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8:旦那様と二人きりの晩餐会

今話は長めです。

「奥様、此方旦那様からにございます」


 公爵家に来て二十と三日目の朝からベルメとセナと侍従が二人現れました。侍従二人はわたくしが着替えるまで外にて待機。その後入って来たと思いましたら、セナがそのように申して侍従二人が箱を数点テーブルの上に置いていきます。ええと。大きさから考えますと、ドレスと靴と装飾品、でしょうか。旦那様から?

 侍従二人は箱を置ききると一礼をして出て行く所でしたので「ありがとう」 と一言述べました。二人共、少し目を丸くしましたが、微笑みを浮かべて再度無言で出て行きました。貴族によっては使用人を人と思わずに居ないものとして扱え、という教育方針の家もあるようですが、わたくしはお父様からそのように育てられておりませんので、礼を述べるのは自然のことです。

 とはいえ、差別ではなく区別は付けねばならず、悪いことをした時に謝罪を受けることや罰を与えることを問わないのは、主人として失格なのだそうです。それをしない主人は使用人から尊敬されず、場合によっては蔑みや裏切りにまで事態が動くこともあると厳しく教えられました。尊敬される主人になることも貴族の義務なのです。


「旦那様から、と言いますと」


「今宵の晩餐は此方を着て欲しいとのことで」


「まぁ! 旦那様はお優しい上にそのようなお心遣いまでして下さいますのね! 早速中身を確認をしなくては」


 わたくしは嬉しくてセナとベルメに開けて頂戴、と命じました。自分で開けても良いのですが、こういう時は侍女に命じて開けてもらうのも、主人と使用人の仕事の一つ、とセナから夫人教育で教わっております。区別の一つです。

 中から出て来たドレスはまさかの旦那様の目の色である青と緑を混じり合わせた色です。イブニングドレスなのは分かるのですが旦那様の目の色のドレスを準備して下さるとは思ってもみませんでした。

 トルソーにイブニングドレスを掛けてじっくりと見て、ふと気付きました。


「ねぇ、ベルメ」


「はい、奥様」


「あなた覚えているかしら。わたくしが幼少の頃にお父様とお母様と一緒に海という大きくて広くて呑み込まれそうな怖さと、それでいて優しさを運んでくれるような自然を目の前にしたこと」


「もちろんです。私も子どもでしたが、奥様の侍女の一人として旅に連れて行って頂きました。あの時のことでございましょう?」


「ええ。お父様のご友人に誘われて行った海までの旅。その目的地である海の色、覚えている?」


 尋ねながらわたくしは公爵家に来て出迎えて下さった旦那様の目の色が、青と緑が混じり合った不思議な色合いであると同時に懐かしさを覚えていたことを思い出しました。


「青い色だったと記憶しておりますが」


「そう。青よ。でも、このイブニングドレスを見ていて思い出したの。旦那様の目の色は、青と緑が混じり合った不思議な色合い。でも懐かしい気がしていたわ。それもそのはず。幼い頃に見た海の色そのもの、なんですもの! 海の色は青だけど緑がかっていたでしょう? 覚えていないかしら? 旦那様の目の色の美しさは海と同じなのよ」


 少々興奮してしまいましたが、旦那様の目の色への懐かしさがなんなのか、分かったのでセナには許してもらいましょう。……夫人としてはしたないかしら?

 ーー後にわたくしは公爵家所有の色図鑑なるもので、ピッタリの言葉を見つける。旦那様の目の色はマリンブルーという色の名前が付けられていた。


「言われてみればそのような色でございましたね、海の色」


 ベルメが深く賛同してくれる。


「ええ、そうよ。旦那様は海を持つお方なのね。それにしても、このイブニングドレス。海の色をしたシルクなのね。どうやって色付けしたのかしら。あら? 縫製の糸は旦那様のお髪の銀色ですわ。まぁ、旦那様のお色を纏うことをお認め頂けるとは思わなかったわ」


 セナに微笑みかければ、何やら感動している表情です。随分と表情豊かですわね。そして何に感動なさってますの?

 それにしても、晩餐ですのにイブニングドレスを準備されるとは思いませんでしたわ。夜会ならば分かりますけど。ベアトップのAライン。裾の長さはわたくしが靴を履いたらそれが隠れる長さかしら。

 開けられた箱に靴もあるわ。銀革の靴は旦那様のお髪の色ね。装飾品は……旦那様の目の色に近い大きなジェード(翡翠)を使用したネックレスと小ぶりのジェードがついたイヤリングだわ。あとロンググローブ(肘が隠れるまでの長さ)も共にドレスの箱に入っているわね。

 ここまで旦那様のお色で構わないのかしら?


「ねぇ、セナ」


「はい、奥様」


「晩餐を共にすることは、わたくしの提案ですが、イブニングドレスを着用しての食事、ですの?」


「はい。今宵はテーブルに着いてではなく、立食に致しましたから」


 それならイブニングドレスでも分かるわ。

 でも立食スタイル? パーティーでもないのに?


「奥様には大変申し上げ難いのですが、二人きりではありますが旦那様は、その、女性と向かい合って席を共にしてお茶を飲むことも食事を摂ることも、苦手でございます。奥様と契約書を交わされたあの日も、本当は苦手で。奥様と視線を合わせないで話すことが精一杯でございました」


 セナが申し訳なさそうに眉を悄気てポソポソと話す。それは、わたくしに話しても大丈夫な内容なのかしら……。

 でも、そうですか。女性とテーブルに着いて食事やお茶が苦手なのですね。


「では、わたくしの何気ない一言で旦那様は苦痛を抱えていらっしゃるのかしら……。それでもこのような形でわたくしの願いを叶えようとして下さるなんて、本当にお優しいお方ですね。……旦那様はご無理されていらっしゃらない? 体調が悪くなるようでしたら無理をしないでください、とお伝えしてね? 苦手なことを無理にさせたいわけではないの」


 わたくしもまた俯いてポツポツと伝えます。苦手なことをさせてしまうなんて申し訳ないですわ。


「奥様の方こそ、そのお心配り。お優しい方で、私共使用人は、本当に奥様が来て下さって有り難く思っております」


 セナが涙で目を潤ませてます。ええと、こう言ってもらえるのは良いこと、と思う事にしましょう。普段の夫人教育は割と厳しいセナに、こう何度も泣かれるとわたくしが悪者になっている気がするのは何故かしら。


「それにしても。ドレスってこんなに早く出来上がらないわよね?」


 そんなわたくしの何気ない疑問。

 夫人教育初日にサイズは測ってもらいましたけど……。セナが言うには公爵家御用達のデザイナーに、そのサイズでドレスを作るように伝えていたそうです。

 つまり、元々晩餐会とは関係なく、わたくしに足りない物が無いように、と……ドレスは作って下さる予定だったということだったのでしょうか。

 旦那様の色のシルクは元々作っていたものだったとかで、旦那様のお母様がご存命の頃に婚約者が出来たらドレスを作ってあげたい、と口にされていた物だそうです。

 ……亡くなられた義母様にお会いして感謝を伝えたかったですわ。義母様は息子の妻を大切にしようと思っていたわけですね。

 その相手がわたくしで良かったのでしょうか。……いえ、もしかしたら噂の恋人様の存在は義母様もご存知だったわけですから、本当は恋人様のためのドレスを準備したかったのかもしれません。

 でも。サイズはわたくしのサイズのイブニングドレスですから、わたくしのために作られたわけです。亡き義母様はお許しくださいますかしら。

 分かりませんが亡き義母様の、そのお気持ちごともらう事にします。

 そして、デザイナーさんの指揮下でお針子さんを総動員どころか見習いの方まで動員して、昨夜仕上げて持って来てくれたそうです。……まぁ大変なことをしましたわ。


「では、デザイナーの方に手紙を書くから明日にでも手配をして下さる? あとお針子さん達と見習いのお針子さん達全員に公爵家御用達の菓子屋の焼き菓子を、ね。日持ちするでしょうから。デザイナーさんには何か欲しい物があればそちらを、と伝えておいてね」


 これは、心して着なくてはなりません。

 亡き義母様のお気持ちも、わたくしへの心配りとしての旦那様のお気持ちも、その気持ちを受けて作ってくれたデザイナーさんとお針子さん達の想いを無碍に(むげに)しないために、わたくしはわたくしの精一杯でこのドレスに見合うように磨かれて、ドレスに着られるのではなく、着こなさなくては。


「ベルメ、セナ、わたくしはこのイブニングドレスを着こなさなくてはなりません。準備をお願いね」


 わたくしの強い意思に二人は頷いて、本日は夫人教育を休みにし、朝から全身を磨かれて晩餐会に備えました。

 時はあっという間に過ぎてしまい、晩餐会の時刻。セナとベルメがわたくしを精一杯輝かせてくれた、はずです。食堂まで二人が着いて来ます。なんでしょう、とてもドキドキするのは。

 いつも一人で食事をしているだけですが、本日は初めて旦那様と食事を共にするから緊張をしているのかしら。入り口で初日以来久しぶりにお顔を拝見する旦那様が立っていらっしゃり驚きました。こちらに気付いた旦那様は、ハッと息を呑んだように見えましたが……気のせいでしょうか。


「アニー、よく似合っている」


「ありがとうございます、旦那様。素敵なドレスをありがとうございます」


「素敵……気持ち悪いのではなくて、か?」


 旦那様の疑問に目を瞬かせます。気持ち悪い?


「ええと、何が、でしょう?」


「その、色が」


「色?」


 旦那様は相変わらずわたくしと視線が合いませんが、それは別に気になりません。それよりも。

 ……色?

 色が気持ち悪い?


「旦那様の目の色に染められたシルクのイブニングドレスをありがとうございます。とても綺麗に染められているので染め方が気になりましたが……。縫製の糸は旦那様の銀で光の加減でキラキラと輝いて美しいですが……気持ち悪い、ですか? あ、わたくしに似合わないのでしょうか」


 旦那様が呆然とわたくしの言葉を聞いているようで、時折思い出したように、美しいとか綺麗とか復唱していることが気になりますが。もしや、わたくしには旦那様の色であるこのドレスが似合わないのでしょうか。着こなしているつもりで、やはり着られている、とか……?


「あ、いや、違う! に、似合っている」


「よかったです」


 先程も似合っている、とは仰ってましたけれど、着られているのかと焦りましたわ。まだ十七歳のわたくしには、このような大人のドレスは似合わないかもしれない、とも思いましたし。

 入り口でやり取りをしていると、セナがコホンと咳払いをして来ましたので、ハッとして中に入ろうとします。

 旦那様がエスコートをして下さるのか腕を差し出して下さったので、そっと手を添えました。腕を組むまでの関係は築けていませんから。

 黒の燕尾服(テールコート)を着ていらっしゃる旦那様は髪が銀だからか良くお似合いです。

 中に入って驚きました。

 本当に立食スタイルなのですが、ローストビーフやサニーレタスやベビーリーフのサラダ。オレンジにストロベリーにマスカットなどの果物まで様々にありましたので。

 どれも美味しそう、と思っていましたら。


「私が一番美味しいと思う料理が思い浮かばず済まない。ただ、どれも美味しくないと思ったことがないから、様々に用意をしてもらった。改めて素晴らしい出来栄えの刺繍されたハンカチをありがとう」


 旦那様が口調が固くなりつつそのように仰って下さいました。ハンカチをポケットから出して見せてくれた表情は、やや柔らかく見えます。


「いいえ。そのように仰って頂けましたのなら、わたくしも嬉しく思いますわ」


 微笑んで返した後、どれを食べたいか、と旦那様に尋ねられたので、食べたい物を答えていけば。その度にお皿に乗せてくれました。ちょっとこのようなことをして頂けるとは思っておりませんでしたから、驚きます。でも、有り難くそのお皿の上を空っぽにしました。

 わたくしも旦那様を真似て同じようにしてお皿を渡せば、淡々と口に入れていきます。

 それからも互いに皿に乗せ合い。

 わたくしは、どれもこれも美味しいです、と旦那様に話しかけ旦那様も、そうか、と相槌を打って下さることを繰り返し繰り返し。

 ーーある程度のところで、不意に、旦那様が再びドレスについて尋ねてきました。


「その、本当に気持ち悪くないのか? 妻となるアニーが嫌な気持ちになると困るから、ドレスの色は君の好きな色にして欲しい、とセナに頼んだのだが、妻が夫の色のドレスを一着も持たないのは可笑しいのだ、と言われてしまったのだ」


 それはセナが正しいと思いますが、気持ち悪いという言葉が理解出来ませんわ。


「わたくし、青も緑も好きですし、銀も好きですわ。特に好きな色は黄色ですが、イブニングドレスではなくアフターヌーンドレスの方に着る色だと思いますので。それに旦那様の目の色は海の色ですもの。旦那様は海を持っていらっしゃるのですね」


 わたくしのその言葉に旦那様は衝撃を受けたような顔をお見せになり、そのせいなのか、わたくしに視線を合わせております。……あら、視線が合うのも初めてのことですわ。


「海の、色……」


「旦那様は海を見たことがございませんか?」


「……ない」


「まぁ、さようでございますか。わたくし幼少の頃に一度だけ見ました。太陽の光がキラキラと海を照らして、青と緑が混じり合った旦那様の目と同じ色をしておりましたわ。このドレスを拝見してそのことを思い出しました。旦那様と同じ色でございますわ」


 わたくしは幼少期の思い出など少々恥ずかしながら語りましたが、自身で着ているドレスを見下ろしながら旦那様に笑えば、旦那様が目を大きく見開いて……そのまま涙がツウッと落ちていくのを、わたくしは少々呆然としながら見ていました。

お読み頂きまして、ありがとうございました。

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