22 張眉怒目
(ちょうびどもく=凄まじい形相で激しく怒る)
ローラ皇太子妃とアイラ侯爵夫人は、サザーランド公爵邸を出てすぐに王宮に戻った。
皇太子を呼びつけ、ジェラルドを呼び出すように伝えた。
「俺はパシリか?」
そんな皇太子の愚痴は二人にとって小鳥の囀りより気にならない。
「早く! 10分以内にできないと当分の間寝室は別々よ」
容赦ない妻の言葉に走り出す皇太子。
待つこと9分、ローラは本当に時計で計って待っていた。
ぜいぜいと息を荒げ、顔中にはびっしりと汗をかいたハリー皇太子とジェラルドが王太子妃宮の応接室に駆け込んできた。
「セーフ! やればできるじゃない」
「うん、頑張った」
「座ってちょうだい」
熱い紅茶を淹れようとする侍女を止め、冷たい果実水を持ってこさせた皇太子は、ジェラルドと一緒に、それを一気に飲み干した。
二人が落ち着くのを待って口火を切ったのはアイラだった。
「サザーランド公爵夫人がお怒りよ。本当に凄まじくね。でも私は感動したわ。孫に甘い祖父母は掃いて捨てるほどいるけれど、孫のために嫌われ役を買って出るほどの深い愛情をみたわ。そして娘の幸せを心から望んでおられるお姿……惚れたわ!」
隣でローラが大きく何度も頷き、口を開いた。
「私も同じ意見よ。私もアイラも母として公爵夫人の怒りはもっともだと思ったの。夫に裏切られるより命を削って慈しんだ我が子に裏切られる方がよっぽど辛いもの」
ジェラルドは顔色を悪くしている。
「あのね、ジェラルド。公爵夫人の言葉をそのまま伝えるわ」
二人は公爵夫人の考えを伝え、ジェラルドの返事を待った。
「そんな……リリアのことをおば様と呼べだって? あんまりじゃないか。マーガレットはこの半年、必死で耐えてきたんだ」
「そうね、マーガレットちゃんにとってリリアに会えなかったこの半年は辛かったでしょうね。でも、そうしたのはあなたとマーガレットちゃんよ? それは認めるでしょう?」
「それは……やらかしたと言うなら僕だけだろ? マーガレットがバネッサとロベルトのことを知ったのは偶然だ。事故のようなものだ」
「そうかもしれない。そこを言うならあなたが最初からリリアに相談しなかった事が諸悪の根源よ。でもね、あなたの判断ミスは別にしても、マーガレットの考え方は酷すぎるわ。お兄様が欲しいですって? バカじゃないの? 自分の次に生まれるのは弟か妹よ。それさえも分かっていないなんて三歳児以下だわ」
「おい! ちょっと待てよ。いくら皇太子妃とはいえ、うちの子をそこまで言うなんて酷いじゃないか」
「あなたがそうやってマーガレットをお花畑の妖精にしちゃったから、こんなことになったのでしょう? いい加減にしなさい!」
扇を目の前に突きつけられたジェラルドは仰け反った。
その横でなぜか皇太子も仰け反っている。
「このままではマーガレットは高位貴族には嫁げないわ。彼女が侯爵家を継いで、そうとうしっかりした配偶者を迎えて傀儡になるというなら、なんとか家は存続できるでしょうけれど。あなたはどうしたいの? 公爵の作戦通りに事が進めば、侯爵家の跡取りはロベルトでしょう? 違うの? さっさと腹をくくりなさい!」
ジェラルドと皇太子は座ったまま姿勢をビシッと正した。
「そうです……パーシモン家はロベルトが継ぎます。リリアには申し訳ないけれどそうするしかないです」
気圧されて敬語で返事をするジェラルド。
「それは良いと思うわよ? ロベルトは本当に賢い子だし、性格も穏やかだし。あなたが父親じゃなかったら私の妹と婚約させたいくらいよ。貴族は家門の存続が全てよ。あなたの血が継がれるならそれでいいし、今のままのマーガレットが継ぐより断然安心なの」
「ぐっ……」
ジェラルドは拳を握りしめて俯いた。
「ジェラルド、あなたはリリアを愛してるの?」
「勿論だ!」
「そんなリリアを傷つけたのは誰?」
「僕だ……あっ……いや、僕と……マーガレットだな」
そこまで一気に言うと、ローラは座り直し、ティーカップに手を伸ばした。
アイラがジェラルドの顔をまっすぐに見て、口を開く。
「厳しいことを言うわね。リリアから離婚同意書が届いたでしょう?あれはリリアからあなたへの返事だったと思う。まあ、彼女も真相は知らないから感情的になったのでしょうけれど。離婚した夫なんて時間と共に忘れていけば過去の人なの。でもね、その後彼女は命を断とうとした。あれは事故ではないわ。彼女は死を選んだのよ」
「そんな!」
「現実から逃げてはダメよ。そしてなぜ命までいらないと思ったのか……。それは我が子の裏切りに耐えられなかったからよ。子供を諦めることはできないわ。だからリリアは……」
「我が子の? 裏切り?」
「女はね、いくら愛していても心のどこかで、常に夫の裏切りを覚悟しているの。それは所詮他人だという気持ちを持っているから。逆に言うと、そういう予防線を張っていないと苦しむのは自分だと知っているからよ。でも我が子に対しては違うわ。自分の体を割いてまで産み落とした子供は、自分の命より大切な存在よ。我が子を救うためなら代わりに死ぬことさえ喜びよ。それが正常な母親というものだわ。これは男には無い感情でしょうね」
「そんなものなのか?」
口を開いたのは皇太子だが、ジェラルドも同じような顔をしている。
「そうよ。出産の痛みと苦しみは筆舌に尽くしがたいものよ。でもその痛みや苦しみでさえも、産み落とした瞬間に忘れるの。不思議だけど本当にそうなのよ。きっと本能ね。そうでもしないと二度と出産なんてしたくないって思うでしょう?人類滅亡の危機になってしまうもの」
「なるほど。それはそうだよな」
「出産して、子供の第一声を聞いたときに母性本能が強烈に湧き出すのよ。ローラもそうじゃなかった?」
「ええ、その通りよ。生まれてきてくれた事がただただ嬉しくて、母となった自覚をした」
「私もよ。そして母乳を与えるたびに守りたいという意識が育つの。寝返りを打ったとか、伝い歩きをしたとか。今思い出しても涙が出るほどよ。そんな我が子に裏切られた母親の気持ちが分かる? 絶望しかないわよ」
「裏切ったって……マーガレットはそんなつもりじゃなかった」
「そんなつもりじゃなかったら罪は無い? 違うでしょう?」
「それは……そうだが……」
「リリアは全ての記憶を失ったわけでは無いわ。あなたと結婚してからの記憶を失ったの。消してしまいたかったのは、結婚してからの記憶だけよ? そのことをもっと重く受け止めるべきだわ」
ジェラルドは呆然としたまま、ただただ涙を流した。
そんな彼の背中をさする皇太子。
「サザーランド公爵の作戦は、リリアが命を捨ててまで消したかった10年を、文字通り無かったことにすることだわ。そしてリリアの新たな日々を幸福で埋め尽くすの。本当に深い親心よね。そのためにはマーガレットに、未熟なゆえにしでかした自分の罪を教えないと」
「未熟ゆえの罪……そうだな。その通りだな。夫と娘が見覚えのある女と夫にそっくりな子供が自分の不在時に楽しく旅行しているなんて……酷すぎるな……リリア……リリア」
ローラが続ける。
「しかも、その夫にそっくりな子供は、自分が産んだ子供より年上だった。私もアイラも、そしてリリアも同じことを思ったはずよ。ああ、この二人はずっと愛し合っていたんだ。リリアは愛されていなかったんだ。娘まで仲よくしているんだ。きっと自分は邪魔ものだ。愛していたのは自分だけで、私は一瞬たりとも二人に愛されてはいなかったんだってね」
ジェラルドが立ち上がって叫んだ。
「違う! 絶対に違う! 愛していたのはリリアだけだ。リリアしかいらない! リリア……リリア……リリア~~~~~~~~~!!!」
ジェラルドの絶叫に皇太子は両手で耳を塞ぎ、女性たちはしれっとした顔をした。
そして皇太子がボソッと言った。
「もう許してやれよ。そこまで追い込むと今度はジェラルドが飛び降りるぞ」
「ジェラルドがリリア一筋なのは十分知っているから。でもマーガレットのことは譲れないわ。そしてマーガレット矯正教育は王家が責任をもってやり遂げる」
「「えっ!」」
皇太子とジェラルドが同時に声を上げた。
それを無視してローラ皇太子妃がテキパキと指示を出す。
「あなた! すぐに国王陛下と皇后陛下に許可を取ってきてちょうだい。マーガレットの教育担当は皇子妃教育のスペシャリストを使うから。はい! すぐに行く!」
皇太子は飛ぶように立ち上がると駆け出した。
それを見ながらアイラはこの国の将来をちょっとだけ憂えた。
「そしてジェラルド。あなたはマーガレットに自分たちがやってしまったことをしっかりと伝えなさい。泣こうが喚こうが、真実に蓋をするのは許さない。そして、明日からすぐに毎日私の宮に来させなさい。みっちり鍛えてあげるから。もちろん学校が終わってからでいいわよ。わかった?」
「それは……」
「それができないなら、リリアのことは諦めてちょうだい。私がすぐにでも再婚相手を紹介するから」
「ちょっと待ってくれ! わかった! わかったから……少し時間をくれないか?」
「ダメよ。明日の夕方、マーガレットと一緒に来なさい。その時に返事を聞くわ」
「そんな……」
「マーガレットが自分の愚かさを自覚するまで、リリアとの対面は延期よ」
「……わかった」
ジェラルドが強く眼を瞑って項垂れたとき、ノックの音とともに皇后陛下が入ってきた。
三人は素早く立ち上がり、最上級の礼をした。
「いいのよ、楽にしてちょうだい。ハリーから聞いたわ。私も賛成よ。費用は全て私の私財から出します。同じ母親として協力は惜しまないわ。ローラ、使えるものは何でも使っていいわよ。徹底的にやりなさい。でもね、ひとつだけ約束して欲しいの」
「はい、皇后陛下。何なりと」
「その娘、マーガレットだったかしら? きっと彼女は心を引き裂かれるほど傷つくはずだわ。フォローだけは怠らないで。それは約束してね?」
「勿論でございます。陛下」
「ジェラルド・パーシモン侯爵」
「はい」
「そなたの娘はきっと大丈夫。後はそなたの愛が試されるだけ。理解した?」
「はい、肝に銘じます」
「そう、それなら良いわ。男ってこういう時に優柔不断だし甘えるし、情ないし自分にだけ寛容だからねぇ?」
「「仰る通りですわ! ほほほほほほ!」」
女性たちが高笑いをしていた時、部屋に入ろうとしていた国王がすっと姿を消した。
皇太子も一緒に身を潜める。
そして翌日、眠れないままジェラルドはマーガレットを伴って皇太子妃宮を訪れた。




