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【問題編7】三千世界のフィギュアを殺し

 翌日の早朝。

「――言われた通り、理事長から面会のアポ取り付けといてやったわよ」

 例によって例のごとく私の家に押しかけてきた春水に、眠気を振り払ってベッドから起き上がった私は、挨拶代わりに告げた。

「放課後、四時過ぎなら時間空くってさ」

 昨夜――春水と別れて帰宅した私は、理事長の自宅の番号をアドレス帳で調べてダイヤルした。自分の学校の生徒とはいえ、必要最小限の親戚付き合いしかしていない遠縁の小娘からの急な電話に、理事長はどんぐり眼をひん剥いている様子が容易に想像出来るくらい驚いていて、私が話を切り出すまで訃報か何かと勘違いしていた。まぁ、電話を掛けた私自身が己の行動にびっくりなのだけれど。

 校内で起きた事件は、選挙絡みのトラブルの可能性があるので少し話を聞かせてほしい――という私の用件は、先方にとってはそれに輪を掛けて驚きを与えるものだったろう。当然、理事長は始めのうちは不審の念を隠そうともしなかったが、結局は私の出した兄貴の肩書きという伝家の宝刀の前に、渋々納得というかたちに相なった。

 こすい手だという自覚はあるが、最も有効な手なので全面的に依存せざるを得ない。兄貴の場合、私と同じようならちの明かない状況の打開に用いられる宝刀は、御子柴家の威光ということになるのだろう。兄貴の仕事上の心労が多少は判った気がした。

 ……死にたい。

「さっすがマコちゃん、愛してる!」

「じゃかしいっ」

 抱き付いてきた春水にすかさず、内心の苛立ちを思いっきり込めた掌底を見舞うと、たわば、という奇声を撒き散らしてどうと床に伏した。




 登校すると、これまた例によって例のごとくフィギュアが《殺されて》いた。

 今度の現場は新校舎の昇降口の前で、四肢をバラバラに切断された大量のフィギュアがうずたかく積まれていた。文字通り、死体の山である。

 現場の前では生活指導主任の首藤先生が、鬼瓦のような厳つい面相を更に厳つくして、ガヤガヤと詰めかける物見高い生徒たちをドスの利いた声で制止し、かつ他の先生たちに指示を飛ばしていた。

 人だかりの中に、肩を寄せている遊と鈴木君を見つけた。私と春水が口々に朝の挨拶をすると、二人は弾かれたようにこちらに向き直り、声を合わせて沈んだ調子の「お早う」を返してきた。

 私たち四人は、誰言うとなく喧騒に包まれた人だかりから少し離れる。

「いつから?」

 私は遊に尋ねた。

「……あたしが来た時には、もう」

「スドセンが言ってたの聞いたんだけど、最初に見つけたのは熊谷さんらしいよ」

 身を硬くしている遊の手を優しく握りながら、そう言い添える鈴木君。

「熊谷さんか……」

 と、私はオウム返しに呟いた。

 去年の文化祭、クラスで演る芝居の稽古で夜遅くまで居残っていた時、紺色の制服姿の警備員さんを見かけたことから推察するに、うちの学校は夜間宿直を警備会社に委託しているのだろう。警備員さんがどの時間帯に校内を見回るのか、一介の生徒でしかない私は勿論知りようもないが、犯人がバラバラにしたフィギュアを昇降口に置いたのは、最後の巡回の後と考えるのが自然だろう。後で理事長に確認を取れば、その辺りの状況は詳しく判るはずだ。

「ねえ、御子柴」

 細い中にも芯の通った遊の声が、私を思考の海から引き戻した。

「……これってさ、やっぱ予告なのかな」

 言葉に詰まった私と春水は互いの顔を見つめ、しばらく困惑の表情を交わし合っていたが、とどのつまり無言で肯定するしかなかった。

「また、ロイエンタールみたいに何の罪もないが殺されるのかな。何だって犯人はこんな酷いことを……」

 と、口元をぎゅっと引き絞った遊の黒目がちの瞳には、しんの炎がありありと映し出されていた。小刻みに震えるその肩は、部活で鍛えられてがっしりしているにもかかわらず、この時ばかりは繊細なガラス細工のように脆くはかなげな印象を私に与えた。

 鈴木君が遊の両肩を掌で包みながら、救いを求めるような熱っぽい視線を向けてきた。私と春水が、遊を悩ませていたストーカー事件を解決した実績――実際は春水の推理に負うところが大きいが――を踏まえてのことだろう。しかし、目下兄貴の力に頼れない私には、彼の期待に応えられる自信のストックが五割ほどしかなく、それとなく地面に目をやって視線の圧力から逃れた。

「大丈夫や遊、きっとウチらが何とかしたる」

 私とは対照的に春水がたわわな胸を叩いて請け合う。どこから湧き出てくるんだか、その自信は。

 私がため息交じりに肩を竦めた、その時――真奈美先生が職員用昇降口の方から出てきた。先生はこちらを一べつした後、白いハイヒールのかかとをアレグロの速さでアスファルトの地面に打ち付けながら、首藤先生の元に駆け寄っていった。

「――先生、理事長に連絡取れました。また通報して構わないとのことです」

「ああ、判りました浦先生」

 渋面で頷いた首藤先生は、褐色のジャケットの内ポケットから携帯と名刺を取り出し、名刺に書かれているらしい番号をダイヤルする。昨日の事件は学校側が警察に既に連絡してるはずだから、名刺はさしずめその際事情聴取に訪れた所轄の係官のものだろう、と私は思った。

 ふと、私の視界の真正面に見覚えのある、軽くウェーブがかった茶髪のセミロングが映った。クラスメイトの秋川茉莉花さんである。

 彼女は警察に電話をしている首藤先生の目を盗んで、携帯の写メで現場の写真を撮るという、市民ジャーナリズム的活動に精励していた。

「野次馬根性もここまでくると、ジオン十字勲章ものやな」

「まったくね」

 しばらく春水と顔を見合わせて微苦笑を交わしていたが、突然ハタと思い当たった――警察が来る前に私も現場写真を撮っとかなきゃ!

 首藤先生はまだ警察と電話の最中で、分厚い唇をへの字に曲げてしきりに先方の話に頷いている。制服から取り出した携帯を手の甲で隠しながら現場に向け、人垣の間を縫って何枚か写メを撮る。幸いシャッター音は現場の喧騒にかき消され、先生の耳には届かないようだった。

 秋山さんと目が合う。彼女には、普段は借りてきた猫のようにおとなしい私がこんなことをしているのがよほど意外だったらしく、一瞬鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていたが、やがて露骨に共犯者めいた薄ら笑いをこちらに寄越してきた。

 やれやれ……私は内心呆れつつ、唇の端ににじみ出た皮肉げな表情を噛み殺したのだった。






          ***


 六限の数学が終わり、放課後になった。

 教室から一斉に吐き出された生徒たちが部活に出たり、バイト先に直行したり、帰路に就いたりと銘々の行き先に向かう中、私と春水と遊は校内の自販機で買った缶ジュースを手に、新校舎の中庭にあるベンチに並んで腰掛け、理事長と面会を約束した四時まで時間を潰すことにした。

「――秋姫すもも、厳島貴子、朝倉音夢、フィーナ・ファム・アーシュライト、涼宮ハルヒ、長門有希、朝比奈みくる、坂上智代、リシアンサス、百瀬玉、セイバー、キュアブラック、神岸あかり」

 携帯の写メを確認しながら呪文のように呟いていると、

「何だそりゃ」

 私の顔をひょいと覗き込んだ遊が、まるで耳慣れない異国の言葉を聞いた風に、凛々しい眉を大仰にひそめた。

「バラバラにされたフィギュアの全キャラクター名」

 私は言った。警察が現場に来る前に私が撮った写メに加えて、適当な口実を設けて秋山さんの携帯から転送してもらったデータを、春水と二人で休み時間をフルに使って分析したのだ。

「ふ~ん」

「……可哀想な人を見るような目はやめてもらえるかしら、遊」

「で、何か判ったのか?」

「残念ながら何も判らないことが判っただけ」

 アフォリズムめいた言い方をして、私は俯き加減にため息をついた。

「いや、ウチはそうは思わへんけどな」

 春水がいやに自信たっぷりな様子で口を挟んできた。

「どういうこと?」

「十三体のフィギュアのうち五体、つまり約三分の一は同じ原画師がキャラクターデザインしとるやん。その他のキャラクターはバラバラやけど」

「……単なる偶然よ、有為な意味があるとは思えないわ」

 私は春水の言を即座に切り捨てた。

 もしかして、キャラクターの名前の一番最初の文字を並べ替えると何らかの意味のあるアナグラムになってたり――と一旦は思ったりもしたが、十三文字もあると意味のある文字列がパッとは思い浮かばない上、推理する私の方で恣意しい的な解釈が無限に出来そうなので、暗号という方向性からのアプローチはすぐさま放棄した。

「――あたし、この事件の犯人は絶対許せない」

 ベンチの正面の池に無機質な視線を向けた遊が、低い声で独りごちるように呟いた。

「ロイエンタールには……何の罪もないあの仔には、これから幸せな生活が待っていたはずなのに、その未来を一瞬で残酷に断ち切った犯人が、あたしは心の底から憎い。もし許されるものなら、自分の拳の骨が砕けるまで殴り付けて殺してやりたいって思ってる」

 手にした炭酸飲料の空缶がくしゃり、と潰れる。

 私たちはその物騒極まりない物言いをたしなめることはしなかったし、また別段する気も起こらなかった。私も――そして恐らくは春水も、遊と同じ状況下に置かれたら同じことを思うに違いないから。 

「けど、あたしにはその憎むべき犯人を見つけ出すことなんて到底出来やしない。陸上しか取り柄のないバカだからさ、あたしって」

 ひとしきり自嘲めいた笑みを浮かべていた遊は、気持ちを切り替えるように、背筋を伸ばしてすうっと深呼吸すると、

「だから二人とも頼む、ロイエンタールを殺した犯人を見つけてほしい」

 左右に座る私と春水に、熱っぽさを内包した真摯な眼差しを等分に結んできた――今朝、事件現場で鈴木君が向けてきたのと同種の視線を。私は胃が重くなるのを感じたが、その視線から逃れるのは今度は許されないことだった。

 内心に渦巻く不安を押し殺して、私は無言で視線に応えた。






          ***


 理事長室は旧校舎一階の職員用昇降口のそばにある。生徒や教職員の往来がほとんどない、ひっそりと静まり返った場所である

 私がドアをノックして来意を告げると、中から「入りなさい」と声がした。

「失礼します」

 初めて立ち入る場所に、内心少し緊張ながらドアを開ける。一歩足を踏み入れると、上履きの底に学校には似つかわしくないペルシャ絨毯のふかふかした感触が伝わった。

 十二畳ほどの広さのさほど日当たりのよくない室内は、年季の入った見るからに高価そうな調度品に囲まれており、先祖代々から学内の最高権力者の地位を継承した人物の根城には相応しいといえた。右手の大きな本棚には教育関係の分厚い本に交ざって、浦先生の話では大学で英文学を専攻したという理事長個人の蔵書とおぼしき、洋書のペーパーバックが何冊か見受けられた。

 チャコールグレーのダブルの背広を着た部屋の主は、奥の窓際に据えられた光沢のあるマホガニー製の執務机で、何十部と積まれた書類を指サックでぺらぺらめくりつつリズミカルに決裁印を押していて、その横では用務員の熊谷さんが、棚にずらりと並べられたトロフィーを丁寧に磨いていた。

 書類の束からおもむろに顔を上げた鯉沼理事長は、肉付きのよい腕に巻いている金色の時計に視線をやって、「もうそんな時間か」と呟くと、

「待たせてしまって済まんが、この仕事だけ先に片付けてしまいたいんで、そこに腰掛けてちょっと待っててくれんかね」

 先日、即売会帰りに乗換駅のホームで会った時とは打って変わって鷹揚な物腰で左側の応接セットを指し示し、再び書類の束に向き直った。

 三人並んで、本革張りのソファーにおずおずと腰を下ろす。

 身体に掛かる負荷を全て吸収してくれるようなその座り心地は、まさしく快適の二文字に尽きたが、理事長室という、ただでさえ一介の生徒風情にはベルリンの壁並みに敷居の高い場所で、黙々と理事長の仕事ぶりを眺めるしかないという気ぶっせいな状況が大いにマイナスして、総合的な座り心地は歯医者の待合室の長椅子と大差なかった。

 遊は早くもんだ表情で、お尻を落ち着きなくもぞもぞ動かしている。

 テーブルに視線を落とした春水が、鼻の頭に皺を寄せた。見ると、テーブルの上に置かれたガラスの灰皿に吸い殻が残っていた。春水は煙草の臭いが大の苦手なのである。

 すると、熊谷さんがやおらテーブルに腕を伸ばして灰皿を掴み、吸い殻をゴミ箱に捨てると棚の上に退けてくれた。角張った精悍な顔付きによらず、細かいところまでよく気が回る人らしい。

 ちょっとどころではなく、たっぷり五分ほど待たされた。

 ようやく仕事を片付けた理事長は、熊谷さんにお茶を淹れるよう頼むと、私たちの向かいのソファーに腰を下ろして、

「――耀一君の差し金、とかではないんだね」

 と、こちらのはらの底を探るような湿っぽい視線を向けてきた。ただの小娘である私に対するにしてはいささか神経質な態度だが、それだけ選挙に絡んで色々な方面からの風当たりがあるのだろう。

「はい」

 理事長に視線を被せて、私は強く頷いた。

昨夕ゆうべの電話でもお話しした通り、この件は私たち個人で動いてるので兄はほとんど関与してないです。それに、妹の私が言うのも何ですが……兄は上昇志向とは無縁の人間で、政治的には中立のスタンスを保っていることは、理事長も多少は御存知と思いますけど」

 言外に、私は宮原陣営のスパイではありませんよ、という意を込める。

「確かに……いや、せんないことを言って済まなかった」

 バツの悪そうな顔でそう言って、私に禿頭を下げる理事長。どうやら警戒はある程度解いてもらえたようだ。

「校内で立て続けに起きてる不審な事件は、麻琴君の考えとる通り、私個人への嫌がらせとみてまず間違いないだろう」

 モスグリーンのネクタイの結び目をいじりながら、理事長は重々しい口調で話を切り出す。

「本当ですか?」

「ああ、最近私に宛ててこんな手紙が届いとるからな」

 苦虫を噛み潰したような顔でソファーから立ち上がると、執務机の抽斗ひきだしから数通の茶封筒を取り出し、私たちに寄越した。

 私はそのうちの一通を手にとり、中の便箋を開いた。


 ――兵役は国民の神聖な義務である。これは、コミュニスト共の陰謀で戦後民主主義なる左翼思想に毒された我が国を除く、世界中のすべからく国々の常識である。それを公の場で堂々と公言したに過ぎぬ高潔なる憂国の士を、背後からの裏切りで苦境におちいらせた、曲学阿世の徒にして反日勢力の手先である貴君には、いずれ大東亜戦争で散華した幾百万の英霊に成り代わって必ずや天誅が下されるであろう――。


 当然だが、差出人の名前や住所は書かれていない。消印を確認すると《西大寺さいだいじ》だった。県庁所在地の東側に位置する地域だ。

 文面を精読してみる。一見、いかにも右側の人たちの好みそうな堅い単語を多用した美文調だが、その実、《すべからく》の誤用、《公の場で公言》の重複表現、《成り代わって下される》の辻褄の合わない受動態――小論文テストでは明らかに減点対象になりそうな、文法上の基本的な間違いがちらほらと見受けられる。

 差出人はちゃんとした文章を書き慣れてなく、知的レベルも決して高いとはいえない人間で、己にとって口当たりのいい思想を無批判に受け入れて背伸びをしているだけなのだろう、と私は結論付けた。

 他の封書も改めてみたが、筆跡が異なるだけでどれもこれも似たり寄ったりの内容で、消印は半分以上が西大寺だった。

 五通ほど読んだところで、負のオーラを放つ文字列とのにらめっこにいい加減うんざりした私が、ため息交じりに視線を外すと、熊谷さんが湯呑みを四つ乗せた盆を持って部屋に戻ってきた。熊谷さんはテーブルにお茶を置きながら、私の広げた脅迫状をしげしげと覗き込んでいたが、

「これが理事長が前に仰ってた脅迫状ですか……この、《曲学阿世のともがら》ってどういう意味ですか?」

 と、興味本位を内包したしかつめらしさで尋ねてきた。

「曲学阿世というのは司馬遷の史記に由来する言葉で、学を曲げて世におもねる、つまり権力者の意向や世論に迎合しようとして、自らの信念を放棄するという意味で……まあ、我々教育者にとっては最も恥ずべき言葉だな」

 理事長がいかにも教育者でございといった態度で解説すると、

「はあ」

 熊谷さんは不得要領といった顔で、ぼんやり相づちを打った。どうやら《司馬遷の史記》の時点でピンと来てないらしい。見ると、遊も隣で同じような顔をしている。え~と、漢王朝は先週の世界史でやったばかりなんだけど……。

 ――戦後の復興期、GHQ占領下にあった日本が国際社会に復帰を果たすべくサンフランシスコ講和会議で締結した平和条約は、米英を中心とする西側陣営との間だけのもので、時の首相・吉田茂ら親米保守派の唱える《単独講和論》に基づいていた。しかし、左翼的思想が言論界の主流を占めていた当時の日本国内では、旧ソ連や中国などの東側陣営も含む全連合国との間で平和条約を締結すべきだ、という《全面講和論》もかなりの勢いを保っていた。全面講和論の中心的存在だった東大総長・南原繁を、吉田首相は「曲学阿世の徒の空論」と批判し、それを受けて南原は「権力的弾圧以外のものでない」と激しく反発した。この衝突は当時の世論を大いに賑わせ、曲学阿世という言葉が人口に膾炙するきっかけにもなっている。

 脅迫状の差出人はこの事件を念頭に置いて、理事長をイデオロギー的に当てこすっているに違いない――私がそう口にすると、理事長は驚き顔と呆れ顔が半々で入り交じった複雑な表情をして、

「御子柴君、君は高校生なのに何でそんな爺むさいことを知っとるんだね?」

 大きなお世話である。私は軽く咳払いして封筒を持ち上げ、消印の日付を確認した。

「一番古い日付は最初に例の悪戯があった日の数日前……なるほど、判りやすい状況証拠ではありますね」

「だろう」

 理事長は我が意を得たりとばかりに大きく頷いた。むしろ判りやす過ぎるくらいだ、と私は心の中で付け足す。

「これは現段階では勝手な憶測に過ぎんから、くれぐれも口外は控えてほしいんだが」

 ソファーの上で足を組み替えながら、底意を感じさせる上目遣いでこちらを見る理事長。

「西大寺に本拠を構えとる右翼団体で《一桜会いちおうかい》という、ヤクザとも繋がりのある団体があるんだが、その活動資金の一部が前代議士の親族会社から出とると聞いたことがある」

「つまり、理事長はその《一桜会》とかいう団体が今回の件の首謀者やと考えとるっちゅう訳ですか?」

 春水が水を向けてみると、無着色のソーセージを二つ並べたような理事長の血色の悪い唇に、誤魔化すような笑みがうっすらと浮かんだ。

「そうとまでは言っとらんよ、組織の意を勝手に汲んだ一部の跳ねっ返りの仕業という可能性も充分にあるしな」

「なるほど、兄に伝えておきます」

「よろしく頼むよ」

 理事長の言葉に私は内心苦笑した。先だっては「口外するな」と言っていたくせに。理事長としては、私というメッセンジャーを介して兄に今回の事件が一桜会の仕業であることを示唆することで、その背後にいる宮原前代議士への牽制を目論んでいるのだろう。

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