第4話「単純」
つぐみが帰った後すぐに終業のベルが鳴り、健人はすぐに立ち上がった。
「お疲れさまです!」
健人は荷物をまとめ、自転車に飛び乗った。
自転車で10分、オレンジの屋根のアパートの一室が健人の家だ。
健人は緑色のキーケースから鍵を出し、ドアを開けた。
「おかえり!あのね、消防車とねパトカー!!」
健人が靴を脱ぐ間も無く、蓮がおもちゃの模型を持って走って来た。
「おかえりなさい。」
ニコニコとした顔で蓮を見ながら陽菜が健人のカバンを受け取った。
「よし、蓮!今日は父さんと一緒に風呂に入れるぞ!」
健人はワイシャツのボタンに手を伸ばしながら優しく笑った。
風呂から上がり、陽菜と蓮が寝静まった後、健人は2人の顔を眺めていた。
「今日の人、目の前で妹が交通事故に遭ったって言ってたな……」
実際、自分に巻き起こったらどうだろう。
例えば、陽菜や蓮が交通事故に遭ったり、殺されたり……そんなことがあったら正常でいれるだろうか。
答えはNOだ。
きっとそんなことがあったら、自分は立場や冷静な心を失くして、ただただ怒り狂うだろう。思いっきり加害者に飛び掛かり、必死で殴り続ける……そのような自信がある。
神に祈るなんてバカバカしい。所詮、自分は単純な人間だ。
健人は蓮の頭を優しく撫でた。
ジリリリ……
携帯のアラームが鳴り、健人は眠たい目を擦りながら起き上がった。
「行くか……」
自分はやりがいを持ってこの仕事をしている。信念を持って人と接している。
そう思いながらも時折人の人生に関わることに目を向けられない日がある。そんな日を乗り越えて、奮い立たせて、今日が来る。
健人は短く咳払いをして、玄関の扉を静かに閉めた。
出勤してすぐに健人は訪問活動に繰り出した。
「おはようございまーす!」
1件目に訪問したのはとある和菓子屋さんだった。
「おう!これはこれは成瀬さん。」
店先に腰掛けていだ大柄で白髪の老人が笑顔で応えた。
武田光男さん。78歳。奥さんと二人暮らし。代々受け継がれてる和菓子屋を営んでいるが最近は客足が減り、収入が減ったことから相談に至った。新型コロナウイルスに関する給付金を受給したため生活は少し安定し、今は定期訪問で様子を見ている。
「武田さん、お元気されてますか?仕事は順調?悦子さんも元気ですか?」
健人は乗っていた自転車を停めながら声をかけた。
「まあまあやで。景気はあんまり良く……ゲホッゲホッ……」
光男は商品を触りながら答えたが、途中で咳き込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
健人の問いかけに光男は頷きながらペットボトルに入った水を飲んだ。
「あ、悦子やんな、おるで。おーい!!悦子ー!!」
武田が店の中に向かって呼ぶと、奥から小柄で長髪の女性が出て来た。
「あら。お久しぶりです。成瀬さん。」
悦子は笑顔で答えた。
「おい!成瀬さんにお茶でも出さんかい!」
悦子が話し終わるとすぐに光男は怒鳴るような声で言った。
「大丈夫、大丈夫ですよ。気を遣わないでください。」
健人が答えると、悦子はにこやかに会釈した。
「成瀬さん、それよりも主人最近体調が悪いの。酷い咳するし、たまに寝込んで起き上がれないときもある。病院に行こうって言うんですけど……」
「大丈夫や!!病院になんか行かん!!」
光男は悦子の言葉を遮り答えた。
「もーう……ずっとこんな感じなんですよ。」
悦子は光男の態度に慣れている様子で笑顔で話している。
「うちは代々続く和菓子屋やぞ。味を変わらず守り続けなあかん。病院なんかで店を閉めてる訳にはいかん。」
光男は腕を組み、時計に目をやっている。
健人は悦子を店の外に呼び出した。
「とりあえず、健康相談で保健師さんに家に来てもらえる事業があるんですよ。声かけときますね。」
健人が伝えると、悦子は静かに頷いていた。