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1:婚約者が決まったそうです

 その日、わたくしはお父様に呼ばれて執務室を訪れた。


「お前の婚約が決まった」


「畏まりました。お相手は」


「これが釣り書きだ」


 封筒を渡されて受け取ると、わたくしは退室を命じられました。お父様は冷たい人……というわけでは有りません。自分の手駒だと考えているわけでもなく。

 単に言葉が少ないお方です。人によっては冷たく見えますが、本当は結婚しないで家に居て欲しい、と思って下さっている事は存じております。

 何しろ、釣書の入った封筒をわたくしに渡す時も逡巡されておられましたから。躊躇って躊躇ってお父様の傍らに控えていた家令と家令の後継者と目されている執事からジッと見られて、ようやく渋々と封筒を渡して下さいましたので。

 お父様はわたくしが子どもの頃から言葉が足らないお方でした。小さな頃はそれでお父様に嫌われている、と思ったものです。

 でもお祖父様が当主を務めていらした時から我が家に仕えてくれる家令がわたくしにコッソリと「旦那様は言葉が少々少ないので誤解をなさらないでくださいませ、お嬢様」 と小さな子にも分かりやすい言葉で幾度となくわたくしに教えてくれたお陰で、今では言葉が足らずとも今のように態度や行動で愛情を表現して下さることに気付きました。

 ですが、釣書が入った封筒は早めに渡して下さいませね。そうでないと確認出来ませんもの。

 病気で亡くなったお母様は、お父様の言葉の少なさを寂しいとは思わなかったのかしら? とは思うものの、あの家令の事ですからお母様へのフォローも忘れなかったことでしょう。

 そんなことを考えながら自室に戻り専属侍女のベルメにカミツレから出来たハーブティーを淹れるよう頼み、渡された釣り書きの入った袋を開けた。革製品の袋はお父様愛用の大事な書類入れなのだけど、コレに入れる程に大変なお相手なのか、それともわたくしのお相手になられる方の釣り書きだからなのか。或いはその両方かもしれない。

 それにしても。

 お父様には先日の一件をご報告し、同時に婚約に関するわたくしの気持ちとして、少しだけ時間を置いてから探して欲しい、と伝えておいてあったのにも関わらず、殆ど間を置かずに婚約が決まった、と仰った。

 探している、ではなく、決まった。

 という事は、お父様がお断り出来なかったお相手だと考えて良さそう。

 伯爵家の我が家が断れなかったというのなら、王家が関わっている……ということは流石に無いわね。王家に関心を持たれる程、我が家は勢いのある家門ではないもの。それなりに歴史は古いし没落寸前とは言わないけれど、可もなく不可もない家門であることは、重々承知している。

 となると、公爵家か侯爵家或いは辺境伯家の口利きかしら。辺境伯家は同じ“伯爵”位でも、実際は侯爵家と同等の扱いを我が国はしているし。


「アニーお嬢様、カミツレのハーブティーをどうぞ」


「ありがとう」


 革製品の袋から未だ取り出さずに睨み付けるように考え込んでいた自覚があるわたくしは、ベルメに声をかけられて仄かに立ち上るカミツレの香りを楽しみながら一口。ティーカップをソーサーに戻してテーブルの上へ戻すと、隣に置いていた革製品の袋からようやく釣り書きを出した。

 さて、何処のお家からの口利きかしら。

 家名を見れば何処の家と繋がっているのか分かる、はず。わたくしは淑女教育で習った各家の親戚や寄親・寄子の関係性などを脳裏に思い返しながら本のように装丁されている釣り書きの表紙に触れる。

 質感の良い茶色い布張りの表紙に金糸の刺繍で縁取りがされている所を見るに、高位貴族の釣り書きと思えるわ。

 表紙に綴じられて渡される釣り書き。その表紙は通常、婚約を申し出る家が準備してそのまま相手方の家に渡される。もし、何処かの家からの口利き……所謂仲介だとしても、釣り書きの表紙は婚約を申し出る家が準備するもの。

 となると、口利きのお家だけでなく、申し込んでいらしたお家自体、高位貴族と見るべきかしら。どう見繕ってみても仮に同じ伯爵位でも我が家より格上なのは、この表紙だけで分かります。これは……断れませんから、婚約が決まった、とお父様が仰るはずですわ。

 表紙を開き。

 爵位、お名前、年齢が書かれた紙を見たわたくし、あまりのお相手に三回見直し……ベルメに渡した。


「釣り書きでございますか、お嬢様」


「ええ。わたくしの婚約者様よ。もう決定なのですって。でも、三回見直したのだけど、あまりのお相手なので、見間違いでないかベルメにも見てもらいたいのよ」


「畏まりました。お嬢様の頼みでしたら」


 そう言って受け取ったベルメが「まぁ……」 と声を上げてそこから絶句しているのか言葉が続かない状態。そんなベルメを見て、やっぱりわたくしの見間違いではないことを理解したわたくしは、思わぬ大物との婚約に溜め息を吐きそうになって……飲み込んだ。

 仮令(たとえ)気心知れた専属侍女の前でも溜め息を吐くのは淑女らしくない。逡巡してからそっとベルメを見て許可を取った。


「ベルメ。わたくし溜め息を吐きたいの。見て見ぬフリをしてくれるかしら……?」


「お嬢様、心中お察し申し上げます。私は、何も見ておりませんし聞いておりません」


 そっと目を伏せたベルメを見て、ベルメの気遣いを感じて遠慮なくわたくしは大きく溜め息を吐き出した。


「ビンス・ウィステリア様がお相手とは……大物ですわね」


 溜め息の後にポツリと溢す。わたくしの婚約者様は筆頭の地位ではないものの、勢いがありながらも歴史と伝統も重んじる名門中の名門の公爵家の一つ、その当主でした。

お読み頂きまして、ありがとうございました。

3日ごとに更新予定です。次話は13日。

カミツレのハーブティーは、カモミールティーの事です。

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