轍
「凡庸な人間からは凡庸な物語しか生まれない」
出典不明、どこで目の当たりにしたのかすら覚えていない、小説家のインタビュー記事だったかもしれないし、ツイッターで目にした書き込みだったかもしれない。 しかしその言葉が、私の心に瘡蓋のように引っかかっていた。
ガロアと言う数学者がいた。僅か二十年ばかりの生涯でありながら、後の数学史に多大なる影響を及ぼした男だ。彼の死因は愛する女性を巡っての決闘だった。女性には既に婚約者がいた。しかし、彼は激情を止められなかった。結果、その女性の婚約者に決闘を申し込まれ、その生涯に幕を閉じることになろうとも。
彼は決闘の前夜、親友へ「僕にはあまりにも時間がない」と言う殴り書きと共に自身の数学的アイデアを書き残した手紙を出した。それが現在のガロア理論である——
何度聞いてもドラマ以上に刺激的でドラマティックな人生である。
私の人生はどうだろうか、私という物語を綴ったとき、誰かが楽しんでくれる人生だろうか。
私はドラマが嫌いだ。小説が嫌いだ。主人公たちは決まって特別な「何か」を持っている。いくら等身大のふりをして私に寄り添っていても、ページを捲るたび、週を跨ぐ度にに少しずつ主人公たちは特別な人生への道を歩んでいく。私は悪と戦う超能力も無ければ、スターダムを駆け上がる芸術性もない。ましてや誰かに対して身を焦がすばかりの恋慕の念を抱いたことも無い。
どこかに徹頭徹尾コンビニバイトの主人公が、嫌味な店長と日々戦いながら、美術3の成績を惜しげもなく奮って店内販促ポップを作り、長年付き合った恋人にあっけなく別れを告げられ、久々に会った友人が怪しい宗教にハマってお金を借りに来る物語がないものだろうか、誰も買わなくとも、私だけはその物語を保存用、観賞用、布教用で三冊は買うのに。なんて、我ながらひどいあらすじで笑ってしまった。
私は布団に入り目を閉じる。
それでも、それでもだ、こんなどうしようもないあらすじだが、物語は続いていくのだ。
嫌味を言われながらも給料は少しずつ上がるし、街で元恋人の隣に新しい恋人が居るのを見かけて思わず頬を緩めることもある。友達は怪しい宗教から抜け出して今度は怪しいビジネスにハマるし、かと思えばしばらく経って利子付きでお金を返しに来るし。学生時代遊び人だったあいつは今では愛妻家だし、昔好きだった人と変な関係で落ち着いて頭を抱えることもある。尊敬する先輩の結婚式の帰りに目を潤ませたりもする。
そこに「凡庸な主人公や偉人たち」が遭遇する目まぐるしい出来事や津波のような激情は無い。
なんせこの私が主人公だ、偶に波浪注意報が出る程度だろう。
そんな物語が実は少しも嫌いではないのだ。
少し開けた窓、カーテンから放射状に漏れる光の筋に揺られて目を覚ます。
眠い目を擦り、大きく伸びをしながら私は呟く。
「どうだい、これが平凡な人生さ。さそがし羨ましいだろう」
恐らくまだまだ続くだろうが、飽きる気配は無い。
どうやら私にとっても、時間はあまりにも足りないようだ。
窓から絶えず漏れ入る光の粒に目を細めながら、私はそう思った。