまたエグイところを選んだな。あそこって終末期医療を請け負うところだよな?」
「ええ、僕が提示した中から自分で選んだのです。後悔は無いでしょう。まあ、それだけ反省していると考えてやってください」
「バネッサが……きれいな子だったんだぜ? ちょっと良いなって思っていた時期もあったんだ」
「……すみません。笑ってしまいました。きれいだけどズルい女って言いたいんでしょ?」
「笑ってくれ。もう遠い昔のことだ。なあ、ロベルト。単刀直入に聞くぞ。お前はパーシモン侯爵家を継ぐ気はあるのか?」
「ありません……むしろ継ぎたくないですよ」
「じゃあどうするんだ」
「もしリリア様の記憶が戻ったら、すぐに姿を消します。でも戻らなかったら……リリア様の記憶の齟齬を埋めるために嫡男が必要と言われるのなら、学生の間は誠心誠意リリア様に寄り添って、嫡男役を演じます。卒業後は、できれば海外勤務とかいう形で、なるべく側にいないようにした方が良いかなって思っています。そして何らかの事件か事故で死んだってことにして……」
「なるほどな。そこまでの覚悟があるのか。よく考えたなぁ。でもちょっと足りないな。それで誰の役に立てているんだ? 誰か得するか? 今のリリアからすれば、義理とはいえ息子と思っている人間を失うんだぞ? また泣かせるのか? もしリリアの記憶が戻ったら消えてもいいよ。でも戻らなかったら、それは悪手だな」
「じゃあどうしろと? 僕はどうすれば良いのですか?」
「まあ落ち着けよ。お前は同年代の誰より遥かに知能が高い。だから学生の間に近隣7か国の言語を習得しろ。この国のために生きろ。リリアが何の憂いも無く、毎日ぽやっと過ごせる国にするんだ。その一端を担え。それがお前にできる贖罪だと俺は思うぞ?」
「あと5年で7か国語ですか……そりゃ厳しいな」
「死ぬ気でやれよ。できなかったら一生マーガレットには会わせない」
「それは……ははは。シスコンならではの脅しですね。実に効果的だ」
「爵位承継の件はその時が来たら相談しよう。お前のその知能と演技力、そして洞察力と観察力。なにより自分をズルい奴だと知っているのは、ジェラルドより侯爵向きだが、どうしても気が乗らないなら俺の手駒として使わせてもらう」
「……わかりました。死ぬ気でやってみます。いや、やらせてください」
「ああ、死んだら骨は拾ってやる」
その日を境にロベルトは吹っ切れたように寝食を忘れて勉学に勤しんだ。
将来のために友人も作り人脈も広げた。
そんな彼の机の引き出しには、リリアからの手紙が入っている。
辛くなるとそれを取り出し、封筒を撫でる。
「絶対にやり遂げますからね。リリア様」




