15 咄咄怪事
(とつとつかいじ=きわめて異例で奇怪な出来事)
今回もリリアの部屋に一番に駆け込んだのはジェラルド、二番目は皇太子殿下だった。
三番目はマーガレットを抱いたダニエル、少し遅れて皇太子妃殿下とアネックス侯爵夫人が到着した。
サザーランド公爵はバネッサとロベルトに手を引かれて一番後から入室した。
一番遅かったのに、誰よりも肩で息をしている公爵が言った。
「リリア! どうなんだ? 娘は無事なのか?」
医者が振り向きながら口の前で人差し指を立てた。
慌てて公爵が口を噤む。
ふと見ると、リリアのベッドから少し離れたところで、ジェラルドが皇太子殿下に羽交い絞めにされていた。
「先生?」
「少しお待ちください。みなさんお静かに願いますよ」
医者が小声でリリアに何か言っている。
リリアは小首を傾げて、迷ったように返事を返していた。
「なるほど……少々厄介ですな。順番に並んでいただけますか?まずはお父上から」
困惑した顔でサザーランド公爵がリリアの横に座った。
「お父様……ご心配をおかけして申し訳ございません」
「良いんだよ、リリア。どこか痛むところは無いかい?」
「ええ、あちこち痛いの。なぜこうなったのかしら」
「覚えてないの?」
「ええ、ここはどこなの? 私のお部屋ではないわよね?」
何かを言いかけた公爵の肩に手を置いて、医者が交代を告げる。
「次は……兄上殿かな?」
ダニエルが父と交代した。
「リリア! 大丈夫かい?」
「お兄様! いつお帰りになったの? 私ったらお迎えにも行かずに。セイレーン国はいかがでしたか?二年も留学しておられたのだもの。寂しかったわ」
「そ……そうだね。寂しい思いをさせて悪かったね」
「お願いしたものは買ってきてくださった?」
「ん?」
「もう! あれほど念押ししたのにお忘れになったのね? セイレーンの貝殻細工よ。お兄様ったら!」
その貝殻細工なら、もう何年も前に壊れて処分したはずだとダニエルは思ったが、口には出さなかった。
「ああ、あれか。壊れてはいけないから後で送られてくるんだ」
「まあ! やっぱり覚えていて下さったのね。お兄様ったら揶揄ったのね?」
リリアが拗ねて見せる。
その姿はまるで貴族女子学園の頃のままだった。
医者が声を掛ける。
「次は皇太子妃殿下とアネックス侯爵夫人」
二人がリリアの側に駆け寄った。
「リリア!」
「まあ! 二人とも来てくれたのね? 私ったら怪我をしちゃったみたい。心配をかけてしまったわ。もうすぐ卒業式だというのに」
「リリア?」
「ねえ、ローラもアイラも約束したものは準備した?」
「約束?」
皇太子妃が戸惑った顔でアネックス侯爵夫人を見た。
侯爵夫人は慌ててリリアの手をとった。
「コサージュでしょう? もちろんよ」
「ああ、良かった。私はとても楽しみなの。私のコサージュは黒髪に合わせて紫にしようか藍色にしようかまだ迷っているの」
皇太子妃殿下は記憶をたどった。
「リリアは藍色よ。藍色を選んで……選んだ方が良いわ」
「そう?」
「ええ、絶対に藍色よ。私はオレンジ色で、ローラは赤よ」
アネックス侯爵夫人が涙を溜めながら言った。
医者がゆっくりとジェラルドを見た。
「もう一度やってみるかね?」
「ええ、お願いします」
皇太子の腕を振り解こうとするジェラルドにサザーランド公爵が歩み寄った。
「ジェラルド、君のことは?」
「僕がわからないなんて有り得ないでしょう? リリアは混乱しているだけです。もう一度話せば思い出します」
「いや、ちょっと待て。それは得策ではない。今はやめておけ」
そう言うと、息子のダニエルに指示をしてジェラルドを部屋から出した。
叫ぼうとするジェラルドの口に皇太子がハンカチを突っ込んだ。
じたばたと引き摺られていくジェラルドの姿を、呆気に取られて見詰めるリリア。
「あの方は……お兄様のお友達の? まさかね」
マーガレットがロベルトの手を振り切って駆け寄った。
「お母様!」
「お母様? まあ、あなたは? お母様を探しているの?」
「お……かあ……さま?」
「ねえ、ローラもアイラも、黙っていないでこの子のお母様を探してあげて? 私は動けそうにないのよ。ね? お願い」
「わ……わかったわ……」
皇太子妃がマーガレットをリリアから引き離した。
「お母様は具合がとてもお悪いの。今は我慢しましょうね?」
「うっ……お母様……うっうっ……」
マーガレットは皇太子妃と侯爵夫人に手を繋いでもらって部屋を出る。
サザーランド公爵が、バネッサとロベルトにも退出を促してから、医者に向き合った。
「別室で詳しくお伺いしたい」
医者は頷き、リリアに薬を与えて眠るように言った。
リリアは素直に医者の指示に従って、目を閉じた。
部屋の中にはリリアを見守る侍女と、護衛騎士だけが残った。