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23 飲灰洗胃

 (いんかいせんい=心の底から悔い改めて再出発すること)


「えっと……皇太子妃殿下、そしてアネックス侯爵夫人。ご無沙汰しております。マーガレットです」


 マーガレットは今朝まで何度も練習したカーテシーで挨拶をした。


「まあ、久しぶりねマーガレット嬢。今日ここに来た理由は分かっているのかしら?」


 マーガレットが父親の顔を見た。

 ジェラルドが代わりに答える。


「まだ話していないんだ。僕が一人で話すより、二人にも同席してもらった方が良いと思って……迷惑だろうが付き合ってはもらえないだろうか」


「良いわよ。あなたがどう説明するのかも知りたかったし」


「ありがとう」


 皇太子夫妻とアネックス侯爵夫人が並んで座り、テーブルを挟んだ向かい側にジェラルドとマーガレット父娘が座った。

 なぜか皇太子はメイドと並んで立っている。

 ジェラルドが三人の顔を見て、ひとつ頷いてから、マーガレットを自分の方に向かせた。


「マーガレット、ちゃんと聞いてくれ。お父様はとんでもないミスを犯してしまった。それにお前も巻き込んだ。でもね、巻き込まれたお前にも問題があった。もちろんお前をそのように育てた周りの大人たちに責任がある」


 マーガレットは小首を傾げて父親を見た。


「いいかい? マーガレット。君は今いくつかな?」


「9歳よ? もうすぐ10歳になるわ」


「そうだね。そしてあと1年もすれば貴族学園に入学する年齢だ。そろそろ大人になる準備を始める年齢になったという事だよ」


「ええ、そうね」


「マーガレットはお母様が好きかい?」


「もちろんよ! お母様のことが大好きよ」


「でも会えない状態だね。それがどうしてかわかる?」


「お母様が……事故に遭われてお体が……」


「違うよね? 見ないふりをしてはダメだ。お母様は絶望して生きる勇気を失ってしまった。そしてお母様をそこまで追い詰めたのは……僕とお前だ」


「っう……」


「僕たちは互いに一番大切だと思っている人の信頼を裏切ったんだ。その心を踏みにじり、粉々に砕いてしまった……そして記憶さえ失わせてしまった」


 ジェラルドは涙を流しながら話し続けた。


「お前は年齢より幼い考えしかできない。だから君は大至急追いつかないといけないんだ。今日から厳しい授業に耐えてくれ。僕も一緒に罰を受ける」


「罰?」


「ああ、そうだよ。僕らは大切な人の心を殺したんだ。自らの過ちによってね」


「失ったって……。私はもうお母様に会えないの? ねえ! もうお母様は帰ってきては下さらないの?」


「そうだ。でもね、マーガレット。お母様だった記憶を失っても、リリアは命を繋いでくれた。僕たちにやり直すチャンスをくれたんだ。それさえも失ってしまったら……僕はもう生きてはいけない」


「おとう……さま?」


「お前がもう少し精神的に成長して、人の機微を理解し、自分の行動が与える影響を瞬時に判断できるようになれば……お母様としての記憶は無いが、リリアには会えるよ」


「お母様としての記憶って……お母様は私を覚えて……ない?」


「ああ、そして僕のことも覚えていない。もっと言うと、無理に思い出させようとすると、リリアは完全に壊れてしまうだろう。僕たちにできることは、今のリリアと初めましての挨拶からだ」


「初め……まして? どういうこと? お母様が私を忘れるなんて……噓よ!」


「噓じゃない。僕とお前はそれだけの負荷を彼女に掛けてしまったんだ」


「そんなこと……」


「お前はお友達がお兄様を持っていることを羨んだ。そしてそれを手に入れようとした。それは無邪気ではなく無知だ」


「無知……」


「そうだ。無知だよ。そしてそれを可愛いという言葉で容認した僕は……ただのバカだ」


「お父様?」


「ごめんね、マーガレット。僕がバカ親だったために君には苦労をかける。でもね、今日から始まる苦労はお母様に会えるような人間になるためには必要なんだ。なれなければ会う資格も無い。マーガレットはお母様に会いたいかい?」


「もちろんよ」


「お兄様には?」


「会いたいけど……お兄様が仰ったの。僕たちは罪人なんだって……自らの幸福のために他者を貶めるような悪魔の所業をしたんだって……もう自分には幸せを求める資格さえないと……私がお兄様を欲しがったのがいけなかったのね?」


「それは違うよ。お兄様を欲しがったことが悪ではなく、お兄さまが後から出てくることの矛盾に気づかなかったことが悪なんだ。それは無邪気ではなく無知なんだよ。無知は悪だ」


「無知は……悪」


「ああ、そうだ。お母様はね、命を懸けてお前を愛し信頼し、お前の幸せのためだけに心を砕いていた。それを……それを……裏切ったんだよ。僕たちは」


「裏切った……」


「だから僕もお前も成長し、お母様が心安らかに暮らせるようにしなくてはいけない。それが僕たちにできるたった一つの贖罪だ」


 マーガレットは拳を握り、静かに涙を流していた。

 そんな二人を見ている皇太子は、もう涙でぐちょぐちょだった。

 何枚目かのハンカチをメイドに渡される夫をチラッと見てローラが言った。


「そうよ、マーガレット。あなたは成長が遅れている。それを短期間で取り戻すのは並大抵ではないわ。でもそれを乗り越えることができないとしたら……あなたは一生リリアには会えないということ。どう? 頑張ってみる?」


 マーガレットがローラに向かってしっかりと頷いた。


「はい、お母様にきちんとお会いできる資格を得たいです。私は……頑張りたいです」


「よく言ったわ、マーガレット。なるべく早くリリアに会えるように頑張りましょう。まず初めにやらなくてはいけないことを伝えるわね」


「はい」


「あなたは今この時から、リリアのことをお母様とは呼べません。おば様と呼びなさい。そして今からの頑張りで、お母様と呼べる資格を得なさい」


「おば様? お母様をおば様と?」


「ええ、そうよ。それができないなら会うことさえ無理なの」


「おば様……お母様は私のお母様でいることが嫌になったの? それほどのことをしてしまったの? そんな……」


「マーガレット? 今日から頑張りましょうね」


「はい……よろしくお願いいたします」


 ジェラルドはマーガレットを抱きしめた。


「マーガレット、愛しているよ。リリアは必ず帰ってきてくれる。それを信じよう」


「はい……お父様は? 時々は会いに来てくださるの?」


「いや、僕は会いには来られない」


「お父様?」


 ぐっと拳を握って黙ったジェラルドの代わりに、皇太子が答えた。


「お父様はね、とても大変なお仕事に向かわれる。そう簡単には帰ってくることはできないだろう。もしかしたら命さえ失うかもしれない。でもね、マーガレット。お父様はそれを志願された。だから君も頑張れ。そしてロベルトは……彼は貴族学園に通うことになった。母親と離れ、寮生活を送る。そして卒業時に首席を取っていない場合……隣国の父親のもとに使用人として行く」


 マーガレットは少しの間だけ俯いていたが、ゆっくりと顔を上げた。


「皇太子殿下。私マーガレット・パーシモンはやり遂げて見せます」


「そうか。期待しているよ」


 ローラとアイラはホッと一息ついた。

 ジェラルドは国交の無い好戦国に赴き、国交正常化に向けた外交をする事になっている。

 彼自らが自分に科した罰は、過酷極まりないものだった。

 一年で成し遂げるためには、想像を絶するほどの苦労があるだろう。

 無理をすれば人質となり、命を失う危険もある。

 もしも人質となっても、国として救出はしないという同意書を自ら提出した。


「マーガレット、君も一年間頑張りなさい。お父様も絶対に頑張るから」


「はい、お父様」

 

 陰ながら友人として支援を惜しまない決意をする皇太子。


「頑張ってくれ。今はそれしか言えない」


 力強く頷く父娘を見ながら、アイラは心の中で呟いた。


(二人とも顔つきが変わったわ。リリア、あなたは間違いなく愛されているわよ)


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