信託
ここはそこそこ栄えている国、タルカ王国。
その国の北に位置する辺境地、セザンタール領にその教会はあった。
「神父様、今日も行ってまいります。」
早朝のまだ薄暗い時間から行動するのは教会のシスターと神父の2人。
「あぁ、気をつけて行っておいで。」
杖をついた老年の神父、ダンが優しい笑顔を浮かべながら送り出す。
シスターであるアンリが向かったのは町の門。
そこにいる門番に身分証明証を提示してあっさりと町の外へ出る。
「嬢ちゃ〜ん、今日も気をつけてな〜。」
まだ交代が来てない夜勤の門番の眠たそうな声を受け、振り返りながら軽く手を振った。
「もったいないねぇ〜。アンリちゃんは物静かで可愛いけどアレがなきゃモテるのになぁ〜。」
ズンズン歩いて行ってしまったアンリにその呟きが届くことは無い。
町の外にやって来たアンリは目の前の草原を無視し近くの森へ進んで行く。そして腰に挿していたナイフを手に取った。
ザワザワと木々の音がする中、立ち止まって目をつぶり耳を澄ます。
ガサッ
小さな音に凄まじい速度で反応して地を蹴った。たった一蹴りだというのに、これまた凄まじい速度で距離を詰めていく。音がした草むらの中には兎に小さな角が生えた魔物、ホーンラビットがいた。その魔物の頭をナイフで貫き、一撃でとどめを刺す。
無駄のない動きで仕留めた獲物にロープを括り付けて担いだ。
信じ難い話だが実は手加減しなかったらアンリは簡単にこの魔物の頭を粉砕できる。しかし毛皮や角も換金できるため最小限のダメージで仕留めたのだ。
それだけの能力があるのに教会でシスターをしているは単に彼女が孤児であり、育ててくれた神父や町の人々へ恩を返しているからで、人より強いというのは彼女にとってはそんなに気にならない些細なことだった。
この時アンリはその強さで大きな出来事に関わっていくなど露ほども知らない。
そんな彼女の専門武器はナイフではなくメイス。狩では滅多に使わない代物だ。金属の棒の先端に金属の柄頭が付いた打撃系武器である。昔聖職者が戦う時に使っていたらしく、シスターである彼女も使うことにしたのだ。先程門番が言っていたアレとはアンリが背負っている60cm程のメイスのことで、小柄で見た目だけは可憐なアンリが持つとモテ度を格段に下げてしまうほど不釣り合いに見えるのだ。
しかし彼女はその武器を自分の手足の用に振るい森で危険な魔物が出た時は打ち倒してきた。
今日は狩りをするだけなので、ナイフで他の魔物達も狩っていく。血の匂いでワイルドボアという猪の様な中型の魔物も現れたが、これも突進を上手く避けて脳天にナイフを振り下ろす。一撃で息の根を止めた。ホーンラビット4匹とワイルドボア1匹を狩ったアンリはこれだけの魔物を背負っているにも関わらず来た道を走りながら戻る。魔物は嗅覚がいいので血の匂いに寄ってくる事が多い、なので帰り道は森を抜けるまで走るのがアンリのスタイルだ。
森を抜け町へ続く整備された道に出たところで、やっと息を落ち着かせながら歩いていく。
朝日も上り町では人々が活動し始めている頃だろう。
「あっ!アンリさんだ!おはようございまーす!今日も大量ですね。」
町の門が見えてきたところで、昼勤に変わった門番がアンリに届くように大きな声で挨拶をしてきた。魔物を抱えてこんな朝早く町に来るのはアンリだけだとわかっているのだろう。それに対してアンリは軽く会釈するだけだった。朝っぱらからそんなに声を張りたくないというのが本音である。十分に門番に近付いて身分証明証を見せながら改めてきちんと挨拶をする。
「おはようございます。町へ入っても?」
「はいどうぞ!アンリさんなら顔パスでもいいのに。」
「いえ、一応規則でしょう。」
門番よりも真面目なアンリである。
「アンリさんは相変わらずお堅いねぇ。今日も炊き出し頑張って下さいね!」
「ありがとうございます。では。」
アンリが魔物を狩りに行く目的は教会の支援活動の1つ、炊き出しの材料にするためであった。
セザンタール領は麦の生産地として有名で収穫時期になると小麦畑が一面に広がる。ここ数年他の領地で作物が不作になる事が多くなっている中、安定した生産を維持している。
ただ他の領地が不作になり始めたのと同時に魔物達が活発になっているという噂があり、それを裏付ける様に家畜が襲われ、町と町への行き来が難しくなった地域があるため、物流が滞っているのだ。肉の入手が以前より少しばかり困難になりつつある。
そんな中、町人達は協力して魔物を狩ったり、家畜が襲われないように警備を厳重にしたりして何とか肉を食べている。炊き出しもアンリが狩りに行っているお陰で肉がメニューの中に入っているのだ。さらには他の領から難民が来ることが増えてきたので、週に3回行われる炊き出しは大事なイベントとなっていた。
狩りを終え教会に戻ったアンリは裏庭の作業スペースで魔物の血抜きをしてから身なりを綺麗にし、お祈りを捧げるために教会の中にある女神像の前で膝をつく。
シスターであるアンリの日課。身寄りがなく、教会に引き取ってもらった日からお祈りを毎日続けている。信仰心が特別強いという訳ではないが、この国が信仰している女神メーテルに何気ない願いを心の中で呟くだけのお祈りだった。
(今日も私の周りの人達が平和に過ごせますように。)
そう、いつものお祈りになる筈だった。
しかし、彼女が心の中で願いを述べた瞬間。
『黄金の穂が輝く大地。セザンタール領のシスターアンリ…汝を女神メーテルの名において聖女とします。』
天から声が聞こえたのだ。
不思議と落ち着く優しい声が光と共に国中の教会に響く。
女神に名前を出されたアンリはまさか自分な筈ないと思ったが何故か口が勝手に言葉を紡ぎ出す。
「主と民のために守らん
豊穣の女神メーテルの御力を得て
命を実行せん
川は主の下へ流れ
魂はひとつにならん
母と子と聖霊の御名において。」
こんなお祈りの言葉は知らなかった筈だが頭に浮かび口に出してしまったのだ。
そしてアンリに光が降り注ぎ、手の甲には花と星を象った聖女の印が浮かび上がった。
彼女が紛れもなく聖女だという証が。
この日、神託によって聖女が誕生した。
それは同時に、世界に危機が迫っているという合図でもあった。
世界の果てに魔族の国があった。
災厄はその近くから湧き出たと言う。
瘴気でその周辺は何も生えない土地になり、魔族の国へ辿り着くと魔族達の心を蝕んだ。
正気をなくした魔族達は他族への侵略を始め、魔物も瘴気に蝕まれ凶暴になっていった。
神が哀れんだのかまだ瘴気が広がっていない地の者に加護を与え、災厄を封印することに成功した。
しかし災厄の力は強大で、長い時を経て封印を解いてしまう。
その度に加護を持つ者が現れ、なんとか災厄を封印できた。
この世界はその歴史を繰り返していた。




