【問題編5】その少女、悲嘆
作者からの警告――以下、本文中で前作『フランス人の手紙の冒険』の真犯人に言及している箇所があります。未読の方はくれぐれも御注意下さい。
慌ただしい足音が遠くから聞こえてきた。
見ると、カーキ色の作業服をまとった用務員の熊谷さんだった。用務員というと年輩の男性というのがどこの学校でもデフォルトだが、熊谷さんは兄貴と変わらないくらいの年格好だから随分若い。校内で擦れ違う生徒にもいつもにこやかに声をかけている気さくな人だが、今はさすがにその角張った顔から人の良さそうな笑みは雲散霧消し、狼狽の色がそれに取って代わっている。
熊谷さんに先導されて、白衣姿の大宝寺先生が駆け付けてきた。人だかりを手で軽く散らしながら、ロイエンタールが吊るされた榎の木の下に立った先生は、彫りの深い苦み走った顔を更に苦くして、
「こりゃ酷いな、一体どこのどいつがこんな真似を」
吐き捨てるように呟くと、微かに漂う死臭に辟易したのか口元をハンカチで押さえた。
「とにかく下ろしてやりましょう、いつまでもこのままにしといちゃ可哀想だ」
熊谷さんは脇に抱えていた脚立を地面に立てて天板に上がると、ロイエンタールを吊るしているロープの枝先に結ばれた縄目をほどき始めた。
「なあ、洋雄君……この子猫って、ひと月くらい前からウチに居着いてたヤツだよな」
先生は熊谷さんにそう尋ねながら、軍手をした手でロイエンタールの亡骸を受け取って、その首に巻き付けられていたロープを外す。
「ええ、そこの綾瀬さんがいつも面倒見てました」
熊谷さんが、クラブ棟の壁際にいる私たちを手で示した。
「そうか……」
ロイエンタールを地面に横たえ、スマートな顎に手を当ててしばし考え込んでいた先生は、不意に私たちの方を見やって、
「ちょっといいか」
と、こちらに近付いてきた。
「君たち昨日の昼休みもこの猫に餌をやってたろう、校舎の中庭で」
「見てはったんですか、先生」
春水が言った。
「うん、僕もあの時間は池の錦鯉に餌をやるもんでね。そしたら、あそこのベンチに並んで腰掛けて楽しそうにおしゃべりしながら、子猫に餌をやってる君たち三人の姿が目に入ったという訳さ」
「いえ、私たちは遊に付き合ってただけで、この子の……ロイエンタールの面倒をいつも見てたのは遊でした」
私が言い添えると、先生は軽く頷いた。
「うん、それは僕も知ってる。綾瀬君がこの子猫に餌をやってるのは校内で何度も見ているからね。で、それを踏まえて訊きたいんだが――」
先生は一瞬冴えた視線を遊に走らせたが、性急のあまり自分の口ぶりがつい鋭くなってしまったのを自覚したのか、不意に口を閉ざすと、
「こんなことをした人間に何か心当たりはあるかね?」
数秒の沈黙を挟んで、最前より幾分か和らいだ語調で尋ねてきた。
「……いえ、ありません」
くすん、と鼻を鳴らして遊が答える。
短い吐息を漏らした先生は、次いで私と春水にも目でそっと探りを入れたが、私たちの表情から犯人に心当たりにないことをすぐさま読み取り、
「そうか。いや、下らんことを訊いて悪かったね」
と、ロマンスグレーの頭を下げて詫びた。
「これどうしましょう?」
しゃがんでロイエンタールの亡骸を黒いビニール袋に入れていた熊谷さんが、立ち上がってこちらに近付きながら先生に尋ねたが、すぐに遊の存在に気付いてバツの悪そうな顔で、
「……やっぱ、焼却炉で燃した方がいいですかね」
先ほどより遠慮がちに伺いを立てると、遊の方に同情的な視線を送った。
「そうだなぁ、僕の一存では何とも言えんな。まずは生活指導の首藤先生に訊いてみんことには――」
「……先生、お願いがあるんですが」
突然、遊が思いきったように口を開いた。彼女の眼差しの奥に潜む強い決意を読み取ったのか、
「ん、何だね」
引き締まった表情で応じる先生。
その表情に多少気後れしたのか、遊の瞳に逡巡の色がありありと浮かび上がったが、彼女は口元を真一文字に結び直して迷いを払拭すると、
「ロイエンタール、墓を作って埋めてあげたいんですけど駄目でしょうか」
改めて真摯な口調で訊いた。
先生は一瞬困ったような顔をすると、地面に視線を落としてしばらく考え込んでいたが、やがて決心したように面を上げて、
「洋雄君。昔、体育でライン引きに使ってた消石灰ってまだ残ってるよな」
「ええ、体育館倉庫の奥に二袋くらいありますよ」
熊谷さんが頷いた。
「じゃ、消毒にはそれを使えばいいか。どうせ今、ライン引きに使ってるのは炭酸カルシウムだから無用の長物だしな。埋葬は校舎裏の方なら別に構わんと思うが、一応僕の方で首藤先生や校長先生には了解を取っておくから、放課後に生物準備室まで顔を出してくれないか。それまで《彼》は実験用の冷蔵庫にでも安置しておくよ」
「……ありがとうございます」
先生の言葉に安堵の表情を浮かべた遊が深々と一礼したので、私たちもそれに倣って頭を下げた。
横目で遊の様子を窺うと、彼女が頭を下げている辺りのアスファルトの地面に、大粒の涙が次々と吸い込まれていくのがはっきりと見えた。血の気が失せた彼女の唇から、何度目かの嗚咽が漏れだす。
「遊……」
喉の奥が詰まるような感覚がして、それ以上彼女にかけるべき言葉を見いだせなかった私は、不規則に上下するその肩におずおずと手を添えるしかなかった。
***
一時限目は首藤先生の現国だったが、急遽自習になった。先生は生活指導主任だから、きっと今頃は校長や教頭と額を突き合わせて、今朝の事件の善後策でも話し合っているのだろう。
自習とはいい条、教室内は休み時間とさほど変わらない喧騒に満ちてはいたが、いつもと違ってどことなくよそよそしい感が拭えなかった。わずか一時間で噂が校内を巡り巡って、皆ある程度ロイエンタールの事件のことを知っているのだろう。見ると、通路側の一番前の席の秋山さんが遊の様子をまるで新米のスパイのように何度もチラチラ窺いながら、同じグループの娘たちと声を潜めて何やら話していた。
結局、昨日兄貴が言ってた通りになっちゃったな――。
窓際の自分の席で兄貴に事件発生を知らせるメールを打ちながら、私は一際大きなため息をついた。人間の死体が吊るされるよりはマシかも知れないが、ロイエンタールに少なからず情が移っていた私にとっては、今回の事件はある意味それ以上の衝撃を与える出来事だった。
私でさえそうなのだから、遊の受けた驚き、怒り、悲しみは到底言葉には尽くせないものだろう。そんな悲嘆のベールに覆われた彼女を目の当たりにして、私の頭の中は真っ白になってしまい何も言えなかった。遊が偽善的な安っぽい同情を何より嫌う質なのは、これまでの付き合いでよく判ってはいるのだが……。
こういう時、兄貴だったらきっとごく自然体に慰めの言葉をかけてやれるに違いない。そう思うと、自分が途轍もなく惨めで情けない存在に思えてくる。
再度ため息をついて打ち終わったメールを送信すると、
「スドセンの授業やったら即ボッシュートされとるところやで、携帯」
隣の、本来の住人が秋山さんのところに行って空いた席に座っていた春水が、「没収じゃけえのぉ」と首藤先生の口真似をしてニヤニヤ笑いかけてきたが、その明るい表情の裏側に陰りが貼り付いているのは否めない。
「結局、理事長が『図書便り』に書いた話通りになってもうたな」
真面目な表情に戻って、春水が言った。
「こういうの、マコちゃんの好きな推理小説で何ていうんやったっけ?」
「……《見立て殺人》よ」
ロイエンタールを殺した犯人が、鯉沼家の伝承を意識して犯行に及んだことは間違いなかった。その目的はストレートに考えると理事長への嫌がらせということになり、そう仮定すると理事長を恨んでいるであろう宮原前代議士サイドの人間に動機が発生するのだが――昨日兄貴も指摘していた通り、単に選挙絡みでここまでする必要があるのかという疑問点が残る。
「あるいは、犯人はウチらがそない思うのを計算しとるかも知れへんで」
宮原サイドの人間が犯人であるかのように思わせて、自分を容疑者候補から外させる。なるほど、その方がミステリ的な考え方ではある。
しかし、どちらにしてもロイエンタールを殺す必然性が判らない。
悲しいことに世の中には、憂さ晴らしないしは快楽を得るために無抵抗の動物を殺す人間も存在するが、今回の事件の犯人はそういった手合いとは根本的に異なる気がする。犯人の一見異常な行動の裏には、何らかの冷徹な計算に基づく合理的な理由が隠されているのかも知れない――厳密な論理の裏付けなど全然ない、単なる直感に過ぎないが。
「……御子柴、為永」
私たちを呼ぶ声がした。顔を上げると、わずかの間にすっかり生気が抜けてしまった様子の遊が所在なげに立っていた。彼女は何か不可視の強い力に扼されているかのように喉元をひくつかせ、数秒の躊躇いの後に焦点の合わない濁った眼差しをこちらに向けた。
「勝手な頼みでごめんだけど、お願いが――」
「――放課後生物室まで付き合ってほしい、でしょ?」
遊が言い淀んだのを引き取って、私は穏やかに言葉を接いだ。
一瞬、遊のがっしりした筋肉質な肩が小さく波打つ。泣き腫らした目を大きく見開いていた遊は、ややあって遠慮がちに首を縦に振った。
喉元で小さくため息をついて、私は机の上で両手を組みながら言った。
「こないだのストーカー事件の時もそうだったけど……実際問題、遊は私たちに対しても他人行儀過ぎるのよ。私たちもう長い付き合いなんだし、そんな友達甲斐のない人間じゃないつもりなんだけどな」
「うん、マコちゃんの言う通りや。遊はもっともっとウチらに甘えて頼ってもらっても全然構へんねんで」
春水も身をぐいと乗り出して言い添える。
「……二人とも、ありがとな」
頬をふっと緩ませ、照れくさいのかぶっきらぼうな口調で礼を言う遊。その黒曜石のような瞳の奥に、白いものがわずかに光っていた。
***
放課後、私たちは旧校舎一階に位置する生物準備室に向かっていた。
新校舎を出て、青いトタンの屋根付きの通路を進む。左手に見えるモスグリーン色のネット越しのグラウンドでは、運動部が「ファイオー、ファイオー」と声を張り上げて一生懸命青春の汗を流していた――とまあ他人行儀な表現なのは、私自身が運動音痴で完全にインドア派ゆえなのだが。
グラウンドの新旧両校舎に面する以外の三方は、こんもりと繁る樹木に囲繞されており、吹き込んでくる穏やかな風が私の鼻先に爽やかな新緑の香りを届けた。
「そういえばさ、鈴木君は?」
遊の彼氏の姿がないのを見咎めて、私は小首を傾げた。彼の為人からすると少々腑に落ちない。
「……あいつは会計の用事で生徒会。どうしても外せないみたい」
言葉少なに答える、遊。どこか含みのある言い方だった。
「ふうん」
軽く頷いて視線を前に戻した私だったが、不意に遊がそんな言い方をした理由に思い当たった。以前会計を担当していた、部活のマネージャーの河野あかりの代理――。
「彼女、結局あれから来てへんのやろ。学校」
春水がぽつりと呟く。そのブラウンの瞳の底には、わずかな陰があった。
「うん、一応うちに謝罪しには来たけどさ……あれからすぐ、お母さんが部活に退部届を出して。学校には全然来てない」
さもありなん、と思った。彼女が自分の犯した行為を本当に深く反省しているかどうかは神のみぞ知るだが、どちらにせよ遊と顔を合わせることには神経が堪えられないのは理解出来る。
私は偽善者ではないので、自分の身内も道具に使う卑劣な手段で親友を陥れようとした彼女に向ける同情の念は、一切持ち合わせてはいない。が、彼女の親御さんの苦悩やあの一家の暗い未来を想像すると、胸が万力で締め付けられるようにキリキリ痛むのもまた事実だった。
「……それはあの一家で何とかするしかない問題やな」
自分自身に言い聞かせるような口調でそう言った春水は、耳たぶに手をやって面映ゆそうに続けた。
「利いた風な言い方やけど――自分の負った傷は結局は他人やのうて自分自身でしか癒せへん、ウチはそう思うんや」
私と遊は互いの視線を結び合わせ、こくんと頷いたのだった。
生物室は旧校舎に入って右手の突き当たり、体育館の向かい側にある。入口の周りに据えられた収納棚の中には、ラベルが褪色したホルマリン漬けの魚やら爬虫類やらの標本がところ狭しと並べられており、いつ見ても気色悪いことおびただしい。
すぐ隣の準備室のドアを先頭に立っていた遊がノックすると、
「はい」
室内で大宝寺先生の応じる声があった。
「ああ、綾瀬君だね。入りたまえ」
失礼しますと口々に言って、私たちは準備室に入った。
準備室の中はコーヒーの匂いが立ちこめており、老眼鏡を掛けた先生が綺麗に整理されたデスクの上で、市松模様のマグカップ片手に何やらプリントを仕分けていた。作業を中断して老眼鏡を外した先生は、両肩を揉みながらデスクチェアをこちらの方にくるりと向けて、
「あの件だがね、校長からOKが出たよ」
「……ありがとうございます」
嬉しさの中に一抹の悲しみが潜んだ複雑な表情で、遊が四十五度の角度で深々と頭を下げる。私たちもそれに倣った。
「本来なら僕が付き添ってあげたいんだが、残念ながら明日から郷里で母親の法事があるんで早退けせにゃならんのだよ。で、昼のうちに熊谷君に手配をお願いしといたから彼に声をかけてくれないかな。今時分は体育館の周りの植木の手入れをしてるはずだから」
「法事、ちゅうことは明日の四限は自習ですかっ?」
「為永君、そんな露骨に嬉しそうな顔するんじゃない」
苦笑いを浮かべた先生は、デスクの上のプリントを手で示した。
「自習用のプリントは準備おさおさ怠りなく作ってあるから、お生憎様だが教室でバカ騒ぎしとる暇はないぞ」
「ちぇっ」
唇を尖らせた春水は後ろ手を組んで右足で虚空を蹴り上げる。何だその、昭和時代の悪ガキみたいなリアクション。
新聞紙に包まれて安置されていたロイエンタールを受け取り、生物準備室を辞して体育館の方に向かうと、果たして白いハンドタオルを頭に巻いて高枝鋏を手にした熊谷さんが、体育教官室の窓辺に植わったキンモクセイの剪定作業に精を出していた。
私たちの姿を認めた熊谷さんは、高枝鋏を芝生に置いて額に光る汗をタオルで拭いながら、
「ああ、待ってたよ」
と、快活な様子でこちらに歩を進めてきた。
「準備はさっき済ませてる。さ、行こうか――」
熊谷さんに案内されたのはグラウンド南端の、背の高い雑草が傍若無人に生い茂っている場所だった。夏休み前の一大イベントである大掃除の際には、炎天下での雑草抜きという名の強制労働をさせられる魔のスポット。去年夏の大掃除では――各クラスが清掃する担当区域は美化委員会で行われる抽選で割り振られるのだが、それまで大過なく美化委員を務めていた娘が見事《魔のスポット》を引き当ててしまい、不憫にもクラス中の大ブーイングを浴びたことがある。
「必要なものはこの上に置いてあるから」
熊谷さんが指し示した鉄錆びたリアカーの上に、口の開いた大きな茶色い紙袋とスコップが何本かと軍手の束が置かれていた。
「野良犬が掘り返したりするといけないから、穴は最低でも一メートルは掘ってくれないかな。で、伝染病や土壌汚染の予防のためにその袋に入ってる消石灰を全部、猫をように掛けてほしいんだ。こうしないと異臭が漏れ出して近隣に迷惑が掛かることになるから、くれぐれもよろしく頼むよ」
大宝寺先生からよほど言い含められているのだろうか、熊谷さんはやや神経質な口調だった。
「はい、判りました。色々とありがとうございます」
遊がきびきびした口調で応じると、熊谷さんは少し安心したのか、
「じゃ俺はさっきの場所で仕事に戻るから、終わったらそこまでリアカーを持ってきてくれないかな。片付けるのはこっちでやるから」
そう言って背を向けると数メートル進んだところで振り返り、「くれぐれもよろしく頼むよ」と念押しして立ち去っていった。
一旦教室に戻ってジャージに着替えた私たちは、軍手をして雑草を引っこ抜き、スコップで作業を開始する。放課後、花も恥じらう女子高生が三人で黙々と墓穴を掘る――傍目から見たら何ともシュールな構図だろう。
「……禁じられた遊び、ってあったわね」
重苦しい沈黙を破って、私は言った。第二次大戦のフランス、ナチスドイツの侵攻で両親を亡くして南部に疎開してきた戦災孤児の少女が見つけた新しい遊びは、疎開先の家の少年と一緒に動物の墓を作ることだった――というストーリーである。頭の中に流れる、ナルシソ・イエペスの哀愁に満ちたギターの響き。
「日本の子役ってこまっしゃくれた感じがしちゃうんだけどさ、洋画の――特にヨーロッパの芸術映画の子役って全然そんな感じがしないのは、一体何でだろうな」
黒土にスコップを突き入れて、遊が応じる。彼女は基本的には昔の邦画マニアなのだが、それ以外の作品も全然観ない訳ではないのだ。
「あれは不思議よね」
とりとめもない雑談をしているうちに、穴の深さは胸の辺りに達していた。
「あ~、手ェ痛なってもうた」
軍手を外した手をぶるんぶるんと振る、春水。私も身体のあちこちの筋肉に乳酸がたまっている。
「二人とも引きこもって気持ち悪い萌えアニメばっか観てるから、運動不足なんだよ。そんなんじゃ足腰弱って、将来すぐ寝たきりになっちまうぞ」
遊が白い歯を見せて、ニヤリと笑った。
「ふん、運動バカの遊なんかと比べないでほしいわ」
鼻を鳴らして私が言い返すと、
「何だと。言ったな御子柴、この頭でっかちの蘊蓄女っ」
と、声を荒らげた遊に頭をちょんと小突かれた。
一瞬の間があって、私たちは一斉に肩を揺らして笑った。ややもすると滅入る気分を誤魔化すために。いつしか笑い声が乾いた吐息に変わるまで。
沈鬱な表情に戻った遊が、包んでいた新聞紙からロイエンタールを出す。目を背けたくなるのをこらえて至近で遺骸の状態を観察すると、後頭部が陥没して赤黒く凝固した血がこびりついていた。どうやら犯人は鈍器でロイエンタールを一撃して死に至らしめたらしい。ぐしゃっ、という頭蓋骨の砕ける嫌らしい音を想像して背筋が寒くなった。
墓穴の中にロイエンタールをそっと横たえ、袋に一分目ほど入っていた消石灰を掛けていると不意に、まるで洋画の埋葬シーンみたいだな――という馬鹿らしい考えが浮かんできた。
灰は灰に、塵は塵に、と頭の片隅で暗然と呟いていると、春水が住宅街に面したフェンスにしゃがんでいた。見ると、辺り一面に咲いているアカツメクサの花を摘んでいる。
「何してるの」
「子供の頃よう作ったやん、花の冠。供えたげよ思うて」
私と遊は顔を見合わせて微笑みを交わし、童心に帰った気分で春水の作業に加わる。二十分ほど費やし、直径十センチほどの冠が三つ出来た。石灰の敷き詰められた墓穴に冠を投げ入れ、ロイエンタールの冥福を祈りながら黒土を掛けていく。
土饅頭が出来上がった時、防災無線の五時のチャイムが鳴った。