13 鳩首疑義
(きゅうしゅぎぎ=額を寄せ合って熱心に相談する)
「聞いたよ、ジェラルド。やらかしたなぁお前」
「妃殿下から聞いたのですか?」
「そんな畏まった喋り方するなよ。今は完全プライベートだ」
「ああ、ありがとう。リリアが帰ってこないんだ」
「うん、内緒だけど彼女は今ローラの宮にいるよ」
「妃殿下の?」
「ああ、何度か見舞ったけれどすごい憔悴してる。何があったのか詳しく話してくれ」
ジェラルドは家令に話したのと同じ内容を伝え、返された言葉も隠さず言った。
「なんと言うか……。何度か会ったことがあるが凄いな。側近に欲しいほどの執事だ。しかしお前とバネッサって仲良かったもんな。むしろそれまで何もなかったことの方が驚きだ」
「婚約者のことは知っていたからね。キスだって唇にしたのはあの夜が初めてだったよ」
「ツイてなかったとしか言いようがない。しかしこれは我が国の外交問題に関わる重大な案件だ。だってこれが解決しないと、お前は仕事に復帰しないだろう? 外務大臣が頭を抱えているんだ。すぐにバネッサとその子を呼ぼう。お前は一旦戻ってマーガレット嬢を連れて来い。アネックス侯爵夫人も呼ぶ。明後日の午後なら時間を作れる」
「忙しいのに悪いな……リリアのことはよろしく頼むよ」
「ああ、今は少しそっとしておいた方が良い。ローラが張り付いているから安心しろ。お陰で皇太子妃の仕事まで私に回ってきてるけど」
「すまん……」
涙を流し頭を下げるジェラルドにハリー皇太子は同情の視線を投げた。
「バネッサのところも気にかけてやらないとな」
「ああ、そうだな。バネッサはともかくロベルトは完全な被害者だ」
「しかしなぁ。確かに子に罪はないが、お前とバネッサがそうなったことも、それほど罪深いことでもないと思うが……。たった1回だけなんだろう?」
ジェラルドは自嘲の笑みを浮かべて席を立った。
その足でバネッサの家に向かい、明後日の登城を伝えた。
「わかったわ。奥様には本当に申し訳ないと思っているの。謝らせてもらえるなら何度だって謝るわ」
ちょうどロベルトが学校から帰ってきた。
「あっ……おとう……パーシモン次期侯爵様。ようこそいらっしゃいました」
「ロベルト? もうお父様とは呼ばないの?」
「僕にはその資格は無いから……それよりもマーガレット様は大丈夫ですか?」
「ロベルト、頼むから自分の妹に様なんてつけないでくれ。今回のことは全て僕の責任だ。僕が招いたことなんだ。君を巻き込んで、無駄に傷つけてしまった……。本当に申し訳ない」
「いいえ、そんなことないです。お母様とも話したのですが、僕たちは今学期が終わったら街を出ます。神学校のある街に行って暮らします。僕は帰れなくなるけど、近くにお母様が住んでいると思えば頑張れるから。お母様も同じ考えです」
「ちょっと待ってくれ! 神学校への寄付や後見人はどうするつもりなんだ」
「調べたら無くても大丈夫みたいです。スタートランクが低くなるだけで、入学できないわけでは無いので問題ないです」
「頼むからどんどん決めないでくれよ。ロベルト……頼むよ……」
ジェラルドはその場に膝をついて顔を覆った。
ロベルトが駆け寄る。
「ごめんなさい! 勝手に決めてしまって。でも、その方が、お父様にとって都合が良いんだろうと思ったんです。お母様も納得してくれたんです。だから……」
「僕の都合? そう思わせたのは不徳の致すところだが、僕は納得していない。いや、絶対に納得しない。なぜ君が泥をかぶる必要がある? 僕が初手を誤ったんだ。君は悪くない。責任を問われるとしたら僕とバネッサだ。断じて君ではないよ、ロベルト」
「お父様……」
「ロベルト、お母様と一緒に王宮に来てほしい。今後のことを話し合うから」
「僕は……ここに居ても良いのですか?」
「居ても良いのではなく、居なくてはダメなんだよ。僕の罪を君が被る必要はない」
登城する約束の日、バタバタとせわし気な足音がして、勢いよく執務室のドアが開いた。
案内しているはずの従者を追い越してまで駆け込んできたジェラルドに、皇太子は吹き出した。
「おいおい、いくら旧友だといってもその行動は如何なものかと思うぞ?」
「それどころじゃない! こんなものが今朝届いたんだ! どういうことだ!」
マーガレットを抱いたまま、この国の頂点に立つことが決まっている高貴な男の前にパサッと手紙を投げるジェラルド。
「ん? これは……なんだって!聞いてないぞ!」
手紙を読んだ皇太子が立ち上がった。
机の上に積まれていた書類がバラバラと散らかり、横に控えていた官吏が、思い切り嫌な顔をする。
「知らなかったのか?」
「ああ、相変わらずリリア夫人は宮に籠ったきりだし、顔を合わすこともない。ローラとは今朝も朝食を共にしたが、何も言ってなかった。独断で出したのだろうか」
「絶対に認めない! 受け入れない! 僕は絶対に同意しないぞ!」
「落ち着けよ。お嬢さんが怯えている」
ジェラルドが吠えていると、再びドアがノックされた。
バネッサとロベルトがお辞儀をして入室した。
「やあ! バネッサ、久しぶりだね。相変わらずきれいだ」
「ハリー・ルモンド・バージル皇太子殿下にご挨拶申し上げます。こちらに控えますのが私の息子、ロベルトでございます」
「堅苦しいなぁ、同級生じゃないか。ああ、君がロベルトか。ジェラルドの息子かって確認する必要もないくらい似ているな」
ロベルトが少し俯いた後、おずおずと口を開いた。
「皇太子殿下にご挨拶申し上げます。ロベルトと申します」
「うん、聡明そうな子だ。今日は少し難しい話になると思うけど、君なら大丈夫そうだね。君も一緒に話し合いに入りなさい。君の希望も聞きたいしね」
「ありがたき幸せでございます」
いまだにショックから立ち直っていないジェラルドの腕から、マーガレットが降りようとしている。
それに気づいたロベルトが手を貸してやると、マーガレットはロベルトにしがみついた。
「お兄様、お会いしたかったの。私がいけなかったって言わなくちゃって思って」
「マーガレットは何も悪くないさ」
「だって、お兄様もおば様もお顔の色が良くないわ。きっと私が我儘を言ったからだわ」
「違うよ、マーガレットはとても素直で優しくて、こんなに可愛くて素敵な子だよ」
慰め合う二人を見ながら皇太子は複雑な表情を浮かべた。
「いっそお前達が再婚した方が良いんじゃないか?」
バネッサは苦いものを飲み込んだ様な顔になり、ジェラルドは皇太子を睨みつけた。
「もう一度言ってみろ」
「おいおい、殺気を出すな。冗談だよ」
「つまらん冗談など言っている場合じゃないだろう!」
今にも皇太子に掴みかかりそうなジェラルドの後ろで、護衛騎士が困っている。
それを皇太子が笑顔で制し、バネッサに向かって言った。
「君も同じ考えなの?」
「ええ、有り得ないわ。それに私もロベルトも、リリア夫人を傷つけるつもりは無かったの。もう本当に申し訳なくて……」
重い空気が流れたとき、ドアがノックされ侍従が伝言を伝えた。
「アネックス侯爵夫人が到着されました。皇太子妃殿下宮の応接室でお待ちです」
「ああ、そうか。では、行こうか」
皇太子が先頭を歩き、ジェラルドが続く。
その後ろをマーガレットの手を引いたロベルトが歩き、後ろからバネッサが続いた。
皇太子妃の宮殿は、簡素ながらも気品に溢れ、さっぱりした妃の性格をよく表している。
ひときわ大きな扉の前に立ち、皇太子が侍従に目配せをした。
ノックの音に応え、扉が開かれる。
明るく広い応接室には、バラの香りが漂っていた。
「お待ちしていましたわ。皇太子殿下、そして皆様。あの夜以来ですわね」
皇太子妃の言葉には鋭い棘があった。
その横で優雅なカーテシーをするアイラ・アネックス侯爵夫人の顔は、怒りで赤く染まっている。
一瞬怯んだ皇太子とジェラルドだったが、気を取り直して歩を進めた。
「皆さん始めましてではないから、挨拶は不要ね? 大まかな話はハリーから聞いたけど、アイラにはまだ話してないの。又聞きで伝えるほど軽い話ではないでしょうから、本人の口から言うべきだと思って」
「ありがたいご配慮です」
バネッサが深々と頭を下げた。
皇太子妃とアネックス侯爵夫人が並んで座り、その向かいにジェラルドとマーガレットが座った。
皇太子は一人掛けの大きなソファーに落ち着き、テーブルを挟んだ向かい側にバネッサとロベルトが浅く腰かける。
皇太子妃の侍女がお茶とお菓子を配り終え、静かに部屋を出た。
待ちかねたようにジェラルドが説明を始める。
続いて離婚に至るまでの経緯をバネッサが語り終えると、大人達は一様に溜息を吐いた。
「誰を罰すればいいのかしら」
皇太子妃が口を開く。
「罰を受けるほどの重罪を犯した人間はいないだろ?」
「神の悪戯かしら。でも生まれてきたのが聡明な子だったことだけでも救われるわ」
また全員が溜息をもらす。
「ロベルトが神学校に入ると言い出したんだ。この子はとても優秀だ。今だから本音を言うが、僕としては行かせたくない」
「うん、勿体ないね。このまま勉強を頑張れば、王宮官吏にもなれそうだ」
皇太子の言葉に皇太子妃が頷いた。
ジェラルドがポケットからしわくちゃになった紙を出し、テーブルの上に広げた。
覗き込んだ全員が、今度は仰け反った。
「どういうこと! 知らなかったわ……リリア、ここまで思いつめていたの?」
全員がその紙から目が離せない。
それは、リリアのサインが入った離婚同意書だった。
ロベルトが泣きそうな顔でジェラルドを見た。
「お父様……僕は……僕は……」
その様子を見た皇太子がロベルトに言った。
「君は絶対に悪くない。そんな顔をするな。君の考えは先ほど聞いたが、私も神学校はあまり勧めないよ。自分の人生を無駄にするな。それこそ神への冒涜だよ? 賢い君なら分かるよね? 大丈夫だ。リリア夫人は事情を知らないまま誤解しているだけなんだ」
皇太子妃が後を続けた。
「そうよ、あの日は私たちも事情を知らなかったから、酷い言葉を投げつけてしまったわ。でもきちんと話を聞いたら解ったの。みんな大きなミスを犯している。でもミスっていう程度で済まされない事態になってしまった。そうでしょう?」
皇太子妃と目が合ったアネックス侯爵夫人が頷いて続けた。
「そうね、みんな悪い点があったわ。でも決定的なことではないのよね。まずパーシモン卿は秘密裏に解決しようとしたことの罪、バネッサ夫人はジェラルドの子供だと気づきながら、すぐに対応しなかった罪ね。私とローラはパーシモン卿の話を聞こうともしなかった罪。そういう意味ではリリアもだけど、彼女の場合はショックがあまりにも大きかったから無理だったと思うの。私たちがきちんと対応するべきだったわ。でもそのひとつずつはそれほど大きくもない罪でしょ? 誰が悪いなんて断定できない。それに子供ができたのだってそうよ。きっとお二人と同じような経験をした人はたくさんいるわ。妊娠しなかっただけで」
ロベルトが口を開いた。
「僕の罪は生まれて……」
「「「「それは違う!」」」」
皇太子夫妻とジェラルド、そしてアネックス侯爵夫人が同時に言った。
驚いて言葉を呑み込んだロベルトを見ながら、ジェラルドが話し始める。
「何度も言ったよね? 君は悪くない。この中で罪を犯していない唯一の人が君だ。マーガレットに関しては親の罪とも言えるが、馬車に隠れて黙ってついてきたことは、きちんと反省しなくてはいけない」
マーガレットが泣きそうな顔でジェラルドを見上げる。
ジェラルドは優しく愛娘の肩を抱き寄せた。
「誰も言ってくれないから自分で言うけど、私も無罪グループだからね?私とロベルトは責められるべきではないからね? まあ、学友の二人と妻とその友人が困っているんだ。私にできることなら協力するけどね?」
皇太子が全員の冷ややかな視線に耐えていた時、勢いよくドアが開いた。
「大変でございます! リリア様が! リリア様がバルコニーから転落されました!」
ほんの一瞬、全員の動きが止まった。
一番最初に動いたのはジェラルド、それに続いて皇太子が駆け出した。
続こうとするロベルトをバネッサが止め、マーガレットに付き添うことを命じた。
皇太子妃とアネックス侯爵夫人は、使用人たちに行くことを阻止され、ソファーにへたり込んだ。
バネッサはその場で泣き崩れた。