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7:お礼のお礼の悩みごと

 本日は、わたくしが公爵家に嫁いで来て二十と三日目。晩餐は初めて旦那様と共に食事を摂ります。わたくしがこの公爵家に来てから本日まで、朝も昼も晩も食事を共に摂る事は無く。今夜が初めてです。

 では、何故共に食事を摂るのか。

 あの、わたくしが仕上げた刺繍へのお礼、です。

 お礼状を頂いたので本当にそれだけで良かったどころか、旦那様のために刺繍をしていなかったことからお礼状のお礼として仕上げた刺繍したハンカチ、のお礼は何が良いか、と問われたことで、公爵家で美味しいと思った料理が知りたい、と手紙に書いたことが切っ掛けです。

 わたくし、あの手紙は何の気兼ねなく返信頂けるもの、と勝手に思っておりまして。

 まさか、旦那様を考え込ませる程だとは思いもよりませんでした。

 そのことを知ったのは、美味しいと思う料理を教えて欲しい、と手紙を出してから三日目の朝のことでした。


「奥様、あの」


 レザンの声が聞こえて来て驚きます。わたくしが起きる頃合いにレザンが部屋を訪う事など初めてなのですから。

 ……わたくしが刺繍のお礼として旦那様が一番美味しいと思った公爵家のお料理を教えて欲しい、とお願いした手紙を書いてから三日。

 何の音沙汰も無いので、てっきり旦那様はこんなことを言うなんて……と呆れられているのだとばかり思いまして、変なお願いをしたことを謝るべきかしら、などと思いながらも、二日間、午前は夫人教育で午後は刺繍をしていたのですが。

 三日目の朝、セナだけでなく家令のレザンが共にわたくしを起こしに来るとは思わずに驚きました。もちろん、専属であるベルメは分かっていたからこそ、動じていないのでしょうけれど。


「レザン? どうしました?」


「奥様、起こしてしまい申し訳なく思います」


「いえ、構いません」


 会話の間に上半身を起こしたわたくしの肩にカーディガンをかけるセナとカミツレティーを入れるベルメ。何とか見苦しくない程度に身形(みなり)を整えてくれたセナに小さく礼を述べてレザンを改めて見ました。


「奥様にお願いがありまして罷り(まかり)越しました」


 額を床に付けそうな勢いで頭を下げるレザンに驚き、頭を上げるように促してから気を引き締めます。一体、ウィステリア公爵家の家令が取り乱す程の、どんな出来(しゅったい)が起きたというのでしょうか。

 余程のことに相違有りません。もしや、夫人教育もままならないわたくしですが、社交場へ出なくてはならない緊急の何かが……? となると、それは王家に関係する事でございましょう。王家に関係する緊急事態とは……っ。


「お嬢様、お考え過ぎでしょう。カミツレティーを飲んで落ち着いてからレザン様のお話を聞いて下さいませ」


 わたくしがアレコレと想像力を働かせていると、ベルメの落ち着き払った声が耳に届き、そっとカミツレティーが入ったカップを渡して参りました。……ベルメには、わたくしが考え過ぎていたことがお見通しですわね、恥ずかしい。

 香りを嗅いで気持ちを落ち着かせてから、ベルメがわざとお嬢様、と呼びかけたことに気付きました。最近では、奥様と呼んでいるのにお嬢様と呼ばれたことに気付かないほど、わたくしは冷静では無かったようです。一口、口に含んでから改めてレザンを見ました。レザンも固い表情ながら頷き、お願い、を口にします。


「その、奥様。奥様がお手紙に認め(したため)て下さったお礼の内容のことで」


 まさかの意外な話に目を瞬かせてしまいました。


「えっ……と、あの内容がやっぱり旦那様には呆れられてしまわれたのでしょうか?」


 呆れているから違うお礼にして欲しい、というお願いかと思いましたら、レザンが首を緩やかに振りました。


「いいえそうではなくてでございまして。実は……非常に申し上げ難いのですが、旦那様は、その、美味しい、と思う料理が無かった、とのことで」


 再び目を瞬かせてしまいました。

 が。

 言われた内容に深く頷きます。


「公爵家の料理はパン一つ取ってもわたくしが伯爵家で食べていたものよりも美味しいですものね。それを生まれた時からずっと食べていらした旦那様は、美味しい食べ物に囲まれて、これが美味しい、というものが無いのかもしれませんね。どれも美味しいという事でしょう?」


 わたくしの言葉にレザンとセナが泣き出しました。……えっ、わたくし何か酷い事を言いました⁉︎


「あ、あの、レザン? セナ? わたくし何か酷い事を言いましたか?」


 二人共、いいえ、と否定してもまだ泣き止まず。ベルメと視線を交わすと二人が泣き止むまで待つ事にしました。少ししてからレザンが落ち着き。


「大変お見苦しいものをお見せ致しました」


「いいえ。人ですもの。公爵家使用人であっても感情はあるものだし、わたくしは公爵家のもの。構わないわ」


「奥様っ」


 落ち着いたはずのレザンがまた泣き出し、えええ……とちょっと引いてしまったのは内緒です。今度はセナが夫のレザンの背を撫でながら、わたくしを見ました。


「奥様、私共使用人は、奥様が奥様として旦那様の元にいらして下さり、とても感謝しております。パン一つ取っても美味しい、と仰って下さる奥様で嬉しく思うので感極まって泣いてしまいました。また、奥様が、私共が泣いたことも構わない、と不問に処して下さったことも嬉しく思うのでございます」


「ええと。食事はとても美味しいし、公爵夫人としては良くないかもしれませんが、伯爵家では使用人も人間だ、と教えられて育ちましたので……当たり前のことを言ったつもりなの」


 だから感極まって泣かれるとは思わなかったのだけど……感謝してくれているのなら良かったのかしら。


「奥様はそのようにお育ちになられたのですね! 私共は、末永く奥様にお仕えしたいと思います」


「ありがとう?」


 旦那様から離縁されなければ、そうなると思いますわ。


「どうぞ、離縁など考えないで下さいませ」


「分かりました。旦那様からお話を頂かない限りは、わたくしから離縁を申し出ることはない、と約束しましょう」


 よく分かりませんがセナの真剣な表情にわたくしも真剣に返します。ようやく落ち着いたレザンもセナもありがとうございます、と礼を言うので頷きました。……でも、旦那様の恋人様は宜しいのかしら。その辺りも旦那様がお話下さったら尋ねてみましょう。


「奥様、話を戻させて頂きますが。奥様は我が公爵家の料理をお気に召して頂いておりますご様子」


 レザンが改めて、と話し出す。


「ええ、美味しいわ」


 わたくしはもちろん美味しい、と答えます。


「ですが、旦那様はそのような感情を持ってはならない、と教育を受けておられます」


 続いたレザンの言葉にハッとしました。

 夫人教育ではなく、まだわたくしが伯爵家に居る頃に聞いたことがあったのです。


「確か、王族や公爵家の方達は、例えば料理であれ、書物であれ、着る服であれ、好悪の感情を見せてはならない、と耳にした事が有ります。それのこと?」


「ああ、奥様はご存知でしたか。左様にございます。例えば正装が好みのデザインでなくても、それを表に出してはならない。その途端にその正装をデザインした者、衣装を作り上げた者達が職を失うからです」


 わたくしはゆっくりと頷きました。

 侯爵家以下の貴族達はそこまでのことは無いのですが、王家と公爵家はそのようなことになります。

 我が国は王国。国王陛下が頂点におられる。その下に王妃殿下と王子・王女殿下達。公爵家は元を辿れば王家の血なので似たようなことが起こります。


「ですから公爵家に生まれた旦那様は好悪の情を持たないことを教えられます。嫌いだと分かれば排除され、好きだと分かればそればかり」


 レザンの言いたいことが分かりかけてきました。


「確か、食事……つまり料理に関しての好悪は嫌いな食べ物ばかり出される可能性もあるけれど、それ以上に好きな食べ物に毒や良くない薬を混入される可能性が高くなるから、とか?」


「左様にございます。故に、どの料理も美味しい、美味しくない、という好悪の感情は持たないように食べることを訓練されます」


 肯定されて、この二日間返信が無いことの理由に思い至りました。


「では、もしや。旦那様は悩まれていらっしゃる……?」


「はい。左様にございます」


 やはり悩まれているようです。レザンの願い事は何なのか、ようやく分かりました。


「旦那様がお気に召した料理でなくて良いです。でも、それですと旦那様がお礼に対して気になさってしまわれると困りますわね。では、こうしましょう。旦那様とご一緒に晩餐を摂る。これをお礼にして下さい、と」


 これならば、旦那様はこれ以上悩まれることもないでしょう。本当に優しい方です。わたくしの他愛ない願いを叶えよう、と真剣に向き合って下さっていたのですから。

 レザンはわたくしの“お礼”が変更になったことに感謝してくれます。


「急ぎ、予定を調整します!」


「あ、無理に入れなくて良いわ。予定が調整出来ても大丈夫な所に入れて下されば。旦那様の予定を無理に変更してまでは望んでないの。わたくしの他愛ない“お礼”の願いを真剣に考えて下さる優しい旦那様ですから、無理に調整してしまいそうで。そうでなくて大丈夫な所でお願いしますね」


 レザンは頭を下げて部屋を退出していきました。

 そうしてこの日の昼餐時に、予定の調整がついて二十日の後ならば……という旦那様の直筆のお手紙が届き、本日、公爵家にわたくしが参りましてから二十と三日目にして、旦那様と晩餐を共にすることが決まりました。

お読み頂きまして、ありがとうございました。

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